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第39話 不思議の国へ



「うおおおッ、急がにゃ急がにゃ! また遅れちまうよ!」



 なんともデカい声でひとり言を叫びながら、二足歩行で疾走するウサギを追うくらら。まだ夢の中のようで、しかし現実だろうがそんなのどうでもいい。



 このウサギを追えばサラに会える。そんな気がするというだけで、くららの足は止まらない。



「ウサギさん、誰に会いに行くの!?」



「翔ぶが如くッ! 翔ぶが如くッ!」



 ウサギは聞く耳を持たず、ひた走る。その間にも、亡霊たちはウサギを無視してくららの前に立ちはだかってくる。



「邪魔をするなあ!」



 勢いそのままに亡霊のアゴに跳び膝蹴りをかます。その衝撃は面頬を貫き、後ろから倒れ込むほどだった。攻撃後の着地の刹那、背後から別の亡霊が刀を振りかざす。



「しまった――」



 しかしその刀を振るうコトはなく、亡霊は霧消した。亡霊が消えた先に半弓を射り、構えそのままに残心している小姓が立っている。



「小姓さん、ありがとうございます!」



「いえ、とんでもない」



 なにやら小姓の雰囲気が変わっていた。姿格好は変わっていないが、どことなく凛として、どことなくあだっぽい。



「それよりも、僕もあなたに着いていきます。あのウサギを追うために」



 急に態度が変わり、くららは戸惑う。



「えっ? あの、言いづらいんですけれど、伝令は……」



「ちょうど筆と紙があったので、それを拝借して。あの子は賢い、きっと帰路を辿ってくれるでしょう」



 小姓はくららが握っている石を見つけると、手を差し出した。くららは無言で渡す。



「あとは狼煙を数ヶ所で起こせば、聡明な幽斎様であれば異変に気づくハズです。それに、僕が誰なのかも……」



 小姓は雨に濡れていない木の葉を集め、石を叩いて火種を散らし、そこに火をつけて煙を起こした。弓の扱いといい、手際が良すぎる。雰囲気どころか、人が変わったかのようだ。



「あなたは……、小姓さん?」



 くららは思わずおかしな質問をした。小姓は微笑む。



「察しがよろしいですね。ええ、僕はこの小姓の身体を借りている幽霊です。生前の名は、蘭丸。森蘭丸(もり らんまる)……、かつて信長様の小姓だった者です」



「信長の……。幽斎さんや与治さん、たくさんの人と関わってきたんだ、信長って。そりゃそうか」



「懐かしい名前ですね。みな、素敵なお方でした。おっと、耽っている場合じゃない。ウサギを追わなければ」



「いいえ、待って。はっきりさせよう」



 くららは蘭丸を睨む。



「ウサギを追えば信長に会えると思っているなら、どうするつもり? 他人の身体を借りておいて信長に味方するつもりなら、ここでお別れだ」



「まさか……。きっと、あなたと同じだ。僕は信長様を止めたいのです」



 蘭丸はまっすぐな眼差しをくららに向ける。



「燃え盛る本能寺で、僕は信長様を守れずに力尽きた。なぜ生命を懸けて守りたかったかなんて、そんなの決まってる。愛していたからです。信長様を、信長様が夢見た世を」



「……ほんとうに止めたいの?」



「お側にいたからわかるのです。さまよえる敗者の魂まで呼んで、破壊だけを繰り返すような人ではない。……変わってしまった。自由を重んじた日の本を作るコトが、信長様の信念だったというのにッ」



「真意は違ったのかも」



 信長により故郷を焼かれたくららは、つい意地悪そうにつぶやく。



「……信長様が変わられていないのなら、僕が真意を汲み取れなかったのでしょう」



 蘭丸は迫ってきた亡霊に、矢尻を躊躇なく突き刺す。離れた場所にいる亡霊には弓で射抜いた。



「だからでしょうか。僕の魂に刻まれた後悔が、あの亡霊たちのように破壊の傀儡にはならんと拒んだ。この後悔は、守れなかったコトか、それとも信長様を理解できなかったコトか……」



「従わなかった魂もあるなら、信長側も完全に一枚岩とはいかないみたいね」



「ええ。それにあのウサギに、どこか懐かしい雰囲気がしました。恐らく、重臣のどなたかがウサギの姿になってしまったのかと。……信じられませんよね」



「ううん、信じられる。夢の中の話だけど、チョウとヘビになってた人がいたから」



「……見かけによらず、あなたは相当な修羅場を潜ってきたようだ」



「蘭丸さんほどでは!」



 くららは蘭丸から矢を素早く抜き取り、蘭丸の背後にいた亡霊を矢尻で突き刺した。



「……ふたりで行きましょう、蘭丸さん。助けてもらったのにいっしょに行けないなんて、ムシが良すぎるし。信じるよ」



「ありがとう、えっと、その……」



「くらら。わたしはサラ――えっと、梟風の下に行くために」



「えっ梟風ですって? あの梟風!? ウソッ、そんなのまさかでしょう? おふたりはどんな関係なのですか!?」



 蘭丸は目を輝かせ、鼻息荒く食い気味に訊くが、くららはわざとらしく咳払いした。



「し、失礼しました……。つい興奮してしまって。梟風の伝説は兄からよく聞かされたもので」



「とにかくっ! わたしはサラと会うため、蘭丸さんは信長を止めるため」



「そして生命を張る。利害は一致しましたね、くららさん」



「うん、じゃあ行こう!」



 ふたりは亡霊たちを退けながら、ウサギの足跡を追う。それは、子供ひとりが通れそうな穴まで続いていた。



「この中に……? 地面の中なんて、空から余計離れちゃうな」



「直感を信じてみましょう。それにこの穴の中なら、亡霊だって追ってはこられないでしょう」



 言われれば身を隠すだけでも、潜ってみる価値はありそうだ。穴の深さも戻れるかもわからないけれど。



「それに僕だって、いきなり幽霊として目覚めて、懐かしい気配を追っていたら安土城が浮いていて、信長様がおかしなコトを……。なにが起こっても、不思議ではありません」



「穴の中から空へ行くコトだってね」



「ええ、きっと」



 蘭丸は微笑んでうなずく。穴の中へ潜るための決意だ。



「では、僕が先に行きます!」



 そして一片の躊躇もなく、安全の確認のため穴の暗闇の中へ吸い込まれていった。



 しばらくしても、返事はない。底はないのか、くららはゴクリと喉を鳴らした。



「穴の中は暗いから火種がいるかな。そもそも無事でいられ……マズい、亡霊だ! ええい、大丈夫! ゼッタイに大丈夫ッ!」



 ぐずぐずしていても、亡霊が追ってくる。意を決して、くららも穴の中へ飛び込んだ。



「ひいいぃぃーっ!」



 叫びながら、暗闇の中をひたすら落ちる。なにも見えない場所を落ち続けるのは、想像以上に恐怖だった。やがて――全身を叩きつけられる衝撃と併せて、ゆっくり沈んでいく感覚。冷たく、目も開けられず、呼吸しようとしても水を飲み込んでしまう。ここは水の中だ。



(上に……! 上にあがらなきゃ!)



 落ち着いてなどいられず、もがけばもがくほど沈んでいく。この水の底だって、どれだけ深いのかすらわからない。ただわかるコトは、この状況が続くとよくない、というコトだけ。



(こんなところで溺れるワケには……!)



 諦めたくない思いが、なにもない水の中へ手を伸ばす。水が掴めないのはわかっているけれど。



「くららさんッ!」



 暗闇の中で蘭丸が呼ぶ声が聞こえ、手を握られる感触が伝わり、身体が上に昇る。



「ぶはぁ!」



 くららは水面から顔を出し、大きく息を吸う。助かったのだ。落ち着いてから辺りを見渡すと、薄暗い。暗くはある。だが落ちてきた場所を見上げると、満月と星々が浮かんでいた。



「大丈夫ですか、くららさん」



「ありがとう、蘭丸さん。やっぱり、ひとりで行くべきじゃなかったや」



「どういたしまして。しかし……、ここはおかしなところです」



 くららは息を整えると、蘭丸と同様におかしなコトに気づく。



「なんで溺れてた水面に立ててるんだろう? もう服も身体も濡れてないし」



「まるで巨大な鏡の上に立っているかのようですね。常識など、通用しないというコトでしょうか。幽霊の僕が言うのもヘンですが」



「こんなヘンなトコに、ホントにウサギが通ったのかな?」



「溺れていなければよいのですが……」



 そんな蘭丸の懸念はすぐに晴れた。大きな大きな声が聞こえ、ふたりは顔を見合わせる。



「うおおおーッ! 遅刻しちまうッ、今度は間に合わなきゃー!」



「げ、元気でなによりでしたね」



 ウサギの声のするほうから、白い光が漏れている。



「行きましょう、あの光を目がけて。果たして鬼が出るか蛇が出るか……、怖くありませんか?」



「もう、そのどちらにも会ったよ。退くなんて選択肢はない! わたしも蘭丸さんになにかあったら助かるから!」



「頼もしいです。さあ、進みましょう!」



 ふたりは光に向かって歩き出す。その先に再会したい人がいると信じて。



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