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第45話 ふたりの距離



――吸血鬼になった信長を追い討とうとしていたのは、単なる気まぐれだった。もっと言えば、死に場所を求めていたからだ。頼重を守れず死に損なって、梟風として市井の人々に恐れられながらも禅院家の呪いの元凶も討てず、けれど日の本に敵はいなかった。



 なにもかも中途半端だ。不老の呪いも重なりながら生きてきて、なにを成し遂げられた? そうだ、なにもできなかった。



 強がる気持ちだっていつかは尽き、次第に空っぽになる。身体を透き通る風がうるせェくらいに鳴り響き、ただ空しく、いっそこの生命をどこかへ捨ててしまおうか。その寸前に、くららに出会った。復讐心に囚われそうな危うさは、このままでは長生きできないと直感した。



 くららに戦いかたを教えたのは、復讐の幇助なんかじゃない。自分を守るためのチカラを身に着けさせるためだ。この狂った乱世でひとりでも生きる術を。



 こんなに慕ってくれるが、オレは教えられただろうか。むしろオレが教えられたのかもしれない。生きる意味を。もう自棄になんていられない。戦い、勝ち、そして示す。オレの生きる意味を。この死に損なった生命を賭して。



「成すべきコトを、成すために……」



 たとえ、吸血鬼になったとしても――



「サラ、それって……ッ!」



 くららの声が震え、涙で歪む視界でも鮮明に写った。サラは吸血鬼になるという赤い花の花弁を握り潰し、そこから滴る液体を飲んだ。なんの躊躇もなく。



「ダメだよ、サラッ! なんで信長なんかといっしょの吸血鬼にッ!?」



「ちか、づくなよ。くらら」



「なんで……、イヤだよ。堺の町で会った異人さんみたいになったら」



「しんぱい、いらねェ、からな」



 うめき声を上げながら、サラは悶え苦しむ。くららは涙をぬぐい、サラの前に立ちはだかって赤い刀身の脇差を信長に構えて牽制した。信長に動く気配はない。



「小娘、おまえはなぜ刀を構えた」



「そんなの決まってるッ!」



「ああ、わかってるよ。梟風を守るためだろう。俺への復讐などではなくな」



「え……?」



「もう、その必要はない。退いていたほうが身のためだ。この日の本にまたひとつ、鬼が生まれたのだから」



 背後から床を擦る音がした。くららは振り向くと、両目が赤くなったサラが背中を丸めて立っている。



「心配かけたなァ。吸血鬼になって復活だぜ」



「でも!」



 笑顔を作っているが、青白い顔に気怠そうな口調、白い息を吐いて息切れもしている。まるで病人だ。かすかに開いた口から尖った犬歯が覗く。くららには、ほんとうに吸血鬼になったコトが理解できた。



「血が足りねェからな。だがこれで生半にゃ死なねェ。まだ勝負できる」



「……サラのバカ。なんで吸血鬼なんかに」



「バ、バカだァ? おめ、誰に向かって言ってンだよ」



「もう傷つく姿は見たくないの! わたしだって梟風なんだから!」



「ンなコト言って、腰砕けてたクセに」



 サラの軽口を無視し、くららは顔を背けた。不機嫌になったのではなく、首を差し出したのだ。



「わたしの血を吸って」



「おまえこそバカ言ってンじゃねェ」



「勝つためにさ、頼ってよ、わたしを」



 サラは眉間にシワを寄せ、目をつむって歯を食いしばる。ここまでつらそうな表情を、くららは見たコトがなかった。逡巡した後、サラは目を開く。



「……欲しいと思っていた」



「最初から、そう言えばよかったのに」



 サラはくららの肩に左手を回し、細い首筋に噛みついた。



「んっ……」



 サラの体温は冬のように冷たく、思わず声が出る。身体から血が抜けていく感覚がした。それが多くなるにつれ、意識が飛びそうになる。倒れそうになる寸前で、サラは血を吸うのをやめた。



「くらら、ありがとうな。おかげでサムタイ級に元気でたぜ」



「ふふ……。それ、久しぶりに聞いた」



 血が通い、顔色がよくなったサラと同様、くららも顔が赤くなった。今度はサラがくららの前に立ちはだかる。



「さてと……、よく待っていてくれてたなァ、信長」



「他にもうつけがいるようでな」



 信長が刀を向けた先には、銃を構えたウサギと刀を構えた美丈夫がいる。牽制されていたのは理解できたが、どういう組み合わせだとサラは首を傾げた。



「蘭丸さんと一益さん……。ずっと協力してくれてるんだ」



「一益って、あの滝川一益か? ……吸血鬼になったのなんて、大してヘンじゃねェな。森蘭丸がかつての主君に刃を向けるのも」



 一益と蘭丸は得物を構えたまま、ゆっくりと信長へ近づく。



「蘭丸よ。よもやおまえが俺に逆らうとはな。同じ時に死した間柄だが、あの小娘に絆されたか」



「貴方様の間違いを正すために、ここまでたどり着いたのです。貴方様が再び死するときは、御一緒いたします」



「それは頼もしい。一益、おまえも同じクチか?」



「親分の褒美を受け取ってないのを思い出しましてね、あとは……、贖罪のためですぜ」



「贖罪? ああ……、そうか」



 信長はうつむいてから、再び顔を上げると、赤い瞳が輝く。まるで三日月のような鋭い視線だ。



「そんなもので俺は殺せん。怖気づくくらいなら、黙って俺の命令を聞け」



「内容によるよな、蘭坊」



「僕は退かないぞ……!」



「刃向かうつもりなら、わかっているな?」



 信長はふたりに近づきながら、刀を黒く輝かせる。蘭丸は固唾を飲み、震える手で刀を固く握りしめる。



「では述べよう。おまえたち、この信長が命ずる――小娘が死なぬよう、守り抜け」



「はっ。……はっ?」



「どうした? 各々、動きたまえよ」



「はっ! 承知いたしました!」



 蘭丸の震えが止まり、すぐさまふたりでくららの傍らに寄り添った。やっと邪魔者がいなくなったと言わんばかりに、信長は笑い、サラとの距離を詰め寄る。



「なるほどな、義父上がこの小娘を脅威と言われたのがわかった。行く先々で、こうも仲間を作れるとはな。この乱世では最も重要なチカラだろう」



「きっと、そうだな」



「だが俺にも仲間ができた。そうだろう、梟風。鬼になったとき、おまえはなにを願った?」



 吸血鬼になる瞬間、自身の願望と境遇の剥離が大きすぎると狂ってしまう。分相応の夢を持つか、あるいは確固たる意志を持つ者だけが適応できるのだ。



「また言うべきか? くららを守り、おまえを倒す。そンだけだ。逆におまえはよォ、なんであんな指示をした?」



「この場で唯一生きているニンゲンだ。おまえを葬り去った後、その生き血をゆっくりと啜ってやろうと思ってな」



「聞き捨てならねェな。吸血鬼同士での殺し合いってなァ、ままあるモンなのかい?」



「記憶にないな。終わるコトのない闘争であるのならば、それもよし」



「ニンゲンと変わんねェってワケだな。ンじゃあよ、とっととおっ始めようや」



「何度戦おうが右腕がないおまえなぞ……。同じコトだッ!」



 信長は霧となって霧散した。信長は様々なモノに変身できる。霧、人、見たコトのある動物になど。これは信長だけのチカラか、はたまた吸血鬼のチカラか。サラも念じてみるが、姿は変わらなかった。



「まァ、違うところもある。たぶん」



 突然霧が集まり、信長はサラの背中を深く貫く。腹から飛び出た切先と喀血を目の当たりにしたくららは思わず叫んだ。



「サラッ!」



「おう、任せとけ。痛ェけども、たしかに死なねェ。こりゃケリがつくまで我慢比べか?」



 そう言いつつ、サラは得物を手放して背後に手を回し、刀を押し込む信長の両手首を強く握りしめた。吸血鬼の剛力が発揮され、信長も唸る。



「おまえ、あンだけ風に刻まれても我慢してたってコトだよなァ。大したモンだ」



「だが、再生できるッ」



「そうだよな、斬るンじゃダメだ。だから打撃で勝負だぜ。身体の内部の負傷は治せンのかよ」



「心配、いらぬわッ!」



 信長はサラに握られた手首を無理に動かし、まるでトカゲの尻尾のように切り離すと、おぞましい叫び声を上げながら腕を再生させた。



「うおお、気持ち悪りィ。ってオレも向こうのコト言えねェけども」



 身体に突き刺さった刀を、握りしめたままの残された手ごと引き抜く。



「早いところ決着をつけようか、梟風」



 息を切らし、顔色が変わった信長の身体が宙に浮くと、四方八方から黒いもやが飛び交い身体を包む。攻撃する様子はない。その隙にサラはくららの下へ駆け寄った。



「思ったよりも傷を負ってるみてェだな、あいつ。でもオレだけじゃ勝てねェ。刺されて直感したンだ、『吸血鬼同士じゃ決着がつかない』ってな」



「じゃ、じゃあ」



「そうだ、幽霊でもウサギでもない。唯一生きているおまえが、信長を討てる。……戦う準備はできているな?」



「もちろんッ!」



「よしッ!」



 ふたりは立ち上がって振り向くと、黒いもやの中から巨大な異形の足が現れていた。変わり果てた声も響く。



「慄け、矮小なる魂どもよ。我は第六天魔王、織田信長なり。我に刃向かう者は死するのみぞ」



 まだもやは晴れない。信長がどんな化け物になっているのかは、定かではない。しかしふたりならば、負ける気はしなかった。いよいよ最後の戦い。長い旅路の終わりにすべてを賭けるときがきた。



「「舐めンなよ」」



「オレたちはッ」

「わたしたちはッ」



「「梟風だッ!」」



――これは空を満たす物語。満たされたとき、風は静かに鳴り止む。




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