第3章 空母にて 1
「お目覚めのようですね。ご気分は?」
私の意識が戻るのと、その言葉を聞いたのはどちらが先だったのか。
私がその言葉をしっかり理解出来たと言う事は、私の目覚めの方が少しばかり早かった筈だが、私の意識の中ではそれはほとんど同時に起こっていた。
それから暫しの時間が過ぎて、私に最低限の思考力が戻った瞬間、私はがばっと跳ね起きた。
理由は無かったのだが、直感的に私は素っ裸にされたうえに、頑丈な椅子だか十字架だかそんな硬いものに固定されて、すごく恥ずかしい格好にされているような気がしたからだ。
私は素早くベッドから降りながら自分の格好を改めて確認した。
素っ裸にされていると思ったのは私の被害妄想で、実際の私は「モリヤの笛」によって搬入された時に着ていたピンクのパジャマを着たまま、中世風の豪奢なベッドに寝かされていたのだった。
取り敢えず服を着ていた事で、最低限の余裕が出た私は、
「ぎゃー、人殺し!変態!誘拐魔!」
と叫んだ。
26年間も生きてきて、これだけ無条件に何の恥じらいも無く大声で叫んだ事は生まれて初めてだった。
その瞬間、私の心の中に長く満たされないまま沈殿していた何かが、少なく共、その表層部分はその叫び声と一緒に弾け飛んだ。
一種の「カタルシス作用」が起こり、私はこれまで味わった事が無い様なスッキリとした気分に成った。
こんなに危機的な状況なのに爽快な気持ちに成るとは、私ってどれだけ「能天気」なんだろう。
いや、それはむしろ、父が何時も絶賛していた、私の超が付く程の「ヤケ糞の達人」で有る事を証明した瞬間だったのだろうか?
それから今度は、私に声をかけた男の姿を、ゆっくりと視覚的に捉えた。
「大丈夫だから!心配しないで」
その男はハグをするような感じで、しかし実際は私の肋骨が何本折れたのかを数えなければ成らないくらいの力で私を強く抱き締めた。
「きゃ~、助けて~!死ぬ!」
私は僅か1分程の間に、人生でぶっちぎりの「大声新記録」を2回も樹立した。
「ご免なさい、強過ぎましたか?僕はまだ地球人類の力加減に慣れていないもので」
「お前はロボットか。力加減に慣れて無いなら、いきなり抱き締めたりするなよな!」
「はぁ、誠に申し訳有りませんでした」
その男は、私に恐縮して丁重に頭を下げた。
「まあ、お陰で更に気分がスッキリしたから良いけど・・・」
先刻は、激痛にも似た感覚が私にその言葉を発せさせたが、今は30秒前に「人殺し」と叫んだ時とは明らかに異なる領域から、私の声は出ていた。
彼の顔と姿を捉えた私の視覚が、その情報を脳に正確に伝達して既に解析を完了していたからだ。
「まじ~?」
私は心の中で呟いた。
その男の顔と姿は、正に天使と見紛うばかりの美しさで、端正な顔立ちも黄金色に輝く長髪も全く嫌みが無く完璧だった。
思わず、私はその男に見入ってしまったが、
「ところで、あんたが私を誘拐したモリヤの笛?」
幾ら何でも、誘拐犯に「素敵な方ですね」と言う訳にもいかないので、私は出来るだけ不機嫌そうな口調で尋ねた。
「ええ、貴女は僕のことをそう呼んでいたみたいですね」
やはり、この男が「モリヤの笛」の正体だったのだ。
この男に、立て続けに質問したい衝動に駆られた時、
「軽食と飲み物をお持ちしますね。少しは気分が落ち着くかも知れませんから」
「モリヤの笛」はそう言うと、この部屋を出て行った。
「モリヤの笛」の容貌が、私の好みの「ストライクゾーン」のど真ん中を射抜いた事と、彼の態度が紳士的な事も有って私の不安はかなり和らいでいた。
私って自分で思っていたより、案外、「面食い」なのかも知れない。
「先刻の強烈なハグはご愛嬌って事で!」
そこには早くも、「モリヤの笛」の蛮行を半ば許している私がいた。
これまで神様に誓って、絶対に「面食われ」では無い八木沢に恋をしたりしていたから、私は「面食い」とは程遠い存在だと確信していたが、それは錯覚だったのかも知れない。
私は単なるひねくれ者では無く、美しい物はやはり美しいと思う、素直な感情も有していたのだ。
その時、私の思考の中に八木沢が出て来た事で、私は急に腹立たしい気分に襲われた。
「山羊のアホンダラ!どこをほっついてたんだよ!まさかアストラルのメニュー表を食ってたんじゃないだろうね!私、結局、モリヤの笛に誘拐されちゃったよ」
一方でどの位の時間、この場所で眠っていたのかは定かでは無いが、自分のワンルームで八木沢の帰りを待っていたのが既に遠い過去の様にも思えた。
「僕達はお肉を食べないので、貴女のお口に合えば良いのですが」
そう言いながら、「モリヤの笛」はワゴンで料理を運んで来た。
一見すると運ばれた料理は、スープに数種類のサンドウィッチ、それにフルーツジュースの様だった。
誘拐されて目覚めた早々に食事を摂るのも、淑女として如何なものかと迷ったが、次の「モリヤの笛」の言葉でその迷いも見事に吹き飛んだ。
「そうそう、この部屋には僕の秘蔵のお酒が有りますので、それをお注ぎしましょうね。きっと気持ちが落ち着くと思いますから」
アストラルでは真水のような焼酎を飲んだだけで、八木沢が部屋に来てから一緒に飲もうと思って我慢していた私は、その言葉に喉の奥が恥ずかしい位ゴクンと鳴った。
クリスタルらしい上品に輝く容器から、真紅の液体を注ぐ「モリヤの笛」の姿は余りにも美しく、彼を超えて美しくサーブ出来るソムリエは人間界には決していないと、私は断言出来た。
あの馬鹿力でグラスを粉々にする芸でも見せられるのかと思っていた私には、それは嬉しい方向での予想外れだった。
この色からすれば、きっとワインのルージュだよね。
私は一刻も早くそれを飲みたかったが、誘拐犯に対してどう挨拶してから飲み始めたら良いかが分からず、暫く、遠くの方を眺めていた。
「データでは、貴女はお酒がお好きと言うことに成っていたのですが、どうやらデータが間違っていた様ですね。それではこのは酒は下げて置きますね」
「待って!」
私はグラスを下げようとする「モリヤの笛」の腕を掴んだ。
その力は恐らく、ハグをした「モリヤの笛」に負けない位の力強さだった筈だ。
「私、飲みます。折角注いで貰ったのだから」
そう言って少しだけ、その酒を口に含んだ。
その瞬間、私の脳と全身の細胞が、全部飲んでしまえと私に強く命じた。
はしたないとかを考える余裕も無く、脳と細胞に命じられるまま、私は一気にその酒を飲み干した。
「美味っ!」
「お気に召された様で、何よりです」
「モリヤの笛」は、天上人に匹敵する気品と優雅さに満ちた表情で私に微笑んだ。
「このお酒は、貴方に初めてお会い出来た記念として差し上げます」
極上の酒を頂戴するのは嬉しかったけど、「初めてお会いする」も何も、あんたが私を誘拐したから、私達は会ってしまったのでしょうが。
「あのねぇ、私、あんたに質問が山程有るんだけど」
「ええ、そうでしょうね。それは後ほどゆっくりご説明を致します。僕は今から大事なミーティングが有りますので、暫く失礼しますね」
「ちょ、一寸待ってよ!」
「貴女のご質問には必ずお答えしますので、それまでに食事の方を済ませておいて下さいね。」
それだけ言うと、「モリヤの笛」はそそくさと部屋から出て行った。
「一体、何なのよ」
私は憮然とした気分に成ったが、余り腹立たしさを覚えてはいなかった。
私って、どうして「タイプの男」には直ぐに相手の事を許してしまうのだろう?
私の会社の中は、決して許せないタイプの人物達で満ち満ちていると言うのに。
至高の赤ワインを、三杯程飲み終えた時、私は「モリヤの笛」の「僕はまだ地球人類の力加減に慣れていない」と言う言葉を思い出していた。
「地球人類の力加減に慣れていない」って事は、若しかしたら「モリヤの笛」は宇宙人?




