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第32話 迷霧に誘われて



「――んん……」



 とろけそうなほど気怠く、天にも昇りそうなほど心地よい眠りからサラを出迎えたのは、満月輝く狭い夜空だった。背の高い鬱蒼とした木々が、視界を埋めている。



 横たわったまま、まばたきを繰り返し、やっとの思いで上体を起こす。そしてようやく気づいた。眠っていたそこが、追い求めていた赤い花の群生地というコトに。



「なんだッ、真っ赤だッ!?」



 完全に目が醒めた。慌てて立ち上がると、地面いっぱいに赤い花が広がっている。まだ夢の中かと見紛うほどの、美しい景色だ。



 だが呑気なコトは言っていられない。これが全て吸血鬼と化する花だとすると、背筋が凍る思いだった。敵地ながら、丸腰で寝ていたというのか。



「くらら! くららはッ!?」



 早く見つけて起こしてやらないと、なにが起こるかわからない。花をかき分けようとすると、すぐ足元で眠っていた。ホッとしつつ片腕で抱え、名前を呼びかけるも、起きる気配はない。



「くららァ、困るぜ起きてくれなきゃよ。おまえを抱いたままじゃ武器は握れねェ」



 トントンと背中を叩くも、まだ夢の中。何気なく顔を覗いてみると、それはそれは、今までの人生で見たコトのないほどの、おだやかな表情で眠っていた。



 寝ている場合ではなくても、どうしても起こすのを躊躇してしまう。



「と思いつつ……、起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ!」



 自ら屈伸して揺さぶるも、起きない。お手上げだった。



「それほど居心地のいい夢ェ見てンだろうなァ。ああ、わかるよ。わかるが……。目覚めたら吸血鬼になってたってなァ、やめろよな」



 そもそも、どうやってこの赤い花で吸血鬼になるのかさえわからないが、しかしきっと、そんなコトはないと願いながら、サラは起こすのを諦めた。



「さてはて、そもそもここはなんなんだ。深い穴を潜り抜けた先に、夜空が見える森ン中に花園。どっかの山の麓か? さんざん生きてきたのに、こんなトコを通り過ぎるたァな」



 久しぶりに会話相手がいなくて、自然とひとり言が大きくなる。それは置いておいて、誰もそれを聞いてはいない。人はおろか、花弁に虫すら集らない。



 ならば、『風のウワサ』を聞こうと耳を傾けると、気づいた。風を、呼び起こせない。



「なにが起こるかわからねェが、備えておくか。なにもできねェなりに、せめて心構えだけはな」



 持っているチカラが使えない。それに気づくと突然、霧が立ちこめた。みるみるうちに視界を支配する。できるコトは、心を決めるだけ。ただ、それだけだ。



「取れる手段は封じられているが……、風ありきの梟風と思うなよ」



 明確に存在するであろう敵に向かってつぶやいた。そして深呼吸する。謎の霧を吸い込んでも、身体になにも影響はない。そうとわかると、サラは走り出した。



『――死ねえ、梟風ッ!』



 ただひとつ鮮明に届く、聞き飽きた言葉。その方向から、刀を構えた人影がこちらへ向かって、斬りかかる。反射的にかわすも、その声は四方八方から響いてきた。



『ふぇっ、ふえっ。恐ろしかろう』


 ずっと身をかわし、怨嗟が満ちる中、老人の声が違うコトを言っている。そいつが黒幕だろうか。


『梟風とやら。お主が見て、そして聞いているものは、お主が殺めた人の魂じゃ』



「へえ」



 淡白な返事をするので精いっぱいだ。



『どんな気分かのう? 過去に追い詰められるというのは』



「ぼちぼちだな」



 仇討ちの霊は刀をひと振りするだけで消えるが、いかんせん数が多い。半透明の霊の攻撃だからといって、斬られても平気なのかわからないが、とにかくかわすだけだ。



 回避に専念しようが、限界がある。切先が右肩をかすめた。その瞬間、見たコトのない光景が脳裏に疾駆する。恐らく、この男の人生だ。小さな子どもを抱えたのちに刀を握り始め、戦場を駆け、最期には血のような瞳に睨まれ、そして斬られた。



「見覚えのねェ記憶なワケだ。戦場でのオレの顔はこんなだったか」



 他人の、ましてや斬った相手の記憶を覗いただけなのに、怒りが沸々と沸いてくる。感情が伝播しているのか。



『反撃できんのも辛抱ならんじゃろう? お主に殺された恨みが、いつまで続くかのう』



 もし刀を握れるのなら、風を呼び起こせたら、すぐに突破できる。もどかしい気分だ。しかしなにもできない。避けられず刺されるたびに、知らない記憶が入ってくる。当然最期は、自分に斬られて終わる。



 (いや)な気分だ。この憎しみはどこにぶつければいい。傷ひとつつかない攻撃はしかし、確実に追い詰められてくる。



『いい気分じゃ。そうじゃ、夢の中に眠っている小娘も斬りつけてやるがよい。梟風に斬られるという悪夢を植えつけてやるのじゃ!』



「やめろッ!」



『慌てたな? 小娘が梟風の弱点というワケじゃな? よし、斬れーいッ!』



 不思議なコトが起きた。霊たちの攻撃はゆっくりとなり、やがて完全に手を止めた。濃い霧でかろうじて見えるふたつの瞳は、なにかを訴えている。



『なぜじゃ? 魂たちよ、なぜ攻撃を止める?』



「どうした? オレを斬れよ。斬って自分の仇をとるンじゃねェのか?」



 サラも思わず挑発混じりに尋ねる。



「言いてェコトがあンなら、とっとと言いやがれよ。怨嗟の言葉は紡げたのによォ」



『――ない』



 霊は寒さでかじかむように、とても重そうに口を開いた。



『今の梟風を、斬れない』



「どういう心変わりだ?」



『右腕がない。女童を抱えている。拙者には、斬れぬ』



「おいおい……」



 サラは思わず顔を下げた。得物すら握れず、くららを守るのに専念しかできない自分を見逃すというのか。もう一度斬られるコトもないというのに。



「復讐の、またとない機会だぜ?」



『いや……、よい』



「おいおいおい、まいったなァ」



 今度は眉間にシワを寄せ、なにも見えない天を仰いだ。斬られた恨みを作ったのが自分自身であれば、恨みから解放したのも自分自身か。



 皮肉な話だ。抵抗する手段がないからこそ、攻撃を止められるとは。



「まあ情けねェよ。オレはオレが恨めしくなってくる。アンタらは、空っぽのオレに斬られたから恨んだワケか。なにも守るモンのねェ、オレだから」



 霧の中にずらりと並んでいる霊たちは、なにも答えない。



「だがオレが悪かったとは言わねェ。向かってきたアンタらが悪かったとも言わねェし、時代が悪かった……のかな。ともあれ縁だ。成り行きだよ、すべて。残酷だがな」



 霊たちは真っ直ぐサラを見つめる。サラもだ。霧の向こうにいるであろう、視えない霊にも言い聞かせる。



「人生なにを残せるかなんて、誰にもわからねェ。成り行きについてくる結果だけだ。善悪を抜けば、それしかない。だからこそ懸命に生きたその記憶、その魂。オレが死ぬまで持っていく」



 空っぽの自分ができる、それがせめてもの償いだろう。だが所詮、人殺しの勝手な言いぶんだ。わかっている。わかっているが、詭弁と思われても思いを伝えるしかない。くららを斬られないためには。



『どうした? なにをしておる、なにを満足しているのじゃ?』



 老人の声がこだまする。疑問に思っている、というよりも不満を露わにしているようだ。



『おまえらは、そんな戯言で恨みがなくなるのかッ!? 呆れたわい、せっかく未練がましい魂を集めたというのに!』



「てめェは黙ってろッ! 都合よく死人を利用してンじゃねェ!」



『ひぃ!』



 サラは天に向かって怒鳴ると、老人の声は怖がり、黙り込んだ。その隙に、再び霊に視線を向ける。



「アンタらの中にゃ、大義を持つ者もいただろう。小さな幸福を願った者もいただろう。……オレに着いてこい。そしてそばで祈っていてくれ。アンタらの描いた理想へ近づけるように」



『……梟風は、なにを残せる?』



 霊のひとりが訊くと、サラは寂しげに笑う。



「こちとら梟風だぜ。風が残せるモンなんざ、ありゃしねェ。目の前に塞がる信長(てき)を吹き飛ばすしか能がねェのさ。その後は……、言ったろ? 成り行きだ」



『思ったとおり、不遜な男だ。ああ、いいだろう。梟風、おまえの行く末を見つめてやる』



「ああ。死んだらまた会おうぜ」



 霊たちは目をつむると、跡形もなく消え去った。心なしか、霧も少しだけ晴れた気がする。



「さて、次はなにを仕掛けてくるンだ?」



 老人の声を挑発する。たとえ手を塞がれ、風が来なくとも、不可思議な場所、不可思議な霧の中でも迷わない。成すべきコトを自覚していればこそ。




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