第35話 空腹を満たすもの
「ったく、いかんともしがたいこの状況、風さえ吹かせれば……」
相変わらず霧に囲まれた花畑にしゃがみ込み、身動きのとれないサラ。未だ鉄砲の銃声は途切れない。こんなにもうるさいのに、くららも起きない。
「情けねェぜ。梟風の名は風ありきとはな。だが絶対に切り抜けてやる、このおかしな状況からなァ」
ガラにもなく弱音をひとりごつサラ。改めて気を引き締め、虎視眈々と脱出の機会を探るも、突然、花畑が揺れた。
「なんだッ、地震か!?」
両足に力を入れて踏ん張るも、揺れるどころの騒ぎではなかった。空がひっくり返ったのだ。
「どわーっ!? 落ちるーっ!?」
情けなく声を上げながら、成す術もなく空へと落ちていくが、なぜか着地したようだ。それも、身体でだが。肩を強打したが、花畑が緩衝したのもあって眠っているくららを庇えた。
「なんなんだかなァ。まァ、もう少しの辛抱か? 好きじゃねェ言葉だが、期待してみるか。果報は寝て待てってなァ」
サラはドカリとあぐらをかいて、笑う。かすかに顔を撫でた風を感じながら。
* * *
一方、夢の中にいるくららも自信にみなぎる表情をしていた。仲良くなった餓鬼たちとともに、山脈のようなマムシをやっつけるのだ。
きっとこれは、いい夢だ。
「許さんぞ、餓鬼の分際で……。巻きついて、締めて締めて、永遠の責苦を味あわせてやるわ!」
横たわりながら、川のように長い舌をチロチロと出す大マムシ。それを無視しながら、餓鬼はくららに目を向ける。
「お嬢さん、よーく聞いておくれ」
「なに?」
「黒いチョウを追うんじゃよ」
「黒いチョウ?」
「夢から醒めるには、チョウをつぶすんじゃ。なあに、わしらがしっかりと補助するからのー。安心してよいよ」
「……うん、わかった。信じるよ」
くららは頷いて、大マムシから目を離さず、しかし黒いチョウも探す。
「ええい、よくもペラペラと。裏切り者も、信長殿を脅かそうとする者も、みな殺してやるわ!」
大マムシは巨体に似合わない素早さで上体を起こし、くららたちを見下す。長い長い舌を引っ込めたと思えば、えずいて、開いた口から大瀑布とでもいうような量の液体を吐き出した。黄色く濁っている。
「ありゃ油じゃのー。親分は油の川を引こうとするんかのー」
「これじゃ逃げようがないよ! 頼重さん、どうしよう!?」
しかし頼重の答えはなかった。焦りが増す中、餓鬼は呑気さすら覚える、いつもの間延びした口調だ。
「お嬢さん、ちょいと失礼するでのー」
乾きに乾いた地獄に油が流れ込み、怒涛の如く迫り来る。餓鬼はくららを肩車し、その餓鬼を別の餓鬼が肩車する。まるでハシゴのように連なって、見事油は回避できた。が、
「ごぼぼぼ……。案の定、これじゃ溺れてしまうのー」
「うわわっ、揺れるーっ!?」
油の川は柳に風が荒ぶように、ぐわりぐわりと不安定な餓鬼ハシゴを揺らす。今にも倒れそうで、くららは気が気でない。
「溺れるか、そうか。裏切り者を苦しめる責苦が、そんな生ぬるいワケがなかろう?」
大マムシは巨体を身震いさせ、顔を振った。すると突然、油の川が炎上した。高速で無数のウロコを飛ばし、摩擦で着火させたのだ。
「餓鬼は餓鬼らしく、炎の中で苦しむのがお似合いよ!」
「また炎……! みんなッ!」
下を覗くと、土台になってくれている餓鬼たちが炎に包まれ、いくつもの細い腕を伸ばしている。助けを求めているような仕草、まさに地獄絵図だ。今までよく見ていた、燃え盛り、全てを焼き尽くす悪夢。くららは思わず目を背けた。しかし餓鬼たちは、くららの足を離しはしない。
「お嬢さん、心配せんでもよいよ。餓鬼は焼かれるのが仕事のようなモンじゃからのー」
「そんなコト言わないでよ……。熱いでしょ、苦しいでしょ!?」
「もちろんそうじゃがのー。耐えられるんじゃよ。お嬢さんから団子をいただいたのを思い出せばのー」
「でも!」
「おーい、もっと伸ばすんじゃ。お嬢さんを業火で焼かせんためにのー」
餓鬼ハシゴはさらに伸びた。焼け爛れたとしても、土台は決して崩れない。
「わしはお嬢さんのおかげで満たされたんじゃ。あんなうまい団子は二度と忘れられでのー。その思い出があれば、わしは耐えられるよ」
「満たされた……」
「そうじゃ。空っぽの腹も、心ものー」
そのひとことで、くららは目を開いた。すると、目の前になにかが通りすぎた。チョウだ。地獄に似つかぬ黒いチョウがはためいている。
「下らんッ! 餓鬼ごときが、なにを感傷に浸っておるか!」
大マムシはさらに油を吐く瞬間、黒いチョウが口の中に入っていった。
「餓鬼さん! あれ!」
「行くべき場所は示されたようじゃのー」
くららが目指す場所は黒いチョウの行先、大マムシの口の中だ。機は油を吐こうとしているこの一瞬、それに賭ける。
「下のわしらが親分の口に向けて順々に投げていくからのー、覚悟はよいかのー?」
「うん、いいよ!」
くららがそう言ってすぐに、浮遊感を覚えた。下の餓鬼ひとりひとりが大マムシに向かって、連なっている餓鬼の両足ごと投げている。
投げるたび、分解する餓鬼ハシゴ。大マムシの口元に近づいてはいるが、あまりの巨体のせいで思った以上に遠かった。なんとか時間を稼ぎつつ、注意を逸らそうと、ひとりの餓鬼が挑発した。
「親分、鬼が感傷的になるのはいけないコトかのー?」
「餓鬼は餓鬼らしく、ただ苦しんでおればよい!」
「そんなだから、ニンゲンだった頃にご子息に裏切られるのではないのかのー?」
「ほざくかッ!」
「もともとは比丘だったではありませぬかのー。親分、こんな夢はもう醒めるべきじゃ。閻魔様ごっこも、終いじゃ」
「生意気な口を叩くなッ、焼かれたくなければ、わしの指示だけを聞いていればよい! そう、信長殿の名が、いずれ再び天下に轟く日まで――」
「焼かれるのは、怖くはないがのー。恐れるべきは親分じゃ。ほら、行くんじゃ、お嬢さん!」
「ありがとう、行ってくるね!」
挑発の甲斐あって、くららは気づかれずに大マムシへと肉薄した。連なってくららの足首を掴んでいた餓鬼の最後のひとりが、力いっぱいくららを遠投する。
「なに、どこじゃ!?」
大筒で発射されたかのような勢いで地獄の空気を切り裂き、大マムシの開いた口に見事入った。
「異物が……、噛み砕いてくれるわ!」
大マムシは口を閉めるも、ヘビには歯がない。くららは躊躇なく黒いチョウを追い、喉を通って体内へと入っていった。
「むぐっ、そうであった。なぜニンゲンの頃を……。待て、体内に入るな! そこまでして死にたいか!」
必死に脅す大マムシ。しかしくららの足は止まらなかった。
「さてと、わしらも続くかのー」
「えっ? なにを……は、離れろッ」
燃え盛る餓鬼たちは、大マムシの身体をよじ登り始めた。
「おのれ! やめろッ、やめろーッ!」
「うわあ、すごい声……」
大マムシの声が響く体内を、くららは進む。不思議なコトに、生物の体内とは思えないほどに歩きやすい。なにせ、木の床になっているからだ。長い廊下を進んでいる気分になる。違和感は、今に始まったコトではないけれど。
「にしても……、チョウはどこに向かって飛んでるんだろう。まさかお花畑があるワケでもないしね、ヘビのお腹の中にね」
もちろん、冗談のつもりで口を突いて出たひとりごとだったが、突然として目の前に広がった空間は、異質なものだった。夜空がある。薄く霧がかかっている。そして足下には、一面に赤い花畑がある。
「ウソ……?」
不可思議で幻想的な空間に、黒いチョウは金色に輝く鱗粉を撒きちらしながら、優雅にはためいていた。まっすぐ、まっすぐ、なにかを目指すように。
「いた! 餓鬼さんが言ってたみたいに、あれをつぶせば!」
くららはチョウの後を追うが、足を止めた。霧が濃くなり、なにやら遠くから銃声のような音が聞こえるからだ。なにが起きてもおかしくないこの空間。それでもくららは逡巡した後、直感する。サラは、この先にいると。
「わたしはサラの右腕……。役に立たなきゃ!」
口ではこうは言っても、真意は違った。進むための理由、それは一秒でも長く、サラのそばにいたいがため――ただ、それだけ。




