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背番号901  作者: 鹿田 智弘
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ジェイムズ・マクレガーの憂鬱

 ジェイムズ=マクレガーはひどく落胆していた。

 ふと、自分の足元に転がってきた野球ボールに目をやる。それを追いかけてきた少年にジェイムズはボールを軽く放ってやった。

「ベースボールは好きかい坊や?」 

「嫌い」

 にべもなく少年は答えて、少年はそそくさと帰っていった。そして、少年はその嫌いなはずの野球の練習に無心に打ち込む。これがこの移民船団くにの日常だった。

 移民船団同士をほぼノータイムでつなぐ空間量子ネットワークにアップロードされた話では、この第139移民船団ヒノモトは野球大国、彼の愛したベースボールが盛んなはずだった。だから彼は空間量子ネットワークに意識をアップロードし、政府に登録された観光用の全身義体を操作リモートする、いわゆるガイジンとして第83移民船団ステイツからはるばるとやってきたのだ。

 確かにこの移民船団くにでは、老若男女を問わず誰もが野球を嗜んでいる。だがそれは趣味や仕事ですらなく、生きる術なのだ。この移民船団くにではありとあらゆることが野球で解決できる。文字通り、ありとあらゆることが、だ。

 野球の試合結果は常に合法的リーガルなのだ。公式試合オフィシャルならば存在するようなサイバーウェアの使用規定すらない野良試合であっても。

 つまり、野球が強いと言うのは、腕力が強い以上の意味を持ち、財力がある以上の意味を持つ。実際、ヒノモトの大きな組織はどこでもチームを持っている。メガコーポや政府機関、ヤクザのようなアウトローに至るまで、だ。さきほどの少年も、そういった組織への就職のため、もしくはただ生き残るために野球をやっているに違いなかった。そして、ジェイムズの落胆の理由はそれだった。

 電子インクで登録番号が書かれたひと目でガイジンとわかる額に皺を寄せ、ジェイムズは呟く。

「この移民船団くににはベースボールを愛する人は居ないのか……」

 ジェイムズはこの移民船団くにに来てから何度目かも分からない失望の言葉を口にした。

「~~~~~~~~~~~っ!!!」

 誰かの意味不明の怒鳴り声が聞こえてきたのはその時だった。義体の自動翻訳トランスレーターの故障かと思って周囲に気を配る。自動翻訳はガイジンであるジェイムズにとって命綱であり、その不具合は致命的だ。

「いえ……ですから……その困ります。」

 だが、その意味不明な言語を発してる人物の対応をしていると思しき少女の声は、とぎれとぎれだが特に問題なく変換されている。とぎれとぎれなのは単に距離が離れているのと、その少女の声が小さいからに過ぎないだろう。周りの喧騒も意識を向ければ意味のある言葉として聞き取ることができる。

 だとすれば不具合は大したものではないのだろう。そう判断したジェイムズは好奇心に従って行動することにした。もともと好奇心だけでガイジンとして祖国ステイツからやってきたぐらいの男である。興味を引くことがあれば行動するのは当然と言えた。なにより、さっきから聞こえてくる少女の声の方にには聞き覚えがあった。

 声のする方へ行くと人工芝が見えてくる。中央には自己集積砂を使った形状記憶マウンドのある野球用のグラウンド。万世野球法にかこつけて政府が公共事業として乱設したもので、探せばスラム街にすらある。簡単な申請だけで即日利用できる。無論、遊びや練習で使うだけなら無料ただで使えるはずだが、申請試合の数が多すぎてほぼ各所の球場はパンクしているため、そういった利用者はすぐに追い出されることになる。

 ジェイムズは今日の試合の受付らしき仮設テントを覗き込み、期待したとおりの顔が居ることを確認して声をかける。

「やあ、何か困り事のようだね、ハナコ」

「あっジェイムズさん、いや、この人がですねぇ」

 気の弱そうな女性の目がジェイムズの方を向く。うさぎのような臆病な顔に眼鏡をのせた彼女は、ハナコ=タナカ、この辺りの野球を仕切る野球委員の一人だ。野球委員は一種の公式記録員であり、彼らに認められることで野球での決着が”合法的”になる。野球と無関係に生きることができないこのヒノモトでは末端の構成員であろうと、警察を上回る権威があり、そして消防などよりも身近な完了なのである。

 かくいうジェイムズもヒノモトでの野球を知るために真っ先に世話になった。その後もいくつもの試合で出くわして、今やすっかり顔なじみになっていた。だが、ジェイムズは彼女からはそういった驕りを感じたことはなかった。というより見た目通り少々自信が足りなすぎている、というのがジェイムズの忌憚のない感想だ。ジェイムズとしては与し易い、とは思うが、頼りないとも同時に思う。

 ハナコは先ほどの奇声を発した人物との何らかの交渉中であり、どうもそれがうまくいっていないようであった。

 自動翻訳の不具合は直っておらず、ハナコの前の人物の声は意味ある言葉には変換されてこない。ジェイムズが出来る範囲でいくつか設定をいじってみたが、特に成果は得られなかった。

「……ですからメンバーの選出には規定がありまして……事前に出場登録された方でないとですね」

 ハナコが何かを説明しているのを見ながらジェイムズはハナコの前の人物に目をやった。

 ジェイムズが最初に抱いた感想は、彼女(おどろくべきことに少女だった)に野球なんぞできるのか?ということだった。それは別に彼女を馬鹿にしたような意味合いではなかった。

 ヒノモト特有の艶やかで長い黒髪はうわさに聞くゲイシャにだって負けないだろうし、指は握りしめれば折れてしまいそうな繊細さで、陶磁のような肌の白さがそれをさらに際立たせている。ボロ布のようなものを纏ってはいたが、それすら芸術家が差配したアクセサリのようですらあった。体つきは歳相応といった感じだが、ありとあらゆるパーツが職人が作ったかのような確かさがあった。何よりハナコを見据える黒い瞳が宝石のように、冒しがたい高潔さと気高さを持って凛々しく煌めいていた

 それはジェイムズがこの移民船団くにで見てきた小汚い政治と恐喝の道具へと堕した野球に全くもって相応しくない美しさだった。

 だからこその最初の印象だった。

「野球は好きかい?って伝えてくれハナコ」

 ジェイムズは聞いてみてみたくなった。彼女ならもしかして自分の望む答えを言ってくれるかもしれない、と。

「え?」

「野球は好きかと聞いてくれないかハナコ、どうも自動翻訳トランスレータがうまく動かないんだ。」

 ハナコはしばし呆然とした後、ジェイムズの言葉をオウム返しに彼女に繰り返した。少女は横から介入してきたガイジンを胡乱げに見つめた後、何事をかを呟いた。

「えっと……好きだ、そうです……けど」

「エクセレント!!」

 ジェイムズにとってこの移民船団くにに来て2度めの、そして最高の喜びだった。一度目はこのヒノモトに足を踏み入れた瞬間の興奮だったが、これはそれ以上に素晴らしい物だった。血管も通ってない義体の頭が沸騰してしまいそうな高揚感すらある。横にいるハナコがわけがわからないといった顔で見つめているが、それは全く些細な問題だった。

「任せてくれ、ガール、僕が試合に出れるようにしてあげるよ!!」

 興奮して直接話しかけてきたジェイムズに、さすがに面食らった様子で少女はハナコに目を向ける。当然である。自動翻訳トランスレータがうまく機能していないのだ、彼女から見れば意味不明な言葉を紡ぐ怪しげな男以外の何物でもない。

「僕はジェイムズだ。名前を教えてくれないか!!君の名前を!!」

 ジェイムズの通じるはずもない問いかけ。それに少女は答えた。

「アイリ=イナオ」

 それは意味が通じたのではなく、心が通じたのだとジェイムズは信じた。

 野球じぶんがあいしたものを愛する人間と出会う、たったそれだけのことが、なんて素晴らしいことなんだろう。




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