プロローグ
夜の峠を、一台の車が駆け抜ける。
甲高いエンジン音。
タイヤが悲鳴を上げる。
街灯の少ない山道を、ヘッドライトだけが切り裂いていく。
公道。
本来なら誰もが安全に利用するための道。
しかし日本には、その公道に人生を賭ける者たちがいた。
人は彼らを――
走り屋と呼ぶ。
そして走り屋たちの頂点には、十二人の絶対的な存在がいた。
その名は、
『公道十二星座』
射手座。
獅子座。
天秤座。
蠍座。
それぞれが星座の名を冠し、全国各地で巨大なチームを率いる。
十二星座になる方法は二つ。
先代を超え、座を継承するか。
あるいはチームごと叩き潰し、力で奪い取るか。
走り屋たちにとって十二座とは、
憧れであり、
目標であり、
恐怖の象徴だった。
だが――。
十二座のさらに上に存在する称号がある。
誰もが知り、
誰もが夢見る存在。
その名は、
北極星。
公道十二星座全員に認められた者のみが名乗ることを許される、唯一無二の称号。
速さだけでは辿り着けない。
実績。
影響力。
そして人を惹きつけるカリスマ。
その全てを備えた者だけが北極星となる。
かつて一人だけ、その称号を手にした男がいた。
歴代最強。
絶対王者。
走り屋たちの頂点。
だが数年前――
その男は突然姿を消した。
理由は誰も知らない。
事故なのか。
病気なのか。
それとも別の理由なのか。
噂だけが独り歩きし、真実を知る者はほとんど残っていなかった。
そして現在。
北極星は空席のまま。
誰も辿り着けない場所として存在し続けている。
――――――――――
「卒業おめでとう!」
校門の前で誰かが叫んだ。
春。
桜が舞う季節。
長野県立星見高校。
卒業式を終えた生徒たちで賑わう校庭の隅で、
白沢凌は空を見上げていた。
「終わったなぁ、高校。」
金髪をかき上げながら笑う。
その隣には、親友の黒瀬大河がいた。
「なんか実感ねぇな。」
「それな。」
二人は顔を見合わせて笑う。
だが、その笑顔の奥には少しだけ寂しさがあった。
「俺、来週には関西行く。」
大河が言う。
凌は頷いた。
知っていたことだ。
高校卒業後、大河は関西へ引っ越す。
ずっと前から決まっていた話だった。
「向こうで走るんだろ?」
「ああ。」
大河がニヤリと笑う。
「長野じゃ終われねぇからな。」
「言うじゃん。」
「お前もだろ。」
その言葉に凌は黙る。
そして少しだけ空を見上げた。
青空の向こう。
まだ見ぬ世界。
まだ見ぬ強者たち。
そして――
北極星。
「俺は絶対なる。」
凌が言う。
「北極星に。」
大河は一瞬だけ驚き、
そして笑った。
「デケェ夢だな。」
「お前は?」
「決まってんだろ。」
大河は拳を突き出す。
「俺もだ。」
凌は笑って拳をぶつけた。
コツン、と音が鳴る。
今はまだ何者でもない。
ただの高校卒業生。
だけどいつか。
必ず頂点で会う。
そんな約束だった。
「じゃあな、凌。」
「ああ。」
「負けんなよ。」
「そっちこそ。」
大河は振り返らずに歩いていく。
その背中が見えなくなるまで、
凌はずっと見送っていた。
――――――――――
その日の夕方。
白沢家の駐車場。
「ほら。」
兄の白沢隼人がキーを投げてきた。
反射的に受け取る。
「え?」
凌の視線の先。
そこには一台のスポーツカーが停まっていた。
深いガンメタリック。
少し古いボディ。
だが今見ても十分すぎるほど格好いい。
「15シルビア……。」
思わず声が漏れる。
中古とはいえ、ずっと憧れていた車だった。
「免許も取ったしな。」
隼人が笑う。
「卒業祝い。」
「マジで?」
「マジ。」
凌は何度も車とキーを見比べる。
夢じゃない。
本当に自分の車だ。
「ありがとう兄貴!」
「ぶつけんなよ。」
「たぶん大丈夫!」
「一番信用できねぇ返事だな。」
隼人は苦笑した。
その横顔を見ながら、
凌は胸の奥が熱くなるのを感じていた。
ついに始まる。
憧れ続けた世界。
凌は運転席に座る。
キーを捻る。
エンジンが目を覚ました。
胸が高鳴る。
これから始まる。
憧れ続けた走り屋の世界が。
公道十二星座。
星見峠。
全国の強者たち。
そして誰も辿り着けていない頂点――北極星。
いつか必ずそこへ辿り着く。
凌はそう誓った。
その決意を知っているのか、
助手席の窓にもたれた隼人が小さく笑う。
――――――――――
「まずは一勝だな。」
「わかってるよ。」
「じゃあ来い。」
「今日こそ勝つ。」
「無理だな。」
「なんでだよ!」
二人のやり取りが夕暮れの駐車場に響く。
だが凌は知らない。
兄がなぜここまで強いのかを。
なぜ全国の走り屋たちと繋がりがあるのかを。
なぜ時折、
十二星座すら黙らせるような眼をするのかを。
そして――
数年前、走り屋界から忽然と姿を消した伝説の男についても。
まだ何も知らなかった。




