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第8話 嘯風弄月の夜へ



「うし、稽古終わり!」



 陽が落ちて道場内が暗くなると、サラは叫んだ。道場を出て、夕焼けに染まる空がやけに目に沁みる。くららは疲労困憊だった。



「つ、つかれた……」



「つかれてる場合じゃねェぞ。ホントの戦いは夜なんだからなァ」



「そうだけどさ。ねえ、わたしどうだった? 強くなれそう?」



「思ったよりスジが良さそうだぜ。オレが保証してやる」



「ほんと? サラより強くなれる?」



「調子乗んなよ。それにゃ、稽古と実戦を繰り返してあと40年はかかるな」



「40年……」



 くららは真に受けてげっそりとする。その日暮らしだというのに、40年後など生きていられる気がしない。



「まあ40年も経てば、この乱世もひとつにまとまってるかもな。期待しとけよ、未来によォ」



「まさかでしょ。どうせ、まだ続く」



 細川邸に帰ってきて、夕御飯を馳走になった後、畳の上で仮眠をとる。



 あの馬の化け物が出てこなければ、ずっとこの暮らしを続けていられるのかと思うと、化け物なんて出てくるなと、くららは思った。



 そして、真夜中――



 サラは目を覚ます。傍らで寝息を立てているくららを起こすまいと、ゆっくりと動くも無駄だった。寝息はぱたりと止まり、立ち上がる。



「サラ、行くの?」



「やれやれ。夢の中にいりゃ安全なのに」



「わたしも行くわよ、弟子なんだから当たり前でしょ?」



「いつ弟子入りしたんだ、ってカンジだが、その関係のほうが周りから自然に見えるか」



「で、もう出るの?」



「当然、今からッ!」



 サラはくららを抱え、遠慮なく自身の両足に風を絡ませる。渦を巻くように風が集まると膝を曲げ、茶室から飛び跳ねた。眼下に映る立派な細川邸は、みるみるうちに小さくなって夜の闇に溶けた。



「くららァ、感じるか? イヤな風が吹いてるぜ。ヤツは――巨馬はいる」



「そっか。出てきちゃったんだ……」



「なんだァ、露骨にガッカリするじゃねェか。アレか、あわよくばずっとタダ飯食らおうって魂胆か?」



 くららは黙り込む。



「珍しく素直だなァ。わかっているだろうが、その願いは叶わねェぜ。なにせオレがぶっ倒しちまうからなァ!」



 風鳴り響き、空を蹴り、夜を駆ける。二条城の天守すらも飛び越え、まさに人智を超えるサラの脇から、俗な願望がため息としてやけに大きく聞こえた。



「くらら。短い贅沢生活の中で、少しでも空っぽは満たされたか?」



「ねえサラ、わたしはね、傍に人が居てくれるのがうれしかったんだ。隣にサラがいて、帰ったら幽斎さんがいてくれて……」



「懐かしかったんだな」



 この乱世で、それは当たり前じゃないハズ。みんなきっと、欠けている。空っぽでも、それでも生きている。強く、強く。……くららは自分を奮い立たせる。



「ごめんなさい、わたしから着いていくって決めたのに。甘えちゃいけない、強くならなきゃ。そうすれば、わたしの空っぽも好きになれると思うから」



「ずいぶん前向きになったなァ。なんかいいコトでもあったか?」



「幽斎さんがね、お茶を飲ませてくれたんだ。そのとき、茶碗は空っぽじゃなきゃお茶は淹れられないって言ってくれたの」



「いいコト言うなァ。行動で実践してみせるなんて、さすが細川殿だぜ」



「サラも空っぽを満たせるといいね」



「ああ、まったくだ」



 話しているうちに地面が近づいてきた。着地する刹那、再びサラの両足目がけて突風が吹き、落下の衝撃を相殺した。



 風はやんだ。月が照らす目の前の三条大橋に巨馬がいる。その背に鎧武者を乗せて。



「オレの空っぽが満たされるときなんざ、刀ァ振るうときくらいだからなァ」



 鎧武者は、巨馬に負けないほどの体躯の持ち主だった。角が生えたような兜、威圧感を放つ面頬、朱と金が塗せられた華やかな胴丸、脛当ても完備。戦場で出くわそうものならば、生きて帰るのを諦めるほどに絶望するだろう。



 そんな相手を目の当たりにしても、サラは高揚感から思わず笑ってしまう。



「なに、あの侍は……。馬に乗ってるなんて聞いてないよ」



「言ったろ? 怖気づくなよ、死ぬぞ。それにあの手、見てみろ」



 くららは目を凝らすと、鎧武者は小手だけしていないのに気づいた。さらに目を凝らす。するとアッと声を上げた。白く伸びた細い腕に皮膚がない。骨だ。白骨が露わになった細指で、人の背丈ほどの大太刀を握っている。



 鐙に乗せた足だって防具を脱げば、白骨が露わになるのだろう。



「骸骨……! 死んだ人がどうして!」



「さぞ名のあるヤツなんだろうな。どれ、その面ァ拝ませてもらおうかッ!」



 サラは前傾の姿勢から地を蹴ると、すさまじい勢いで骸骨武者へと突進した。このまま攻撃するのかと思えば着地のち、巨馬の目の前で蜻蛉返りを披露した。



 橋桁から空へ、突き出した足の軌跡に沿って突風が巻き起こり、それは骸骨武者の面頬を奪い取る。



「まァ、骸骨の面なんざ全部同じだわな。ガハハ!」



 サラは着地と同時に、宙に舞った面頬を掴みとる。そして自身の口元にそっと当てて挑発した。



 それを他人事のように呆然と見つめていた骸骨武者は、ケタケタと笑った。声は出ないが、からり、からりと音が鳴る。



「ハハッ。骸骨も笑えば、なかなかどうして愛嬌あるじゃねェか」



「言ってる場合じゃないでしょ、戻ってきてよ!」



敏耳(とみみ)だよな、くららのヤツ」



 橋のたもとで叫ぶくららの言う通り、サラは戻ってきた。背中を見せても、骸骨武者は襲ってこない。あんなに凶暴だった巨馬もだ。



「惜しいな。血肉と生命がくっ付いてたら、いい友人になれたかもなァ」



「なんで来ないんだろう?」



「舐めてるからだろ。今の蜻蛉返りも芸事だと思ってンだろうな。見ろよ、あんなに暴れてた馬すら襲ってこない。骸骨が完全に支配してやがる」



「それだけ強いってコト?」



「あいつァ強えぞ。鎧のとこチラっと見たけどもな、桔梗の家紋があった。血肉が通ってた姿は土岐頼遠( とき よりとお)かもしれねェな。信じられるか? なんせ200年前の人間だぜ?」



「もう、なんでもいいよ……。そんな前からずっと戦ってばかりなんだね」



「まったく、おかしな世界だなァ!」



 サラは腰を落として太刀の柄を握り、居合抜きの姿勢をとる。その中心に風が集まり、遠くの山からはらりと落ちた紅葉が引き寄せられ、優雅に舞う。サラが作り出した雅な光景に、骸骨もうれしそうにからりと口を鳴らした。



「ねえサラ、あの骸骨おとなしくしてるなら、戦わなくてもいいんじゃない? 骨になって、やっと戦いは飽きたかも」



「得体が知れねェのは確かだし、堪忍袋の緒が切れたらどうするよ?」



「……本音は?」



「挑んで勝ちてェ! 挑戦、尽力、勝利ッ。舐めるなよ、こちとら梟風だぜッ!」



 サラの手元には稲妻まで見える。まさに小さな嵐だ。骸骨武者の笑いは止み、大太刀の切先を向けて警戒する。



「願いますは拍手栄当の御喝采、戦国乱世の奇妙な話。それではご覧に入れましょう、星満ちる夜の小嵐」



 ゆっくり、ゆっくりと鞘から太刀を抜くたびに風が強く吹く。不安定極まる戦乱の世、その嵐の中心には常に梟風がいるのだ。



 我、ここに在り――轟く風が叫ぶ。迸る雷が叫ぶ。そして梟風が叫ぶ。己を示すために、剣は舞う。



()(すさ)べ、花舞(かま)太刀(たち)ッ!」



 サラの放った銀の閃光から、陽炎のような視界の歪みが発せられた。その不可視にして不定形の風の刃を、骸骨武者は巨馬から降り大太刀で受け止める。



「サラ、追い打ちしないの!?」



「礼儀だ。あの馬もジッとしてるだろ?」



 なにもない空間で鍔迫り合いをする骸骨武者。やっと、といったふうに弾くと、鴨川の遠くで竜巻が起こり、水が渦を巻く。



「肩慣らしは済んだ。骨の髄まで燃え上がるような人生最高の戦いにしようぜッ!」



 サラは刀を構え、骸骨武者も大太刀を構えた。草木も寝静まった京の町で、誰も知らぬ戦いが始まる。




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