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プロローグ 炎の行方

  近江国(おうみのくに)逢坂峠(おうさかとうげ) ──





 天正15年(西暦1587年)の長月の半ば。煌々と光る月が、峠道を歩くひとりの少女を照らしていた。少女の手元には、なにもない。山間から覗く月明かりだけを頼りに歩いていた。



「しまったな、旅籠(はたご)にでも泊まりゃよかった」



 少女は膝に手をあてて歩きながら、ひとりごつ。ここは天下の往来、東海道といえども峠道。足元は悪く、上り坂も多い。しかし、脅威はそれだけではない。



「……灯り。誰か来る。マズい、足音を聞かれてたか?」



 無限に思える木々の向こうから、ぼんやりと見える灯りとともに、荒い呼吸と足音が近づいてくる。ひとりのものではない。やがて、それは少女の前に現れた。



「……しめた! 小娘だ!」



 この状況での最大の脅威とは、山賊だ。3人の山賊が瞬く間に少女を囲い込んだ。



「金目のものも、なにも持ってないけれど? それとも人市(ひといち)にでも売っ払う気?」



「そんな先のコトなど考えられん!」



 山賊たちは、しきりに自分たちが来た茂みを振り返る。月は雲に隠れ、かすかな月明かりが慌てた顔と汗を光らせた。



「なんだ? 襲ってきてる身分でなにを焦って……?」



「おのれの血だッ、わしらの身代わりとなれ!」



「んなあ!? は、話が見えない!」



 山賊は腰に差した脇差を抜き、少女に向ける。その刃には、一切の容赦は感じられない。



「殺すなよッ。足だ、足だけを斬れ! 動けなくしろ!」



「なんなんだ、この!」



 少女は疲労の溜まった足を目いっぱい上げ、切先をかわすも、これが限界だった。



「ダメだ、上がらない……! 動いて、わたしの足ッ!」



 少女は諦念に心を委ね目をつむった、そのときだった。突然、一陣の風が吹き、山賊の手から離れた脇差が夜に舞った。



「――ずいぶんと賑やかだなァ。こんなにも夜が深いのに」



 一同、男の声のする方を向く。少女の歩いてきた道から、ぼうっと光る赤い光が浮かんでいる。人魂か? 魍魎か? 奇怪なそれはゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。



 人影がはっきりとするにつれ、やがて気づいた。異常なコトにも。この赤い光は、そいつの瞳だと。山賊たちは思い思いに喚く。



「ヒッ……! 追ってきた!?」

「阿呆め。よく見ろ、片目だけだッ」

「じゃあ、ありゃあ『梟風(きょうふう)』か!?」



 梟風と呼ばれた男は、慌てる山賊たちの目の前に立った。



「よくご存知だ。アンタら武士崩れかい? どっかで会ったかもしれねェな。んで訊きてェがあンだけどよ、なにを恐れてンだい?」



「ち、近寄るんじゃねえ!」



 梟風は若いけれど、よれよれの紺色一色の単衣が一枚という恰好をしていた。マゲさえ結っていない。到底、恐れられるほど名のある武士とは思えない。少女はそう思った。



「まるで熊に追われた鹿みてェだ。まずは落ち着けよ。どんなヤツだった? 娘っ子の足を斬れば、アンタらが逃げられるのかい?」



「お前の目みてえな、両目が真っ赤のヤツに襲われたんだ!」

「血を啜る化け物だった!」

「あのバケモノの姿、まるで……」



 山賊のひとりが言いかけたとたん、やかましさは鳴りをひそめた。



「バケモノを見たのか?」



「いや、しかし……。だが、似ていた」



「ズバリ当ててやろうか。……死んだハズの織田信長に似てたって言いてェんだろ」



「なんだって!?」



 山賊たちは呆気に取られ、互いの顔を見合わせていた。声を上げたのは、少女だった。



「いいぞ、図星だなッ!」



 梟風は笑いながら、打刀を抜く。



「ひえッ!」



「辻斬りみてェなマネはしねェよ。そうだな、その長えのと短えのを置いていきゃあな。通行料だよ。さあ、オレ特製の関所の開店だァ!」



「なにをバカな!」



「アンタらは今までこうやって稼いでたんだろ? まあ安心しろよ。安全は保証してやる」



「や、やはり悪名通りの男だったか……。鬼め!」



「鬼はアンタらを襲ったヤツだって。まあ、オレも夜しか動けない身分ゆえに似たようなモンか。へへッ」



 梟風は山賊から強奪した打刀を腰に、脇差は左手に握りしめ、茂みのずっと向こうを見つめる。その視線の先を、山賊たちも追う。



「さて、おいでなすったぜ。生き血を啜る鬼――吸血鬼がなァ」



 山賊たちの心臓が高鳴る。たしかに見えるのだ。木々のわずかな隙間を縫い合わせるように、赤くて丸く、そして小さなふたつの光がやってくるのが。



 やがて、月がそれを照らした。



「あ、ああッ。竹次!? 襲われて死んだんじゃなかったのか!? 竹次ッ!」



 山賊が叫んだ。



「もう言の葉は届かねェよ。アンタら、逃げる準備だけしておけ」



「んだけども!」



「アレの赤目に映るのは、かつての仲間じゃねェ。新鮮な血袋だ。飢えた腹を満たさんとウズウズしてらァ」



 吸血鬼は拳を握りしめて、山賊目がけて走り出し、かつての仲間に躊躇なく拳を繰り出す……も、彼らを通り過ぎ、殴ったのは木だった。



 行灯の火のように揺らめいた身体に視線。狙いなど、ついていない。しかし山賊と少女は、余計恐怖を覚えた。拳が木を貫いて、穴を穿ったのだ。



「……これでもまだ、かつての仲間と思うなら、ここで念仏でも唱えてな」



「ひえええッ! お助けーッ!」



 山賊たちは一斉に逃げ出すが、それを吸血鬼は見逃さなかった。ふらついていた足取りはしっかりと、まっすぐに山賊たちを追う。仲間の元へ帰りたいのではない。食事のためだ。



「おっと、慣れたみたいだなァ。やらせねェよ!」



 梟風は人智を超えた跳躍力を見せ、吸血鬼の前に立ちはだかる。着地と同時に白刃が舞い、吸血鬼の拳が腕から離れた。



「な、なんで助けてくれるんだ。話が違うぜ。梟風ってのは、もっと悪逆無道の限りを尽くした男だと……」



「フッ、過去形か。言ったろ? 安全は保証するって約束したじゃねェか」



 そう言う背中は、なによりも大きく見えた。山賊たちは柄にもなく、その背中に頭を下げ、逃げ去った。身代わりにするハズだった、少女を置いて。



「行ったか。おい、小娘も逃げろ」



「……イヤだ。アンタに着いていく」



「はあ?」



 ずっとへたり込んでいた少女は、ようやく立ち上り、凛とした眼差しで梟風を見据える。



「聞き逃さなかったぞ、本能寺で死んだハズの信長が生きてるって。ホントに?」



「信長となんの接点があンだい?」



「わたしの故郷はアイツに焼かれた。家族も、隣人も。復讐しようと思ったら、すぐにアイツは死んだって……」



「するとおめえ、伊賀の産まれか」



「そうだよ。全部失くして、復讐も果たせずに、生きる希望も失くしてたけど、でも、アイツが生きてるっていうならッ」



 少女は押し殺した恐怖を震えに変えながら、口角を上げた。



「わたしがッ! もう一度殺せるッ!」



「ククク……あーッはははは!」



 大きな瞳を潤ませ、必死に笑みを浮かべようとする少女に対し、梟風は心底、心からの破顔を見せた。空気を震わせるような笑い声だった。



「因果なモンだな、信長ァ! てめェの天下布武が生んだ復讐者がコレだぜ!?」



「ア……アンタに着いていっていいの? どっちなの!?」



「復讐なんざロクでもねェが、まあいい。いつ死んでもいいなら勝手にしな!」



「よしッ!」



 少女は拳を掲げた。



「よしじゃねェだろ? まずァ眼前の吸血鬼を殺らなくちゃアな!」



 おとなしいと思えば、斬れた腕をくっつけていた。手を広げて閉じて動作を確認、どうやら良好のようだ。ゆっくりと少女に向かってくる。梟風は再び跳んで、少女の傍へと着地した。



「小娘、名前は?」



「わたし、くらら」



「伊賀のくららってワケか。オレはサラ。梟風とか呼ばれてるが、なんとでも呼べ」



「サラ? かわいらしい名前っ。よろしくね、サラ!」



「呼び捨てときたか。やれやれ、とんでもねェ拾いモンだ。ここで死ぬなよ、くらら!」



 ふたりは見据える。目の前の吸血鬼の、その先にいるモノを。





――これは、(くう)を満たす物語。



 歴史に名を残せぬ男が、炎より出でし鬼を屠る冒険譚である。





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