第17話 無償の愛
堺の町に今日も月が昇る。サラとくららは稽古を切り上げ、西能寺から降りて町へ向かった。目的はもちろん長谷川与次の言う、町に現れる赤鬼の調査、そして討伐である。
「町は広いけど……。赤鬼ってどこに出るのかな?」
「長谷川殿曰く、いろんなトコに出るらしいぜ。海沿いだったり、街中だったり」
「海沿いにも? 海の向こうに、赤鬼が住む島があったりしてね」
「ははァ、面白ェ考えじゃねェか。名づけるなら鬼ヶ島ってトコか」
談笑しながら、ふたりは気づく。町の至る所に篝火が焚かれている。幸い、風は弱い。ほのかな光をたたえる揺らめく火にも、くららは息を呑んだ。
「こんなに火があって……。もし突風が吹いて火種が飛び散って、それで家が燃えちゃったら」
「それよりも鬼のほうが怖ェんだろ。安心しな、そんな風はオレが吹かせねェからよ」
「頼りになるね、梟風さん」
こうやって、サラと言葉を交わすだけで心が落ち着く。ふたりはしばらく歩いて、日中、一番賑わっていた団子屋の前に立った。やはりと言うべきか、人はいない。
「くらら、なんか聞こえるか?」
「ちょっと待ってね」
くららは深呼吸してから耳を澄ませる。
「……話し声、家の中ね。食べる準備中みたい。でもここらへんの家って立派だから、あまり聞こえないなあ」
「充分だぜ。頼りになるな、くらら」
「も、もう……!」
くららの邪魔にならないようにサラは囁いて褒めたが、当のくららは照れてしまい、胸が高鳴った。そんな胸の高鳴りをかき分けて、さらに耳を澄ます。すると聞こえてくる、歩幅の大きな足音と息を切らす男の声。急いでその方向に指差した。
「きっと団欒を過ごしてンのかな。邪魔しちゃいけねェよな」
「そうだね。解決してあげよう、サラ」
くららが指した方向から案の定、男が松明を持って走ってくる。まるでなにかから逃げるように慌てているが、ふたりは当然と言わんばかりに頷く。
「そこの御仁、なにがあったンだい?」
「なにを呑気に……。って赤目!? おのれ、鬼か!?」
警備の男は腰の刀に手をかける。
「落ち着けよ。オレはただの梟風だ」
「ああ、なんじゃ梟風か……。って落ち着けるかッ、このたわけ!」
「ガハハ、面白ェ反応」
「しかし左の赤目とは、真のようじゃな。前門の梟風、後門の赤鬼……。儂の命運もこれまでか」
「やっぱり赤鬼か。アンタ、運がいいぜ。オレァ鬼の首を斬りにきた。人わかったら退いてな」
「な、なんじゃ。拍子抜けじゃな。こう、伝説の梟風像と違うと。小娘も連れて」
「退けって言ってンだろおめェ。頭蓋粉々に砕いて固めて、その中に目ン玉具材にしたおにぎりにされてェか」
「おおッ、ワケわからんが恐ろしい。これでこそ梟風じゃ。では失礼して……」
男は息を整えて、大きな声で警告しながら去っていった。
「赤鬼じゃあーッ! 今宵も赤鬼が出たぞーッ! 表には出てならぬぞ!」
警告はこだまする。人々にそれが伝わったのが、生活が静まり返ったので理解できた。
「……ヘンな脅し文句」
くららが白けた目線を向ける。
「なに? 怖くなかったか?」
「全ッ然」
「そうか……」
渾身の脅しが怖がられないのは残念だったが、すぐにそこは切り替える。おぼつかない足取りで、それがやってきたからだ。
「赤鬼ねェ。ホントだ、こりゃ赤い」
大きな体躯に、乱れた見慣れないくすんだ金の髪の色。眼と同様、肌の色も爛れたように赤い。猿股一丁で、頭を抱えながらやってきた。
「あれが赤鬼……、なんか唸ってる」
「だが確信したぜ。商人殺しってなァ、あの赤鬼じゃない。とっとと首斬ってやるか」
サラは刀を抜く。すると赤鬼は、その鋭い殺意の方向へと吼えた。拳を握りしめ、体躯に似つかない速さで襲いかかるも、その拳はサラの眼前で止まった。風で止められたのだ。
動けなくなった赤鬼を、ジッと観察する。
「見ろ、くらら。コイツ異人だぜ」
「ど、どういう人だったかわかるの?」
「筋骨隆々の上半身は日々の賜物だな。んで赤い肌は日焼け。過酷な環境だったってのを慮りゃ、コイツァ船乗りだ」
「船乗り……」
「想像できねェくらい遠くからやってきて、その航海の果てに鬼になっちまうなんてな。同情はするが、斬る」
サラは目の前で止まった拳と、もう片方の拳を斬り、もう片方の首を斬ろうとした瞬間、くららには足音が聞こえた。
「誰か来るよ!」
「ンだよ、物見遊山か?」
赤鬼がやってきた方向から、ひとりの黒衣の男がやってきた。頭のてっぺんだけが禿げ上がっている。異人だ。
「助太刀、致シマース!」
「なんだ? 宣教師?」
拙いながらも日本の言葉を喋りながら、その手に十字架を持っている。
「立チ去レ、邪悪ナル吸血鬼!」
宣教師は赤鬼に対し十字架を掲げると、失くした拳で頭を抱えた。
「見ナサイ、倭人ヨ。コノ聖ナル十字架デ、吸血鬼ヲ追イ払エマース」
「たしかに苦しンでるな」
「コレゾ、主タル神ノ御技! 吸血鬼ナド、恐ルルニ足ラズ!」
「それで?」
「洗礼ヲ受ケ、偉大ナル主ヲ、愛シナサイ。サスレバ、コノ十字架ヲ、売ッテ差シ上ゲマショウ」
「なんだよ、カネ取ンのかよ。じゃあ首斬るから退いてろ」
「エッ!? 待ッテ!」
「充分待ってやっただろ。見ろよ、もう手が生えてきた。ほら、十の字、十の字」
宣教師は懸命に十字架を掲げ続ける。赤鬼は苦しんでおり、たしかに効果はある。
「オレァ鬼を殺せるが、他のモンじゃそうはいかねェ。無力な人間でも鬼を足止めできンなら、いい物だな、その十の字」
「デショウ!? コノ国ノ、銀デ作リマシタ。ドウデス、素晴ラシイ教エト共ニ、弱キ人々ヘ……」
「だから貿易船の乗組員を赤鬼にしたってのか」
「ソノ通リ……。ハッ!?」
宣教師は思わず十字架の手を離したその瞬間、赤鬼はその大きな手で宣教師の顔を鷲掴みにするも、サラはすぐに再び赤鬼の腕を切断する。宣教師は無事だ。
「くららァ、鬼に十の字!」
「了解!」
すぐに落ちた十字架を拾い上げ、赤鬼に見せつけると、再び唸りながら苦しんだ。
「アンタら、人を鬼にできるンだな。どうやってる? 信長に教えたのもアンタらだな?」
「ソレハ……、布教サセテカラ、教エテ差シ上ゲマショウ」
「追放令が敷かれてンのに、そこまでする理由は?」
「新教ノ異端共ガ来ル前ニ、我々ノ教エヲ布教セネバ……。コノ吸血鬼モ、異端ダッタ」
「対立してるつっても、赤鬼も同じ神を崇めてたンだろ?」
宣教師は頷く。サラは理解できないとため息をついた。
「なんだかね。とにかく利益を独り占めしてェワケか。まァ、約束を守りゃどうでもいい。おいッ、みんな出てきてくれ! 鬼の対処を教えてやる!」
叫ぶと、まず十字架を赤鬼に見せつつ、くららがふりむいた。
「団欒を守るんじゃなかったの? ねえ、サラ!」
「異人の鬼なんて稀すぎる。もしかしたら、十の字以外の守り方を教えてやれるかもしれねェ」
「ホント?」
「足音、気づいてンだろ?」
「サラが呼んだからじゃないの?」
「ありゃもうひとり来るぜ。まあ見とけよ。その方法ってのも、いつでも出来るワケじゃねェけどな」
風に乗って、言の葉はそよぐ。サラの呼びかけにぞろぞろと土間が開き、町人がやってきた。
「あれが赤鬼!?」
「なんと面妖なッ」
「それと宣教師……?」
町人たちの反応は様々。注目が集まったところで、宣教師はくららから十字架を取り上げた。
「皆ノ者、御覧ナサイ! コノ十字架ヲ掲ゲレバ、吸血鬼ハ苦シミマース!」
「でもお高いんでしょう?」
「今ナラ特別! 洗礼ヲ受ケ、主ニ忠誠ヲ誓エバ、コノ神聖ナル十字架ヲ、無料デ授ケマース!」
「おおっ、これはお得じゃ!」
「しかし信仰は禁止なのでは?」
「表ニ出ス事ガ、信仰デハ、アリマセーン。主の愛ヲ、心ニ納メテ、種カラ花ヲ育テルヨウニ、タダ祈ルノデース」
「ふうむ……?」
町人たちの興味は惹いている。あとひと押しと宣教師は思うも、サラが肩を叩いて、来た道に指を伸ばした。
「なあ、ひとつ試してくれねェか。日本人にも十の字は効くのかを」
ゆらり、ゆらりとちょんまげ頭の人影が揺らめく。一瞬にして宣教師に緊張が走った。




