第3章 空母にて 2
「ええい、もう成るように成れ!」
そう覚悟を決めた私は、急に空腹感を覚えた。
私は食前酒として「モリヤの笛」が呉れた秘蔵酒を並々とグラスに注ぐと、四杯目を 一気に飲み干した。
「やっぱり旨いわ」
その酒は、色合いからして私はてっきり「赤ワイン」だと確信していたが、原材料は明らかに葡萄では無かった。
極上の天使の香り、盃を何杯も重ねざるを得ない誘惑する甘美な味わい、そして喉の奥でとろける様な至高のフィニッシュ。
私がこれまで飲んできた如何なる酒と比べても、その旨さは異次元の酒だった。
空腹だった私は、卓上のスープとサンドウィッチを一気に平らげた。
こちらの方も、この世の物とは思えない美味しさだった。
これから毎日、こんなに美味しい物が食べられるのなら、案外、「誘拐された生活」も悪くは無いかもと思ったが、これからもう八木沢とは会えないかも知れないと思うとやはり胸の奥がズキンと痛んだ。
私が、酒をボトルに半分程残している以外は、出された物の全て胃袋に収めた時、「モリヤの笛」がこの部屋に戻って来た。
「お待たせしました。何なりとお尋ね下さい」
そう言われて見ると、山のように質問したい事が有った筈なのに、まさか酒のせいでは無いだろうが質問事項が直ぐには思い浮かばなかった。
そこで取り敢えず、
「何時までも貴方の事をモリヤの笛と呼ぶ訳にもいかないし、貴方は私のフルネームを知っている訳だから、貴方の名前を教えて頂戴!」
「それはごもっともなご質問です。僕の名前はリンドウです」
リンドウ、そう、貴方の名前は「りんどう」なのね。
竜胆は、秋の野山に寒色系の花を咲かせる日本原産の草花だ。
その凛とした佇まいが、私は子供の頃から大好きだった。
確か「竜胆」の花言葉は「悲しんでるあなたを愛する」だった筈。
その名前の響きは、遠い昔に忘れてしまっていた甘酸っぱい不思議な懐かしさを私に思い出させた。
「うん分かった。じゃあこれからは貴方の事はリンドウと呼ぶね。呼び捨てだけど構わない?」
「御意!ユウカ様の御心のままに!」
リンドウは畏まった言い方をした。
呼び捨ての方が、何となく恋人っぽくて親密感が増しそうだったから私はそちらを選択したのだった。
「ところでリンドウ、この場所は一体何処なのかしら?それから、これは私に取って大切な疑問なんだけど、何故、私の様な者を誘拐したの?確か私にしか出来ないお願いが有るとか言っていたけど?」
「それは・・・」
リンドウがそう言いかけた時、この部屋のドアがスーッと開いて、艶やかだが崇高な気品と威厳を兼ね備えた一人の女性が入って来た。
「そこからは、わたしが代わってお話をしましょう。ユウカ様!」
今、入って来た艶やかな女性を良く見ると、彼女は女神と見紛うばかりに眩しい美貌の持ち主だった。
リンドウと言い、この女性と言い、ここには私と同じ位の「容姿が中の中」の人物はここにはいないのか?
「ようこそポイント・ビューウィックへ。そして初めまして、わたしはリルジーナと申します。どうかお見知り置きを。改めて歓迎致します。ユウカ様!」
「先刻から皆がユウカ様って言ってるけど、ユウカ様って一体誰なの?私の名は菊池由佳なんですけど」
「存じております。その事よりも先ず、手荒な方法でユウカ様をこちらまでお招きした事を深くお詫び致します。わたくし達には余り時間が残されていない物ですから」
どうやら、ユウカ様と言うのは私の事らしい。
私は「イエローピッグ」では無かったみたいだ。
「私達は、アセンションを間近に控えている地球を見守り、必要ならば積極的に守護し支援する立場に有る勢力の一員です」
「アセンション」って、地球の次元が上昇するとかしないとかのお話に出てくる用語だよね。
地球を守るって事は、この人達は、案外悪い人達では無いのかな?
「ところが最近に成って、地球の波動を下げてアセンションを阻止しようとしている悪意の勢力が、アンチャラプレーンを伝わって地球上空の三次元物理空間を占領しようとしているのです」
「ナンチャラブレーン?」
「アンチャラプレーンです。アフリカのコンゴ共和国上空まで達する事が可能な、琴座に存在する空間トンネルの事です」
「その悪者達が、そのトンネルから地球の上空にやって来ると!」
「ええ、そうです。現在は、彼らの前衛部隊の一部が琴座のポータル付近に到着しそうな段階で、幸い、彼らの本隊は未だ五次元の物理空間に留まっていますが、この三次元の物理空間に舞い降りて来るのは時間の問題なのです」
「う~ん、私はここに来るまで、何の変哲も無い貧しいOLで、突然、アセンションだのアンチャラプレーンだのと言われても何の事かさっぱり分からないのですが・・・」
「ユウカ様が戸惑われる事は、十分に承知しております。わたくし共もユウカ様のお手を煩わせる事はしたく無かったのですが、現在、わたくし共は危機的な状況に陥っておりまして、どうしてもユウカ様のご助力が必要な局面なのです」
リルジーナはその長い睫毛で何度が瞬きをしてから、私の顔を真っ直ぐに見詰めた。
ここが何処なのかは分からないが、流石にジョークで私を誘拐・拉致する筈は無いとは思った。
「う~ん、そう言われても私にはこれと言った特技は無いですし、しいて言えば、父が唯一褒めて呉れたのは、私が持つド根性位で・・・」
父が褒めて呉れたのは本当は、「ヤケ糞の達人」だったのだが、まあ、ド根性と余り違いが無いと思えたので、私は胸を張った。
「おお!ド根性!ユウカ様がそれさえご自覚されていれば全てが大丈夫でございます。後の事はわたくしとリンドウが良しなに取り計らいますので」
リルジーナは、私が発した「ド根性」と言う言葉に感激した様子で、その美しい瞳から涙が溢れてしまいそうな感じだった。
「今は何かとお疲れでしょう。これからマヤがユウカ様をお部屋までご案内しますから、今夜はごゆっくりとお休み下さいませ。詳しいお話は明日以降に・・・」
そう言って、この部屋から立ち去ろうとしたリルジーナを私は呼び止めた。
「あのう、お話は明日以降との事ですが、どうしても今の段階で三つの事だけは確認して置きたいのです。そうしないととても眠れそうも無いので・・・」
リルジーナは私の言葉で立ち止まると、輝くばかりの美しい微笑を携えて私の方に振り返った。
「まあ、わたくしとした事が!ユウカ様のお気持ちをお察し出来ませんで、大変申し訳有りませんでした。どうぞ何なりとわたくしにお尋ね下さい」
そう言うと、リルジーナは私の眼前まで近寄って来た。
何と言う美しさだろう。
間近で見るリルジーナは全く化粧などを施していないにも関わらず、珠の様に艶やかで透き通った肌、整った目鼻立ち、優雅に揺れる長い睫毛、眩しく輝く長い髪、そしてそうしたパーツの秀逸さだけでは無く、全身からこの上無い高貴な気品が溢れ出ている。
その全身的なバランスの良さのせいで見落としていたが、リルジーナの耳は良く見ると、所謂、「猫耳」だった。
リルジーナもやはり宇宙人?
だが、仮にリルジーナとリンドウが宇宙人だとしても、私は全く恐怖感を覚えなかった。
二人からは「善良で慈愛に満ちたオーラ」を感じたからだった。
「どうぞ、遠慮無くご質問をして下さい」
「あ、ああ、そうでしたね」
リルジーナから質問の催促を受けて、私は我に戻った。




