第3章 空母にて 7
「それではユウカ様、早速ですがミーティングルームの方にご移動をお願いします。僕がご案内しますから」
リンドウの喋り方や所作は、自分の事を「僕」と呼ぶ以外は、熟練を重ねて洗練された執事を思わせた。
「その前に、私から二つばかり貴方にお願いが有るんだけど・・・」
「ええ、何なりと、僕に出来る事なら」
リンドウはそう言うと、私の瞳を真っ直ぐに見つめた。
こんな貴公子然とした美青年に見つめられた経験がこれまで全く無かったし、先程も心臓が飛び出しそうに成ったので、私は素早く彼から視線を反らした。
「コホン!ひとつ目は、私は先程起きたばかりなので、ミーティングルームに行く前にオレンジジュースが飲みたいの。それで、どのボタンを押せば良いのか教えて頂戴!」
「ははは」
珍しくリンドウから笑顔が零れた。
「それは申し訳有りませんでした。朝からお困りでしたね」
リンドウの笑顔が更に弾けた。
もしここが地球で今日の朝を迎えていれば、朝日を浴びて光輝くリンドウの笑顔は、さぞかし美しかっただろうと私は少しばかり残念な気持ちに成った。
「本当はボタンの下に図形では無く文字が書ければ良かったのですが、僕の脳に埋め込んだ日本語通訳チップには文字を読んだり書いたり出来る機能が無いのです」
リンドウは申し訳無さそうな表情を浮かべた。
「そ~なんだ?」
「リルジーナ様もマヤも僕も、通常はテレパシーで会話するので、基本的に言語系に対応する脳構造には成っていません。ですがここで使命を果たす為、私達三人はクルー達が使うオリオン宙域系標準言語とユウカ様対応用の地球ジャポニカ言語の二つのチップを脳に埋め込んでいるのです」
「まあ、私の為にそんな事まで!」
私はその話を聞いて、三人の私への期待度と本気度の高さを改めて痛感した。
「その事は全く気にしないで下さい。脳にチップを埋め込んだと言っても、そのプロセスを含めて別に痛みとかを感じた訳では有りませんから」
そうかも知れないけれど、あのマヤも自身の脳に私と会話を行う為にチップを埋めたと聞いて、昨夜はマヤに言い過ぎてしまったかなと私は少し反省した。
まあ、挑発して来たのはマヤの方だったんだけどね。
「ユウカ様、三人が埋め込んだチップそのものは全く同じ物ですが、それぞれ生体としての感性や波動が異なるので、表現の感じが異なります。ですからそれはそれぞれの個性だとお考え下さい」
「成る程!」
リンドウのこの説明には、私は大いに納得した。
リルジーナは優雅で気品に満ち溢れ、リンドウは優しく誠実で、そしてマヤは・・・マヤは私と良い勝負の「がらっぱち娘」だわ。
要するにそれが三人のそれぞれの個性なのね。
だからその個性に相応しい話し方をするって訳ね。
その事実を知って、私はこれから三人と会話をするのが少しばかり楽しみに思えて来た。
「あっ、ユウカ様。話が反れてしまいました。オレンジジュースでしたね。オレンジジュースはこのボタンです」
リンドウが指差したボタンの下には、丸の中に幾つかのドットが刻まれた図形が表示されていた。
もし図形の丸の上部に「逆ハの字の短い線」が描かれていたら、きっと私もそのボタンが「オレンジジュース」だと気が付いただろう。
「あはは、問題無いわ!もう覚えたから。それに、言われてみれば蜜柑みたいな気もするし」
「申し訳有りません。僕には絵心が備わっていないもので・・・」
「大丈夫!おでんは直ぐに分かったから」
おでんの図形を私が直ぐに認識出来たと聞いて、リンドウは嬉しそうな表情に変わった。
「リンドウは良くおでんとかを知っていたよね。それにここのおでんはとても美味しかったよ」
「それは良かったです。僕はユウカ様がモリヤの笛を拾われた事は知っていましたが、僕達が招請すべきターゲット、すなわちユウカ様はずっとあの八木沢彦治と言う方だと思っていました」
「え、ええ~っ!」
私は驚きの余り、素っ頓狂な大声を上げてしまった。
「女神がご自身の修行の為に、男性として転生する事は良く有る事ですし、時々、ビューウィックから遠隔で観察しても何時も写るのは彼の居間でしたし・・・」
「そうかも知れないけど、普通、彼がユウカ様で無い事位は分かりそうなものだけど!」
「そ、その頃の僕は未だジャポニカ言語のチップを埋め込んで居なかったもので・・・でも、チップを埋め込んで、いざ、八木沢氏をここに招請しようとして竜巻を起こした時に流石の僕も気が付きました。彼はユウカ様では無いと!何故なら彼は、畜生、由佳の奴め!何でこんな変テコな物を俺に呉れたんだ!一体、俺に何の恨みが有るってんだ!って叫んだんです」
八木ちんだったら、それは当然のだよだよね。
「リンドウ、それは最低限だったけど正解ね。若し誤って彼をここに招いていたら、私どころの騒ぎじゃ無く成っているわ。自分の意志を無視して他人から実力行使をされるのが一番嫌いな人だから、きっと今頃は力が尽きるまで大声で喚き散らしていた筈よ」
「そ、そうでしたか?やはり彼を連れて来なくて正解でしたか・・・」
そう言いながら、リンドウがゴクリと生唾を飲み込んだのを私は見逃さなかった。
何れにしても、どう言う理由かは分からないが、彼らは大いなる誤解をして私を救世主だと勘違いしている訳だから、人違いだと分かれば私は地球に戻れる筈だった。
「またまた話が反れてしまいました。どうぞオレンジジュースをお飲み下さい」
私が指定されたボタンを押すと、「ダスターシュート」にフレッシュ感に溢れる「オレンジジュース」が届けられた。
「ユウカ様、今夜にでも色々なボタンを押して、何が届けられるか確認して見て下さい。必要が無い物は直ぐにダスターシュートに戻されて結構です」
「ダスターシュートは重量を計算して作動するのでは?食べ残しも回収して呉れるの?」
「勿論です。回収した全ての物は分子レベルに分解されて、また別の食品や製品を生成する時に使用しますから、ポイントビューウィックには勿体無いと言う概念は無いのです。ただシューターが届けた物とは別の物質が混入していないかを解析するので、回収まで少し時間が経かりますが」
そうだったんだ、やはり質問はしてみるものね。
私は、またひとつ学習した。
これからは、「ダスターシュート」を脅迫しないでも済みそうだった。
「今のライナップ以外にご希望が有れば遠慮なく僕にお申し出下さい。おでんもユウカ様が八木沢氏の部屋に持参された時、モリヤの笛の物質解析機能を使って分子構造を把握した物です」
そうだったのか。
私は八木沢と別れてからも、気分は未だ世話女房のままだったから、時折、彼のマンションに押し入っては掃除や洗濯をしてあげていた。
そしてその夜は、決まって私が持参したコンビニのおでんと缶ビール、そしてワンカップの清酒で他愛もない会話を交わすのだった。
まあ、私達が別れてから、八木沢の方から私のワンルームを訪れた事は無かったが。
この薄情者め!
「ユウカ様。次のお願いは、一体、何でしょう?」
「ああそれね。それはここに来て環境が変わったせいか、何だが肌がカサついて気持ちが悪いの。若しかしてこの艦に肌に潤いを与えてスベスベ、プルンプルンにする様なハイテク装置とか無いのかな?まあ、無いよね」
別に環境が変わったせいでは無く、お肌の曲がり角の25歳を過ぎてから、何の手入れもしない私の肌は荒れ放題だったのだ。
「その事でしたらお安いご用です」
「えっ?本当?」
それを聞いて、私の顔はパッと明るく成った。
「勿論です。後程、美容整体用コクーンが設置されている部屋にご案内しますので、そこで施術を受けて下さい」
「わぁ~、美容整体用コクーンって名前の響きが素敵!何だか楽しみだわ~」
私はこの艦が有している人智を超えたハイテク技術を既に垣間見ていたので、この美容整体用コクーンに大きな期待を寄せた。
ふっ、地球に戻ったらスベスベ、プルンプルンの肌に成った私を見て、きっと八木ちんは驚くだろうな。
その時に、よりを戻したいって言ったて、簡単には応じたりしないんだからね!
「それではユウカ様、そろそろ参りましょうか?既にリルジーナ様がお待ちです」




