第26話 高野山に行こう
紀伊国・高野山 ──
堺を発ち、西高野街道を数日歩いたサラとくららは、高野山へとたどり着いた。
「なんだかこう、厳かっていうのかな? そんな空気だね」
「女は立ち入り禁止なんだぜ。子供はいいのかどうかは知らんが、坊主に見つからねェようにな」
「へえ、夜来て正解だったね。代わりに空妖とか出たら怖いけど……」
高野山とは、地理学的な『山』ではなくいわゆる地名であり、ひとつの境内であるという。後の金剛峯寺を始めとする、いくつもの寺院が密集する地は同時に、かつて数万の僧兵を抱える巨大勢力であった。
しかし、天下を狙う者たちが、それを見過ごすワケがなかった。
「にしてもさ、なんか広い空き地が多いね。暗がりでもわかるよ」
「寺が燃えたンだろ。ここも信長とか太閤サマと敵対してたしな」
「また信長……。なんなんだ、天下人ってさ」
「ただまあ、太閤サマは攻めた後は懇意にしてるらしいがな」
「だったら戦なんてしなければいいのに。ワケわからないよ」
「歯がゆい話だが、正しいだけじゃ世ン中動かねェ」
くららは黙り込む。行くところ全てに信長の破壊の跡がある。自分と同じ思いをした人は、どれくらいいるのだろう。早く戦のない世の中になればいいのに。そんなコトは、夢のまた夢とはわかっているけれど。
「さて、そろそろ着くぜ。長谷川殿の言ってたお堂にな。決めろよォ、覚悟ッ」
赤い花への手がかりを追うために、ここまで来た。暗中模索の手探りというワケではなく、重要な情報もある。
* * *
「梟風はん、もう行くんか? 傷は癒えたんか?」
高野山に向かう決意をしたサラとくらら。振り返ればポツンと立っているボロボロの社殿は隙間風だらけながら、どこか温かさすら覚える。愛着が沸いたのもあるが、その前に立つ与次の人のよさがあってのコトだろう。
「片腕落としたくらいで止まってらンねェ。アンタの主のトドメを差すために行ってくるぜ」
「そこに人を吸血鬼にする赤い花があるっちゅうんか。ううん、高野山に吸血鬼か……」
与次は坊主頭をさする。なにか言い出しづらそうな態度だ。
「あんな、信長様に支えていた時代やけども、ボクの同僚だった山岡景友がな、とある人にちょくちょく会ってたんよ」
「高野山にか? そのある人ってなァ、信長と関係あンのかい?」
「大アリやな。山岡はんはその人の与力やったからな。んでな……」
また坊主頭をかく。やはり言い出しづらそうだが、サラはそのある人を薄々気づいていた。
「ほんでな、少し前にその人の訃報が届いたんや。しかしな――」
「まだ生きてる、と」
「もしかして、勘づいとるか?」
「なんとなくはな」
「そか。山岡はんが言っとったわ。彼はまだ生きとるってな。赤目になって、ずっとお堂の地下で横穴を掘ってるらしいんや。感謝の言葉をつぶやきながらな」
「理性があンのかねェのかはわからんが、吸血鬼になったのは確かだな」
「なんと、意思の疎通もできるそうや」
そばで話を聞いていたくららは首を傾げる。信長以外に出会った吸血鬼に、話ができそうな吸血鬼はいなかった。
「他の吸血鬼と、なにが違うんだろうね」
「オレは吸血鬼としての時間が長けりゃ、だんだん慣れるモンだと睨んでるがなァ」
「まあ、とにかくや。もし一戦交えるとかになったら、気いつけや。吸血鬼になっても滅法強いやろうからな」
「あいよ。それじゃあ世話ンなったな、長谷川殿。オレたちのために祈っててくれや」
「片時も忘れへんよ。デコちゃんも元気でな、あの梟風の右腕として気張りや!」
「デコちゃんじゃなくてくららだよ! またね、与次さん!」
* * *
あれから数日しか経ってないが、手を振って別れたのがもう懐かしい。それくらいに遠くへ来てしまった感覚を、くららは覚えた。地下から絶えず聞こえる掘削の音を聞きながら。
「ここの下から重い音がする。ホントにいるんだね」
「よし、入るか。オレから離れるなよ」
ひとりずつしか入れないような小さなお堂の中には、なにもなかった。床すら張られていない、土のままの床だ。まるで被り物のように空っぽで、それが怪しさを深める。
「きっと地下への入り口があるハズだよ。探そう」
手がかりを探すと、格子状の窓から漏れる月明かりが、秘密を暴いた。
「見てみて、ここだけ土の色が違う。きっとここだよ!」
「たしかに。答え合わせといくか」
サラは腰に差している刀を抜く。腰の刀は右側で、握る手は左。これまでとは逆の動きを強いられるも、なにも問題はない。
「わたしが掘ってみる?」
「いやァ、オレに任せとけよ。せっかくの着物が汚れちまうぜ」
右腕を失ってからというものの、サラは当然、利き手を矯正した。もう箸も、刀も、難なく扱える。梟風の名は風とともにあるだけではない。弛まぬ努力の積み重ねに成り立つものだ。
「離れてろよ、土飛ぶぞ」
サラは打刀に渦状の風を纏わせ、そのまま地面に切先を突き刺すと、風が土を刻み、粉微塵にしていく。みるみるうちに人ひとりが入れるほどの穴を掘り進めると、階段が現れた。
「なるほど、当たりだな」
「音が大きくなった……。行こう」
階段というにはゴツゴツとした無骨な段差だが、とても硬い。何度も往復したか、もしくは大きな力で踏みしめられている。
注意を払って、ふたりは螺旋状の段差を降りていく。下るたびに音は大きくなる。止まる気配はない。階段が切れる気配もだ。
「思いのほか深けェ穴だな。窒息防止に風でも送るか」
風を吹かせ、やがて下り切った先には、広い空間が広がっていた。周りは暗くて見えないが、遠くから響く掘削音の反響でそれがよくわかる。
「足下が危ねェや。くららァ、灯りつけるぜ」
「うん、松明だね」
くららは松明を握りしめると、サラはその先端を素早く斬りつけ、摩擦で火をつけた。揺らめく火を、くららはジッと見つめる。
「もう怖くねェか?」
「そんなコトないよ。手汗びっちょりだし……。でも、そんなコトも言ってられないよね」
「それでこそオレの右腕だぜ」
松明の火は空洞を照らす。周りが土だけの空間は、おおよそ人が掘ったとは思えないほどの広さだ。大仏でも安置できそうなくらいに広い。だからこそ、緊張感が増す。この空間を掘ったであろう、そして横穴を掘り進めている掘削音が止まったからだ。
「オレたちに気づいてるみてェだな」
「気でも利かせて、お茶でも出してくれればいいのにね」
「はッ、言うようになったじゃねェか」
人ふたりが横に並んで余裕で通れるほどの横穴を歩く。足下には小石が落ちているも、固まった道は街道のように歩きやすい。どんなモノが掘ったのだろうか。やがてくららが握る炎は、それを暴いた。
「――そよ風、か。幾年ぶりじゃろうか。肌で風を感じるのは」
掘り途中の横穴の前に、赤い双眸の男があぐらをかいている。着物はボロ切れ同然で、ほぼ半裸だ。手もボロボロながら、異様なまでに肥大化している。
「ここから先は、まだない。行き止まりじゃ。出直してくるがよい、梟風」
「やっぱりアンタ、佐久間信盛殿か」
サラが縦に何度も首を振った。
「吸血鬼になってまで苦労してンなァ。まだ信長に忠誠誓ってンのかい。たしかよ、なんかやらかしたから高野山にいるワケだろ?」
「そんなわしを、ひどく折檻されたのは間違いない。だがの、信長様はあえて戦から遠ざけて下さったのじゃ」
「だから恩があると。退き佐久間とあろう者が、自分の仕事が好きじゃなかったとはな」
「乱世に生きて気がついたのじゃ。わしの願いは、静かに暮らしたかったとな。信長様の命に従い、こうして穴を掘っているほうが性に合っておるのよ」
「珍しいな。出世したくても、できねェのも多いのに。……理性的な吸血鬼ってコトもな」
「我を失わずにいられるのは果たして僥倖か、辛苦か。興味はあるかの、梟風よ」
「オレが興味あンのは、いかに信長を討つかだけだ。吸血鬼になれば信長を倒せるってンなら、やぶさかじゃねェがな」
「隻腕となってまでも、思ったとおりの不遜さよ。では前哨戦と参ろうか」
「望むところだ、胸を借りるぜ」
信盛は肥大した両手を握りしめ、サラは切先を向ける。戦いの準備は、それだけでいい。
「思い知るがいい。わしを超えられねば、信長様に敵わぬとな。……授けられるかの? 死ぬるべきわしに、永遠の死を」
「叶えてやるよ。歴史に消された魂に、運命の死を」
サラはニヤリと笑う。かつての強者との対峙は、胸が踊るものだ。たとえ隻腕になったとしても。




