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第3話 京に巣食う怪物

  山城国・京の町・下京(しもぎょう) ──





 宵闇に包まれた京の町に響く爪音、地獄の巨馬(きょうま)と人の云う。度肝を抜く嘶き、風鳴るような鼻息。鮮血を滲ませたような双眸を引きずり、サラたちの前にやってきた。



「コイツに用があったンだ。くらら、ビビってねェか?」



「怖いに決まってるわよ……。こんなデカい馬、見たコトないし」



 その青毛の体高は1丈(約3メートル)ほど。跨るどころか、誰も寄せつけない威圧感を放っている。



「ククッ。だよなァ、オレも初めて見た。でもよ、くらら。怖気づくなよ〜ッ。臆せば死ぬるぜ!」



「えっ、初めて? なんかこう、似たようなヤツを斬ったコトもないの!?」



「ばかやろうおめェ、あんなヤツがゴロゴロいてたまるか!」



「じゃあなんで戦うのさ〜!」



「風のウワサでこんな化け物がいるって聞けばよ、見てみてェモンだろ?」



「ばかやろうはアンタだーっ!」



 刀を構えるサラを、巨馬は敵と認識した。片方ながら同じ赤い目を持つモノとして、すぐに逃げるニンゲンとはなにか違う。巨馬は威嚇混じりに、挨拶を交わした。



「ウワーッ! 化け物、化け物!」



 それは嵐のような、身の毛がよだつ咆哮だった。あまりの音量ゆえに、町人たちの住む掘立小屋が軋むほどだった。五右衛門はせっかく立ち上がったのに、また腰を抜かす。鼻血は流しっぱなしだ。



「ほう、こりゃ夜にゃ出歩けねェワケだ。町衆の自治じゃ無理があるわな」



「こんなのがいたら一日中出歩けないよ……。家が襲われないのはまだいいけど」



「いいとこに気づいたなァ。あの馬は夜だけ動けンだ。お天道様の下じゃ生きていけねェんだな。それが赤目の、鬼の特徴だぜ」



「信じられないなあ、鬼なんて……」



「信じろよ、少し前に戦ったのによォ」



 サラは怯まず、そよ風の中にいるような涼しい顔をしていた。これは手練れだと認識した巨馬は頭を垂れる。服従の姿勢ではなく、臨戦態勢だ。



 気の散る鼻息も嘶きも止め、目をつむればそこになにもいないのかと錯覚しそうな静寂がその場を支配する。やがて、地鳴りのような足音を鳴らし、頭を突き出して突進してきた。



「しっかりつかまれよ、くらら。跳ぶぞ!」



「堀に飛び込むの!?」



「いいや、アイツを飛び越す!」



「できっこないよーっ!」



「目ェ開けてろよォ、くららァ! こんな景色は中々拝めねェぞ!」



 サラはくららを抱えて両足を同時に地に離し、ぴょんと跳ぶ。それだけの動きで、家の屋根まで飛び越すくらいの高さまで跳ぶとは、くららは夢にも思わなかった。



「すごい……」



 目線を下せば、なびく黒いタテガミ。巨馬は通り過ぎ、刻まれた足跡にサラは着地する。



「できたろ?」



「すごいね、サラって! ねえ、あそこの五重の塔も飛び越せる?」



「もちろん可能。んだけども、飛び越しちゃ仏さんに申し訳ねェや」



 サラは打刀を握りながら首筋を掻いた。



「天罰が下るとか、信じてなさそうなのにい?」



「ウソっぽかったか? おかしいなァ」



 突進の勢いのあまり、洛外へ出た巨馬。振り返り、再び見据える。サラはというと、イヤでも土塀に注目していた。なぜなら、五右衛門が引っついていたからだ。



「なんだおまえ、蝉みてェだなァ」



「どんなもんだい。俺様は抜け忍でね、身体はデカくても身軽なんだぜ。すごいだろ」



「抜け忍かァ。まあ追手に刺されたり盗みがバレて捕まったりしねェうちに、ここで死なないといいな」



「もっと慮ってくれてもいいだろお? 京は怖いところだ、おーいおいおい……」



 サラは泣き出した五右衛門を見て、思わず吹き出した。



「ぶはは、泣ーいた泣いたァ。おい見ろよくらら、オイオイゼミだぜ! 珍しいなァ!」



「意地悪すぎるわ……」



 そんな会話を無視して、巨馬は再び突進してくる。サラはくららを抱えて同じようにかわし、巨馬も通り過ぎるが、すぐに振り向いて口を開けっぱなしにしている。



「嫌な予感……。着地して平気かな?」



「大筒みてェに、なんか飛ばしてきそうだ。でも避けるにしたってよ、空中で動けると思うかい?」



「ど、どうするの?」



 巨馬は着地する瞬間を狙っていた。脅威となりそうな大敵と認め、すぐさま倒そう――と。これ以上は時間をかけられないのだ。なぜならば、夜明けが近いのだから。



「空中じゃ動けないから、ここで仕留める……。アイツはそう思っているハズだ」



「なんか口元が歪んでるよ!」



「安心しな。依然、問題はないッ!」



 巨馬が咆哮を上げた瞬間、サラは再び跳ねた。決して地に足は着けていない。大気を蹴ったのだ。



「信じられない……。地面にいなかったのに、跳べるなんて」



「しかしどう倒すかなァ。あの突進に飛び道具もあるなら、うかつに近づけねェし。ほら見ろよ、この無残な姿」



 サラはくららに、切先の歪んだ打刀を見せた。巨馬の不可視の攻撃、その威力を計ったものだ。



「ちょっぴり当てただけで刀がこうなるんじゃ、オレらの四肢なんざバラバラに弾けちまうなァ。射線上に家もなくてよかったな」



「……ごくり」



 もし当たったらと想像して、くららは喉を鳴らす。



「ねえ、わたしって足手まとい?」



「文字通り、そうだろ」



「だ、だよね……」



「最初から強えェヤツなんざいねェよ。それより言ったろ、臆せば死ぬって。なに思ってンのか知らんが、今は臆病さを飲み込んでどっしり構えてろ」



 想像と人智を超えた世界に、くららは顔を背けるしかできない。そんなくららに、サラは頭をバシバシと叩く。



「面上げな、オレの隣にいるうちは見捨てねェからよ」



「は、離れる気もないから!」



「そうかい。勝手にしな」



 サラは微笑み、前を向くと、いつの間にか巨馬がいない。



「あれェ? しまったな、見失った!」



「外に出ていったみたい」



「あっ、そうかァ」



 空が白けてきた。夜明けは近い。巨馬は陽が差す前に、逃げたのだ。



「また襲ってくる?」



「夜が来るまでは襲ってこねェ。生きてるぶん、まずはヨシ。くらら、なかなか濃い一日だったろ?」



「もうクタクタ……」



「これが毎日だぜェ〜。ワクワクすンだろ」



 くららはあえて答えない。サラは未だ土塀にへばりつく五右衛門に声をかけた。



「おい、コソ泥。もう心配ねェぞ。逃げたらどうだ?」



「ホ、ホントか! ひでぇ目にあった、もう二度と来ねえよこんな町! ぺっ!」



 五右衛門は捨て台詞を放って、一目散に洛外へ出ていった。



「……さて、どっかで泊まるか」



 日が昇り、朝が来た。どこかで鐘が鳴る。市井の人々に新しい一日が始まる。サラたちに残ったのは、これからの懸念だけ。



「泊まるっていうけど、宿屋って朝から泊まれるのかな?」



「任せとけよ。脅したり、必要以上にカネ払ったりすりゃいけるぜ」



「山賊と変わらないじゃん……」



「なら宿がどこにあるか、訊いてくれよ。オレじゃ怖がられるからなァ」



「その赤い目じゃねえ。わかったわ」



 ほどなくして、玄関の筵戸(むしろど)が開く音がした。サラとくららは頷き合って、いざ音鳴るほうへ。恐る恐る、という具合で町人が表に出てきた。



「すみません、差し支えなければ――」



 くららは町人に尋ねると、すぐに引っ込んでしまった。



「うーん。近くであんなのが暴れてたんだもん、まだ怖いよね……」



「くららが怖い顔してたんじゃねェ?」



「アンタに言われたくないわ!」



 言ったそばから、くららはこちらに向かってくる足音を捉えた。その人に訊けば、そう思ったが首を傾げた。足音は、ひとりのものだけじゃない。



「ねえ、いっぱい来るよ。どうしよう?」



「よく聞こえるなァ。まあ、待ってみようぜ。寝床にゃ困らねェかも」



「それってさ……」



 くららに嫌な予感がよぎる。やがて、ぞろぞろと人がやってきた。簡素な鎧を身につけた雑兵だ。



「細川様が仰っておったのは、この男たちじゃな」



「であろうな。おい、わしらに着いてきてもらうぞ」



 雑兵のひとりは縄をチラつかせている。明らかに、歓迎されている雰囲気ではない。



「こ、これからどうなるんだろう……」



 一難去ってまた一難。くららの心労は積もるばかりだった。




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