第18話 救いの在処
赤鬼の恐怖に包まれた堺の町。そこに救いの手を差し伸べたのは、異人の宣教師だ。彼が掲げた神聖なる十字架は、赤鬼に効果ばつぐん。
それを目の当たりにした町人たちは目を輝かせた。営業は大成功……かと思えば、今度はちょんまげ頭の吸血鬼がやって来た。
「なァ、掲げてみてくれよ。十の字を」
「イイデショウ! 来ナサイ、ソコノ倭人!」
サラは急かす。宣教師は布教したい手前、勇んでみせた。ちょんまげ吸血鬼を引き寄せ、赤鬼と並んだところで十字架を掲げる。
「神ノ威光ヲ、受ケルガイイ!」
赤鬼は苦しんでいるが、ちょんまげ鬼は歩くのをやめない。それどころか、舌舐めずりする。抵抗しようとしない目の前の血袋が、極上のエサに思えたのだ。
「アレェ? ナゼ、苦シマナイ!?」
「やっぱりそうか」
サラは人の吸血鬼化の手掛かりを握っているであろう宣教師を、なんとしてでも守る。そしてちょんまげ鬼の両腕を斬って、推察した。
「思うに、罪悪感だ。その十の字を向けられて苦しむのは、それだけ敬虔な信徒だったンだろ。たとえアンタと形は違えども。忘れるな、吸血鬼は元々人間だ」
「シカシ、ナゼ……」
「他人の信じるモノを傷つけちゃいけねェ。それは万人に通じるが、十の字が大事なのはアンタらの価値観だし、オレたちにはそれがなんなのかさっぱりだ。だからよ、例を見せてやる」
散々奪ってきた自分がそんなコトを言わなきゃならないとは。苦笑いを浮かべながらサラは振り返り、町人たちに怒鳴った。
「おいッ、メシ食ってるヤツいるだろ! ちょっと持ってこい、鍋ごと!」
「もうサラ、団欒を守るって……」
「見ねェほうがいいかもな。不快だぜ」
町人のひとりが急いで土鍋を持ってきた。修理を繰り返して色褪せ、デコボコだ。蓋を開けると、湯気とともに雑炊が登場。サラはそれをちょんまげ鬼の足下へ置いた。
「さて、来てみろ」
すっかり手が再生したちょんまげ鬼に挑発する。唸りながら、拳を握りしめながらも、近づいてくる気配はない。
思った通りと頷きながら、土鍋を上げる。するとちょんまげ鬼は容赦なく顔面目掛けて、まっすぐに腕を突き出した。これをするりと回避し、再び土鍋を足下に置く。
「はい、ドボォン!」
「うあああーッ! なにさせるの!?」
その惨状に、くららは叫んだ。拳とともに突き出た右足は、土鍋に浸かる。飛び散る汁、無惨にも地面に堕ちる米、米。そして――悲鳴が響く。
「いやああぁぁーッ!」
「このたわけがあッ! なぜッ、なぜこんな真似をしたッ。梟風とて許さん!」
サラにとっては町人たちの怒号も、どこ吹く風。涼しい顔で、足下を指差した。
「それは……こいつも思ってるみてェだぜ」
女性の悲鳴に混じって、獣のような咆哮がした。ちょんまげ鬼の叫びだ。すぐに土鍋から離れ、膝をついて哭き叫ぶ。これが吸血鬼の後悔と、罪悪感に苛まれた姿だ。
「見ろ、異人サンよ。町人は怒り、吸血鬼は泣いている。これが日本人の信じるモノだ」
「コメガ……?」
「お米は、大事……。そう、米は力だ! ってワケだ。今度はオレたちの大事なモンに寄り添ってから、布教がんばれよ」
サラは宣教師の肩を叩いてから、そっと耳打ちする。
「本題に入ろうや。どうやって人を吸血鬼にしてンだよ」
「私ハ……人デナシ、デス」
「ああ、オレもそうだ。反省すりゃいいンだよ」
宣教師は利用していた吸血鬼など、獣以下の穢れた存在と思っていた。しかしながら、サラの言葉とちょんまげ鬼の慟哭で考えを改めた。ひいては文化の違いで苦しむなどとは、吸血鬼になっても、人間ではないか。
どうして少なくも理性を残している? なぜ人間を見せる? 胸をえぐるような後悔が、自分を責める。異国の地で諭され居場所はなく、もう縋れるものはない。居ても立ってもいられず、決意した。
「居場所ハ、モウナイ。懺悔、シマス」
宣教師は十字架を下げ、わざと赤鬼に噛まれた。
「おいッ! なにやってンだ!」
サラはすぐに赤鬼から宣教師を引き離すが、すでに宣教師の青い目が赤と混じり、紫色になっていた。
人は吸血鬼に噛まれ、体液を注入されると吸血鬼になる。宣教師は、吸血鬼になりかけているのだ。
「早まりやがってッ、ここまでしろとは言ってねェだろ! くらら!」
「もうやってる!」
くららは十字架で赤鬼を足止めする。
「アナタ、私ヲ、斬ッテ、下サイ」
宣教師の全身から汗が止まらず、たどたどしく喋るのがやっとだ。サラは吸血鬼化への手掛かりは諦め、寄り添った。
「償いってンなら、せめて死に方は選ばせてやる。足止めして、陽の光で浄化させてやろうか?」
「イエ……。伝エテ、オク」
「なんだ?」
「花、デス。赤イ花ヲ、探シテ、焼イテ」
「赤い花? それが吸血鬼にさせンだな!?」
「グ……グオオォォッ!」
ついに宣教師の瞳が完全に赤くなり、吸血鬼と化した。
「成ったか……。もっと聞きてェコトはあったが。十の字向けてろよ、くらら」
「あれ? この人、止まってくれない。止まれッ、止まれッ!」
「なンだと?」
たしかにくららは十字架を掲げている。赤鬼は苦しんでいるのに、宣教師はなんともない。
「……やれやれ。アンタは最期まで人間だったよ」
宣教師に言われた通り、サラは一瞬にして首を斬り落とした。血は出ず、骸は残らない。身につけていたものも、人々の記憶からも、全てウソのように消え去るのみ。人間を辞める代償は死よりも軽薄で、あるいは死よりも重い。
「墓も建てられず、なにも残せず。憶えてやるのが、せめてもの供養ってヤツだな。下がってろ」
くららの前に立ち塞がり、赤鬼の首を落とす。雑炊を溢した土鍋を前に、跪いて頭を垂れる吸血鬼も斬り伏せた。
「人に非ずとも、等しく眠りの安らぎを。……鬼どもよ、しからば」
残心、納刀。この場に吸血鬼がいたという記憶が残っているのは、サラとくららしかいなくなった。
「――あれ? なんで外に?」
「あっ! ウチの鍋が!?」
我に返った町人たちはそれぞれ自らの居場所へ帰るが、晩飯中だった町人は鍋を持っていく。
「せっかくの米がなぜか散らばっておるが、しめしめ。まだ残っておる」
笑顔を浮かべ、吸血鬼の足が浸かった雑炊に舌舐めずりして家に帰っていった。
「……あれ、食べるのかな?」
「知らぬが仏ってな。吸血鬼の出汁でうまいんじゃねェか? 知らんけど」
「自分でやっておいて」
くららは他人事ながら、吸血鬼の足入り雑炊を食べる町人に同情した。そして、ハッとする。
「ねえ、せっかく吸血鬼を止める方法を教えたのにさ、忘れさせちゃダメじゃん!」
「……あなやァ!」
「もう〜!」
呆れるにしても、ただそんな方法は気軽にできるものではない。明日さえ遠いのに、食べ物を無下に扱うのだから。その点では、十字架を掲げるだけなら楽なのだけど。くららは宣教師の物だった十字架を見つめる。
凹凸があると思えば、よくよく見ると人が十字にくっついている。くららは首を傾げた。
「信じるものは、人それぞれ……」
「あるのなら守りてェよな。それを奪われ、そして裏切られるような世の中だからこそ」
くららは思う。大事なものを奪われたから、空っぽになった。こんな戦ばかりの世の中で、それを見つけたって、強くならなければ意味がない。
「だから、強くなるんだよね」
……今の大事なもの、信じるもの。それはサラの存在。失いたくない。そばにいたい。だから、サラのコトを守れるくらいになりたい。
「いい顔するようになったじゃねェか、くらら」
「えへへっ。見ててね、わたしがサラを守ってあげる」
「舐めンなよ、こちとら梟風だぜ」
ふたりは笑いあった。
「さて、長谷川殿のトコへ帰るか。ところでその十の字、大事に持ってろ。サムタイ級に高く売れるからな」
「えっ、そんなに!?」
「まずはよォ、それを奪われないように守ってみな」
くららは思わず喉を鳴らす。十字架を懐にしまい、サラと帰ろうとすると、音がした。まるで、遠くで爆竹が鳴るような。
「今のは……?」
「オレも聞こえたぜ。銃声だッ!」
「ちょっ、待ってよサラ!」
ふたりは銃声の鳴るほうへ走り出す。思い出すのは、商人の惨殺事件のコト。もしそれも、人成らざるモノがやっているのだとしたら――
堺の町は、まだ眠らない。




