第37話 魔王、顕現
「――んん。こりゃ、また夢か?」
やわらかな風がサラの頬をくすぐった。ゆっくりと目を醒ますと、広い広い青空が飛び込んだ。白い雲も泳いで、なんともおだやかな景色だ。
「きっと極楽があンなら、こんな景色なのかもな」
ゆっくりと身を起こすと、まるで海かと錯覚しそうな大きな湖があった。いつか見た夢の続きのようで、そばには頼継が声をかけてきそうだ。
風がそよいで波が打ち、その際には砂浜がある。見たコトのある景色、ここは琵琶湖だ。
――だが。アレはなんだ。わかる。わかるが、頭が理解を拒む。やはり、まだ夢の中にいるのか。目の前に見えるのは城だ。琵琶湖の中央に、恐ろしく巨大な天守が聳え立っている。
「あなやァ! なんじゃアありゃ! おとろしいほど奇ッ怪ッ!」
琵琶湖が堀になっているようだ。反りのある高く積まれた石垣、雲よりも白い城壁に、北条の家紋のような三角形が積まれた破風、その最上部の屋根には睨みあうような黄金のシャチホコが鎮座している。屋根瓦が日に当たって、黒と金に鈍く光りつつ。
サラはヒュウ、と短く口笛を吹いた。すると風が吹く。大丈夫、今度は操れる。冷たい風にあたり、頭が冷えた。
「たしか、秘匿を暴いただか言ってたなァ。そンで信長の居城に連れてくだの、なんだの。そういうコトかやァ?」
つまり、あの城に信長がいる。よく見れば、いつか見たような天守だ。少し前に焼失した安土城、まさしくそれだ。あの城も、信長とともに炎の中から甦ったのか。
「人も城も再び甦ったのなら、まとめて送り返すまでだ」
『ほう、それは面白い』
「あンだァ?」
右腰から刀を抜くと、信長の声が聞こえた。小さくつぶやいただけなのに、隣で聞かれていたかのようだ。
「天下の信長がひとりごとを盗み聞きたァ、セコいマネするじゃねェか」
『不愉快だったか、ならば謝ろう』
「正直な。まァ、いいさ。オレとテメェの仲に免じて許してやる」
『ふっ、寛大だな。どれ、感謝の印だ。目にモノを見せてやる』
信長が自信満々に言ったそのとき、地震が起きた。立っていられないほどの激しい揺れだ。大地が揺さぶられているハズなのに、目の前の天守はピクリとも動かない。それどころか、浮いているように見える。
『よし、石垣から分離ッ!』
誰かへの指示か、構って欲しいだけか、高らかに叫ぶと、なんと城から凄まじい勢いの炎を吹いて、建物部分が石垣から切り離され、雲を貫き、宙に浮いた。炎が止まってもなお、浮き続けている。これにはさすがのサラも、面食らった。
『片腕を失くしながらも、俺の妻と義父上さえも退けて、よくここまでたどり着いたな。ようこそ、梟風。これが我が常夜城、真・安土城だ!』
「ジョウヤジョー、ジェノ、アヅ……えっ、何の何の何!?」
『……やれやれ、粗野なおまえには理解はできんか。俺の崇高な命名は』
なぜか残念そうにため息をついた後、言葉を続ける。
『だが、自ずと理解できるだろう。この真・安土城の恐ろしさを』
宙に浮いた天守の床面から、三角錐のトゲのようなものが飛び出した。その先端に陽炎がゆらめく。イヤな予感がしてならない。
「テメェ、近江の海にも人がいンのは知ってるだろうがッ!」
『おまえのようなニンゲンから諌められる日が来るとはな。俺は信長だ、王となる者だ。力を誇示してなにが悪い?』
「王を名乗りながら無駄に生命を消耗するたァな。堕ちたな、テメェもッ!」
陽炎の中に、小さな小さな火の玉が浮かびあがった。こんな見た目でも、威力は未知数だ。落ちる前に、止めなくては。
『ああ、たしかにこの湖で働く者が大勢いるだろう。畔もタダでは済むまい。……おまえも力で止めてみせろ。これは俺からの宣戦布告だ、おまえへのな。故にこそ、簡単に喚いてくれるな。正論など弱者の泣き言でしかないよ』
「そうだったな。息巻いて野望を止めるとかほざいた手前、オレがやらなくちゃなァ!」
サラは足に風を集め、真・安土城へ跳躍すると、一瞬で三角錐の先端に着き、刀を横に振るう。
「飛んでけよォ、花舞い太刀ッ!」
不自然なほどの暴風が吹き荒れ、火の玉はわずかに見える水平線の彼方へ飛んでいき、水柱が高く跳ね上がった。遅れて爆発音が鳴る。
『心置きなく風を吹かせられると言いたげだな、梟風。あの小娘は枷でしかなかったのではないか?』
サラは風のチカラで浮遊する。
「なに言ってンだ、くららはオレの右腕だ。くららがいねェぶん、手合割でしかねェ」
『あくまで不利だと言いたいのか。なぜそこまで庇い立てるのか理解に苦しむが、妻も義父上も最期に念を押した手前、警戒するに越したコトはないがね』
信長は続けて微笑む。
『……などと言いつつ、既に次が放たれたぞ?』
「なにッ」
城の真下にある切り離した石垣が爆発し、次いで水柱、そして大波が四方八方に散る。
「あなやァ! 不覚ッ!」
琵琶湖にも人が住んでる島がある。戦でもないのに、こんな不条理に巻き込むワケにはいかない。サラは刀にチカラを込める。
「真下にゃ守る町も、くららも、今はなにも抑える必要もねェ。見てろよ信長、このオレの全力をッ! 千早振るッ!」
満面の笑みで刀を振るうと、炸裂した湖面を包むように竜巻が発生し、大波を凍らせた。逃げ場のなくなった衝撃は小さな地震となるが、被害は間違いなく軽減したハズだ。
『石垣を千々に砕き、千波万波を凍てつかせるか。これこそいつか見た、荒れ狂う梟風よ。これほどのチカラがあれば、振るいたいものだろう』
「イヤだねェ、オレが全力を出しゃ、その度に地図を描き変えるハメになるからなァ。後世に申し訳ねェや」
『謙虚なコトだ』
「それにあんな風を吹かせりゃ、こうなる」
晴れ渡っていた空に灰色の雲がかかり、小雨が降り、雷まで鳴り始めた。
「天の気分――天気まで変えられちまう。神サマの領分に踏み入れちゃいけねェだろう?」
『ふん、心にもないコトを』
「そうでもあるがなァ!」
上空と湖面からふたつの竜巻が発生し、真・安土城を巻き込む。捻れて交差する風の奔流は、さながら二柱の龍が互いを噛み合い、傷つけあっているようだ。
『これは……、想定以上の損傷だ。俺はおまえが羨ましいぞ、梟風ッ!』
「そりゃ光栄だ。とっとと落ちろよ、こんな城」
『真・安土城は、こんなモノでは!』
突然、天守が暴力的なまでの回転を始めた。竜巻の内側から風を発生させ、かき消すようだ。その結果は、目論見通りだった。自らも痛みを伴ったが。
『お、おまえが、羨ましいぞ、梟風。おえっ』
「酔ってンじゃねェか、ダセェな」
『人の身でありながら、天候を変化させるほどの神風を吹かせられるなど。そのチカラがあれば、文字通り天下を制せたというのに! なぜしなかった!』
「ご生憎サマだが、オレァ無欲なンでね。テメェこそ泣き言ほざいてねェで、もう一度考えてみろ。なぜ天下布武を唱えたのかを」
『そんなもの……、今も変わらない。想いはなにも。あらゆる異教から、この日の本を守り抜くためだッ!』
屋根の一対のシャチホコは口を開け、黒い円球を吐き出した。それは琵琶湖の畔にも落ち、遠くへ遠くへと飛んでいくのもある。近くに落ちたのを確認すると、円球から真っ黒な人間が現れた。その手にはこれも真っ黒な刀を携え、どこかへと歩き出した。
とっくに意図は理解した。あれは人を見境なく襲う亡霊だ。守るどころか、滅ぼそうとしているのではないか。
「弱者を切り捨てようとして、なにが守るだ。白々しい」
『選定だよ。亡霊達はまだ弱い、段階を上げて強くするつもりだ。競い合い、生き延び、己を高める。切磋琢磨……。そうしてこの国は強くなれる。人の強さがあればこそ、神仏などいらぬ』
「……神サマは信じたコトなんざねェが、祈れない生きかたなんて空っぽに等しい」
『どういう意味だ? それは本音か?』
サラはあえて答えを言わず、黙った。
『なればこそ、俺に祈り、跪けばよい。迎え入れよう、鬼のチカラという武の極致を授けてやる』
サラの目の前にある巨大な門が、重々しく開いた。
『俺は第六天魔王にして鬼の王、織田上総介信長。この門を潜る者よ、俺を討ち滅ぼさんとする者よ、一切の希望を捨てよ。信ずるは己のみぞ』
「……己のみ? オレァ、ひとりで戦ってきたワケじゃねェ」
伏魔殿の扉は開かれた。サラは直感する。これから、最後の戦いが始まると。
『与えられるか? 俺に、永遠の死を』
「舐めンなよ、こちとら梟風だッ!」
サラは前へと進む。討ち滅ぼすべき敵を、この手で仕留めるために。




