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第5話 茶の湯を満たせるもの



 そよ風の中、畳の上で眠るくららは夢を見ていた。父と母と、ともに暮らす夢を。



 昼は父と畑を耕し、夕方になれば母と雑穀の雑炊や漬物を作り、夜は――ときどき父はいないコトもあったが――両親に挟まれ、川の字になり(むしろ)の上で眠る。



 たしかに貧しかった。足りないものはいくつもあった。けれど幸せだった。そんなささやかな幸せは――炎に包まれた。



「焼けッ! 燃やせッ! 大殿のお言葉ぞ!」



 知っている顔が刀で斬られ、聞いたコトのない叫びを上げ、死んでいく。動かなくなった人を踏みつけ、家という家に炎を焚べ、信長の軍は侵攻する。流れる血、燃え上がる炎。天を地を、赤く染め上げる。



「やめてッ! やめてよおぉぉーッ!」



 脳裏に焼きついた光景が悪夢となり、心からの叫びを上げる。滴る汗、流れる涙。いくら流れようとも、恨みの炎は消えない。このまま、永遠に遠くからこの光景を見ているだけ――?



「――はッ!?」



 くららは目を覚ますと、見知らぬ天井がそこにあった。



「はあッ、はあッ。あれ、着物……。かけてもらってる」



 掛け布団代わりに、誰かが着物をかけてもらっていたようだ。悪夢を見た後でも、心が安らぐ。



「なんだか懐かしいなあ。お母ちゃんが着物、掛けてくれてたっけ……。って、浸ってる場合じゃない! どれだけ寝てたんだろう」



 居心地のいい場所で、ついついぼーっとしてしまうが、我に返って頭を振る。現実に戻るときだ。夜になり、真っ暗な部屋を見渡すも、誰もいない。



「サラ? どこ?」



 徐々に心細くなったくららに、サラが言っていたコトが頭によぎる。追っているあの巨馬は、夜にしか生きられないと。今は夜。というコトは――



「わたしを置いていっちゃった……?」



 ありえる。だって、出会って全然時間が経ってないのに、あんなに庇ってくれるのだから。ただでさえ、足手まといなのだから。



 できるコトはない。ため息をついてまた横になるが、久しぶりによく眠れて、目が冴えて寝られない。よしんば寝られたとしても、また悪夢は見たくなかった。



 ならば、やるべきはひとつ。



「サラを探しに行こう!」



 目が暗闇に慣れた。感覚も冴えてる。きっと危険にも、すぐ気づける。くららは意気揚々と襖を開ける。すると、向かいの襖が少しだけ開いており、灯りが漏れている。当然、気になった。



「なんで明るいんだろう? 寝てないみたいだし」



 耳を澄ませても、寝息が聞こえない。どうしても気になって、くららは襖を開ける。そこには布団で横になっている幽斎がいた。枕元には置き行灯が光を放っている。



「お目覚めですな、くらら殿」



 起きていた幽斎は、くららにやさしく声をかける。



「あっその、ごめんなさい。お休みだとは思わなくて」



「よいのです。それより、梟風殿から貴女の事を聞きました。……伊賀の生き残りだそうで」



 胸が痛む。くららは頷くしかできなかった。



「つらい思いをされましたな。御館様の判断ひとつで、あんな目に遭ってしまい」



 幽斎の言いかたに、くららは顔を上げた。その目に行灯の光が反射して映る。



「幽斎さん、貴方、もしや」



「ええ。信長様の家臣でした」



 それを聞いて、すぐに幽斎の枕元にまで向かった。拳を握りしめて。



「拙者は伊賀攻めには参戦していませんが……。恨みつらみの募る気持ち、わかります。拙者もかつて、仕えた主が襲撃された経験がありましてね」



「なんで、あなたのような謙虚な人が、信長なんかの部下だったんですかっ」



「生きるためです。謙虚である事も、信長様に仕えたのも、そう。そして太平の世を目指すため、今は太閤殿下の家臣として努めて参る次第です」



「あんなヤツが将軍になるよりも、あなたのような人が上に立てばよかったのに!」



「拙者には出来ぬ事です。頂点に立ってしまえば、全てが敵になる。裏切りとは世の常。それが、どうしようもなく恐ろしいのです」



 幽斎は力なく笑う。それを見たくららは、なぜだか力が抜け、へたり込む。



「その点では、梟風殿が羨ましくさえ思える。波風の絶えない生き様が」



「まさかでしょう……。彼が言っていました。オレもわたしも、空虚(うつけ)だって。現にその通りです」



空虚(うつけ)……。懐かしい響きです。空っぽ、という意味ですな」



「あなたのコトを、なんでもできるすごい人とも、言っていました」



「ふふ、それは嬉しい事を聞きました。して、空っぽと聞いて、貴女はどう思われますか?」



「わたしは……」



 黙りこくって、幽斎のほうを見る。部屋に入って、初めて目が合った。やがて、ゆっくりと口を開く。



「そんなの、イヤだ。わたしは大事なモノを奪われたから、空っぽになったんだ。空っぽに、価値なんて……」



「そんな事は決してございません」



 幽斎は布団から出て、立ち上がる。



「証明するために、茶の湯でもいかがですかな?」



「茶の湯……?」



「ええ。茶菓子を切らしていて申し訳ないのですが。着いてきてください」



 幽斎は枕元に置いている四角い行灯の取手を持ち、寝室を出る。どこへ行くかと思えば、くららが寝ていた部屋だ。



「ここは茶室でしてね。貴女がお眠りの間、こうして梟風殿にも振る舞ったのですよ」



 2回手を鳴らすと、すぐに小姓が茶器をお盆に載せてやってきた。眠たそうに、あくびをしながら。幽斎は盆を受け取ると、小姓はすぐにいなくなった。



「さて、お月見茶も乙ですぞ」



 障子を開け、声色明るく茶の湯を点てる準備をする。薄茶器のから杓で抹茶をすくい真っ白な茶碗に入れると、別の茶碗に入っていたお湯を注ぎ、茶筅でダマにならないよう勢いよくかき混ぜる。茶の湯の出来上がりだ。



「では、どうぞ」



「い、いただきます」



 くららは飲むのを躊躇った。月に照らされた茶の湯の色は、黒に近い緑色。飲めるものとは、思えなかった。試しに啜るだけに止める。



「苦いっ」



「それだけではありません。どうぞ味わってください」



 思わず声が出た。けれど、口の中で味が変わる。苦さも、甘さもある。それがクセになり、少しずつ飲むうちになくなっていた。



「ごちそうさまでした。おいしかったです、幽斎さん」



「気にいっていただけたのなら、おかわりはいかがですか?」



 お湯の入っていた茶碗からは、まだ湯気だ立っている。くららは幽斎の目を見て、大きく頷いた。



「拙者も喜ばしい限りでございます」



 くららは再び茶の湯を飲んだ。次に感じるのは、安心感だ。程よい温かさの茶を飲むと、心がほっとする。夜空を眺めて飲むのも、格別の体験だった。次第に表情が柔らかくなる。



「ふふ、笑みを浮かべましたな」



「お茶……。とてもおいしかったです。でもどうしてわたしなんかに、お茶を振る舞ってくれたんですか?」



「質問を質問で返すのは不躾なのですが、その茶碗を見てなにを感じますか?」



 くららは茶の湯が入っていた茶碗を見つめる。



「なにって……、なにも」



「そう、空っぽです。ですが裏を返せば、空っぽだからこそ茶の湯を点てられるのです」



「あっ……」



 くららはハッとした。空っぽだから、価値がある。それを体現するのが、この茶碗だ。くららは人生の先輩である空っぽを羨望の目で見つめる。



「ちなみにですが、その高麗茶碗は40貫ほどでした」



「えっ、1貫が1千文だから……。えっ?」



「どうでしょう。空っぽとは、価値あるものでございます」



 これほどの値段では、価値が余計にわからなくなった。幽斎はいたずらに笑うが、すぐに真顔に戻った。



「しかし今の貴女は、例えるならば穴の空いた茶碗です。茶の湯を点てても、こぼれてしまう」



「その穴って、埋まるのかな?」



「ええ、必ずや」



 くららは茶碗をなでる。幽斎の話を聞いたら、心が軽くなった。空っぽでもいつか穴が埋まれば、茶の湯のような安らぐ気持ちになるだろうか。



「幽斎さん。わたしなんかのために、ありがとうございました」



「お安いご用です。ところで白湯がまだ残っているのですが、お飲みください。ただの湯ですが、名水ゆえ美味ですぞ!」



「あ、ありがとうございます……」



 幽斎の勧めに流されるままに、ぐびぐびと飲み続けるくらら。この夜、かわ屋と母屋を往復し続けたのは、言うまでもない――



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