第47話 心を満たしたもの
くららが放った銀色の弾丸は信長を貫き、目的の達成――つまり旅の終わりに大きく近づいた。だが、まだだ。まだ信長はそこにいる。たとえ虫の息であろうとも。
「……傷が治らない。因果なものだ。恨みなど、そう作るものではないな」
吸い取った黒いもやを放出し、トゲトゲした姿から元に戻った信長はか細く自嘲的に笑うも、諦めている様子などなかった。どうやら黒いもやは、信長が召還した魂のようだった。
「だがね、望みを果たすには恨みは買うものだ。望みが大きければ大きいほど高くつく。俺のようにな。……小娘、満足か? 復讐を成せて」
くららは黙った。撃ったときは、復讐の意志などなかったからだ。ただサラを助けたかっただけ、それだけだった。今は、なぜだか虚しい。
「わたしは……ただどうでもよかったみたい、おまえなんて。サラといっしょにいられれば、それだけでよかった」
胸に風穴が空き、肩から腰にかけて裂け、横たわるサラの姿を見ると、悲しくなる。
「ただの壁でしかなくて、邪魔者でしかなくて……。でも、おまえがいなければサラに出会えなかった」
「縁、か?」
「いい言葉だね」
くららは銃を構えるも、信長は吠える。
「ひとつ教えてやろう。俺を殺せば、この城は崩壊する。さすれば梟風はどうなると思う? 血を適宜吸えば、あのような姿でも元通りになるが」
見え透いた命乞いだ。けれど滑稽に聞こえない。サラを助けられるなら、この血などいくらでも。
「くらら、耳ィ貸すなよ」
横たわったまま、サラがつぶやく。耳のいいくららにしか聞こえないくらいの声量だった。
「信長を倒しにここまできた。ここで果てようが本望だ」
「サラがよくても、わたしは!」
抑えていた感情がとめどなく溢れ、足が自然とサラのほうへ動いた。
「約束したじゃん、いっしょに茶屋を開こうって。吸血鬼になっても平気だよ、夜だけ開く茶屋っていうのも新しいかも。右手がなくても大丈夫、わたしがたくさん働くから」
「くらら」
「でも茶屋を開くのは、いろんな国を旅してからでも遅くないよね。畿内を巡ったから、今度は――」
「ダメだッ。……ダメなんだ」
早口でまくし立てていたくららはすぐ黙って跪き、青白いサラの顔に手を当てる。冷たい。それしか思えない。
「ズルいよ、サラ。ひとりだけ満足して。またわたしをひとりにしないでよ、サラ……。ねえ、サラ」
銃を放り、くららは泣き出した。涙がサラの頬を伝い、ぽたりと溢れる。
「信長なんか、いてもいなくても、どうでもいい。サラがそばにいれば……」
「ありがとうな、くらら。すまねえな、悪りィ、許せ」
サラは微笑む。その隙に信長はふらつきながらも銃を奪い、くららに向けていた。くららはそれに気づいていない。
「……勝手すぎるか?」
「うん。……うん」
風が吹いた。すると銃を構える信長の腕が、折りきれない若い枝のように曲がる。銃を落とした音でくららは顔を上げた。
「……もうええでしょう、親分」
不意打ちを失敗に終え、なお腕をへし折られて苦悶の表情を浮かべるかつての主君に呆れたのは、ウサギになった一益だ。その肩には足のない望遠鏡が担がれている。
「いつまで足掻くつもりですかい。見苦しいったらありゃしねえ」
「一益、俺はやり遂げる。どんな手を使おうが、異教から日の本を守らねばならんのだ。日の本を守るのは俺なのだッ」
「戦を煽って傷ついて? 世話ねえや。こいつを覗いてくださいや。誰も手出ししねえから」
「俺のようにか?」
「イヤミのつもりじゃねえぜ」
信長は長い望遠鏡を震える手で覗いた。そこに映っていたのは、青天の下でさまざまな人々が茶会を楽しむ姿だった。見知った顔もある。
「あれは……サルか? 幽斎、与次、宗仁もいる。懐かしい面々だな」
それにしても、混沌とした茶会だ。格が高い者もいれば、どこにでもいるような者もいる。服装でわかる。他国の大名や医師、商人や町人、ボロボロの服をまとった百姓もいる。子供も大人も関係ない。異人だって和の中に入っているではないか。
「なんだ、この光景は。異人の追放令を出したのではないのか」
「親分のやりかたよりも、異人ごと日の本の文化で飲み込めばいいじゃねえのかな。ヤツら、なにを企んでいるのかは知らんけども、丸飲みにしてやりゃいい。茶だけにね」
一益は口に手を当ててクスリと笑う。望遠鏡の中に映る民も、みんな楽しそうだった。信長がぽつりと本音をつぶやく。
「他人の憩いのひとときは、なぜこうもうらやましく思えるのだろうな」
「そりゃあ、自分ががんばっていた証拠でしょう」
「それと、寂しくもある。小娘の言葉が反芻するたび、大きくなるのだ。俺など、どうでもいいと。俺の代わりは、確かにいるようだ」
この茶会――北野大茶湯を催し、中心にいるかつての部下を見て、確信を持った。もう、いないものなのだと。
「なるほど、永遠は耐えられないか。よくぞ見透かしたな、梟風。俺の負けだ」
信長は倒れるサラの元へ歩み寄り、自らの手首を切ってサラの傷に血を流す。するとみるみるうちに傷が塞がり、逆に信長の顔は青白くなった。
「小娘――いや、梟風たち。俺は逝く。別れの言葉を紡ぐがいい」
それでも、どこか憑きものが取れた顔をしていた。元気になったサラとくららは立ち上がり、ふたり見合わせて頷いた。
「茶会を開こうぜ」
その言葉を皮切りに、ふたりの前に煙の中から畳が現れた。くららは声を上げる。
「不思議畳だ!」
「ん? なんだそれ?」
「見ててよ、サラ」
畳は横回転を始め、そして止まる。するとその上には、いつの間にか皿に載った団子と湯気が昇る湯呑みが置かれていた。お盆もある。
「すごいでしょ?」
「サムタイ級に不思議だな……」
くららは手慣れた様子でお盆に茶と団子を載せ、まずは一益の前に置いた。
「嬢ちゃん、疲れたろうに悪いな」
「平気、平気。手伝ってくれて、ありがとうございました」
辺りに再び、黒いもやが床に落ちては人の形を作り、すぐに部屋を埋め尽くした。今度は表情がちゃんとある。
「茶会と聞いて、この亡霊たちも黙っていられなかったみてェだな。オレも手伝うぜ、くらら」
「無理しなくても大丈夫だよ!」
「いや、手伝わせてくれ」
サラは左手だけを器用に使い、お盆に団子と湯呑みを載せ、目についた亡霊の下へと運び続けた。
「く、くららさん。僕も手伝います」
「蘭丸さん、無事だったんですか!?」
「あはは、恥ずかしながら……」
蘭丸はバツが悪そうに笑う。それから3人はテキパキと配膳し、残るは信長のみだ。蘭丸は自分から信長の下へ運ぶ。
「信長様、お茶でございます」
「……ああ」
ふたりの交わす言葉はそれだけだった。しかし、昔のようでなによりも感慨深い。周りもそうだ。都合のいいチカラとしか見ていなかった魂が顔を持つと、見知った部下がほとんどだった。それらがみんな、微笑みをたたえながらこちらを向いている。
「あたたかいな」
信長は湯呑みに受けた茶を見つめる。空っぽを満たす、というコトが今になって理解できた。
「満たされたよ、梟風。……すまなかった」
湯呑みを天井に掲げると、黒い亡霊たちも声を上げつつ湯呑みも掲げ、飲み始めた。茶会が始まったのである。さっきまで風が吹き荒び、死闘が行われていたこの大部屋は、おだやかな風がそよぎ、和やかな雰囲気になった。
「サラ、おつかれさま」
「くららもな。おつかれさん」
大部屋の隅で、サラとくららはお茶を飲んだ。手伝ってくれた蘭丸は一益と信長のそばにいた。つい今まで戦っていたというのに、なんの屈託のない笑顔を浮かべている。きっと仕えているときは、あんなふうだったのだろう。
くららはその光景を眺めていると、横から団子が出てきた。サラが差し出したものだ。
「いつかの茶屋でのお返しだ。ほら、あーんだぜ」
「……あーん」
くららは素直に団子を食べた。もごもごと動かす口から笑みが溢れる。
「元気出たか?」
「うん」
「そうか」
もちろん、ウソではない。けれど、この差し出された団子を通じて感じた。別れのときは近いと。
「これをよ、見てみろよ」
言葉は少なめに、サラはくららに望遠鏡を差し出した。なんの疑問も思わず、硝子を覗く。瞳に映る景色は、さまざまな人々が和やかに茶を楽しんでいた。望遠鏡を下ろし、目の前のサラに微笑みかける。
「オレは、こんな世の中になるのを夢見ていた。茶会でだけじゃなく、常に、ずっと、ずっとな。それを見守って生きたいと願っちまった。できれば、くららのそばで、ずっと」
サラはわざとらしく茶を啜る。なにかを紛らわせるように。
「ふたりで吸血鬼になって、永遠に和やかに生きるなんて考えも過ぎっちまう。でも、ダメなんだ。吸血鬼なんて、永遠なんてモンはこの世にあっちゃならねェ」
見たコトのない、苦しそうな顔だった。茶を飲み干したサラに、くららはあえて尋ねる。
「サラ……。わたしと出会えて、いい人生だった?」
「なにィ?」
くららはサラよりも別れを覚悟していた。サラは恥ずかしくなり、顔を下げた。吸血鬼になっていなければ、真っ赤になっていただろう。こんな歳の差があるのに、気を遣わせてしまったのだから。
けれど――くららも梟風だ。そう決めたのはサラ自身。そう思えば、答えなんてすぐに出る。満面の笑みもだ。
「ンなモン、当たり前だろ! くららのおかげで満たされた。うつけのオレは、もういない」
「わたしも、サラのおかげだよ」
「強くなったな、くらら。ほんとうに、ほんとうに」
サラはくららの頭をくしゃくしゃに撫でる。くららは満更でもなさそうにベソをかく。
「もう、いいよ。これ以上、褒められると、つらくなっちゃう」
「じゃあ、もうやるか。撃つべき場所はわかってンな?」
ふたりは信長の下、もとい部屋の真ん中に立った。信長は振り向き、頭を下げた。
「オレも支えてやろうか?」
「うん」
くららは銃を構える。狙うは――天井。サラの左手とくららの手は、狭そうに引き金に指をかけ、そして放った。銃声。すると天井は硝子が割れたように破れ、一本の柱のような太陽の光が差し込む。茶会の終わりだ。
信長が率先してその中へ入ると、一益も蘭丸も、黒い亡霊たちも続いた。にぎやかだった大部屋に静寂が鳴る。
「わたしはこれから、どこへ行くんだろう。どうすればいいんだろう。サラがいない世の中で夢を探さなきゃいけないのかな」
「安心していいぜ。きっと、夢から覚めるみたいなモンだ。オレの名を覚えてるヤツもいないし、この戦いを、ましてや京の巨馬や堺の赤鬼を知ってるヤツもいねェ」
城主を失い、空に浮いている城は揺れる。崩れるのに時間はかからない。
「もしこの戦いを覚えていてつらかったら、すぐに忘れてもいいンだ。オレのコトなんざ」
「ううん。忘れるワケないよ。風が吹くたび、あなたを思い出す」
「うれしいコト言ってくれるじゃねェか。オレは風になって会いに来る。約束だ」
「うん、約束」
サラはくららを見つめながら、光の柱に近づく。あと一歩でその中に入る、その寸前。
「サラ、またね」
「ああ、またな。くらら――」
サラは光の中へ溶けた。最期につぶやいた、小さな小さな言葉を噛み締め、くららは目をつむった。
「わたしもっ。わたしもだよ、サラ」
畳のにおいがして、あたたかな風が身を包んだ。旅の終わりは、新たな始まり。どこへ行くんだろうと、そんな不安はなかった。風の中にいれば、それだけで――




