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第31話 愛する人へ



「――おい、くらら。起きろ」



「うーん……」



 遠くから聞こえるサラの声。乱雑に身体を揺すられ、くららは目を覚ます。目の前に広がる空間は、縁を赤く塗られた長イスと長机が並んでいる。自分もイスの上で寝ていた。



「お客さんの座るイスだぜ?」



「あれ? 花畑は……」



「花畑だァ? なーに言ってンだ。野掛けに行くヒマはねェぞ、そろそろ時間だ」



「時間?」



「おいおい、店開きに決まってンだろ。そんなボケッとしてよ、ヘンだぜ? 休むか?」



「店を……、開く!?」



 いつか見たような店の内装、そして店開きという言葉。ハッと目を見開き、くららは飛び起きた。



「じゃあ、ここって茶屋で、わたしはその……」



「店主で看板娘、だろ?」



「そ、そうなんだね……」



 記憶の前後がなく戸惑うも、次第に笑顔が浮かんだ。たぶん夢だけれど、夢を見るときは、いつだって悪夢だった。それも、サラと茶屋を開いてるだなんて、願いそのものだ。



「他人事だなァ。もうお客さん……っつっても常連ばっかだけど、休むか?」



「ううん、平気っ。開けよ! 待たせちゃ悪いもんね」



「だよなァ。それでこそ、オレの知ってるくららだぜ」



 サラはニヤリと笑うと、ガラガラと戸が開いた。



「もう待ちきれへんわ。はよお茶とおはぎを食べさせてや、デコちゃん!」



「よ、与治さん!?」



「長谷川殿、あまり急かさないほうがよいですぞ」



「幽斎さん……」



 以前、世話になった細川幽斎と長谷川与治が当たり前のように席についた。ふたりとも、立派な武将だ。仕事があるハズだけれど。



「あのっ、不躾ですけど、お仕事は?」



「仕事ォ? ああ、心配あらへんよ。だいぶ楽になったモンや。なんたって戦がないからな!」



「いい世の中になったものですな。生命を懸けないでよいというのは」



「戦が……ない?」



 自分で言った言葉を噛み締め、サラのほうを見た。



「信長をぶっ倒したら、そうなったンじゃねェか。オレたち、よく生きてたよな」



「でも、片腕……」



「安いモンだ、この日々と引き換えたったらな。そうだろ?」



「うん。……うん」



 サラは残った腕で、くららの頭をなでる。戦った記憶はないけれど、つまりこの手で願った平和をつかみ取ったというコトなのか。暖かな手から確かに伝わる熱が、うれしさを込み上げる。



「なんだよ、ニヤニヤして。早ェトコ茶ァ出さねェと、与治が文句垂れちまう」



「ノロケ話で腹いっぱいになりそうや。ごちそうさん」



「ああ、そうかい。それじゃカネ置いて出てけ」



「いや辛辣やな!? 冗談やて!」



 もちろん、サラも冗談で言っている。それをわかった上で、幽斎が手を叩いて笑った。



「心地よい空間ですな。拙者、いくらでも待っていられますぞ」



「あなや、細川殿を待たせちゃ悪りィ。くらら、調理場に行こうぜ」



「うん!」



「なんか細川はんとボクとで、えらい違うなあ。扱いが……」



 正直、茶の淹れ方なんてよくわからないけど、きっとなんとかなるだろうと暖簾のかかった調理場へ行こうとすると、また戸が開いた。聞こえるハズのない、懐かしい声とともに。



「くらら、来たよ」



「がんばっているみたいね」



「えっ……!?」



 くららは思わず足を止め、入店したふたりのほうを見た。間違いなかった。ずっと会いたかった人だった。



「お父ちゃん、お母ちゃん」



 自然と、涙と笑みがこぼれていた。母から「がんばっている」と、誰よりもかけて欲しい言葉だった。愛しい人と店を開いて、やさしい常連客がいて、もうなにも望むものはなかった。力が抜けて、膝をついた。



「くららッ」



 サラの心配をよそに、くららは力なく笑った。



「えへ、えへへ。わたし、こんなに幸せでいいのかな……?」



 ずっとなにかを憎んでいたハズだった。ずっとなにかと戦ってきたハズだった。だからこそ思う。



「好きな人たちに囲まれて……、こんなに、こんなに幸せでッ」



 薄々勘づいてはいる。これが現実ではないというコトに。ありえない世界にいる。でも、まだこの『理想(ゆめ)』を見ていたい。夢を見るときは、ずっと悪夢だったから。



「うれしいなあ、みんなに会えて……」



 つらい使命はあるけれど、もしも目が覚めたら後悔が募るのだろうか。できるなら、できるコトなら、この世界にずっといたい。心底、心の底から思う。





――それは、サラも同じだった。





「あーあ。またこんな夢か」



 他人より若く、そして長く生きているサラには、見飽きたような夢だった。諏訪湖のほとりで歳のとった頼重と横たわるだけ。ただそれだけの夢。



「サラ、久しぶりだね」



 横を向くと、頼重と目が合った。目元にも口まわりにもシワがある。



「おう、頼重。ずいぶん老けたじゃねェか」



「おまえも同じだよ。ほら、水鏡で見てみなさい」



 サラは言われるがままに、四つん這いの姿勢で湖を覗き込んだ。たしかに老けている。ギラついた嫌いな赤い目も、おだやかな暖かさをたたえている。



「なるほど、『理想(ゆめ)』だな」



「でも、やるべきコトがあるだろう? 寝ている場合じゃない」



 サラは眉間のシワをさらに寄せ、首を傾げた。



「アンタに諭されるのも、オレの理想か?」



「いや、おまえの夢に干渉しているだけだよ。なんたって私は――」



「さすが神サマってか」



「そういうコト」



「どうなってンだよ、おっかねェな」



「おや? 昔に比べて、ひねくれてしまったな。素直でかわいらしいおまえはどこへ行ったのやら」



「アンタの理想(ゆめ)の中にいるよ」



「まったく、久々に会えたと思ったら……。サラ、どうして諏訪を抜けたんだ?」



「ひとことで済ませられる。主がいなくなったからってな。おっと、武田に仕える気もなかったぜ。たとえ武田勝頼(アンタの孫)が当主になろうともな」



 サラは頼重を見つめたまま、ゆっくりと立ち上がる。



「それに……知ってンだろ? 今オレは、孫の仇をとろうとしている。信長だよ。意図せず、巡り巡った縁だな」



「あの少女との出会いもね」



「ああ、くららか。そうだな、縁だ」



「まさかおまえが、子どもを拾うなんてね。梟風としてのおまえをずっと見ていたぶん、感慨深いものがあるよ」



「あーあー。もういい。家を捨てたのをチクチク言うつもりだろ」



「邪推しすぎだよ。ただただ、そう思っただけさ」



「どうだかな」



 サラは再び水鏡を覗いた。今度は若返っているし、右腕もない。血走るような赤目も見慣れた姿だ。



「行くかい?」



「ああ。夢だかなんだか知らんが、頼重。短けェ間でもアンタに会えてうれしかったよ」



「その言葉を聞きたかったよ」



 頼重はサラに手を振った。



「サラ。信長とやらも、必ずや討伐できるハズだよ」



「ったく、『かるま』を仕留められなかったオレに言うかねェ。どうせ見てたろう? そのせいで苦しンでたのによ」



「苦しい? 今もか? ではよく聞きなさい、呪いと祝福をその身に宿すものよ。おまえは、空虚(うつけ)などではない」



「その心は?」



「なぜなら……、私はおまえを愛しているからだ。今までも、これからもな」



「……ふんっ」



 サラは頼重から顔をそらし、鼻で笑う。水鏡の自分は、恥ずかしげに、しかし満面の笑みを浮かべていた。



「そんなの、知ってたさ。だから生きてこられた。愛されてたってだけで、それだけでじゅうぶんだ」



「んん? なんだって?」



「二度と言うか。どうせ聞こえてたろ」



「ふっ、当たりが強いな。では使命を言い渡すぞ、サラ。諏訪の神風はおまえと共にある。吹き飛ばしてやれ、暗い野望をなッ!」



「頼重様、承知いたしましたッ! ……なーんてなっ!」



 サラは湖畔に映る自らの影へ向かって一歩踏み出すと、音としぶきを立てて、水底に吸い込まれていく。冷たさはない。むしろ温かい。



 水面へと浮かぶ泡は、これまでの記憶を映し出している。そのどれもが、血に塗れた孤独を映していた。それでも、生きられた。頼重に愛されていたから。それだけで勇気が湧いた。



「……くららに教えてやらなきゃなァ。呪いも祝福も、全て」



 通り過ぎた泡の中に、過去ではない、存在しない記憶が通り過ぎて弾けた。なんとなく、すでに理解している。未来だ。



「これもアンタの神通力(チカラ)か? 頼重。つまらねェな、先を見せるなんてよ」



 弾けた景色を目に焼きつけ、そして口角を上げた。



「まァ、悪くねェ」



 来たるべき未来に期待を膨らませ、サラは目の前に広がる光に吸い込まれた。




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