ロシア帝国首都サンクト・ペテルブルク
ロシアでーーす
1912年5月21日
ロシア帝国のサンクト・ペテルブルクに大日本帝国欧州視察メンバーがいた。
大日本帝国欧州視察メンバーは代表に乃木希典陸軍大将、副代表に土屋保海軍中将、その他に藤伊栄一海軍少佐、梅津美治郎陸軍大尉、角田覚治海軍中尉、今村均陸軍中尉の6人だった。
陸軍メンバーは乃木の推薦で決定した。海軍は土屋の部下2名に決定した。
ロシアで歓迎パーティーがあるので長期間滞在することになっていた。陸軍3人と海軍3人は別れて別々で行動していた。
「寒いですね、土屋中将。早くどこでもいいから店の中に入りましょう。」
サンクト・ペテルブルクの5月の最高平均気温は15度前後。最低平均気温は5度前後である。そして東京の5月の最高平均気温は22度前後。最低平均気温は15度前後である。東京で生活していた3人は現在気温が8度のサンクト・ペテルブルクはとても寒く感じるのであった。
「仕方ないだろう。北海道よりも緯度が高いのだから。わしが一生を寒い地域で過ごすことは無理だな。ロシアから一刻も早く他国にそうだろうな行きたいと到着してからずっと思ってるからな。」
「土屋中将も藤伊少佐も折角ロシアに来たのにネガティブな感情を持つことはやめてください。ロシアに来れなかった他の軍人達に失礼です。
我々には工場地帯や市民の生活などの視察があります。ですから、店を探すことはやめてください。」
角田はこの視察を楽しみにしていた。ネガティブにしか受け取れない上官2人に呆れていた。
「角田中尉、まずは酒だ。これは中将のわしの命令だ。」
「わかりました。でも、少しだけですよ。お願いします。」
角田は投げやりな感じで土屋と藤伊の後をついて行くのであった。
「どの店がいいのかわからん!藤伊よ、いい案はないか?」
土屋達はロシアのガイドブックなんて持っていないから店選びに時間がかかっていた。
「では、それぞれが好きな店に入りましょう。」
藤伊は店選びが嫌になっていたので自分が自由行動できる案を提案した。
「藤伊、いい考えだな。わしは客が多いさっき見た店に入ることにする。お前たちも好きな店に行けよ。」
土屋はそう言うと2人を残して行ってしまった。土屋はロシア料理とロシアの代表的な酒であるウォッカが飲みたいどうしても本場ロシアで味見してみたいと思っていたからだ。
60歳を過ぎた老人が全速力走って行く後ろ姿を藤伊と角田はポカーンと見ていた。誰だって全速力で走るおじいちゃんを見たら何事かと一瞬立ち止まってしまうものである。
「角田。おい、角田。お前も土屋中将と一緒に行動しろ。店でロシア国民から色々な情報を聞いてこい。あとこの財布も持ってけ。」
藤伊はオロオロしている角田に言った。
「はい。了解です。」
角田は土屋と藤伊が店に行きたがっていた理由に気づいた。店で酔った客から国内状態の情報を入手しようとしていたことに。
だが藤伊は違った。角田に同行させたのは土屋が財布を持ってないことに気づいたからだ。他国の軍人が無銭飲食で警察に捕まってしまったら、藤伊のこれまで築いてきた土台が崩れ去る危険性があったからである。
【はぁ〜、めんどくさい。部下を持つ上司の気持ちがわかる気がする。】
藤伊は一人でロシア帝国政府機関が集中している場所に向かって歩き出した。
《《《《ロシア語で会話中》》》》
『おじさん、ウォッカをくれ。』
目星をつけていた小さくて古く5人ほどしか座れないカウンタ―席があるバーに入って藤伊はそう言った。
『はいよ。あんたどこから来たんだ?アジア人?よくここまで来れたな。金持ちだな。ハハハ。』
店には眼鏡をかけて見た目が知的に見える50代前半の男性店員がいた。店内には藤伊と店員の二人だけだった。
『日本から来た。職業はご想像に任せるよ。それより最近何かしら変わったニュースがあったか?』
日露戦争後から続く経済不況により発生しているロシア内情が知りたかった藤伊は人々を観察するだけでなく、聞くことも大切だと思ったからだ。藤伊はどこにでもいる一般人とはこの店員が違うと判断して質問した。
『変わったニュースなんてないよ。でも、面白いニュースはいっぱいあるよ。
ロシア政府が国民の生活を圧迫しているから皆不満が溜まってるから面白可笑しく政府をバカにした記事や皇帝一家の愛人の記事が多いよ。』
店員は藤伊のことを・・・軍人か。若いな。駆け引きというもの理解しとらん青二才だな。・・・と上から目線で見ていた。
『皇后の愛人はラスプーチンだろう。』
『よく知ってるな。正直言って、国民の半分以上が皇帝一家が暗殺されてもなんとも思わないだろうよ。今、この国は出口が見えない道を歩いているからな。そりゃあ、国民の矛先は皇帝一家に向いちゃうよ。』
店員は藤伊がすぐにラスプーチンの名を出したことで作業を止めた。どこからか椅子を出してきて藤伊の向かい側に座った。
『フーン。なるほどね。』
『ノギが来ていることから推測すると日本の軍人だな、あんた。いろいろ聞いてきたのは数日後のパーティーのため下準備中だろう?』
数日後にロシア帝国の首都サンクト・ペテルブルクで表向きは他国との友好のパーティーが開催されることになっていた。
各国の駐露大使や各国の政府関係者、高級軍人、経済界の大物が出席する。日本からは本野一郎駐露日本大使、駐露海軍武官、駐露陸軍武官、藤伊栄一海軍少佐が出席する。
日露戦争中、乃木はロシア軍との前線指揮官であった。日本が一応勝利した戦争の前線指揮官はロシア軍人たちの中でも嫌っている者が多くいた。そのため乃木はロシアの対日感情悪化を避けるため出席が日本政府より許可されなかった。
土屋はロシアの工場視察などを行う必要があり、藤伊に代理として出席させることになっていた。
『ハハハ。面白いね。そこまで知っているなんてあんたどこの組織に所属していた?』
組織に所属しているとなれば乃木がロシアに訪れた情報を入手できる思ったからだ。金を要求してから貴重な情報を教えるのが普通のはずなのに自分から話したことに疑問に思ったからだ。
考えられることは組織が潰れた、相手の何らかの策、ただの気まぐれぐらいが考えれる。だから選択肢を狭めるために過去形で藤伊が質問したのであった。
『あんたも変わり者だね。俺は探偵だった。イギリスとの関係が改善されて契約破棄されて大損して最近破産したけどな…。貴族はころころ考えを変えやがる。困った奴らだぜ。』
店員は愚痴ぐらいなら言っていいかと思い話し始めた。
『おい!契約破棄されたら、契約破棄金を大量にもらえるから破産するまでの損失がでないと思うが…。それにイギリスのことを調べていたなら大きな探偵事務所だったはずだろう?表だって潰すことはできないと思うよ。』
『甘いな。わしは貴族って言ったぜ。それもロマノフ家だな。わかるかい若い日本の軍人さん。これぐらい答えれないとわしに依頼する権利はないぞ。』
店員は知識が豊富な若者だと思い、藤伊に対する評価を改めた。
『大きいニコライか』
藤伊はすぐに答えた。彼しか思いつかなかったからである。彼ではなかったらすぐに諦める予定であった。
『ほう…………、正解だな。…正式名称はニコライ・二コラエヴィチ大公。わしらに調査を命じた貴族だ。一応、わしの仲間ならすぐに集められるぞ。みな、失業中だからな。ハハハハハ…。して、何を調べてほしい。』
一瞬だけ驚いた顔をした。普通ならニコライ大公と答えるはずなのに藤伊が・・・大きいニコライ・・・と答えたからだ。ニコライ大公のことをこのように呼ぶ者は皇帝一家ぐらいだと店員が知っていたからだ。
店員からすると藤伊はロシアの内情まである程度知っている人物として彼の目に映った。それ故、彼の目つきは変わった。明らかに仕事人の目つきだった。
『まずはニコライ大公の基本的資料、宮廷内部の内情をもっと詳しく知りたい。次はイギリスについての調査も依頼したい。イギリスの方針だな。あと、金融関係も頼む。』
『わかった。報酬は10年間のわしの生活保障でよろしいかのう?』
『金はいらんのか?』
藤伊は率直な疑問をぶつけた。
『金も必要だが時には逃げることも時に重要じゃからな。』
『ロシアはそろそろ限界だしな。』
藤伊が言った意味を店員も理解して頷いていた。
『そうだのう~。自己紹介がおくれおりましたな、探偵事務所を経営しておりましたオーナーのデニスじゃ。よろしく。』
『藤伊栄一大日本帝国海軍少佐だ。よろしく。』
そう言って二人は立ち上がって握手した。藤伊が独自の諜報組織を手に入れた瞬間だった。
その頃日本では伊藤博文公暗殺により日本を事実上牛耳っていた元老の中でパワーバランスの均衡が崩れて陸軍の山縣有朋や桂太郎が台頭してきた。
明治憲法には内閣総理大臣を決定する方法が書かれていない。それで明治政府の立役者である元老と呼ばれる現在6人で決めていた。
第二次西園寺公望内閣は元老の一人である西園寺公望が首相である。この内閣は軍縮をして行政改革を進めていた。そのため陸軍予算を増額して2個師団増設を掲げる陸軍と真っ向から対立している状態であった。
だが史実では第二次西園寺内閣は陸軍と真っ向から対立しようとしなかった。陸軍の武力に恐れていたからだ。なんとか頑張ってのらりくらりとかわしながら政権を維持していた。
今回の歴史では海軍の重要な地位に就いている軍人たちで構成される事実上海軍の方針の決定権をもつ知識派が内閣側の味方にいた。
政界には警察力強化に賛同する国会議員、内務省高官で構成する警察派も味方にいた。よって内閣は陸軍の武力に恐れずに政策実行が出来たのであった。
「公望、海軍がこちら側についてくれるなんて思いもよらんかったな。」
松田正久司法大臣が仲の良い西園寺公望首相に笑顔で言った。
「噂だと陸軍が暴走したら東京湾から艦砲射撃で陸軍省の建物を壊すと東郷元帥が言っておったらしいぞ。」
首相の西園寺も松田と話している時は砕けた口調になっていた。二人はフランス留学中に会い自由主義的な考えの必要性について意気投合する。西園寺も自由主義な考えを持つようになる。松田は帰国後陸軍を辞めて自由民権運動に参加していた。
「愉快だな~。ヨーロッパから帰国したら海軍大臣には土屋海軍中将が良いと思う。斎藤海軍大臣も賛成していたし。」
「山本権兵衛さんにもなってもらいたいと思う。山本さんとは話したことがある。軍部大臣現役武官制には反対していたから自分の後任になってもらおうと思う。」
西園寺は海軍関係者が首相になれば軍部大臣現役武官制の廃止が出来ると考えていた。山本権兵衛は国民にも人気があるので国民生活の改善政策を行えば全面的に軍部大臣現役武官制の廃止が可能と考えていた大きな理由の一つでもあった。
「山本さんでは軍部大臣現役武官制の廃止はできないよ。せいぜい予備役の中将、大将でも大臣になれる制度への改正が限界だと思う。だってこの制度で甘い蜜を吸っているのは海軍も同じだからな。
首相経験のないものが周りから多くの反対がある政策を完璧にやりきることはできないと思う。
こっちだって2回目の内閣なのに行政改革の一つ法案を通過させるだけでもとても苦労しているじゃないか。」
松田は西園寺が見落としていることを言った。史実にいない味方が増えても第二次西園寺内閣は史実より進んだ行政改革を行うことが出来ないでいた。それだけ行政が大変だというものを松田は知っていた。
「土屋さんが帰国するまで斎藤さんに海軍大臣の椅子に座り続けもらうのか?それは精神的にも負担が大きいのでは?土屋さんがいつ帰国するかわからんぞ。」
西園寺は不満そうな顔をしながら答えた。
「土屋さんは海軍知識派のトップだぞ!」
「なにーーーーーー!トップは斎藤海軍大臣ではないのか?つまり、東郷元帥や山本権兵衛大将などの日露戦争の英雄たちが彼の手の上で踊らされているというのか!…ちょっと待てよ…。東郷元帥が東京湾から陸軍省を破壊すると言わせたのは土屋さんか。」
西園寺は土屋が知識派のトップとなっていることを知らなかったため思わず驚いて大声で叫んでしまった。
「そうだろうな。つまり、言ったのではなく言わせる状況をつくって東郷元帥が思惑通りに言ってしまったが正しいだろう。でも、これはあくまでも推測だからな。でも、国民の皆がこのことを知っておる。」
国民は東郷平八郎海軍元帥の噂を聞いて意見が二つに別れた。一つは乃木希典元帥の所属組織の陸軍に対して傲慢すぎる態度をとるのはよくないという意見。
二つ目は最近の陸軍は過激になっているから海軍が抑止力になるのは当然という意見であった。ただ、この噂の本当の目的は東郷平八郎の神格化を若い世代の国民がしなくなるようにすることであった。
東郷元帥が所属する派閥の艦隊派の国民の支持率を落とすためのものである。そして、欧米的な考えが売りの知識派の支持率を上げるためのものであった。
結果的に藤伊が日本を出発前は海軍内部でも艦隊派が7に対して知識派1だった。しかし、今現在は艦隊派6、知識は3になっていた。脱艦隊派をした軍人たちが若者を中心に多数いた。
国民でも知識派の考えに共感する多数の若者の支持をえることに成功していた。
「ああ、そうだな。明治の者と江戸時代の者の考えの違いか…。明治の考えが出来る者が大臣になるのが今後のことを考える良いアイデアだな。」
その後、西園寺と松田は海軍省に欧州視察の海軍メンバーの早期帰国を部下に伝えさせた。




