第7章 マヤズメモリーズ 5
「爺、未だ若いがここはビンセント侯爵を新国王に即位させるしか、内は方法が無いと思うの!」
「やはりそれしか有りませんか?」
「王室範典の定めでは、王位継承順位が第一位のソミーナ第一王女が国王に即位する事に成るけど・・・」
「姫、今は戦時と呼べる状況ですから、芸樹家肌のソミーナ様は即位を嫌がられるでしょうな」
爺も、どうした物かと思案顔に成った。
「ビンセントは、現在残されている王室メンバーの中で唯一の男子だからね。王室範典の方はどうせ大幅に見直す訳だし」
「そうですね。やはりビンセント新国王を誕生させるのが最善策でしょう」
ビンセントは母が夫と死別した為、王室範典の定めに従い、母と共に王室メンバーの一員として戻って来ていた。
ビンセントは、姓を持たない国王直系の内や姉とは異なり、侯爵位を亡き父から継承したので、彼の公式名はスカラデン=ビンセント=サミルカンド侯爵だった。
即ち、ビンセントは国王の直系王室メンバーでは無いのだ。
その為、ビンセントはバルザガリウスやレノマダス、スカラディンプルグ、ベッフルスタイン、リチャーダインと言う直系の国王名は名乗れ無いので、傍系国王名のコンスディンプルかグレオゴールに成るだろう。
国王名には順番が有るので、ビンセントが即位すれば恐らくグレオゴール十ニ世国王陛下に成る筈だった。
だが、この国家存亡の非常時に、国王の名称などは些細な事に過ぎなかったが。
ピクシア王国には「議会」は無く、行政の方は皇太子が兼務している宰相と行政閣府が担っているが、立法に関しては全てを王室と王室直属の立法閣府が行っていた。
但し、「王室範典」だけは、国王自らの手でしか改正が出来ないと言う王国開闢以来の掟が存在していた。
「姫、事は急ぎます!国王が不在ではコボルト共に付け込まれるのではと、他種族の政府も心配する事でしょう」
「爺、今が非常時で有るがゆえに許させる奥の手を使うわ!」
「奥の手を?」
「そう。リチャーダイン五世国王が凶矢に倒れられる前に、王位継承に関する「王室範典」の改正を既に布告されていた事にするのよ」
「何と!」
爺は、内の言葉に驚きを隠さなかった。
「ビンセントの新国王即位だけを、先行して周囲に告知するの。王室メンバーの拡大の方は関係者が多いから後回しよ」
「う~ん。良く考えて見たらそれは案外、良い考えかも知れませんな、姫」
「残された王室メンバー4名全員が合意すれば、それは可能だわ。今回の襲撃で王室メンバーが半減してしまったのよ。亡くなった父上君様達もきっとお赦し下さると思うの」
「確かに、その通り!」
「先ずはピクシア王国の国民と他種族の政府に対して、ビンセントが新国王に即位する旨を伝えましょう。それから時間を置かずに即位式をピクシア王国だけで執り行う」
「この状況ですから、他種族を招かなくても理解は得られるでしょう」
「そうと決まれば、善は急げね」
「姫の仰せのままに!」
爺からは。何かホッとした様な表情が読み取れた。
内と爺は早速、叔母のカチューシエ妹大后と息子のビンセント侯爵に同意を求めに行った。
最初は、ビンセントでは国王は務まらないから、マーヤが新国王に即位しなさいと強く主張していたカチューシエだったが、「この未曾有の危機から僕は逃げたりはしないよ。母上様、僕は国王に即位する!」とビンセントが言ったので、カチューシエはそれからは何も言えなく成ってしまった。
この幼さが残る、若き国王候補の力強い即位宣言で、大勢が決まった。
「大丈夫ですよ、伯母上様。ビンセント新国王には内が付いていますから」
「そうね。これも王室に身を置く者の務め!マーヤ第2王女よ。ビンセントの事は呉々も良しなにお願いしますよ」
「承知!」
姉のソミーナは、ここサミルカンドからは2番目に近い郷、今回、遷都を考えているトルミアードに住んでいたので、その日の夕方には彼女からの報せが届いた。
ソミーナの文面からは、自身が新国王に即位しなくて済む事に安堵している気持ちが、はっきりと内にも伝わって来た。
「爺、この館のホールに書記官達を集めて頂戴。彼等には商売道具の筆記用具と書机を持参する事も指示してね」
「分かりました。早速、手配を致します」
そう言って、爺がこの部屋から退室しようとした時、ひとりの初老の男が入って来た。
「ご無沙汰しております、マーヤ王女様。此度は誠にご愁傷で言葉もございません」
その言葉と共に、内に深々と頭を下げたのは、スカラデン家の執事で有るダウンズだった。
「ダウンズ殿も、お変わりが無さそうで何よりです」
内もダウンズに声を掛けた。
「恐縮です。私めは、両陛下と皇太子ご夫妻の訃報に接して、サミルカンド周辺の郷の様子を視察しており、ご挨拶が遅れました」
「郷の様子はどうだったの?」
「庶民の一部は既に、噂としてでは有りますが、コボルト共が襲撃を掛けた件は存じています。酒場などではこれからのピクシア公国の生末を案じる声が多く聞かれました」
「思ってたよりも早いわね。今、爺に頼んだ所だったんだけど・・・」
「先程、ビンセント侯爵様が新国王に即位される旨は、カチューシエ妹大公后様からお聞きしました。30か所の郷の領主と他種族の政府に向けての書簡は、その原案を私めに書かせて下さい」
ダウンズは再び、内に対して頭を下げた。
「ダウンズ殿が原案を書いて呉れると言うなら、願っても無い事けど・・・」
ダウンズは、ピクシア王国で知らぬ者はいない名文家だった。
「書簡に記載する内容は4点。昨日、ザ・インペリアルホールで両陛下と皇太子ご夫妻がコボルトとドリードックスの連合軍から襲撃を受けて亡くなられた件、ついてはピクシア王国は彼らを絶対に許さない旨の宣言、更には国王が生前に布告されたご遺志に基づいて、カラデン=ビンセント=サミルカンド侯爵が新国王に即位なさる件、そしてこの危機を乗り越える為に、スフィアン教のセンドリック大聖教猊下が宰相に就任される件ですね。それに加えて、他種族の政府には諸般の状況に鑑み新国王の即位式はピクシア王国だけで執り行う事、を付け加えるのですよね」
ダウンズは、すらすらと書簡に記載すべき内容を話した。
「流石はダウンズ殿。適確な内容把握ね」
「誠に!」
爺も感銘を受けた様子だった。
「只、明日には両陛下と皇太子ご夫妻のご遺体がマガリアからサミルカンドに運ばれて来ると思うけど、当面はご遺体を冷蔵して、コボルト共の出方や各国の動きを少し把握した上で葬儀を執り行うから、この事は伏せて置いてね」
「御意!」
ダウンズは三度、内に対して頭を下げた。
「それから、エルゼリッヒ殿はさぞやお疲れの事でしょう。私めが戻った以上は、書記官やレインボーバードについては私めにお任せ下さい」
ダウンズの言葉を聞いて、爺は内の顔色を伺ったので、内はこくりと頷いた。
「それでは、お言葉に甘えさせて貰うわ。有難う、ダウンズ殿」
爺は、エルゼリッヒ・ビクストと言う名前だった。




