第27話 吸血鬼、佐久間信盛
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7年前、京にて――
「――なんだ、この書状は」
佐久間信盛は愕然とした。小姓の震える手から渡されたそれには、主君が書き連ねた、とんでもなく長い文が書き連ねてあった。後の世では俗に言う、佐久間折檻状である。
ざっと眺めると、右から左へ視線を移すにつれ、字がどんどん小さくなっているではないか。おびただしいほどの叱責のハズだが、もしやこれでも書ききれていないのだろうか。
肝が冷えた。腹の中が氷室にぶち込まれた気分だった。読む勇気はとうにない。
「これは、わしへの恨みつらみか。恐ろしいッ。わしは見とうない。音読してくれぬか」
小姓も一暼して、言葉を失くした。何度も確認して、読む許可を得、震える声で恐ろしい書状を読み出す。
「わしは……わしは。信長様ッ」
読み終わる頃には、淹れたての茶がぬるくなった。流れる涙が、脂汗が、あらゆる体液が畳を濡らした。
様々な角度からの叱責には、身に覚えしかない。ひとことで言い表すなら、自らの怠慢でしかないのだから。すべてが過ぎた話のコトだが、頭の中に未来は消えた。できるコトなど、ただひとつ。それは書状に書かれてある。
「戦場にて討死か、剃髪か。……うむ。懺悔じゃ。書かれてあるとおり、息子の信栄とともに高野山へ向かう」
今や乱世の頂点と言って過言ではない織田家の宿老という地位を捨て、頭を丸め、息子とともに高野山へと赴いた。信長にひと目会うコトもなく。
高野山の生活はというものの、時折かつて部下だった武士が尋ねてきて茶を楽しんだりと、おだやかな時間が流れた。居心地がよかった。
そんなある日に、権力、立場、戦から離れて、ようやく気づいたコトがあった。
「……わしは、武士というものに向いてはいなかったようじゃ」
思えば思うほど、そうだ。屈指の難しさと云われる撤退戦。殿の指揮を務めるには最も大きな度胸が必要とはいわれるが、そんなコトはない。受け身なのがやりやすいだけだ。むしろ、攻めるほうが度胸がいる。
「ここでの生活も、信長様のお気遣いだったのかのう。今となっては、確かめる術もないが」
恥を忍んで会いに行けばいいが、あの書状を思い出すと、勇気が出ない。やはり受け身だと苦笑いをして、いつものように床へついた。
それはある冬の、満月の夜だった。信盛は妙な胸騒ぎを覚え、外に出た。するとそこには、かつての主君がいた。ドッと汗が流れ出た。
「の、信長様ッ!」
「よい。面を上げよ」
反射的に平伏する。どんな叱責も受ける覚悟だったがしかし、頭上からの低い声は、とてもやさしかった。
「あの書状を真に受けるとはな。俺としても意外だったぞ」
「えっ!? な、なにを仰いますか。あのようなコトを書かれてしまえばッ」
「俺は半分、発破をかけたつもりだったのだがな。おまえのコトだ、面と向かって言い返すものだと思っていた。もう半分は、本気の叱責ではあるが」
「……信長様、お戯れが過ぎます」
「うつけものになにを言うか」
信長は微笑み、黒い目と目を合わせる。
「なあ、信盛。反省はもうよい。どうだ、俺の元へ戻らないか?」
「私めを、もう一度配下に加えてくださるので?」
「無論、足軽からだ。下積みだ、下積み。歳のコトなど考えんぞ」
信盛はうつむき、微笑んだ。その声を聞いているだけで、救われる思いだった。償いを含め、信長の役に立ちたいのは間違いないが、天下一への軍団に、今の自分にできるコトなど、なにもないたろう。
「……ありがとうございます。そのお気持ちだけで、私めは満足でございます」
「おや。さては、退き佐久間とあろうおまえが、俺の役に立てないとでも思っているな?」
「一益殿がおられるではありませぬか。『進むも退くも滝川』と称される彼がおられるのですから、私など」
「くくッ。そうだな、おまえは受け身だ。とことん受け身だ」
「お恥ずかしながら……。私めは、今の生活に満足しているのです。孤独な月と自らを重ねるこの生きかたが」
「詩人だな。……では、言いかたを変えよう。信盛、おまえの生命をくれ」
配下にはなれないと伝えたハズだ。いまさら、どの面を下げて戻ればいいのか。また失敗を繰り返すのでは。そんな思いが反芻する中で、信長は赤い花を取り出した。丸い花弁の、見たコトのない花だった。
「これは……?」
「鬼になれる花だ。香りを嗅いでみろ」
鬼? なにを言っているのか。眉間にシワを寄せ、手渡された花を言われるままに嗅いでみると、めまいがした。
幾度も瞬きを繰り返し、やっとの思いで目を見開くと、目の前には黄金色の景色が広がっていた。満月の下に、ススキ畑が照らされている。なんて美しい光景なのだろう。
「――見えたようだな」
信長の声がした途端、ススキ畑は消えていた。
「今のは、いったい?」
「夢だ。おまえの理想というべきか。そばに誰かいたか?」
「いいえ、誰も」
信長は口角を上げる。
「好都合だ。率直に言おう。これからの時を、永遠に鬼として生きるのだ」
「まさか……。フロイス殿の世迷い言を、まだ信じられていると?」
「ああ。南蛮には、ドラキュラという鬼の王が君臨しているそうだ。あこがれてしまうじゃあないか。死してなお、頂点に立とうとするなど」
「では、信長様も……?」
「俺も成るときが来る。知っておきたいのだ。統計上、鬼になると狂ってしまう者も多いのでな」
つまりは実験台だ。恐ろしい気分になってきた。
「しかし、しかしだ。鬼になっても、狂わない者はいる。気づいたのだ。おまえは狂わないだろう」
「その根拠は?」
「俺の予想だが、分相応の夢を抱くコトだ。成った瞬間、夢との剥離が大きければ狂う。だが夢見たとおり、夜と孤独を望むならば」
「私は、鬼でいられると」
「老いず、飲まず食わずでも生きていられる。人智を超えた力も得られる。もっとも、太陽に当たれば死んでしまうがね」
信盛は黙り込んだ。ややもすると、戦場にて討死するよりも恐ろしい。
「躊躇するのもわかるよ。永遠の生とは、果たしてそれは死んでいないだけではないか。そう思うのも無理はない」
「信長様は、どんな思いを抱いて鬼になるというのですか」
「愚問だな。俺は鬼の王――『皇鬼』としてこの世に君臨し、夜の軍団を率いてまず日本を支配する。その後は亜細亜も南蛮も支配するのだ。ドラキュラとやらも討ち滅ぼす。王はひとりだけでよい」
「い、言ったではありませぬか。夢と現実の剥離が大きければ――」
「俺ができないと思うか? 俺を信じ、俺のそばに居続けたおまえがそう思うのか? おまえなあ。そういうところだぞ」
日本の覇者に最も近いのに、常に笑っている。それの重圧は相当なハズなのに。荒木村重にやられたような謀反がいくつもあったのに、なお夢を語って笑える。
……この人に、なおも着いていきたいと思う。できるハズだ。フロイスに見せてもらった地球儀を握るように、世界を手中に収められるハズだッ。信長様ならばッ!
「この老いさらばえた私めの短い余生を、お使いください」
そしてあわよくば、それが信長様への償いになるのならば。
「よくぞ決断してくれた。今日がおまえの人間としての命日だ。信栄には帰参を命じておこう」
「感謝致します。貴方様の覇道を、かぶりつきで見とうございます」
「約束しよう、おまえは俺の右腕だ。おやすみ、信盛。永き世に、輝く月のあらんコトを――」
* * *
あれからというものの、永遠を手にしたというのに、時の流れは早い。信長様が光秀に謀殺されたと聞けば、すぐさま吸血鬼となり、隧道を掘るコトを命じられた。
人を吸血鬼と化す赤い花――その栽培を行う土地への隧道だ。言われるがままに掘り続けて経ったのは、たかたが数年だろうが、やはり時の流れは早い。秘密裏に進めていた信長様の野望を嗅ぎつけ、討とうとする者まで現れるのだから。
だからだろうか。こんなまでに胸が躍るのは初めてだ。この不届き者を仕留め、信長様の野望を守るコトができるのだから。今度こそ、失態はしない。彼の、右腕として。




