噂
20日に更新できなくてすいません。
1912年2月19日
「おい、聞いたか。乃木閣下のこと」
「ああ、聞いたぞ!陸軍に復帰されるんだろう。」
こんな噂が日本全国でささやかれ始めた。一般人には乃木が皇居に向かったことしかわからないから様々な噂が飛び交うようになっていた。
乃木は藤伊達と会った数日後に天皇陛下に謁見し、大日本帝国陸海軍の数名で欧州の進んだ技術、戦術、各国の軍隊の視察するべきであると言った。これは乃木が自分も欧州に行き、衝撃を受けた体験を部下たちにも体験してもらい部下たちに一回り大きくなって帰国してもらいたかったためである。
日本の国民的英雄の意見であるため不満があったとしても公の場で言うことができないため、乃木の意見案は陸軍で数週間後に大日本帝国陸軍青年欧州視察委員会が設立された。陸軍で設立されたのに海軍で設立しないのはおかしいと多くの海軍高級軍人から言われて海軍にも設立された。
しかし、陸軍と海軍も欧州に多くの軍人達の派遣が予算の都合上不可能であったので陸軍と海軍のそれぞれの委員会を合体させて大日本帝国欧州視察委員会として新たに設立した。委員会予算は陸軍と海軍が半分ずつ出すことで合意した。
1912年3月16日に神戸の民間造船所で日本初民間造船所が建造する戦艦「第二号装甲巡洋艦」として建造される後の金剛型戦艦3番艦[榛名]は計画通りに起工される。
史実で1912年3月17日に長崎の民間造船所で建造される「第三号装甲巡洋艦」後の金剛型戦艦4番艦[霧島]が委員会に海軍予算の一部を回したことにより、一か月後の1912年4月17日起工となってしまう。霧島が一か月遅れで起工された最大の理由は藤伊が海軍の横領金をほとんど奪ってしまったからだ。
それで霧島の建造予算から金をくすねていたのだった。委員会に回した予算を予算不足気味の霧島建造費に充てるつもりであったがそれができなくなり、海軍会計係に見つかってしまった。責任者への罰則などの対応をしていたため起工式に海軍高官が出席できなくなり、遅れてしまったのが最大の理由であった。
国民や軍人たちの注目を集めた大日本帝国欧州視察初代委員会の委員長には乃木希典陸軍大将がなり、副委員長に陸軍と上手にやってくれそうな温和な土屋保海軍少将がなった。ただ、土屋は海軍人事局長であるため乃木に全て任せたので、乃木が勝手に欧州に派遣するメンバーを考えていた。
よって乃木がメンバーを考えていることは陸軍全体に広まっていた。欧州に行きたい若手士官たちを中心に乃木に媚びを売りに来る者が多発してしまったため憲兵隊が急遽取り締まりに駆り出されるはめになる状況に発展してしまった。
残念なことにこの委員会が欧州に視察団を派遣するのは1回だけである。乃木たちが欧州に派遣されている時に陸軍と海軍でこの委員会についてトラブルがあり、双方とも予算を出すことに中止決定する事態となってしまい設立後数年でなくなってしまうのであった。
日本の新聞社、陸軍、海軍、政界、国民が乃木閣下復帰のことで頭がいっぱいになっている隙に警察特別要人警護課がどこ反対もなく設置された。
将来に設置されるであろう警察治安部隊課のために武装警官育成のため警察特別要人警護課の中に特務係が設置された。この時から陸軍歩兵部隊が使用する重火器を警察がメーカーに注文し始めるようになる。それにより警察治安部隊課の設置後すぐに活動が出来るようになる。
ただ、日本人のほとんどがは気付かなかった警察特別要人警護課の設置に気付いた者もいた。彼は日本に派遣されている各国の大使たちである。
彼らにとっては乃木復帰のニュースよりもこちらのニュースが重要だった。駐日大使たちは幾ら日本が発展を遂げても一部の野蛮な行動をする者たちに標的にされると思っていたからだ。
彼らには1891年に大津でニコライ二世が警官に切り付けられた大津事件のことが頭の片隅にあるからだ。この部署が設置されたことにより自分たちの安全性が飛躍的に上昇したと思っていた。大使たちはさり気ない配慮に感謝して、時の首相の西園寺公望と内務大臣に感謝状を送った。
この感謝状の影響により藤伊一郎警保局長の名前が政界の大物たちに知れ渡り、警察のことは藤伊一郎が一番適任と思うようになっていく。
【あれ、おかしいな。なんでロンドンの秘密口座の残高が大きく上昇してるの?そんなに横領金を集めた記憶は無いけど…。約40万円から約200万円に増えている!なぜだ?】
藤伊は今日銀行に私服で来ていた。いろいろ考えながら銀行を出て少し経った所で、藤伊は憲兵たちに囲まれてしまった。
「貴様、社会主義者の一味だな!我々と一緒に憲兵隊の詰所に来てもらうぞ!」
「おいおい待てよ。俺はかいg」
「うるさい!黙れ!お前に発言を許可していない。」
藤伊は呆れたような口調で言ったが、憲兵たちは初めから藤伊の話を聞く気がなかったので聞く耳持たずであった。
「お前たち、いい加減にしろ。海軍大尉にその様な振る舞いをしてただで済むと思っておるまいな。それに目的の人物はまだ銀行内にいるぞ!」
憲兵たちの上官らしき人がやって来て若手の者叱ったので藤伊はすぐに開放された。
「本当に部下が申し訳ないことをしてしまった。気分を害してしまい、すまなかった。部下にはきつく言っておく。すまなかった。」
「間違えは誰にでもあります。ですのでここは大目に見るのがいいと思います。」
上官が人柄の良さそうな人物であると判断した藤伊は何も咎めるようなことを言わなかった。
藤伊が憲兵たちと別れた後、藤伊を捕まえてしまい、上官に叱られた若手の憲兵たちが上官に不満を言っていた。
「上官、なぜ解放してしまうのですか?憲兵隊で取り調べれば海軍に手を出すことはできないはずです。」
「私も彼の意見に賛成です。海軍大尉であれば海軍省が抗議してくる可能性はゼロに近いはずです。」
「今からでも遅くありません。もう一度捕まえに行きましょう。みんなも行くだろう?」
「「「「「「「「おう!」」」」」」」」
「ありがとうみんな!皆も同意しております!上官、どうかご命令を!あの様な弱々しい奴はすぐに調べれば情報を吐くはずです!」
「まあまあ、皆もそんなに熱くなるな。あいつを捕まえたら駐日アメリカ大使、駐日ロシア大使、駐日ドイツ大使から抗議されてしまうことが目に見えているから逮捕しないのだ。彼らと藤伊がどのような経緯で親しくなったかはわからない。
だが、藤伊を陸軍組織の憲兵隊が逮捕したら、我が陸軍は陸軍国家のドイツ、ロシアから嫌われてしまい、最新の武器を販売してくれなくなる危険性が生じてくる。よって上層部は我々に監視する命令をしたのだよ。」
上官が興奮状態になりつつある部下たちを抑えるために部下たちに知らせるべきでないこと話した。そうしなければ部下たちが命令無視の行動を取りそうであったからだ。
「上官、藤伊は何か特別な権力を持っているのですか?」
若手の憲兵が上官に質問した。
「特別な権力か。持っていないよ、彼は。ただ、海外人間と我々が持っていないルートで彼は接触出来ることぐらいだな。」
「その様なことは陸軍でもやる気になれば出来るはずです。」
「では、お前はどうやってやるのかわかるのか?外国人たちと誰が接触するのだ?外国語は話せるのか?今言ったことがどれか一つくらい出来るようになってから言った方がいい。その言葉を聞く限りでは自分が努力しないように聞こえるぞ。だが、あいつは全部出来るぞ!」
上官が部下たち全員に向かって説得力ある説明したので部下たちは全員黙ってしまった。
「上官は憲兵隊を辞めて警察に行かれるのですか?最近設置された部署の教官の募集を利用するつもりですか?」
「そうだ。同期の者たちの何人かも異動する。よし、お前たちに一つ言っておく。人を見た目で判断するな!能ある鷹は爪を隠すという言葉のように本当に優秀な者は人前で自分の成果を自慢しないからな。自慢なぞしなくとも良い結果が人々に自然と知れ渡るからでもある。今の藤伊栄一が後者の状態だよ。彼の成果はあの若さで大日本帝国陸海軍高官たちと同じ土俵にいることだな。
しかし、どうやってその土俵に上がったのか誰も知らんがな。さり気なく藤伊が権力を持ち始めていることにやっと今になって気付いたからな。海軍の不可解な政策には藤伊がいつも絡んでいたしな。」
「藤伊はまるで目に見えない支配者ですね。」
「まあ、そうかもしれんな。」
憲兵たちはもう藤伊を逮捕する気がなくなっていたので藤伊の監視を止めた。
その日角田は呉鎮守府で同僚と話していた。
「なあ、角田。ずっと気になっていたけど、、どうして上官たちは今日だけ俺たちにすごく優しいのだろうか?」
「呉鎮守府に土屋海軍少将が来るからだよ。」
「え、なんだ少将かよ!大将が来るのかと思っていたぜ。」
「土屋海軍少将は海軍人事局のボスだぞ。簡単に言うと彼が好きな様に人事異動させること出来るとことだ。よって彼に嫌われてしまうと左遷されるかもしれないってことだ。」
「それなら俺たちも媚を売りに行こうぜ!」
角田は海軍兵学校同期生の考えに呆れていた。更に角田は土屋が視察に来るので媚を売りたい海軍士官たちの質問攻めにあっていたので精神的にも疲れていた。
「アホ。そんなことをやると左遷リストに登録されてしまうぞ。」
「俺の実家は農家だから海軍高級軍人になって子供たちに良い暮らしをさせてあげたいからだ!角田は将来のこと考えていないのか?」
「もっとお前が優秀になったら俺の上官の藤伊海軍大尉に言っといてやるよ。」
「海軍大尉じゃない!せめて海軍中佐とかにしてくれ。」
「お前な、あの人を過小評価していると痛い目に合うぞ。だって、主要各国の母国語ほとんど話せる。つまり、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語が出来ることだ。それに最新情報を入手するスピードは海軍省より早い!」
「そいつは凄いな!ちょっと待て、視察に来る人はその大尉の直属の上司か。なら、視察に来る少将に媚を売ろう!」
「まあ、頑張れ。それにしても土屋少将も大変だな。人事局長は将来一番なりなくない職だな。」
海軍人事局長として土屋は横須賀、佐世保、呉の鎮守府を視察しなければならなくなっていた。この規則は人事局のメンバーを能力主義で採用しているのが起因している。それと土屋自身がそれぞれの鎮守府で下見し、それも採用時の判断にしたいと考えていたからでもあった。
海軍人事局は唯一能力主義によって採用されたエリート集団の集まりであることが海軍内部に広まっていた。左遷されてしまった有能な者たちも非公式によく海軍人事局を訪れていた。
海軍人事局長が退役を延長されて局長の椅子に座り続けているため局長や幹部の後任不足の事態にあると判断出来た。それで自分は有能であると思っている海軍大佐、海軍中佐、海軍少佐が土屋の元に続々と自分自身を売りに来るようになっていた。
《駐日外国大使たちの信頼を得て改革を始めた警察。大規模な人事異動をして海軍の裏の支配者となりつつある海軍人事局。何もしていないのに敵対勢力が減少してきた運の良い第二次西園寺公望内閣。孤立しつつある内閣の最大敵対勢力の陸軍。》と政界で言われていた。
この日の夜、東京のある国会議員の私邸では二人の薩長系議員が話していた。
「こりゃあ、今の内閣は思いもよらないところが味方になりつつあることに困惑しとるだろう。」
「そうだろう。儂も最初に海軍人事局が海軍全体を支配下に置きつつあると聞いた時は困惑した。人事局長は相当優秀な奴だったのだろう。」
「ああ、数年前は局長が優秀であると認識されていた。でも、最近の情報では海軍大尉の局長秘書が中心となって海軍の人事異動を決定していたらしいぞ。」
「な!局長秘書がだと!それに海軍大尉ということは青年士官か?」
「そうだ。藤伊栄一海軍大尉だ。彼は現在警保局長の息子だ。」
「警保局長の息子か…。迂闊に手を出せんな。政党議員たちと警保局長は協力状態にあるから、ヘマをすると薩長議員が弱い立場に追い込まれるし…。うーむ、どうするべきか?」
多くの国会議長たちは力がついてきた藤伊親子に様々な思いを持ち始めていた。ある者は彼ら親子を失脚させようとした。別の者は利用しようとした。だが逆に藤伊親子が彼らを利用していた。
日本ではなく外国人勢力の圧倒的な支持を得るという明治政府官僚、国会議長たちがやったことのない作戦で攻められたので短期間の内に藤伊一郎警保局長が警察力強化に成功した。
「今はどのように対応するか決めるのは止しましょう。一旦様子を見ましょう。」
「それが一番良いかもな。」
そう言って話し合いは終わった。




