前篇
見慣れた天井、見慣れた部屋、見慣れた庭。
つきっぱなしにしているテレビからは機械的な音声が絶え間なく流れてくる。
そして、部屋の中央に敷かれた布団で横になっている私の周りには、愛している妻と子供たち、少し離れて孫たちまでいる。
―――――もうすぐ私の人生が閉じようとしている。
そういうことなのだろう。
自分の人生は、とても幸福であった。
愛する家族に看取られて気持穏やかに旅立てるくらい、幸せなことはない。
がががっ
テレビの不意を突く音にゆっくりと顔をむけると、人の隙間から見えた画面では臨時ニュースで富士山で発見された氷漬けの人間の画像が映っていた。
――――あれは―――あれは、私の魔法使いだ……!
画面を食い入るように見つめていたら、いきなりまっ白な光が目の前に現れ、上昇する浮遊感が身体を襲った。
ああ、これで本当に。
これが『死』というものか。 これが千年も恋焦がれていた『死』というものなのか。
白いトンネルを抜けていくとそこには、わたしが体験したすべてのことが映像となって流れていた――――
*******
「惺也、また魔法使いごっこしてるの?」
キッチンで晩御飯を作っていた母が手を休めて、心配そうに話しかけてきた。
「うん。 だってわるものはいくらでもでてくるんだよ」
母の心配の理由が全く分からなかった私は、今日もがんばって悪者を退治していた。 夢に見たあいつがまた出てきたら今度こそ倒して、王さまの前できちんと報告するんだ。
「……そう? 今日の悪者はだあれ?」
「あーらいるくりゅーべ。 こいつはほんとうにわるいやつなんだ。ぼくいがいはだれもたおせないとおうさまもいってるんだよ」
「あーらい……? 王さまはなんていうお名前?」
どうして母は王の名前も知らないんだ? 覇王クムフィルの名は全世界に轟いているのに。
それでも、幼かったころの私は母の問いかけに素直に答えた。
「はおうくむふぃる。 すっごくかっこいいおうさまなんだよ。 おうひさまはぼくのいもうとなんだ!」
「そうなの? すっごく凝った設定ね……」
たしかに3歳の子供が設定できる話ではないと思うが、夢で見たことを再現しているだけだし、夢というものはすべての人間が共通しているものだと思っていたから、母が知らないのがとても不思議だった。
しつこく同じ話を繰り返して遊ぶ私に、母がだんだん私のことを気味悪いと考えているとは思いもよらなかった。
ある時、家に帰ると母がうれしそうに赤ん坊を抱いていた。
「惺也も今日からお兄ちゃんね? 妹の桜子よ。 たくさんたくさんかわいがろうね?」
その赤ん坊は髪も瞳も真っ黒で、わたしの妹とは似ても似つかなかったのでそのことを母に言うと、母は「また? 作り話もいい加減にして」といってそっぽを向いてしまった。
本当のことをいっただけなのに。
私の妹の髪も瞳も銀色で、黒髪黒目の私と並べば「夜と月のよう」と言われたものだ。それに妹の名前はリンデンクラーデといった。
妹が家にきてから、それまでなんとか私に耐えていた母は妹にかかりきりになって私を見向きもしなくなった。
自分の妹が産まれても想像の世界から出ようとしない私はどこかおかしいと父親に何度も言っているのを襖の陰から聞いたが、5歳の私には夢と現の区別がつかないんだろうと父親が言っているを「あなたは毎日惺也をみているわけじゃないじゃない」と非難していた。 それくらい母には『夢見がち』な私が絶えれなくなっていたんんだろう。
だんだんと父と母の間で、私のことが諍いの種になっていったようだ。
母は、妹を溺愛することで私への不快感を拭っていた。 ようは母に見捨てられたということだ。 そんな母の行いをみて、父は私を不憫に思いよく可愛がってくれた。
小学生の作文コンクールで、私はずっと夢で見る世界のことを物語として書いて提出した。
それはまだまだ拙い文章だったが、書き上げた時は満足感に浸れた。
もちろんそれは、コンクールの意図とは違うものなので話にもならないものだったが、その作文を見て担任が「これ、先生はとても面白いと思うの。 惺也くん、この話もっと沢山書いてみたら?」と言ってくれたのは本当に嬉しかった。 そこから先生と私とでノートを交換して、私が書いた話の添削を先生がしてくれるようになった。
今の私の小説家としての地位は、この先生のおかげだと言える。
私はなんて恵まれていたんだろう。
中学に上がったころにはさすがに、夢で見たことは現実ではないと理解するようになった。
自分が間抜けに思えた瞬間だった。
けれども私が見る夢には一貫性のある物語があって、登場人物もぶれない。 まるで長い映画を毎日違う場面を見ているような感じだった。
ただ、登場人物がだんだんと世代交代していくのだ。 自分は変わらず魔法使いなのに、 覇王クムフィルも妹のリンデンクラーデも夢の中では当の昔に鬼籍の人になっていた。その子供たちの世代も終わり、すでに第三世代の代になっているにもかかわらず、私はまだその国で魔法使いをしている……覇王の血族が国を治める間は国の要としてそこにあれと、覇王との血の契約に縛られていた。
この話を小学校の時の担任にすると、担任は不思議そうに「普通、夢は続きものではないんだけどね」とそう言って考え込んでしまったので、この話をそれ以降他の誰かに言うことはなくなった。
それでも話の続きを毎日見てしまう。 否が応でも。
そしてなぜか全部自分ことだと思ってしまう。 間抜けに思えても。
小学校の交換ノートのときの癖で、朝起きたら見た夢をノートに写すことにしていた。
もうそのノートも20冊はあるんじゃないだろうか? 結構なハイペースだと思う。
ある時、何気に入った本屋の雑誌のコーナーで、小説が投稿できることを知った。
覇王の話を誰かに知ってもらうことができる!
子供たちが昔の自分のように、遊ぶ物語として読んでくれるかも!
そんな思いで小説を投稿しようと決め、そのSF雑誌を購入して家に帰った。
「ただいま」といってもだれもお帰りと返してくれないさびしい家で、2階の自室に上がると階下から母と桜子の笑う声が聞こえてくる。
大丈夫だ。 自分には父がいる。
そう言い聞かせて、慣れたとはいえ寂しさから逃げだし、SF雑誌と一緒に買った原稿用紙に、覇王の話をどこから書きだそうか思案していた。
いったんペンを握ると、止まること知らずですらすらと文章が浮かんできた。
それはいつものことなんだが、そのときは誰かに読んでもらうことができるかもしれないという未知の喜びでいつも以上に熱がはいっていたんだろう。 一気に覇王クムフィルが覇王と呼ばれるまでになるまでの話を書きあげた。
何度か読みなおし満足した私は、それをSF雑誌に投稿した。
一人でもいいから、編集者だけでもいいから、誰かに読んでもらいたかった。
まさかそれが大賞を取るとは、思わなかった。
SF大賞が中学生だというのはかなりセンセーショナルだったらしいが、当時の私は書ける喜びと読んでもらう喜び、ただそれだけで書き続けていた。
私以外にも、覇王や麗しい妹、そしてその統べる国のことを知ってもらうのはなんと心地よいことか。
気がつけば、覇王クムフィルの物語はベストセラーになり、次々と新刊が発行される。 そして膨大なお金が私に入ることになるが、高校生だった私には保護者の後見が必要だったので、その管理は母が担っていた。
母にとれば、小さなころからわけのわからない作り話を延々と聞かされ、夢を現実と勘違いし続けた息子が書いたその物語で手に入るお金であり、それは今まで耐えてきた自分への報酬と勘違いしてしまったようで、私にだまって自分や桜子のためにブランド物や化粧品を買いあさり、美味しい料理を二人で食べに行き、私が得た報酬を湯水のごとく使い果たしていった。
そして、私の収入には到底及ばない父親を見限ってしまった。
この時になって、物書きに没頭していた自分が情けなくなった。 なぜ私は母を後継人に選んだのか。 どうして父ではなかったのか。
答えは簡単だ。 母に私を好いてほしかったからだ。
ただ、やはり私と母は相性が悪いのだろう。 私の思いが彼女には届くことなく、彼女は降ってわいた大金に自分の分をわきまえず己が身を滅ぼしてしまった……桜子を道連れにして。
私は、後継人として父親を再指名し、母とは決別をした。
そうしないと、母は立ち直ることができないだろうから。
けれど、母はそれが今まで私という存在を無視し続けてきた自分への復讐だと思い込み、罵詈雑言を浴びせ、殴り、蹴り。 無抵抗な私は、骨も心も散々折られて病院へと担ぎ込まれてしまった。
このときほど私が未成年でよかったと思ったことがなかった。
私が未成年であることと有名な小説家だということで、母の名前が「児童虐待」として報道に載ることがなかったのだから。
桜子は、児童相談所と父親の努力で母親のかなり偏った愛情からの脱却を図っている。
そして私は、桜子にとれば母を病院送りにした人としか映らず、桜子の治療からは私がそばにいないほうがいいということで、一人暮らしをすることになった。
高校もあと数カ月で終わるというころ。
教室でたまたま私が書いている小説を読んでいる女子をみかけた。
その子は少し鼻をぐしぐしとさせて私の本を読んでいた。
「どうした?」
自分の本を読んでくれている人の反応が見たかったために、無粋にも泣いている女の子に声をかけてしまった。
「……どうして今、声をかけるの?」
赤い目をした彼女は、うるんだ眼を本から上げて私を非難するように見た。
「……いや。 ごめん。 その小説、かなしいの?」
どうしても反応が見たくて、よせばいいのに突っ込んで聞いてしまった。
彼女は呆れて、こう答えた。
「惺也くん。 泣いているってわかって話しかけてきた?」
「うん……ごめん」
「あやまらなくてもいいわよ。 でも、男としてサイテーだね」
そうだ。この子ははっきりと物を言うことで男子から「男」として認識されていた子だったんだ。 たしか名前は……わすれたな。
「まぁた私の名前、忘れてんでしょ? わたしは朔也。 香力朔也よ。いい加減覚えてよね」
上手に涙を隠し、朔也は笑った。「同じ『也』を使ってんだからね?」と、念を押すこと忘れずに。
その日から、朔也と本に関する討論が始まった。 『討論』、あれはまさに討論と言うんだろう。