第42話 乾く心
山城国・京の町 ──
幽斎と与次のふたりは、いよいよ町中にまで現れた亡霊を斬り倒しながら京を駆け、太閤が滞在する北野の境内、そのとある寺へとたどり着いた。
「太閤殿下、お話しがあります!」
幽斎は見張りを退かし、無理にでも太閤に謁見する。続いて与次も何度も頭を下げながら障子を開けた。
「拙者は思うのです、今こそ開催すべきときだと。各国の大名がこの京に集まっている今でございます!」
太閤は訝しげに首を傾げ、禿げ上がった頭をかいた。
「この騒動の原因は……、お気づきだと思われます。光秀めに討たれ、そして甦った織田信長様その人でございます。報告によると、天空にそびえる城に座し、そこからあの暗き亡霊を召していると」
「んでも、なんでそんな結論になるんや、細川はん。どうして今なんや?」
「拙者は、信長様と戦う者たちから聞きました。今の彼は空虚であると」
太閤は話を聞きながら、静かに目をつむった。
「空虚ならば、その中に注がねばなりませぬ」
「注がねば、ってなにを?」
与次が幽斎の顔を覗くと、幽斎は深呼吸して頷いた。
「かつてあった心を、茶の湯にて」
「心をね……えっ、茶の湯?」
「各々が茶器を持ち寄り、茶の湯をすする。信長様も思わず参加したいと仰るような盛大なものにして、信長様の心を満たすのです」
太閤はニヤリと口角を上げた。嘲笑ではなく、信長との思い出がまぶたの裏に甦ったのもあり、単に面白いと思ったからだ。
「この北野の森にて、大名も町民も身分問わず招き入れ、平和で開かれた茶会を、今こそ!」
太閤は目を開き、天下を獲った男の挑戦的な笑みを浮かべたまま、首を縦に振った。燃え上がるような目と目が合う。意見は一致した。
「始めましょう――北野大茶湯をッ!」
* * *
「ち、茶会!?」
くららは思わず声を上げた。この立派な庭園に湯気が上がった茶の湯の組み合わせはわかる。
ただ驚いたのは、巨大な槍の穂先にウサギを引っ掛けて喜んでいる粗暴な大男――森長可がそう言ったからだ。この男が儚げに咲く花のような蘭丸の兄だと言うのだから、なにもかも意外だ。
「そうでした、兄さんは茶の湯がお好きでしたね。降参した大将格の茶器を収集していたり……、懐かしいなあ」
蘭丸は人懐っこい顔で微笑む。いつの間にか、幽斎の小姓の姿ではなくなって、とんでもない容姿を誇る少年の顔になっていた。
「おう。甦ったらまずしたいコト、それは戦いか茶を飲むコトよ! ほら見ろ、このおかしなウサギを鍋にぶち込んでよ、贅沢しようや!」
「いや、その、言いにくいのですが。実は僕ら、このウサギに用があって。生かして帰してほしいのです」
「生きたウサギに用があるなんざ、もっとおかしいな。んでそこのデコっぱちは? まだ生きてるだろ」
くららはデコっぱち呼ばわりにムッとしながらも、平静を保った。
「わたしはくらら。言えるコトはそれだけ」
「ふうん。それじゃあ、くらら。俺とひとつ取り引きしようじゃねえか」
「取り引き?」
「ああ。このウサギは返すから、その代わりに俺と戦え」
蘭丸は慌ててくららと長可の間に入った。
「兄さん、それはダメです! お願いです、どうか!」
「別に殺すつもりはねえよ。それにこんなトコにいるんだ、この小娘もタダモンじゃねえだろうし、獲物は先に捕まえた俺のモンだ」
長可は自慢げに穂先にかかったウサギを見上げると、なにかもごもご言っているふうに聞こえた。
「急がなきゃ……パーティーに遅れる」
「ウサギが喋っとる……!」
自慢げな視線は一瞬で驚きに変わった。そしてすぐに素に戻った。
「ぱーていがなんのコトかは知らんが、とにかく俺のモンだ。煮るなり焼くなりして食ってやる!」
そのとき、長可は目を見開き、ウサギをジッと見つめた。ほどなくして口角を上げ、またくららのほうを見る。
「さて、どうする?」
「……やろう」
くららは一歩前に出た。
「そうこなくてはなあ!」
長可は回の字机を蹴り上げるときれいに削れ、コの字机になった。槍を片手にくららのそばに寄ってくる。近づくほどに獣性すら感じさせる獰猛な意志を感じる。まるで檻から放たれたトラだ。
蘭丸はゴクリと生唾を飲み込み、叫ぶ。
「くららさんも考え直して! 死んでしまいます!」
「一回死んだヤツに負けない。それにこんなトコで足止めされちゃ、サラに会えないッ!」
「はッ! 言うねえ、気に入った!」
うれしそうにくららの目の前に、様々な刃渡りの刀を数本投げる。抜き身の刃の輝きは、素人目でもわかる業物だ。
「覚悟はいいかい、デコっぱち」
「くららって言ったでしょう?」
長可の視線を外さないまま脇差を掴むと、他の刀は砂に埋もれていった。
「それじゃあ、お手並み拝見!」
長可はウサギをうしろへ放り投げると、槍を構え、くららを突く。しかしくららは恐れない。向かってくる巨大な穂先を踏みつけ、枝刃を蹴り、長可の喉元に得物を振るう。
「おいおい、マジか! やるねえ!」
長可はすぐさま自慢の槍を手放し、両手でくららの刃を握りしめ、攻撃を止めた。宙で止められるなど、声を出さないまでも予想外だった。刀身から鍔を経て柄へ、長可の血がくららの手へかかる。
ガッシリと、まるで巌に刺さったように離さない。反撃に転じられないよう、くららも脇差を手放し、その柄を蹴り上げ距離をとった。
「攻撃から伝わってきたぜ……。おまえ、伊賀の生まれにして、あの梟風の弟子かよ。タダモンじゃねえと思いきゃあ、どうりでその身のこなし、熟達の忍びだな!」
「伊賀の、生まれ……!?」
長可はカッと目を見開き、瞳を輝かせる。その早口にまくし立てる様に、蘭丸には嫌な予感がよぎった。
「梟風ってヤツは、やっぱ強えんだよな? 稲生や村木砦で暴れ回ってたってのを、信長の親分や親父から聞いたからなあ」
「に、兄さん。冷静になって」
「憎しみも伝わってきた。わかるぜ、あの地獄のような伊賀攻めでよく生き残ったモンだ。親分も憎けりゃ、家臣の俺たちも憎かろう」
「くららさん耳を貸さないで、挑発しているッ! 兄さんはただ戦いたいだけだッ!」
くららは脇差をより強く握りしめた。手に付着した長可の血は、柄が吸い、刀身が赤く光る。
「ひとつ教えてやろう、デコっぱち。どういうワケかあのウサギ、間違いねえ。生前に伊賀攻めに参加している。おまえの親や隣人の仇かもしれねえぞ」
あのときに見た炎が頭によぎる。生命、家族、居場所、安寧、暮らし。全てを焼く炎、炎。失われたモノはもう戻らない。そのハズなのに。
「そのハズなのに――なんでおまえらみたいなヤツが甦るんだッ!」
笑う長可が構えた槍に、くららは赫怒に任せ何度も刃を打ちつける。
「人を殺さなきゃ示せないヤツが! 死ぬコトでしか残せないヤツがッ!」
「笑わせるなよ、おまえの振るう剣はなんだ!?」
「わたしだって戦いたくなんかない! 怒りたくなんかない! でも、おまえが、おまえたちがッ!」
「憎いか!?」
「決まってるッ!」
「だろうな!」
直情的なくららの攻撃は、あまりにもまっすぐだった。長可は簡単にくららの得物を単純な腕力で弾き飛ばす。
「憎しみに囚われながら無力感に苛まれるのもつらいだろ? この俺が楽にしてやろうか?」
穂先がくららの喉元に光るが、なおもその眼光に怒りは尽きない。
「梟風も俺たちと変わらねえだろうよ、殺しでしか己を示せないのはな。まあせいぜい祈れよ、極楽があるコトを。俺は行けなかったけどな!」
長可はその丸太のような腕に力を入れる。蘭丸はくららのそばへ走り出した。
「殺さないって言ったハズでは!」
「ウソに決まってんだろ!」
そのときだった。ふたつの銃声が鳴り響くと同時に、長可の槍が地へと落ちた。突然の痛み、今この瞬間に撃たれたに違いない。両の手のひらを見ると、覗けるくらいの小さな穴が空いていた。
「他にもいるのか!? まさか梟風か!?」
「そんなワケがないだろう……。なあ、長可。おまえいっぺん死んだってのに調子に乗りすぎだぜ」
聞いたコトのある声。それの方向へと振り向くと、煙を吐く銃を構えたウサギがいた。その面構えはまさに、百戦錬磨の逸物だった。蘭丸はくららの前に立ちはだかりながら、叫んだ。
「あなたは、やっぱり!」
「よう、蘭坊。滝川一益、ここに見参だぜ」




