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第36話 花に嵐



 くららがたどり着いた、夢のように大きく広がる花畑があったのは、よもや大蛇の腹の中。そこに霧が充満し、銃声が鳴る。なにが起こるかわからない、おかしな空間だ。



 それでもくららは進む。夢から醒めるため、黒いチョウを追うために。そしてサラと再会するために。



「進むぞ、進むぞ。立ち止まるな、止まったら、もう方向がわからなくなるッ」



 くららは自分に言い聞かせ、霧の中を走る。息を切らしながら、花を踏みつけながら。黒いチョウの軌跡は、金色に輝く鱗粉が教えてくれる。



「待ってて、サラ!」




* * *




「――ん!? 寝てたか……?」



 機を伺っていたサラは、思いきり頭を振った。待っていた間、記憶がない。ゆっくり立ち上がると、あるコトに気づいた。抱えていたくららがいなくなっている。



「くらら? おい、どこいった!?」



 濃霧の中、周りを見渡してもわかるワケがなかった。異様な空間の中、焦りが募る。



「クソッ、間が悪りィな。寝起きが入れ替わるたァよ!」



 なぜ寝たのかと自分に苛立ち、霧で見えない赤い花を蹴飛ばし、花弁を散らす。風も呼べない中で、この場をどう切り抜けるか必死に思考を巡らせていると、霧の中から聞き馴染みのある声がした。



「サラ――」



 それは待ちに待った声だった。



「……おまえ、どこ行ってやがった、早くこっち来い!」



「うん!」



 霧の中から、くららが現れた。まさに出会えるのは奇跡と呼んでもいい。



「よかった、会えて!」



「オレァ、初めて神仏を信じたぜ」



「うん、わたしも!」



 くららは笑顔で同意した後、慌てる。



「そ、それよりもねサラ! 私の後を追ってくるヤツがいるのよ、敵だよ!」



「逃げてきたワケか。よし、オレのうしろに隠れてろ」



 サラは落としていた抜き身の刀を構え、くららが走ってきた軌跡を見つめる。言った通り、霧の中から人影が浮かび上がった。




* * *




「この先にサラがいるハズ!」



 くららは直感を信じて走る。再会できる、そのときは近い。なぜなら、人が立っている影が見えたからだ。その背格好はサラのもので間違いない。



「よかった……、よかった!」



 くららの呼吸は、足は早くなる。たとえ少しの間でも、ずっと離れていた感覚だった。早く会いたい、その気持ちはくららを前のめりにした。




* * *




「サラ、敵が来る!」



「おまえの言うとおりだな」



 背後にいるくららの言うとおり、勢いを増している。まだ姿は影だけで、よく見えない。



「こんなよくわからんトコにいてイラついてンだ、ぶった斬ってやるッ!」



 大声を出しつつも、警戒を怠らない。霧の向こうから、どんな攻撃をするのかもわからないからだ。影が近づくにつれ――そんな演技は必要ないのだけれど。



「オラァ!」



 刀を振りかぶり、そして振り下ろした。霧の中の影は短い悲鳴を上げ、よろめく。



「どうだ、これは効いたろ」



 影は苦しげにゆっくり、ゆっくりと向かってきて、姿を見せた。それはあり得ないハズの人だった。



「サラ……、どう、して」



 くららだ。サラが斬りつけたのはくららだった。絞り出すようにくららはつぶやいて、そして倒れた。



「これは……くらら!?」



 サラの背後にいたくららが、甲高い声で高笑いした。



「まんまと罠に引っかかってくれて助かったわ」



 くららの姿が、まばたきするうちに別人へと変化していた。長身に長い黒髪をなびかせた、フジの花があしらわれた雅やかな着物を着た美しい女だ。



「どういうコトだッ!?」



「なんのコトはない、この帰蝶(きちょう)が夢を見せていただけじゃ。もっとも、この小娘の死は現実にしてやるがの」



 帰蝶が指を弾くと、黒いチョウの群れが四方八方に舞い、霧を晴らした。



「しかしまあ、悪名高き梟風たるおまえが、こんな小娘ひとり斬ったところでなんの心も痛まんじゃろうに」



「……信長を追わなきゃ、こんなトコへは来なかった」



「すべてを失い、失意の果てにたどり着いた場所がこことは因果なものじゃ。どれ、これも定めじゃ。おまえも吸血鬼になるがよい。隻腕なれど、鬼神の如き武勇を誇ったおまえが味方につけば、殿様の国盗りは必ず成就する」



「ああ、そうだな。なにもかも、もうどうでもよくなった。どうすれば吸血鬼になれンだ?」



「花弁を潰して出た液体を飲めばよい」



「そうか……」



 サラは屈み、赤い花をひとつ摘んで潰すと、たしかにドロドロの琥珀色の液体が流れた。踏んでいるときは流れなかったけれど。



「よいぞ、心構えはできておるようじゃな。さあ、お飲み。そして我が同胞となろうではないか」



「くらら、すまねェ。オレのせいで。くららは短い生涯を終えるってのに、オレは鬼として永遠に生きるンだ。皮肉だぜ……うおおぉぉ、くららーッ!」



 らしくない慟哭をキメるサラ。



「ぶふっ!」



 可笑しくてたまらず、横たわっていたくららは吹き出し、笑い転げた。これには帰蝶も戸惑いを隠せない。



「ちょっとサラ、やめてよ、なにそれ! あー、お腹いたい!」



「おいおい、演技も鍛えなきゃなァ、くらら」



 サラはいつものように不敵に笑みを浮かべ、くららの元へ寄る。



「よく生きてたな。さすがのオレも、神仏を信じたくなったぜ」



「ふふっ、ウソだね」



「ああ、そうだ。おまえの実力だよ。強くなって帰ってきたな」



「当然だよ。わたしはサラの右腕だもん!」



 くららの満面の笑みとは打って変わって、帰蝶の顔は引きつっていた。



「なぜじゃ……、私の変化術をハナから見破っておったのか?」



「あたりめェだろ、ヘタクソ。オレがアンタのコトを、いつくららって言った? なんで右腕にオレの隣を預けなかったと思う?」



 くららはニヤニヤ笑いが抑えられない。



「どこがッ、どこが違った!? 姿形、完璧に似せたというのに!」



「あえて言うなら……。歩幅、受け答え、ニオイ、その他諸々。そりゃ気づく」



「えっ? ねえ、待ってよ」



 くららが思わず横槍を入れる。



「ニオイ? ニオイってなに? わたしってくさいの、ねえ!?」



「まあともかく、オレを騙すにゃ千年早いってワケだ。わかったかい、奥方様」



「無視しないでー!」



「やかましいな!」



 ふたりは揉めながらも立ち上がり、悔しがる帰蝶への警戒を怠らない。



「んで、くらら。次はどうする?」



「黒いチョウ……、つまりこの人を倒せば夢から出られるって餓鬼さんが言ってた」



「ガキ? まあ、なんでもいいか。話が早くて助かるッ」



 片腕で刀を構えるサラに対し、帰蝶は鼻で笑った。



「もう勝った気でおるのか? おまえたちの目の前にいるのは、巨大な龍だというのに」



「なに言ってやがる」



「その身で暴れるコトを、なにとぞお赦しください、父上ッ!」



 帰蝶は指を弾くと、全身が黒いチョウの群れとなり、輝く鱗粉を撒きながら密集した。やがて黒と金の輝きを放つと、視界を埋め尽くすほどの巨大な白い龍が現れた。



「私は水と風を操る龍神ぞ。どうじゃ、梟風よ。恐ろしいか?」



「夢ってなァ、そういうコトかい? こりゃ、わくわくするぜ。龍と戦うのは初めてだからなァ。どれ、手合わせ願おうかッ!」



「減らず口め……っ!?」



「なんだァ?」



 目の前の龍が苦しみ、その姿はすぐにチョウの群れと化し、散り散りに飛んでいった。その同時にこれまた苦しんでいる老人の声が聞こえてきた。



『き、帰蝶よ……』



「父上ッ、なにが!?」



『餓鬼じゃ。餓鬼が体内に入り込んで……』



 場所は違えど、ふたりはその声を聞いていた。



「オレにケンカ売ってきた声じゃねェか」



「わたしも知ってる。大マムシの声だ」



「マムシ?」



「ここってね、大マムシの腹の中なの」



「……もうワケがわからねェな」



 理解ができず、立ち向かえず、こんなにも無力感を覚えるのは久々だった。それでも誇らしくなるのは、くららのおかげだろう。老人の声は響く。



『わしらの負けじゃ。わかるだろう?』



「父上ッ、恐ろしきは、げに恐ろしきはッ!」



『うむ……信長殿に報告しよう』



 サラは置いてけぼりになっていた。



『梟風、おまえは秘匿を暴いたのだ! 帰蝶が封じていた信長殿の居城を!』



「いやオレはなにもしてねェけど」



『ここからが真の戦いぞッ。この日の本の行く末を決定づける戦い、見られずに再び死ぬとはな。ああ、口惜しや』



「損な役目を引き受けて、義理の息子に従うその根性。見上げたモンだよ、道三(どうさん)。奥方様もな」



『梟風、わしの正体を……』



「まあ草葉の陰で見てろ、そして悔しがれ。オレたちは必ず勝って示してみせる。この国に鬼は必要ねェってな」



『ならばせめて、悪あがきしよう。わしらは直感した。真の脅威はそこの小娘、とな』



 キョトンとしたくらら。その隣でサラの身体が浮かび上がる。



『梟風、喜べ。おまえだけを招待してやる。目が醒めた先は信長殿の居城ぞ』



「いやだからオレはなにも」



『あの小娘を右腕だと言ったろうが! もう一度、その腕を切り離してやろうと言うのだ!』



「なんつう理屈だよ!」



 サラほ抗えず、宙に浮き続ける。向かう場所はおそらく、これまでの旅路とは比べ物にならないほどの伏魔殿だろう。



「だがまァ、話が早い。くららァ、また離れるコトになるがよ……、オレのコトなんざ放っておけ」



 突然、風が吹いた。赤い花が散る。




「な、なんでそんなコト言うの!?」



「あとはオレひとりで仔細ねェ。悪い夢から醒めたら、自分の居場所を探せ」



「わたしの場所はサラの隣だけだよ! 危険なんて何度も乗り越えた!」



「もう、追うな」



「イヤだよッ! ねえ、サラーッ!」



 サラは跡形もなく消えた。くららも突然、眠気に襲われる。その閉じた眼からは、一筋の涙がこぼれた。





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