第44話 凪模様
道場なんかよりも広いこの城の中心で、破壊された壁の外からむせび泣くような風が吹く。くららはやっとここまで来られた。サラが乗り込んだ信長の根城、空に浮かぶ安土城へ。
「燃えたにも関わらず、元通りのままとはな。まっ、おれたちも甦ったなら、城が甦るのも不思議じゃねえか」
いちばん不思議なウサギとして甦った一益が、耳をピンと伸ばす。遠くの音を聞いているようだった。くららも耳をすます。
「風が暴れてやがる。……なんだろうな、この破壊的な暴力は。身震いしちまうよ」
「サラ……」
くららは気づいていた。この冷たい風の先に、サラがいるというコトを。そして気づきたくなかった。今まで感じたコトのない冷たさの風を、サラが操っている現状に。
恐怖を覚えているのは、蘭丸も同じだった。
「なんて恐ろしい風だろう。僕は死んだ身、もう怖いモノなんてないと思っていたのに。これが梟風なのですね」
「昔にも、こんな風を浴びたコトがある。冷たい、冷たい風だ。人となりは知らんがよ、よくもまあ隣にいれたモンだな、嬢ちゃん」
「いつもはこんなじゃないのに……」
「じゃあ、昔の梟風に戻ったってコトか?」
「昔……」
サラは昔、諏訪頼重に従い、彼の死をきっかけに梟風になったと言っていた。それから先の話は、なにも知らない。けれど想像するに、空っぽだったのだろう。似たようなものも言っていたから。
そういえば初対面のとき、サラは信長への復讐を勧めていなかった。鍛えてくれたのも、自分を守るためのチカラとも。
「わたしは昔と違う。変われたよ、サラのおかげで。今度はわたしが救ってみせるからっ!」
空っぽの心に風が吹くのなら、心を満たせばいい。サラがしてくれたように。
「おやおや。ビビってるワケにゃいかねえようだぜ、蘭坊」
「ですね、一益さん」
「行きましょう、ふたりとも。風の向かうほうへ!」
くららは吹き抜けになった天井を見上げる。不可視にして、遮るものを吹き飛ばす風が向かう先には、隻腕の梟風が刀を振るう。左の赤い瞳を引きずり、最も冷たい意志を持って刀を振るう。
「コイツら、どこまで湧きやがるッ」
顔のない真っ暗な亡霊が行手を塞ぐも、赤子の手をひねるよりも簡単に吹き飛ばし、切り裂ける。しかし憤怒は治らず、瞳は熱くなるばかりだ。
「だからよ、おまえらには用はねェ。用があンのは背後からてめェらを操ってるヤツだッ!」
その背後にいる信長の居場所など、すぐにわかる。この城の最上階だ。そう風がささやいている。
たどり着くまでに、どれだけ斬ればいい。どれだけ吹き飛ばせばいい。無駄な戦い、無意味な消耗の連続。すべてを失った頃の感覚を思い出す。戦乱の世に生まれ、呪いに翻弄され、すべてを憎み、無力感すら覚えたあの頃に。
「くそッ、斬られたか」
だからこそ、切れぬ絆が欲しかった。色褪せぬ信じる心が欲しかった。心から信じ、仕えていた神は死んだのだけれど。
「……この先か」
だが、長く生きていれば新たな絆が育まれる。くらら――まだ幼い少女だ。偶然の出会いでも、ともに過ごした時が短かったとしても、守りたいと思う気持ちは変わらない。
守るために――手すりに擬宝珠のついた長い階段を昇る。絢爛な装飾の階段だ、この先には玉座があるのだろう。なにがなんでも勝たねばならない。どんな手を使おうが、どんな存在になろうが。
赤い玉座に足を組んで座る信長を見つめ、よりその意志は固くなる。
「ここまで来られたか、梟風」
信長に笑みはない。赤い胴丸鎧の下に、黒い上着と洋袴という洋装を纏い、赤い双眸を引きずり、外套を翻しながらサラの前に瞬間移動した。
「亡霊どもは、少しでも役に立ったようだな。多勢に無勢、とはいかなかったようだがな」
最上階の玉座の間も、とても広い。広いのに畳がびっしりと敷かれており、土壁に囲まれ、障子の向こうで乱気流の影がうごめいている。そんな部屋の真ん中にくぼみがあり、まるで巨大な茶室だ。
信長の玉座の位置も、床の間の位置にある。決戦の舞台にしては悪趣味だと、サラは思った。
「俺は不死の吸血鬼だが、対するおまえは隻腕、息を切らして至る部位に流血、そしてニンゲンであるコト……。飛車角落ちだ、勝ち目はないぞ」
「勝ち目はない? なに言ってンだ、まだなにも始まっちゃいねェだろ」
「いや、ない。……ないだろうッ!」
信長は語気を荒げる。
「ここまで追い込まれたのも、あの小娘に入れ込んだせいだッ! おまえは弱くなった、なぜかつての強さを捨てた!」
「ンなコトは、オレを殺してから言え」
「俺とおまえが組めば、日の本すら超えて世界までも獲れたハズなのに、なぜ止めようとするかッ!」
「おまえとは反りがあわねェよ、考えのな。なぜならオレは……」
サラは左手に握る得物の切先を、信長に向けた。
「オレは神を信じている」
「……なにを言うかと思えば。失望したぞ、梟風。おまえに守るものがなければ、俺など相手にならなかっただろうに」
「守りてェモンがあるから、おまえを敵だと認めたってだけだ」
「俺もこの国を守るために戦うのだ。負けると知りつつ邪魔をするのなら……」
信長も左腰から刀を抜く。その刀身は黒く妖しく輝いた。
「あえて言おうか、梟風。全盛を過ぎたおまえなど敵ではない。風の前の塵に等しいよ」
「負けねェよ」
口笛を吹くと壁の障子が破れ、玉座の間に強い風が吹き荒れる。荒天の外からは太陽の光は差さず、なればこそ倒す術は風を操るしかない。
「オレは、空っぽのおまえを救いたいとも思っている」
「この俺を救うだと? 驕るなよッ、なんの風の吹き回しだ。助けを求めてなどいない!」
「気づいてねェだけだ。信じろよ、オレもおまえもうつけだろ?」
「すぐに黙らせてやる!」
激昂した信長の攻撃から、ふたりの戦いは始まった。勝負になどならないと、どちらもわかっていた。わかっていながらも、負けられない戦いを繰り広げる。
戦いはすぐに激しさを潜め、吹き荒んでいた風が弱くなっていった。それは城内の風を追い風に進んでいたくららたちにも感じた。空っぽで静かな城内だった。違和感にも、すぐに気づく。
「気づいてるか、嬢ちゃん。風がそよ風になってやがる。木の葉を転がすのがやっとなくらいのな」
「そんなの関係ないよ、サラが負けるワケない!」
「信長様が、もし梟風を圧倒するほどのチカラを手にしたのなら……。僕たちでは到底敵いませんよ」
「寝返るのも自由だぜ、蘭坊。見ろ、そよ風はこの階段に向かって吹いている」
絢爛な階段の先は暗い。安土城本丸に訪れたコトのある一益と蘭丸にも、見覚えがなかった。
「城を浮かせられるなら、作り変えるのもワケはないか。蘭坊、どうであれ覚悟は決まったか?」
「一益さん、僕に迷いはありません。たとえ信長様を敵に回そうとも、僕はくららさんを裏――」
「サラッ!」
くららは居ても立っても居られず、階段を駆け昇る。残された一益と蘭丸も顔を見合わせたあと、すぐに階段を駆ける。
「負けないで、負けないでよ、サラッ!」
弱まる風は、背中すら押してくれない。けれど募る焦りがくららの足を止めない。それは、ずっと憎んだ相手がそばにいたとしても。
「サラッ!!」
くららは倒れている血だらけのサラを見て、すぐに駆け寄った。傍らに立つ信長など、眼中に入らなかった。
「サラ、しっかりしてよっ。ねえ!」
「……おう、くららか。よくここまで来られたなァ。あんま見ンなよ、好きで不様な姿ァ晒してンじゃねェからよ」
もう長くないと、ひと目でわかるほどに息も絶え絶えながら、しかしいつもの笑みを崩さない。
「それよりもよォ、不用心すぎンぜ。信長がいるのによ」
サラは震える手で指を差す。その先にいる信長も、血まみれになりながら立っていた。
「小娘。故郷を焼き、師すら斬った俺が憎いか?」
「どうして……、どうしてさあッ!」
怒りと憎しみはどうしようもなく湧くが、くららの身体からチカラが抜け、膝から崩れ落ちる。
「わたしから、すべてを奪うのさ」
「成り行きだよ。極楽だの天国だのがあれば、もう俺に会わなくてもいいのだかな。祈っていろ、そこへ行けるのを」
信長はくららの首を刃を突き立てるも、くららは動けなかった。無力感がなにもさせなかった。溢れんばかりも想いも、憎しみも、すべてが霧消した。後はなるがままに身を委ね、目をつむる。その暗闇の中で、信長が叫んだ。
「梟風、おまえは……!」
くららも目を開け、見たくなかった瀕死のサラに目を向ける。その手には、赤い花が握られていた。
もちろん覚えている。夢で見たものだ。その花は、吸血鬼になるという花――




