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第1章 モリヤの笛 3

 「やあ、いらっしゃい!」

 八木沢が話し始めようとした時、アストラルのマスターが私たちのテーブルに挨拶に来た。

 私はマスターにぴょこんとお辞儀をした。

 私はマスターが好きだ。

 と言うより彼を嫌う人は余りいないと思う。

 こんなに誰にでも優しくて、包容力があって、そして癒される人物を私は他に知らない。

 だから、私は、深夜にカウンターで飲む時は、八木沢にはツンツンと悪態の限りを尽くして、マスターにはデレデレと甘え捲まくる。

 普通、男だったら、そして八木沢の立場だったら、少しくらいヤキモチを焼きそうなものだが、八木沢は微塵みじんもヤキモチを焼かない性格だった。

 八木沢が、余りにも完璧にヤキモチを焼かないので、私は段々と、女を否定された様な気分になって、更に過激に「ツンツンとデレデレ」を演じてしまう。

 私は典型的なツンデレ女なのだ。

 何かの本に、ツンデレキャラにオタクは萌えると書いて有ったけど、残念ながら八木沢はオタクでは無いので、私に対しては全く萌えない。

 そして、私はヤキモチを焼かない八木沢に対する腹立たしさが限界に来た時、八木沢に対して山羊の鳴き真似をする事を命じるのだった。

 八木沢のメェと鳴く低い声を聞くと、まるで催眠術のトリガーを引いてしまったかのように、私はいつも酔い潰れる道を突き進む。

 この頃に成ると、私はもう、悪態を吐つく事も甘える事もしなくなり、ただの良い聞き手に成っている。

 その状態に成ると、私には、八木沢の声は甘く諭されているように聞こえ、マスターの声は優しく慰められているように聞こえる。

 そして、その時が、私にとって最も至福を感じる時間でも有った。

 一次元の、単なる「点」に過ぎなかった私が、八木沢から影を、マスターから光を与えられ、一気に三次元の立体にまで昇華していく気分に成るのだ。


 その事を思い出して、改めてうっとりとしているとマスターは、

 「今日は、珍しく二人して早いお着きだね」

と爽やかな顔で笑った。

 マスターはそう言ってから、八木沢が妙に真剣な表情をしているので、

 「アレ?八木沢さん、今日はやけに静かだね。由佳ちゃんと何か有った?」

と努めて明るい口調で尋ねたが、八木沢から何の反応が得れずに、私の方を見ながら首をすくめてから

 「まあ、ゆっくりしていってね。後でまた来るから」

そう言い残して厨房の方に戻って行った。


 「ねえ、八木ちん、大丈夫?お部屋が荒されてショックなのは分かるけど、何も盗まれなかったんでしょう?」

 「いや、それが盗まれたんだ。」

 「何を?」

 「モリヤの笛!」

 えっ?と叫んでから、私は暫くして笑い出した。

 「まさか!幾ら八木ちんの部屋に金目の物が無いと言ったって、あんな変てこな物をわざわざ盗むなんて。」   

 「う~ん・・・」

 とまた八木沢は考え込み始めた。

 「あの笛、もしかしたら凄いお宝だったりして!」

 そう言って一緒に笑おうとしたが、八木沢が無反応だった為に、私は独りでアハッと小さく呟く様に笑った。

 「八木ちんさあ、あれがもし凄いお宝だったとしても私は全然平気だよ。八木ちんにあげちゃった物だから、八木ちんが自由に処分して良いんだからね。」

 「そうじゃなくて!」

 八木沢は、珍しく語気を荒げた。

 一体どうしたのかしら?私がそう心配してしまうくらい、今日の八木沢は明らかにいつもと雰囲気が違っていた。


 ところで、八木沢が「モリヤの笛」を欲しいと言い出したのには訳があった。

 八木沢は大学時代に「空間デザイン」を学び、空間デザイナーとして小さな事務所を構えたが、全くと言って良い程、客が着かなかった為に、不本意だったとは思うが「雇われのインテリアデザイナー」に成った。

 そして、それもうまくいかず、今はデザイナーというよりデザイン関連の自営代理店のような仕事をしていた。

 或る日、未だ、私達が恋人関係に有った筈の頃、八木沢に大きな仕事が入った様で、八木沢がそこのインテリアに「モリヤの笛」を使いたいと言い出したのだ。

 八木沢に惚れていた私は、ふたつ返事で八木沢に「モリヤの笛」を手渡した。

 ところが、クライアントがその笛を気に入らなかったらしく、「モリヤの笛」は八木沢の部屋を飾るインテリアのひとつに成ってしまっていた。

 そして、私たちが別れる時、八木沢は私に笛を返すと言ったが、私は八木沢に一度あげたものだから受け取らないと言い張って、結局、「モリヤの笛」は八木沢の部屋にそのまま置かれる事に成った。


 「警察だってこんな話、絶対信じる訳が無いから、先刻は由佳にも盗まれたと言ってしまったが、本当はモリヤの笛は盗まれたんじゃなくて、消えたんだ!」

 「消えた?」  

 「そう、消えたんだ。俺の眼の前で!おまけに消えながら竜巻に成りやがった!」

 私は自分の耳を疑うより、八木沢の精神面を心配した。

 笛が消えた事だけでも凄いのに、それが竜巻に成っただなんて。


 八木沢はこの種のジョークを徹底して嫌うリアリストだったので、ここまで言うからには、彼の眼には実際にそれが見えた筈だった。

 だから、私は余計に八木沢のメンタル面を心配した。

 と言うより、私は八木沢の頭が一時的にイカれてしまったと直感した。

 「由佳、お前知ってたんだろ?」

 「知ってたって、何を?」

 「とぼけるなよ!あの笛、消える前から時々色が変わったり、変な音が聞こえたりしてたんだ。」

 「嘘?」

 「てっきり俺の気のせいだと思っていたんだが、今日みたいに眼の前でやられちゃなあ。」


 「本当に消えたんだ?」

 「ああ、あの笛、ゆっくりと消えて行ったからな。そしてその途中から竜巻に成った」

 八木沢はごくりと唾を飲み込んだ。

 私も八木沢につられる様に、両眼をぱちくりとさせた。

 「だけど、俺自身はその激しい竜巻を感じることが出来なかったんだ。風は全く吹いて無かった筈だ!」

 そう言ってから、八木沢はじろりと私を見据えた。

 「やがて、その竜巻はゆっくり俺の部屋に有った本とかをバラバラにし始めた。俺が震えながら警察に連絡した時まで竜巻は続いていたんだ。お前、スローモーションの激しい竜巻って聞いた事が有る?」


 私もそんな話を聞くのは、当然、初めてだった。

 「八木ちん、あんた、仕事とかで疲れてんだよ!」

 ここで初めて八木沢はフッと笑った。

 「明日、私と一緒に心療クリニックに行こう。」 

 八木沢は、「お前はやはり何も知らなかったんだな」と呟いて、また黙りこくった。

 それから私は、今日は朝から熱がなかったか?とか、変な薬を飲まなかったか?とか、八木沢に色々と質問した。

 八木沢はそれに何も答えなかったが、

 「じゃあ、由佳、一体誰が、俺の部屋をあんなに無茶苦茶にしたと言うんだ?」

 と言って、私を見詰めた。


 「それは・・・」

 八木ちん、それはあんた自身以外に考えられないよと言おうとして、私は慌てて言葉を呑み込んだ。

 「あーあ、警察なんかに連絡しなきゃ良かったな。しくじったよ。警察は半分以上、俺の狂言だと思ってるみたいだし」

 「やっぱり?」

 と合鎚を打ってしまってから、私はアッと思ったが既に遅かった。

 「あのなあ、お前から変な物を貰ったばっかりに、俺がこんな目に遭っているんだから、もう少し真面目に考えて呉れよな」

 八木沢はムッとした表情でそう言ったが、私の次の言葉を待っているようにも思えた。

 「八木ちん、私はちゃんと真面目に考えてるよ。だから心配なの。明日、一緒に病院に行こうね」

 

 「もういいよ!さあ、カウンターで飲み直そうぜ」

 そう言って八木沢は、料理を食べるのもそこそこにテーブル席を立ちかけたが、何かを思い付いた様にまた座り直した。

 「由佳、今度若し俺の部屋にモリヤの笛が現れたら、直ぐにお前に返すからな!」

 「うん、良いよ。だけど八木ちん、今日の事はマスターには言わない方が良いと思うよ。変な心配をかけてしまいそうだから。」 

 八木沢は私に何かを言おうとしたが、結局、肩を竦すぼめて「そうだな、分かった」と小さく呟いた。

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