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第38話 紡いだ縁の先へ



「――ん、つめたっ」



 ぽつんとひとつ、雨粒が頬に落ちてきた。くららは目を醒ます。ずっと長い夢を見ていた気分だ。ひとりぼっちの目の前に広がるのは、高い木々で狭くなった灰色の空だ。



「イヤだな……。あっ、着物が」



 咄嗟に起き上がって地面に目をやると、大きな葉っぱが布団のように敷かれていた。2枚ある。掛けるものと敷くものだ。



「誰が敷いてくれたんだろう……」



 葉っぱをよく見ると、団子の絵の横に手を合わせている餓鬼の顔の絵が描かれてあった。実際のものより、だいぶかわいらしい。



「もしかして餓鬼さんが? 絵描くの上手なんだね、意外だな」



 丸っこい絵柄で寂しさを和らげてくれた。が、あるコトに気づき、思い出す。太陽の位置を鑑みると、今は早朝だ。分厚い雲に隠れてはいるが、太陽が出ているハズ。



「そういえば、吸血鬼は太陽の光で死ぬって……。じゃあ、同じ鬼ならッ!?」



 呼吸が早くなった。辺りを見渡すも、なんの変哲もない山の中だ。だけど、見覚えがある。木の幹に拳大の穴が空いた木――間違いない。ここは逢坂峠。なんの偶然か、サラと出会った場所。



「日が昇るまで紀伊から山城まで運んでくれたら、どれだけの時間が……、ああ、餓鬼さんッ!」



 突風が吹いて、葉が吹き飛んだ。餓鬼が残した唯一のものを放したくなかったから、懸命に追いかける。



「ダメだ、飛んでいかないで……。サラッ! 今どこにいるの!?」



 峠道を上り、木立ちを抜けると、視界が広がった。ここが琵琶湖が一望できる中腹の道なのは知っている。知っているからこそ、言葉を失った。



「なにアレ……、近江の海に、城が浮かんでる」



 想像もつかない出来事だ。本当の海かと見紛うほどの琵琶湖に影が覆い、その上空には巨大な天守が聳え立っている。……いや、浮いている。局所的に降り注ぐ暴風と雷と豪雨の先に、それは浮いている。



 くららは深呼吸して心を落ち着かせると、間違いないと確信した。あそこが大マムシが言っていた信長の居城――そして、近くにサラがいるというコトも。



「今は朝。信長は外には出られないから、あの城にいる! サラもきっと!」



 餓鬼が残した葉は風に乗って、天守に吸い込まれていくように飛んでいった。まるでくららを導くように。



「だけど……、どうやってあそこまで行けば。風よ、わたしを運べ!」



 しかしなにも起きなかった。冷たい風に当たって、くしゃみが出た。



「イヤだよ、あれでお別れなんて……」



 今、抱えている悲しさを吐き出したいが、なにもできない。思わず膝を抱え込んだ。考え込んでもどうしようもないのだけれど。



 涙雨は静かに降る。俯いている傍らで、水溜まりが跳ねた音がした。足音だ。誰かが近づいてくる。殺気をともなって。



「誰だッ!」



 すぐさま立ち上がり、振り向く。そこには異様な見た目のモノが立っていた。まるで影が浮き彫りになったかのような、真っ黒な人が刀を構えている。顔を覆う面頬をつけていて表情はわからないが、殺気を隠せていない。



 コイツは亡霊だ。絶対に信長の仕業だと、くららは直感する。



「わかってる。戦わなきゃ、人生じゃないなんてコト!」



 くららはナマクラ脇差を抜こうとしたが、腰に差してなどいない。どこにもないのだ。それを今、気づくとは。こんなときサラならどうするだろう。



「あなやァ! 不覚ッ!」



 きっと、笑い飛ばす。くららはサラの真似をして、自分を奮い立たせた。亡霊は刀を振りかぶって、縦に振るうが、動きは遅い。くららはそれを余裕でかわした。



「これなら逃げられる!」



 顔がほころぶも、すぐに思い直した。ここから退くにも、道がぬかるんでいて危ない。なによりも、あの浮いている城から遠ざかる。やはり立ち向かうしかない。



「……サラは逃げられるからって笑わないよね。堺であなたが教えてくれた、わたしの目指す戦いかた。今、やるよ」



 覚悟は決まった。くららは亡霊から目を離さず、屈んで小石を拾い上げて手のひらの上で転がす。いざ、実戦のとき。



 亡霊はやはりくららを目がけ、横薙ぎする。亡霊の上背はサラと同じくらいで、屈んでやっと目が合う高さ。それ故に少し屈んだだけでかわせられるも、相手の狙いは次の攻撃だ。



 中腰になって真っ暗な刃を返し、突いてくる。くららの目の前で切先が伸びてくる感覚を覚えるが、臆しない。刃の代わりに足を振り上げ、切先を踏みつけて攻撃を止めた。



「舐めんなよ、わたしだって梟風だッ!」



 すぐさま跳んで、刀を持つ右手に石で殴りつけると、亡霊はうめき声を上げて刀を落とした。その隙を見逃さず、くららは刀を拾い上げて胴を突き刺した。



 血は出ない。斬ったという感触もない。しかし亡霊は膝から崩れ、霧が晴れるように消え去った。真っ暗な刀もだ。



「はあ、はあ……。まだだ」



 勝利の余韻を噛み締める暇もなく、殺気が届く。振り向くと、亡霊たちが琵琶湖からぞろぞろとやってきた。否応にも終わらない戦いを予感させ、心が折れそうになる。



「信長、おまえは……」



 くららは思いを込めて小さくつぶやき、天を仰いだ。視界の片隅に忌々しさを覚える浮かぶ城が見えたので目を閉じる。



 少し考え事をした。呆れるほど続く終わらない戦の果てに、なにがあるのか。サラが言っていたように、戦のない世の中があるのだろうか。そんな世が来るのを信じられるほど、子供ではないのだけれど。



「ううん、やっぱり信じてみようかな」



 くららは首を横に振った。それを言ってくれたサラは、現に勝手に甦って、この国を混乱に陥れようとしている信長を倒そうとしてくれている。それはきっと、戦のない国にするための第一歩になるハズだ。



「どんな綺麗事でも、あなたが言うと勇気がもらえる。だから着いていきたいんだ、誰よりも強くてまぶしい、太陽のようなあなたと」



 故郷を焼いた炎――それをなぜ克服できただろう。決まっている、隣にいるサラがより強い熱を帯びていたから、より強い光を放っていたから。そしてその暖かさが心地よかったから。



「あのとき、ここで出会えた偶然にありがとう。そして、これからも」



 くららは目を開いた。視界に入る城が向かうべき場所。サラがいる場所。亡霊たちなどに心を折られている場合じゃない。



「たどり着くよ、必ずッ!」



 再び気合いを入れ直すと、背後から一定の拍子でこちらに向かってくる音がする。遠くからだが、すぐにわかった。馬のヒヅメの跳ねる音だ。



 やがて小さく見えてきた影は馬の輪郭を形どり、くららの前で止まった。



「くらら殿ですね!」



 小さな馬に乗っていたのは、それに相応の男の子供だった。くららは自分の名を呼ぶその姿に覚えがあった。



「あっ! たしか幽斎さんの!」



「はい、細川様の小姓を務めさせていただいているものです」



 小姓は馬から降りた。



「異変を察知した故、ここを訪れましたが……あの天守はいったい?」



「甦った信長があの中に。ここも危険です、幽斎さんに伝えてください」



「信長が……。どうやら、差し迫った事態のようですね。わたくしにできるコトは?」



「一刻も早い伝達と、その脇差を!」



「くらら様が? そういえば、梟風殿の姿が見えませんが……」



 小姓がくららの視線の先に目をやると、アッと驚いた。ぞろぞろと影のような真っ黒な武士がやってくるではないか。



「わ、わたくしも助太刀します!」



「助かります……と言いたいところなのですが、幽斎さんに伝達を。あの数では多勢に無勢です」



「ですよね! では、くらら殿も逃げましょう!」



「いえ、わたしは道を探します。あの城へたどり着く道を」



「道って……! そんなのどこにもありゃしない、浮いてるんだから!」



「ある。きっとある! あそこにサラがいるんだ!」



「梟風のコトだ、勝手に助かるに決まってる。放っておけばいいじゃないか!」



「わたしだって梟風だ!」



「ワケのわからないコトを言うな! 早く逃げなきゃ、どこにもたどり着けない――」



 言い争いが始まろうとする中、おかしな声が聞こえてきた。



「エッホ、エッホ。急がなきゃ」



 草むらがガサガサと鳴る。小動物が飛び出してきそうな気配だが、声はたしかに男の声だ。やがてそれは、くららたちの目の前を横切った。



「遅刻だ、遅刻っ。また遅れちまう。大事なパーティーに遅れちまう!」



 ゆったりとした外套を羽織った二足歩行の白ウサギが、その手に持った懐中時計をチラチラと見ながら走り去った。その様に、ふたりは顔を見合わせる。



「はえ〜、ウサギも走るし、しゃべるんですね。知らなかったなあ……。いやッ、今は逃げなきゃ!」



「……追わなきゃ」



「えっ?」



「あのウサギを追う!」



「ちょっ、くらら殿!?」



 くららも草むらに飛び込む。ウサギを追えば、あの城へとたどり着きそう。そんなあえかな、ふとよぎった予感を信じて。



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