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後篇

 私にとっては自分の人生と同じ速度で一緒に歩んできた夢物語。



 その物語に、「あのときの覇王の口ぶりは(妹である)月姫の気持ちをまったく考えてない男性優位の言葉だよね」だとか「どうして魔法使い目線で語る必要があるのかわからない。 女(!)のわたしからだったらぜったい月姫目線で語ってもらいたいところ、あるんだよね」だとか、そういった私では考え付かないことを朔也は私にぶつけていた。


 まあ作者が私だということをしらないのだから、仕方がないが。


 けれど今までの人生の中で、小学校の恩師以外の人とこうやって熱く語ることはなく、私にとって朔也は特別な者になっていった。


 ただその大切な時間も、高校卒業と共に失われることになった。

 朔也は東京の大学に、わたしは一人暮らしのまま執筆活動を励んでいた。


 たまに朔也から連絡が来る。 東京で元気にやっているようだ。 ただ私からその手紙に返事をしたことがない。 なんて書けばいいかわからないからだ。


 ――――寂しいよ。 朔也と一緒にまた遅くまで話したいな。


 その気持ちを朔也に伝えて、朔也との「小説友達」としての立ち位置を失うのが怖かった。 離れていればいるほど、日に日に朔也は私にとって特別で大切な存在になっていったから、たった一行の手紙を出すことで朔也と薄い絆を断ち切られてしまうのではないかという恐怖と闘うことができなかった。


 

 そうして定期的にあった朔也からの連絡が、途絶えた。


 

 母に殴られなじられた時にも出なかった涙が、ゆっくりと頬を伝った。




 

 それでも私には覇王の物語がある。 続編を待ってくれる、私の夢物語を共有してくれる読者がいる。

 それまで以上に執筆に打ち込むようになった。 夢にはところどころつなぎ目がなくなるので、そこをどう埋めるかが鍵となっているが、きっちりとした人物や背景があるのでそこにちょっとスパイスを加えるだけで事足りたし、実際それでその後の展開がおかしくならなかったのが不思議だった。


 朔也から連絡が途絶えて1年が過ぎたころ、自宅の仕事用の電話が鳴った。 ディスプレイを見て何時もの編集者だろうと電話に出ると、相手はなんと朔也だった。


 「ひさしぶり。元気してる?」


 朔也はこの電話番号は知らないはずだし、だいたいナンバーディスプレーではいつもの出版社からの電話だったんだが……。


 「あはは、そうだよね。 どうして私がこの電話を使って話してるのか、わからないよね? でも惺也もずるい。 あれだけ語り合ったのに私に教えてくれなかったしね。 あの時のことを思い出すと恥ずかしくて顔から火がでそうになる」


 からからと笑うその声を久しぶりに聞けて、暖かいものが心に広がった。


 「就職、したんだ。 あの小説の出版社に。 だって少しでも早く物語が読みたかったから。 運よくその作者の担当になれたと思ったら……まさか惺也が作者だなんて、想像できないでしょ?」


 本当に運がよかった、朔也は後日そう言った。

 

 いくら手紙を出しても、私からの返事はない。 『あれだけ高校の時楽しんだのは一体何だったんだろう?自分のことを本当はうざったがっていたのではないか』そう思うと悲しくなって寂しくなって、手紙が書けなくなってしまったのと、済まなそうに謝ってきた。


 そんなことはない。 私のほうが朔也に自分の気持ちをぶつけて嫌われるのではないかと恐れて返事一つしてこなかったのだから、あやまるのなら私のほうだと朔也に言ったら、朔也の曇っていた顔が光を浴びたように明るくかわり、私に抱きついてきた。


 「よかった……、嫌われるのが怖かったのは私だけじゃないんだね」


 うるんだ瞳を向けて、顔を近づけてくる。 そしておでこをこんっと合わせて笑っていた。

 それがどれだけ朔也を欲している自分を煽っているのか分かっているのかいないのか。

 高校の時にもこんなに親密になったことなぞなかったのに。


 ぶわっと耳の奥で何かが叫ぶ。

 どくんどくんと血が逆流しているような気分になる。


 ―――――嗚呼、私が欲しかったのはこの手のひらにある温もりだ。


 「朔也……」


 そう熱く呟く唇が、朔也の薄く開いたそれにゆっくりと重なったのは、決して流されたからではない。

 本心から欲したモノは、朔也、それだけだ。


 

 編集者としての朔也はそれはそれは厳しいもので、少しでも原稿を落としそうになると叱咤激励が飛んでくる。 他の編集者にはない辣腕ぶりで。 もちろん高校以来の、物語の討論会が始まる。 それは編集者としての意見ではなく、一読者としての貴重な意見で、私にとってはいい刺激になった。


 ただ、朔也の私に対する辣腕ぶりが、他の編集者から「先生が気にいった女」扱いのために調子に乗ってできるものだと、女を売って得た地位だと噂が立つようになった。 実際「気に入った女」に関しては否定しないが、それが出版社に勤めてからの編集者としてからの朔也だからではなく、高校時代から評価されてきた積み重ねの結果だということを他の編集者は知らない。 だいたいこの時点ではまだ、朔也はわたしとはそういう関係にはなかった。 朔也がそう噂されることを予測して、本当にそういった関係だからという判子を押したくはないといって拒んできたからだ。


 だが、私にも限界がある。


 愛してやまない朔也が隣の部屋で原稿待ちをしているときや、ひと息をつきたいタイミングで嗅ぐことができる珈琲の匂いや、何かの拍子に触ってしまう手の感触を何度も繰り返し思い出している時に、朔也がまたいなくなったらと恐怖に駆られることもある。


 結婚を申し込んだのは、とうとう限界が来てしまったからだ。


 朔也は自分の仕事に誇りを持っていて辞めたくはないと常日頃言っていた。 だが、私と結婚することで朔也はその仕事を否応なく辞めなければならない。 なぜなら現在でさえ針のむしろ状態なのに、わたしという小説家と結婚することで玉の輿狙いでそれを射止めた女だと言われ続けられるのに耐えられないだろうから。


 実際は全く違う。 私が朔也を離すことができないのだ。


 そうして朔也は私専属の編集者となり、私の最愛の妻となった。


 小説も順調に進んでいき、とうとう終わりにさしかかろうというとき、私は自分の体調の変化を思い知った。

 すでにそれが取り返しのつかない病魔だということも。


 できるだけ迅速に、私の夢物語である覇王の物語を完結しなければならない。 私の中にあるすべての物語を書き終えるまで時間がなかった。

 夢の中の魔法使いの私は、己の力に疲れ、とある場所に永遠の眠りについていた。

 あともう少し、あともう少しで、物語が書き終わる。

 この世に生を受けてからずっと頭の中で上映しつづけていた覇王の物語が最後を迎える。


 そうして、最後の一筆を書き終えたその身体は、そのまま仕事用の机の上に突っ伏した。 最愛の朔也の悲鳴を聞きながら。




 


 ここはどこだ。


 浮遊感に溢れる身体と割れるような痛みを覚えた頭を抱え、ふと目が覚めた。

 そこは見慣れた天井、見慣れた寝室、見慣れた庭……そして愛する朔也と子供たち、後ろに控えてるのは孫たちか。

 そしていつものようにかけっぱなしにしているテレビの音が静かな部屋に鳴り響く。


 がががっ


 テレビの不意を突く音にゆっくりと顔をむけると、人の隙間から見えた画面では臨時ニュースで富士山で発見された氷漬けの人間の画像が映っていた。


 その映像に眼を奪われた。


 ―――――あれは、あれは……私の魔法使い。 私の夢の中での……私だ!


 その瞬間、いきなりまっ白な光が目の前に現れ、上昇する浮遊感が身体を襲った。


 ああ、これで本当に。


 これが『死』というものか。 これが千年(・・)も恋焦がれていた『死』というものなのか。



******



 夢の中の私は、覇王との血の契約に縛られて、覇王の血族が国を治めている間は死ぬことを許されなかった。 国の智慧者として、比類なき魔法使いとして、そこにあり続けなければいけないあの苦痛。千年の時を契約に縛られ続けるあの恐怖。


 千年目になり、私は身を隠した。

 覇王と私の妹であった月姫の代から何代も何代も、数えるもの馬鹿らしくなるくらい変わっていき、もう誰も私を魔法使いとして崇めるのではなく、千年を生きた化け物としか見なくなっていったあの恐怖におびえる無数の瞳が、私にある決意をさせた。


 死ぬことができないのならば、この身を眠らそう。


 そうして選んだのが、永遠の時を止めることができる万年氷の岩屋の中で作った氷の棺に座り、この世の最後までこの棺で眠ることだった。

 最後の術の魔法陣を己が血で氷の上に描き、詠唱を朗々と始める。

 そこで私は意識を手放した。 初めからそうすればよかった……。


 ふと意識が浮上した。

 そして何の戯れか、まだ私が生きている証を見ようと、世界に意識を飛ばしてみたら


 そこは私の知っている世界とは全く別の世界が広がっていた。


 まるで巨大な大木のような建物らしきものがあちらこちらにみられ、空は薄く靄がかかったようになり、地上には馬がひいているではないのに箱が素早く走っていた。……魔法か?

 纏っている衣裳は……これを豊富というべきなのか? 色とりどりだが、見たこともない変わった形をしていて、眠る前ならば確実に気がふれているとしか思えないものをどの男も女も着つけていた。


 おもしろい。


 この変わった魔法を使う世界ならば、自分の力を必要だといって命を無理やりつなぎとめようとするものはいないだろう。 あの死した王族たちのように。


 そう考えると、この世界に生まれおち、最後の転生となすのも悪くはない。

 この世界では、「自分」というもので一生を終えることができるだろう。


 私はそうして、岩屋の棺で眠る身体を手放して、若そうな女の腹のまだ受精もしていない卵にするりと入り込んだ。


 


 そうして母の胎内で受精してこの世に生まれたのが、惺也だった。



 ******



 惺也は、自分を不安そうに見下ろす朔也や子供たち、孫たちひとりひとりの顔を忘れまいとゆっくりと時間をかけて見まわした。

 

 ―――――わたしが千年かけても望めなかったものが、ここにはある。

 ―――――こうして、愛する者たちに囲まれて逝けるというのは、なんて素晴らしい人生なんだろうか……。


 熱いものが、胸と眼がしらを襲う。

 つう、と、涙が頬を伝う。


 愛する者たちを残して逝くのは、それは身が裂けるほどの痛み。 けれど、愛する者と人生を歩み、育み、見守られて人生を終えるというのは、なんという至福……!


 老人独特の斑があるしわがれた手が、同じく歳を重ねてもなお美しい朔也の顔へとゆっくりと伸びる。 その手を握り締めて涙ながらにほほ笑む彼女の、なんと強く美しいことか!


 ああ、良い人生で終われる。


 「……さく……や…」


 惺也の手は力を失って、布団へと落ちていく。 


その最後の顔は慈愛に満ちてとても優しげだった。






 

 惺也の死と同時に、万年氷の岩屋の棺の中で千年生きた魔法使いの亡骸がみるみる砂になり、突風に飛ばされて空に消えてなくなった――――




 






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