家出してから初めて毒親に別れを告げる
ジュンヤの足が、止まった。
「……ここです」
見慣れたはずの街。
古びたアパート。
色あせた看板。
空気の重さまで、変わっていない。
神崎は、何も言わず隣に立つ。
「大丈夫?」
「……たぶん」
嘘だった。
心臓が、うるさい。
逃げたい。
でも。
「行きます」
歩き出す。
一歩一歩が、重い。
⸻
玄関の前。
手が震える。
インターホンを押す。
――ピンポーン。
足音。
ドアが、開く。
「……あ?」
出てきたのは、父親だった。
変わっていない。
あの頃のままの顔。
「何だお前」
その一言で。
過去が、蘇る。
殴られた記憶。
怒鳴られた声。
否定され続けた日々。
だが。
ジュンヤは、静かに言う。
「……久しぶりです」
沈黙。
数秒後。
「は?」
目が、見開かれる。
「……はぁ!?お前、生きてたのかよ!」
その言葉に。
神崎の眉が動く。
ジュンヤは、ただ頷く。
「はい」
父親は、鼻で笑った。
「何しに来た」
変わらない。
何一つ。
「……ちょっと、話が」
「金か?」
即答だった。
「どうせ金ねぇんだろ。こっちもねぇんだよ」
ジュンヤは、少し考えて。
そして。
「逆です」
「……は?」
スマホを取り出す。
画面を見せる。
残高。
桁違いの数字。
父親の表情が、止まる。
「……なに、これ」
「今、これくらいあります」
静かに言う。
嘘じゃない。
現実。
「……は?」
理解が追いついていない。
そのとき。
奥から、母親の声。
「誰なの?」
出てくる。
そして。
固まる。
「……ジュンヤ?」
震える声。
ジュンヤは、頷く。
「久しぶりです」
母親の目が、揺れる。
だが。
次の瞬間。
「……あんた、金持ってるの?」
空気が、凍る。
神崎が、小さく息を吸う。
ジュンヤは、少しだけ目を伏せた。
「……あります」
その一言で。
全てが変わった。
態度が。
声が。
空気が。
「ちょっと上がりなさいよ!」
「ご飯食べてく!?」
「なんで連絡しなかったの!」
早口でまくしたてる。
優しさではない。
欲だ。
分かっている。
全部。
⸻
部屋に入る。
変わらない景色。
いや。
少しだけ、汚れている。
時間が、止まったままの場所。
「それで、いくら持ってるの?」
父親が、ストレートに聞く。
ジュンヤは、答える。
「290億くらいです」
沈黙。
そして。
「……は?」
「冗談だろ?」
「本当です」
その瞬間。
父親の目の色が変わる。
「……お前」
笑う。
嫌な笑い。
「親に、何か言うことあるよな?」
来た。
この流れ。
ずっと。
昔から。
「育ててやったんだぞ?」
「金、出せよ」
神崎の拳が、わずかに握られる。
だが。
ジュンヤは。
静かに言った。
「……出しません」
空気が、凍る。
「……あ?」
「出しません」
もう一度。
はっきりと。
父親の顔が、歪む。
「ふざけてんのか!!」
怒鳴り声。
昔と同じ。
でも。
違う。
ジュンヤは、動かない。
「……ずっと、思ってました」
ぽつりと、言う。
「なんで、自分は生きてるんだろうって」
母親が、黙る。
「殴られても、否定されても」
「意味、あるのかなって」
静かに。
淡々と。
「でも」
顔を上げる。
「最近、ちょっとだけ分かりました」
父親を、まっすぐ見る。
「ここを出るためだったんだなって」
沈黙。
誰も、何も言えない。
「だから」
一歩、下がる。
「もう、関係ないです」
その言葉は。
静かで。
でも、決定的だった。
⸻
玄関へ向かう。
後ろから、声。
「待てよ!」
父親。
「金くらい置いてけよ!」
最後まで、それだった。
ジュンヤは、振り返らない。
「……必要ないと思います」
ドアを開ける。
外の空気。
深く、息を吸う。
⸻
アパートを出たあと。
しばらく、無言。
やがて。
神崎が言う。
「……優しいのね」
「え?」
「私なら、全部壊してる」
ジュンヤは、少し考えて。
「……壊したら、同じになるので」
その一言に。
神崎は、何も言えなくなる。
スマホが震える。
『それでいい。それが“勝ち”だ』
ジュンヤは、空を見上げた。
少しだけ。
軽くなった気がした。
「……終わりました」
神崎が、隣に立つ。
「じゃあ」
少しだけ笑って。
「次、どうする?」
ジュンヤも、少し笑う。
「……まだ、よく分からないですけど」
歩き出す。
今度は。
前に。




