第34話 焼ける舌を癒して
もしも地獄に落ちるのならば、そこでも争いはあるのか。困る人がいて、威張る人がいるのだろうか。……きっと、あるのだろう。どうせ現世と変わらない。
だからせめて、困っている人にはやさしくしたい。たとえ餓鬼にだって。それも余裕があれば、のハナシ。
「そこの茶屋に厠があるんかのー?」
「だからさ……。黙って見ててよ」
排泄物しか食べられない餓鬼たちの腹を満たすため、茶屋に向かうくらら。だが団子を渡すでも、用を足すワケじゃない。まずは、施餓鬼を施すためだ。
そのためには、卒塔婆を立てるコトが必要だ。ここは地獄。木など生えてはいないが、茶屋には木材がある。
「こう、するの!」
「あわわっ、よ、よいよ。そんなに壊さんでも、壊さんでもよいよ」
くららは机の足を分解して、地面に突き刺す。これには餓鬼も慌てた。
「いいの、どうせ夢の中だから」
相変わらず無限に生成される団子の串を抜いて、何度も木の板に突き刺し、チョウの模様を描いた。文字は書けない。好きなムシだからだ。
「お母ちゃんが言ってた。イモムシから育った蝶々は、地面から離れて自由になれる……。みんなも、自由になれたらいいのにね」
小さな穴で描かれたチョウの模様に、両手を合わせて祈りを捧げた。これで施餓鬼は施した。あとは、その効能があるといいのだけれど。
「さあみんな、お団子お食べ」
くららが差し出した皿の上の団子を不安そうに見つめる餓鬼。口に入れれば炎になるのを恐れ、どうしても食指が動かないのだ。
「い、いただきますでのー」
しかし自分たちなんかのために、卒塔婆を立ててくれた少女の想いを無碍にはできないと、餓鬼のひとりが痩せ細った指を伸ばして串をつかみ、ひと粒。
団子を食べているとは思えない、恐怖に染まりきった顔は次第に、らしい笑顔へと変化した。
「お、おいしい……のう」
「よかったあ!」
くららの顔がほころぶ。他の餓鬼たちはこの世の者とは思えない顔を見合わせ、団子を食べるも悲鳴を上げた。
「あがッ、熱い! 熱いのぉーうッ!」
「ええっ!?」
今度は、くららが団子を食べられた餓鬼と顔を見合わせた。
「も、もしかして……」
「人数分、立てなきゃいけないかのー?」
「やっぱり……。じゃあ、あと4人分ね! やってやるわよ!」
くららはもう慣れた手つきで卒塔婆を人数分立てた。代わりに机はなくなったけれど、この不毛な地獄に載せるものなんてない。
「ああ、うまいのー。うまいのー」
「糞尿よりも、ずっとうまいのー」
餓鬼たちは感動して茶を流し込み、団子を貪る。湯呑みも皿も串も、すべて食べんといわんばかりの勢いだ。その様、まあ汚らしいが、笑顔は餓鬼も人も変わらない。
腹が満たされる喜びは、くららもよくわかる。だから、心からよかったと思った。
「ここの地獄はにぎわっておるのー?」
茶屋の外から餓鬼の声がした。振り向くと土が盛り上がって、そこから餓鬼が雨後のタケノコのようにボコボコと出てきた。また仕事が増えると、くららは直感した。
「そりゃ団子かのー? 食べても炎にならないとは、どうなっとるんかのー」
「かくかくしかじかでのー」
「なんと。施餓鬼を施してもらって食えるようになったんかのー」
後から来た餓鬼の視線がチラリとくららに向く。当然、くららはやる気だ。幸い大きめの店構えで、卒塔婆となる長イスと机はまだあるし、なにせ不思議畳から団子が途切れない。
「ちょっと待っててよね……」
「こんな醜いわしらのためにすまんのー、急がなくともよいよ」
地獄に住まう鬼のわりには、ずいぶんと慮ってくれるのがおかしく、くららは微笑んだ。増えた人数分の卒塔婆を立て終わる頃には、イスと机はなくなった。空っぽの店内にあるのは不思議畳。
「おいしいのー、おいしいのー」
それと、餓鬼の笑顔が溢れるだけ。
「お嬢さん、ほんとうにありがとうのー。こんなに楽しい食事は初めてでのー」
「うん、よかったね」
「まるで仏様じゃのー。地獄に仏じゃ。ありがたやー、ありがたやー」
「やめてよ、そんなんじゃないよ。ホントの神様に訊いたのをやっただけで……。ねっ、頼重さん」
『……ぐすっ』
助言を授けてくれる、天からの声。それがなぜか、鼻をすすっていた。明らかに泣いている。
「よ、頼重さん?」
『いつも殺伐とした光景と人間関係しか見ていなかったもので、このような心温まる交流を……。しかも地獄の餓鬼相手に。私、感動いたしました。ぐすんっ』
「ええ……?」
くららは困惑した。大人の男が泣いているのを初めて見たからだ。姿が見えないので聞いた、ではあるが。
「いつもサラを見ていれば、それはそうだよね。短い間でも、すぐにいざこざを起こして――」
くららも団子に手を伸ばして食べようとする。しかしそれを諌める声が。
「お嬢さん、食べちゃいかんよ!」
「えっ、なんで?」
「ここの食べ物を食べると、わしらと同じようになってしまうでのー」
「ウソでしょ!? それはダメ、ダメ!」
「そりゃのー、かわいらしい顔が台無しじゃからのー。わしらと合わせなくとも、よいよ」
「わたしには、やるべきコトが……」
くららはおびただしい数の卒塔婆を立てて、なぜここにいるのかを忘れてしまった。
「あれ?」
『この夢から脱出するためですよ……。ぐすん』
「そ、そうだ。サラと早く会わなきゃ。どうすればいいんだろう?」
「わしらが案内しようかのー」
大量に発生した餓鬼たちが、互いに幸せそうな顔を見合わせ頷いている。
「恩人に恩返ししたいからのー。信じてもらってよいよ」
「じゃあ、お願いね」
「うむ。出発しようかのー」
餓鬼たちは、まさに長蛇の列を作り、その真ん中にくららを挟む形で移動を始めた。赤い空に岩と地面しか見えない、不毛の地。気を紛らせられなければ、気分が滅入る。
「それで、どれくらい歩くのかな?」
「遠いか近いかでいえば、どちらとも言えんのー」
「どういうコト?」
「向こうから近づいてくるときもあるからのー。いや、これは必ず来るのー。でも、心配しなくてもよいよ。わしらがおるからのー」
「そう聞くと、余計に心配になるんだけど……。なにが来るの?」
「大蛇じゃよ。とんでもなく大きな大きなマムシでのー」
「ど、どれくらい?」
尋ねた途端、地面が震える。なにもない大地が、恐怖で震えるように。
「ウワサをすれば、なんとやらよのー」
餓鬼たちの列の先に、うごめくものがあった。山脈が動いているかと思った。山が動くワケがないのに。ましてや目も口もあるワケがないのに。
「おい、餓鬼ども……。なにをしとんじゃ。ぞろぞろ揃って行楽か?」
しかも、当然のように言葉を発する。
「そりゃいい考えですのー、親分。団子を持っていけば、きっと気分はよいよ」
「阿呆がッ。なんなんじゃ、そこの小娘は。餓鬼どもめ、なにをすべきか自覚しているのか」
遠くにいるというのに、しっかりと見えているようだ。くららはドキリとした。
「なんのために、夢の中でおまえらを飼っていると思っておる。信長様の敵を捕らえて殺すためじゃろうが!」
「敵? ならば、安心してよいよ。敵はどこにもおりませんからのー。わしらの恩人と親分しか見当たりませぬ」
「絆されおってッ。所詮、餓鬼は餓鬼か。痴れ者どもに変わって、わしが直々に潰してやろう!」
大マムシはくららたちに覆い被さるように、地獄の空をその身体で塗りつぶす。そして、それが落ちてきた。
「空が……落ちてくる!?」
逃げるコトもできず、くららは目をつむった。しかし、なんともない。恐る恐る目を開けると、列になった餓鬼たちが大マムシを支えていた。
「そりゃあ、杞憂というヤツじゃのー。お嬢さん、安心してよいよ」
「おまえら、なんのマネじゃあ!」
「鬼らしく反旗を翻させてもらおうかのー。もっとも、親分には苦い思い出かもしれんがのー」
「おまえら、なにを――」
餓鬼たちは力を合わせ、大マムシをひっくり返す。その衝撃は、さながら地震のようだ。
「こんな世の中でも、こんなわしらにも、親切にしてくれてありがとうのー。共に戦おうかの、お嬢さん」
「うん! こちらこそありがとう!」
奇妙な夢に、奇妙な友情。荒涼とした地獄の光景にいるくららの心に、爽やかな風が吹いた。




