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第30話 いい夢を



「――サラにも、仕えていた人がいたときがあったんだね」



「意外だったか?」



「意外なのは、丁寧な言葉遣いだったってコトかな」



「いやそこかよ」



 長い素掘りの隧道は、まだ先が見えない。だが、どこへ通じているのかはわかる。あの赤い花を栽培している土地だ。



 あのときのような、真っ暗な旅路ではない。くららがいるからだ。孤独ではない。おかげで過去に向き合える。



「それでだ、戦があった。オレの武士生活の終わりの戦だ――」




 * * *




 天文11年(西暦1542年)、信濃国の統一を目論む武田軍が諏訪に侵攻、これを迎え撃つ戦が始まった。後の世にいう、桑原城(くわばらじょう)の戦いである。



「思ったとおりの大軍だな。悔しいが、やはり我々とは規模が違う」



「想定していたくらいです。ひとりで5人落とせば、迎撃も不可能ではありますまい」



「兵が全員おまえのような強者であればな。ひとりが強くとも、それだけではいけない」



「頼重様……」



 あまりの規模の違いに、山城である上原城にて、武田の軍勢が迫るのを見ているしかない。出陣する命令もなく、サラは歯がゆい思いをしていた。



 そこに、新たな悪い情報も入る。間者が青ざめた顔でやってきた。もう、見慣れたものだった。



「頼重様ッ! 高遠がッ、高遠の旗が武田軍と横並びになっておりますぞ!」



「なにっ!? 頼継が裏切ったのか!」



 高遠氏は、同じ諏訪氏の分家だった。しかし分家であるコトを不満に思い反旗を翻した。当主、高遠頼継(たかとおよりつぐ)は宗家に座する頼重が妬ましかったのだ。



「あのタヌキめ、武田に唆されたかッ! 裏切ろうとも、諏訪の神がその身に宿るコトはないというのにッ!」



「そうか、そうか……」



 頼重は目頭を押さえ、重い口を開く。



「ここはもう、持たんだろう。増援も期待できない。桑原城へ退こう。サラ、しんがりを頼めるか」



「承知いたしました」



「その返事の速さ、頼もしいな。……死ぬなよ。必ず生きろ。おまえには、まだまだ頼りたいのだから」



「ありがたきお言葉。共に、いきましょう」



「よし、行こう」



 少しでも敵の行手を阻むため、本拠だった上原城に火をつけた。あっという間に高く上る炎、先祖が重ねたものが、全て灰になった。仕方ない、生命には変えられないのだから。



 桑原城は、上原城よりも高い山に位置している。頼重は馬に跨り狭隘な山路を必死に登るも、敵は黙って見てはいない。背後から矢の雨が降り注ぐ。



「頼重様、オレがひとりで足止めします。あれくらい、有象無象に過ぎませぬ」



「おまえは……。深追いするなよ、サラ。必ず追いついてこい、死ぬなよ」



「承知いたしました」



 サラは5間(約9メートル)もある長槍を持ち、その身ひとつで立ち塞がった。狭い道だ、人ひとりだって障害物となる。



「さあ、甲斐の虎よッ。その爪牙にてオレを殺してみろッ!」



 ましてや、死すら厭わない兵だ。武田の兵もたじろぐも、一斉に襲いかかるが、人智を超えるほどの長さの槍を手足のように振り回せば、生半には近づけない。



「聞こえるか、高遠の暗愚よ! この瞳が赤く輝く限り、おまえを逃さんッ!」



 赤い瞳を持つこの兵に、疲れる気配は見えなかった。想定外の消耗を避けるため、武田と高遠両軍は一時撤退した。その奮闘ぶりは後の武田四天王がひとり、馬場信春をしてサラを『諏訪の赤鬼』と称した。



「――おお、戻ったか」



「頼重様も、ご無事で」



 なんとか合流、再会できた。夕暮れ時の桑原城は、人気が少ない。なにやら清々しい表情の頼重にも引っかかる。



「他の者は……?」



「ああ。私が逃したよ」



「なッ、ではッ!?」



「降伏する。……いや、もうした。諏訪の民が虐げられているのは、見ていられない」



 城門の前に立ち、開けた眼下を見下すと、夕日を受けて輝く諏訪湖のほとりの家々から、黒い煙が上がっている。



「私が守らなければならないというのに、この体たらくではな。諏訪大明神の名が泣く。……責務は、果たさねば」



 やはりそうだ。頼重は敗北を覚悟している。神を宿す頼重の言葉に、サラは我慢の限界だった。



「……ちゃんちゃらおかしい。なにが神だ。アンタは、ただの人間だろうッ!」



「サラ……」



「たとえ神であろうとも、神が人を守るのが仕事なら誰が神を守るッ!? もうオレしかいないだろう! 頼れよ、オレをッ!」



「……もう、決まったコトだ。民も生命も諏訪の神事も、私の生命まで保証すると言っていた。これでいいんだよ、これしか道はない」



「ヘタクソなウソをつくなァ! オレを戦わせろ、頼重ッ!」



「ダメだ、降伏を反故にするワケにはいかない」



「わからず屋め、オレは行くッ! 死ぬまで戦ってやるッ!」



「まったく、おまえは……」



 頼重は回り込み、指先にチカラを込めてサラの額を突いた。それだけなのに、サラは膝から崩れ動けなくなった。



「私の神通力はおまえにしか効かない。……おまえの呪いは、本物なのだな」



「よ、頼重……。オレは、アンタを守りたいだけなんだ。鬼の目のオレをふつうの人間として扱ったのは、アンタしかいなかったから」



「私もだ。人として私を見た者は、おまえしかいなかった。ほんとうにうれしかったよ、さっきの言葉は」



「動かす気がないなら、せめて殺してくれ。オレは……見たくない。アンタがいない世界なんて」



「おまえはそこまで、私を慕ってくれていたのだな。ありがとう」



 頼重はサラの頭をなでてから屈み、そのきらめく瞳をまっすぐ見つめた。



「涙目になったら、より美しいじゃないか。鬼の瞳ではないよ、人間だ。こんなにきれいなのだから」



「見るな、見るな……。泣いてなんか。だからなんなんだ」



「最期かもしれないだろう?」



 突然、抗えないほどの眠気がサラを襲う。頼重の神通力だ。



「頼む、行かないでくれッ」



「諏訪で過ごしたおまえとの日々は幸せだったよ。おやすみ、サラ」



「頼重――」



 遠くなる意識も、こぼれた涙も、地面に吸い込まれた。――サラが目を覚ましたのは、諏訪湖のほとりの集落だった。月日はひと月流れていた。まるで時が止まったように身体に変化はなかったが、最大の変化こそサラが覚悟していたコトだった。



 頼重が死んだ。甲府にて晴信が自刃を命じたのだ。茫然自失としていたところに、家臣から手紙を渡された。頼重自身がしたためた消息だ。震える手で本紙を読む。



『サラへ。これを読んでいるというコトは、私はこの世にいないのだろう。さて、単刀直入に要件を記す。これから産まれてくるであろう、晴信殿の子を支えてほしい』



「……なに?」



 手紙にはまだまだ書いてある。しかしこの時点で頭が理解を拒んだ。吐き気を堪えつつ、また読む。



『晴信殿はどうやら私の娘を側室に迎え、子を宿し、その子が諏訪大社を継ぐ考えのようだ。私の血が流れているのだぞ。どうだ、放ってはおけないだろう』



「なんだ……、これは」



 サラは正気が保てそうになかった。文面は至って冷静だ。だが字はどうだ、まったくヘタクソだ。震えていて、いつもの美麗な字などではない。最後の文など――



『これからの諏訪を、頼んだ』



 とても、力強い字だ。これしか言いたくなかったのだろう。もしくは、頼重は自身の心酔ぶりを見越したサラを慮ったのか。生きがいを作るために。しかしサラには頼重のいない土地になど、どうでもいい。



 神は――恩人は死んだ。いくら血が繋がっていようと、所詮は他人だ。頼重だけだったのに。頼重こそ生命、頼重こそ運命。それだけの人生だった。なにも守れなかった自らの生に意味などない。



「あの(うみ)に入水か……。いや、せめて望みは、仇討ちのみか」



 ふらつく足で小さな家屋から出て、定まらない焦点で空を見つめる。小さな鳥が飛んでいた。いつもと変わらない空だった。



「あの人が死んでも、なにも変わらないものか。世の中というのは」



 サラは舌打ちして、ふらふらと歩き出した。暗い目的を果たすために――




 * * *




「――それで、どこに行ったの?」



 暗い隧道の中で、くららはサラに尋ねる。



「甲府まで仇討ちに行こうとしたが、叶わなかった。峠道で落っこちて、川に流されてよ。よく生きてたモンだ」



「へえ……。じゃあ、その先で梟風になったんだね」



「そういうこったな。……おっ?」



 歩き続けていると、あえかな光が差し込んだ。隧道の出口だ。



「またの機会に話してやるよ。備えろッ」



 長かった隧道を出ると、目の前に広がっていたのは、一面に広がる赤い花畑だった。



「ついに、見つけた、ぞ」



「サラ、なんだか眠い……」



 一歩前に踏み出すと、眠気が襲ってくる。なす術もなく、ふたりは倒れ込んだ。木々が風に吹かれて騒めいた。




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