妹を狂人にした兄様、公開影審で全部バレる②
傍聴席の貴族たちは顔色を変えた。
王室監察官は立ち上がった。
記録官たちは一斉にペンを走らせた。
そして、影写盤の表示が切り替わる。
【対象:ルーカス・エイムズ】
【嘘痕検出:〇】
【周辺影接続:異常】
【沈黙荷重:測定不能】
誰かが呟いた。
「測定不能?」
別の誰かが言った。
「何だ、それは」
オルブライトも青ざめていた。
「ありえない。影写盤に、そんな項目はない」
「今、出ました」
セラは言った。
淡々と。
「出るように縫いました」
審廷が静まり返る。
ルーカスは、その静けさの中で笑った。
小さく。
まだ勝てると信じている顔だった。
「素晴らしい技術です、セラ殿」
彼は拍手すらしそうな声で言った。
「ええ。周囲の者たちは罪を犯したのでしょう。医師も、司祭も、執事も。私は当主として、その責任を受け止めます」
「受け止める?」
「もちろんです。ですが、私自身は、彼らに命じていない」
影に傷は入らない。
「妹を病だと断定したのは医師です」
傷はない。
「遺言を燃やしたのは司祭です」
傷はない。
「証言したのは使用人たちです」
傷はない。
「私は、誰にも嘘をつけとは言っていない」
傷はない。
ルーカスはセラを見た。
目だけが笑っていた。
「影審局は、嘘を裁く場所でしょう」
彼は足元を示した。
「ならば、私を裁く理由はありません」
強い。
ノアはそう思った。
腹が立つほど、強い逃げ方だった。
彼は嘘をつかない。
命じない。
手を下さない。
ただ、人が勝手に自分のための嘘を選ぶよう、場を整えただけ。
誰かが怯えるように。
誰かが家を失うことを恐れるように。
誰かが秩序という言葉に逃げるように。
誰かが神の名で罪を燃やすように。
彼は、立っていただけ。
きれいな影のまま。
オルブライトは歯を食いしばった。
「影審法では、直接命令のない誘導を罪として扱うには、証明が足りない」
その声は苦かった。
「家督継承は保留できる。だが、ルーカス卿本人を裁くには……」
ルーカスはゆっくりと息を吐いた。
勝った者の息だった。
その瞬間。
セラが笑った。
本当に小さく。
けれど、審廷の誰もが見た。
笑った、と思った。
「ええ」
セラは言った。
「嘘は裁けません」
ルーカスの笑みが深くなる。
オルブライトが顔を歪める。
ノアが声を漏らす。
「セラさん」
セラは銀の指貫に触れた。
「なので今日は、沈黙を縫います」
黒糸が、さらに落ちた。
一本ではない。
十本。
二十本。
床へ垂れた糸が、証人たちの影から、さらにその奥へ伸びていく。
医師の影から。
司祭の影から。
老執事の影から。
家庭教師の影から。
侍女の影から。
すべての黒糸が、ルーカスの足元へ向かう。
ルーカスの顔から、初めて余裕が消えた。
「何だ、それは」
「道です」
セラは答えた。
「あなたが黙って作った道」
影写盤が激しく揺れた。
【未登録術式】
【周辺影接続】
【沈黙荷重、増大】
【対象影、沈降開始】
ルーカスの影が、床に沈み始めた。
傷はない。
けれど、重さがあった。
何人分もの嘘を乗せられた影が、もう立っていられなくなっていた。
「やめろ」
ルーカスが言った。
その瞬間。
彼の影に、初めて白い傷が入った。
審廷中が息を呑んだ。
ノアが叫ぶように言う。
「傷が出た!」
オルブライトも影写盤を見る。
【嘘痕検出:一】
【対象:ルーカス・エイムズ】
ルーカスは自分の足元を見た。
信じられない、という顔だった。
「なぜ」
「今のは嘘です」
セラは静かに言った。
「やめてほしいわけではないでしょう」
「何を」
「終わってほしいんです。自分以外の誰かのせいにできる時間が」
黒糸が一気に張る。
ルーカスの影が床に縫い止められた。
彼の体だけが後ろへ下がろうとする。
影は動かない。
逃げられない。
「影審、開廷」
セラが告げた。
床が黒く沈んだ。
審廷の光が細くなる。
影写盤が真っ黒になり、次の瞬間、白い文字が浮かぶ。
【未登録裁定術式、起動】
【術者:第七等影縫い魔女 セラ・ノクス】
【対象:沈黙の罪】
【裁定権限:照合中】
【照合中】
【照合中】
オルブライトが呆然と呟いた。
「未登録術式……?」
床の奥から、一つの影が立ち上がった。
少女の影だった。
リディア・エイムズ。
顔は見えない。
声もない。
だが、その指先には、黒いインクの跡があった。
侍女が泣き出した。
「お嬢様……」
リディアの影は、両手で紙束を抱えていた。
燃やされた遺言状ではない。
それより薄い。
それより小さい。
最後に彼女が書こうとしていたもの。
助けを求める手紙だった。
ノアが帳面を開いた。
「写します」
「手が震えてる」
「やります!」
セラは少しだけ頷いた。
リディアの影が、紙を差し出す。
ノアのペンが走る。
白い紙に、黒い文字が戻っていく。
兄様は、嘘をつかない。
だから、誰も信じてくれない。
薬を増やしたのは医師。
遺言を隠したのは執事。
燃やすのは、きっと司祭。
でも、兄様が何を望んでいるか、皆知っている。
兄様は何も命じない。
命じなくても、人が動くことを知っている。
私は狂っていません。
父の遺言は本物です。
私が怖いのは、兄様の言葉ではありません。
兄様が、何も言わないことです。
ノアの声が止まった。
審廷の誰も、息をしていないようだった。
ルーカスの影が裂ける。
白い傷口から、声が漏れた。
『邪魔だった』
ルーカスの目が見開かれる。
『父は私ではなく、妹を選んだ』
『女のくせに』
『妹のくせに』
『私より、領地を見ていた』
『私より、使用人に慕われていた』
『私より、この家に必要だった』
傍聴席がどよめく。
ルーカスは自分の影を踏もうとした。
踏めない。
影は床に縫われている。
『だから、病にした』
『狂ったことにすればよかった』
『誰もリディアの言葉を信じなくなる』
『遺言も、手紙も、全部、妄想にできる』
『私は命じていない』
『命じなくても、皆が私の望む嘘をついた』
『私は悪くない』
『私は何もしていない』
『私は――』
セラが糸を引いた。
影の声が途切れた。
影写盤が白く爆ぜる。
【嘘痕検出:多数】
【沈黙荷重:確定】
【誘導接続:確定】
【被害影記録:復元】
【家督継承:否認】
【対象:ルーカス・エイムズ】
【判定:沈黙による殺害補助、および証言誘導】
オルブライトが声を失っている。
王室監察官が立ち上がった。
「判決印を」
記録官が慌てて水晶印を押す。
黒い印が、影写盤に刻まれた。
【ルーカス・エイムズの家督継承、即時停止】
【リディア・エイムズの遺言記録、復元審査へ移行】
【関係者全員、再審】
【ルーカス・エイムズ、影縛り三年】
【嘘および沈黙によって得た地位、財産、発言権を凍結】
ルーカスは膝をついた。
床に。
自分の影に引きずられるように。
「ふざけるな……」
彼はセラを睨んだ。
「これで、妹が戻るとでも思っているのか」
セラは答えた。
「戻りません」
ルーカスの口元が歪む。
「なら」
「でも」
セラは、リディアの影を見た。
少女の影は、もう紙を抱えていない。
手放していた。
ようやく。
「あなたのものにもなりません」
ルーカスの顔から、最後の笑みが消えた。
リディアの影が、静かに薄れていく。
最後に、彼女の指先だけが残った。
インクのついた指。
最後まで、自分の言葉を書こうとしていた指。
それも、消えた。
ノアが帳面を抱きしめる。
泣いているのを隠しているつもりらしいが、隠せていなかった。
影写盤が、もう一度光った。
審廷中がそれを見る。
【新規裁定術式、承認】
【術式名:沈黙縫い】
【術者:セラ・ノクス】
【希少区分:王国唯一】
【等級再査定:第七等より特級候補へ】
誰も喋らなかった。
さっきまで笑っていた貴族たちも。
セラを修繕係と呼んだ記録官たちも。
一等影読官オルブライトも。
ノアだけが、ぽつりと言った。
「特級候補……」
セラは手袋をはめ直した。
「まだ候補」
「そこですか?」
「正式辞令じゃないもの」
オルブライトが、ようやく口を開いた。
「セラ・ノクス」
「はい」
「君は……今の術式を、いつから」
「ずっと」
「なぜ報告しなかった」
セラは少しだけ首を傾げた。
「報告書、三回出しました」
オルブライトの顔が固まる。
「通らなかった?」
「はい」
「誰が止めた」
「一等影読官オルブライト様です」
審廷中の視線が、今度はオルブライトへ向いた。
オルブライトの影に、針で引いたような小さな傷が走った。
ノアが無言で帳面を開いた。
セラが止めた。
「それは次にしましょう」
「次、あるんですか」
「泣いていない影は、ここだけじゃない」
審廷の扉が開く。
外の光が、黒大理石の床に伸びた。
セラの影も、そこに落ちる。
細く、静かで、傷のない影だった。
けれどその影の先には、黒い糸が揺れている。
嘘を縫う糸。
沈黙をほどく糸。
誰かが踏みつけた言葉を、もう一度引き上げるための糸。
セラは振り返らずに歩き出した。
背後で、傍聴席の誰かが呟いた。
「第七等の無能じゃなかったのか……?」
別の誰かが、掠れた声で答えた。
「王国唯一、だってよ」
ノアが小走りで追いついてくる。
「セラさん」
「何」
「次の事件、僕も行きます」
「記録係でしょう」
「はい」
「なら、字を綺麗に」
「そこですか!」
セラは答えなかった。
ただ、薬指の指貫に触れた。
黒糸はまだ、静かに揺れている。
嘘はなくならない。
沈黙は、もっとなくならない。
だから魔女は歩く。
傷のない影を、縫うために。




