第6話 晴れ、ときどき馬鹿
京の町に日が差す。小鳥がさえずり、空はうんと青い。新しい一日が始まった。
「うーん……。朝ぁ?」
くららは寝ぼけ眼をこする。幽斎の屋敷で、また茶室で寝かしてもらっていた。庭へ通じる障子が開いており、風が畳の香りを引き立て、鼻をくすぐる。
言葉にしがたい、心地よい気怠さ。何日間でも寝られる自信しかない。が、廊下から足音が聞こえてきたので、身体を起こした。
「くらら殿、おはようございます」
「おはようございます、幽斎さん」
また掛け布団のように着物がかかっていた。よく見ると、サラのものだ。
「サラ、まだ帰ってこないのかな?」
「うーむ。ひと悶着起こしていなければいいのですが」
「幽斎さんも心配してくれているんですか?」
「いや、その掛けてある着物がここにあるという事は、白昼堂々……」
そのときだった。茶室に歪つな影がかかった。ふたりはすぐに青空を見上げると、太陽になにかが重なっている。どんどん近づいたところで、やっと気づいた。人の輪郭だ。
「あれって!」
「ま、間違いありませんな」
やけに肌の色が目立った人影にふんどし一丁。どこに出しても恥ずかしくない大うつけが、空から帰ってきた。
「おう、くらら。よく眠れたかァ?」
「ねえ……、庭」
サラが砂を巻き上げながら、庭園に着地する。描かれた波模様は、無惨にもただの無地の砂となった。
「あなやァ! いやすんません細川殿」
「ええ……。ええ」
それしか言えない幽斎の顔は引きつっていた。うまく作り笑いをできず、青筋を立てて震えている。
どうやって空を飛んだのか? よりによって、なぜ庭に着地したのか? 怒りと困惑が同居しているようだ。
それに気づかないサラじゃない。すぐに着物を着て、茶室に上がり弁解する。
「ああ、そうだ。一晩中見回ってたけども、いなかったっすわ、巨馬」
「あの格好でございますか?」
「服はくららに貸していましたのでねェ。そうそう、上京も下京も、その間の二条城付近もちゃんと見回ったので、ご安心をば」
「あの格好でございますか!?」
「風邪はひいてねェんで、そこはご安心を。言うでしょ、馬鹿は風邪をひかないって」
それを聞いて、くららはくすりと笑った。自分で馬鹿と言うのがおかしかったからだ。
「そんなの聞いたコトないよ」
「あれ? 言わねェか?」
サラとくららは顔を見合わせて笑いあう。不思議な関係のふたりを見て、幽斎も楽しい気分になっていた。
「失礼ながら、ここまでの大うつけの婆娑羅を前にするのは、生まれて初めてでございます」
「お褒めの言葉、恐悦至極にございます」
「……ふふ」
幽斎の身体の震えが大きくなり、堪えられくなったのか、噴き出した。
「あーっはっはっは! 実に愉快じゃ、いや笑いが止まらぬっ。腹がよじれそうじゃ!」
主の大笑いを聞きつけ、小姓が慌てた様子で襖を開けた。
「ふふ。なにも心配はいらぬぞ。それよりも、客人方に朝食を持ってまいれ!」
小姓は目を丸くしつつ、すぐに幽斎の指示に取りかかった。朝ご飯も振る舞ってもらえ、サラとくららも笑顔になる。
「いやはや、申し訳ない。人前でこんなに笑ってしまうのは久しぶりです。敵同士でなくて、心底うれしく思いますぞ」
「いやァ、こちらこそ朝飯まで馳走してもらって申し訳ない。巨馬を退治したら出ていきますのでね」
「まだ長居しても構いません。なんなら、拙者の配下として働くのはいかがですかな? すぐに武功を立て、高い地位を得られるでしょう」
「魅力的だがァ、悪いね。梟風は誰にも靡かない。地位も誉れも、ひとえに風に舞う塵も同然さ」
「ふふ、裏もなく、豪放磊落とはこの事ですな」
「風に表も裏もありゃしませんや」
互いに笑っているうちに襖が開き、小姓が懸盤を二台持って、サラとくららの前に差し出す。茶碗に山盛りの黒米と味噌汁、大根の漬けもの、鰯の干物まである。
「お、おいしそうっ」
上がる湯気、食欲そそる香り。ここまでのご馳走を生まれて初めて見たくららのヨダレが止まらない。
「幽斎さん、いずれ貴方に御恩を返したいのですがっ」
「いいのですよ、くらら殿。冷めないうちに召し上がれ」
「よしくららァ、食べるときにいただきますって言うぞ、いただきますって! 感謝伝えんぞ!」
「いただきます、ね。うん。わかった!」
「うし、せーのォ!」
「「いただきますっ!」」
ふたりは懸盤の前で両手を合わせて頭を下げ、そしてすぐに箸を掴み、お椀を持って貪りつく。そんなサラの姿を幽斎はジッと見つめた。行儀が悪かったからではない。
「不躾なのですが、サラというのは?」
「オレの名前」
口の中に黒米を詰めながら、淡白に答える。
「それは……洗礼名ですかな?」
「変わった名前だと思ったかい? でも、違う。てか太閤サマが追放令出したばっかりじゃなかったか?」
「そう、ですが」
幽斎は言い淀む。対し、サラは美味いものを口いっぱい、腹いっぱいに詰めて満足げだ。
「詮索する気もないから、これからも梟風って呼んでもらえれば幸いでさァ」
「ええ、そうしましょう」
「サラ、なんの話?」
くららは横で首を傾げる。
「なんのコトはねェ話さ。って、もう食ったのか。速ェな」
「えへへ、お腹いっぱい。幸せだよ」
「……だろうなァ」
サラも味噌汁を啜って完食。次は? というくららの視線を受け取る。
「手ェ合わせろ、くらら。そんでもってごちそうさまでした、だ! せーのォ」
「「ごちそうさまでした!」」
食事を出してくれた幽斎へ、作ってくれた人へ、食材へ感謝して、ふたりは先ほど同様に頭を下げる。
「これさ、サムタイ級にいい心がけになると思うけど、流行らねェかな?」
「サムタイ級よりは流行るかもね」
「おまえさん、厳しいなァ」
満腹になり他愛のない話をするふたりだが、目的はタダ飯喰らいじゃなく巨馬の討伐だ。それはわかっているが、夜までなにをするか考えるのも億劫になっていた。
「ダルくなってきたなァ」
「ちょっと、幽斎さんにあんなにカッコつけたコト言っておいて……」
「おいおい、言ってくれんなよ。今ンなって恥ずかしくなってきたなァ」
サラはそう言っておいて、特大の屁をこいた。くららはたまらず笑い転げる。もはや自分の家のようにくつろいでいた。
「くらら、どっか行こうぜ。いい加減怒られちまう」
「あはは……。あー、あーおかしい。お腹いたいや。そ、それでどこ行くの?」
「細川殿、どっか面白そうなトコねェかな?」
「恐らく、この茶室が洛内一面白いと思われますが……」
「もう、おだて上手だなァ〜。細川殿は」
「褒めてないでしょ。あはは……」
幽斎はまだ笑いが治らないくららに微笑ましさを通り越して、不安げな眼差しを送った。ここまで笑う人を見たコトがなかった。
「で、では道場で剣術修業というのは?」
「もしかして、細川殿がお相手してくださるので?」
「残念ながら、拙者には仕事がありまして。師範がおられるはずですが、梟風殿が相手では……」
「ご謙遜を。よし、んじゃ道場に行こうぜ、くらら。剣ってのを、ちったァ教えてやるよ。ヘラヘラすんなよ、ケガするからな」
「よし、やるぞ!」
腹いっぱいで気合いも充分。くららにとっては、満たされるという感覚を久しぶりに味わった。
「……梟風殿」
「ん?」
幽斎から道場までの道のりを聞き、茶室から出ようとすると、幽斎が独り言のように小さくつぶやいた。
「老若男女が、立場も時間も場所も構わず、他愛のない事で笑い合える世が来るといいですなあ」
「……屁で笑うみたいな?」
「ええ。そうです」
「マジメな顔されてもなァ。でも、オレもそう想うよ、細川殿」
それは心からの言葉だった。幽斎とは違って、刀を振るう以外に生きる術を知らないのだけれど。だからこそ、今は教えるしかない。復讐に燃えるくららに、復讐の刃の愚かさを。




