4.報酬と厚意
ライルが再び村役場に顔を出したのは、あれから数日が経ってからだった。
「ライル君! 大丈夫なの!?」
開口一番、顔色を変えたエレンがライルに駆け寄り抱きしめた。
「アブチッ!?」
「大丈夫!? 幽霊じゃないのよね! 生きてるのよね!?」
「い、今、死にそうです……」
エレンの胸で窒息しそうになったライルは彼女の背中を叩く。
周りから羨ましいとか言われているが、ライルはそれどころではなかった。
エレンのいい香りだとか柔らかい感触だとか、急速に閉まっていく気管とか。
「え、エレンさん。心配をかけてごめんなさい」
「無事ならいいの。それよりもライル君、奥で話せる?」
エレンはライルの手を握って、奥の部屋へと連れてった。
(背中からの視線が痛い……)
人気のあるエレンを独り占めしていることへの嫉妬の視線がライルの背中に突き刺さる。
もっとも、それもすぐに部屋の扉によって守られた。
エレンに引かれて入ったのは、応接室のような立派な部屋だった。
「ここは他に空き部屋がなかっただけだから、畏まらなくていいわ。やることはいつも通りだから、楽にしてね」
エレンはそういって、机の上に少し大きな袋を置いた。
ライルが恐る恐る中身を見ると、中にはお金が詰まっていた。
「こ、こんなにぃ!?」
「村に入ってきた影の軍勢を倒したんだもの。あの魔物が一度影に入ってしまったら、見つけるのは至難の業だし、下手したら何人も死んでしまっていたのかもしれないのよ。村からの感謝と私からのお祝いも含めてこれくらいはね」
「そ、そんなお気持ちだけで十分ですよ!」
黒の軍勢を倒したとはいえ、依頼に見合わない高額なお金が入っており、ライルは思わず袋ごと返した。
しかし、エレンは首を振って袋を押し返す。
「祝わせてちょうだい。この小さな村にとって、私にとって、新たな戦士が一人生まれたことは、とても大切なことなんだから」
ウインクするエレンに、それならとライルは受け取った。
あわあわしながらライルは袋の中のお金を数える。
安い銅貨や錆びた銀貨とは違う。
鈍く光る本物の金貨。
「パンが一つ、パンが二つ……」
「もうちょっと高いもの買えるわよ?」
全部のお金を数え終わったライルは考えた。
(これなら、俺の剣もレオの剣も買える!)
想像以上の収入に、ライルは喜んだ。
内心でライルがはしゃいでいると、こほんと場を引き締めるようにエレンが咳をした。
「ライル君に相談があります」
「相談ですか? 改まってなんです?」
エレンは姿勢を正したまま、真剣な表情でライルを見る。
「ライル君は今回の依頼で偶然とはいえ、影の軍勢の一体を倒しました。これでこの村だけでなく、ギルドからも一人前の戦士として見られます」
「一人前だなんてそんな……俺は運が良かっただけです」
「ふふっ、驕らないのはさすがライル君ね。それこそ一人前の証だと、私は思うわ」
手放しでほめてくるエレンに、ライルは気恥ずかしくなり、顔をそむけた。
「ライル君を一人前の狩人、いえ戦士として依頼します。この村の周辺を調査していただきたいんです」
エレンの少し低い声色。
いつもの雑談ではない、本気の話だ。
「調査、ですか?」
ライルは首を傾げる。
「ライルくん、魔物は知ってる?」
「はい。普通の動物とも影の軍勢とも違う、確か魔法を使う動物のことですよね」
「そう。魔法を本能的に使う動物を、定義上魔物と呼んでいます。本来なら、この辺りには生息しないはずです」
だけど、現れた。
「影の兵士も厄介ですが、幸いなことに影の兵士の一般兵は広く情報共有されていますので、対策は打てます。村人みんなに自分の影に剣を突き立てるようにすれば、少なくとも人を介して侵入されることはありません」
影の兵士は影に潜むため、侵入されてしまえば物陰にひそめてしまい、非情に厄介だ。
だが逆に、影にいる間は自由に動けない。そのため、剣を突き立てれば簡単に見つけられる。
しかし、魔物はそうではない。
「魔物は動物同様個体によって千差万別、地域によっても異なります。動物の膂力や俊敏性に魔法が加わるとなれば、それは脅威というしかありません」
ライルの手に汗がにじむ。
エレンから、目を離せない。
「今回の出来事について、既に調査に数名のレンジャーと戦士のパーティを派遣しましたが、誰も原因であろう魔物の姿を見た人はいません」
「原因、ですか?」
「眠っていたライル君は気付かなかったかもしれませんが、夜中に巨大な咆哮が聞こえることがありました」
「巨大な咆哮? 夜中に?」
心当たりがあった。
一度だけ病院で聞こえた唸り音のようなもの。
あれが魔物のものだとしたら、かなり大型の魔物だ。
「つまり、その巨大な魔物に住処を追われた魔物たちがこの村周辺に現れるようになったということですか?」
「そうです。……ライル君、さすがですね」
エレンは感心したように笑った。
ライルはまだ12歳であり、ろくに文字の読み書きも学んでいない。
そんなライルが、突然の異常について熟知していたことに、感心したのだ。
エレンの感心をお世辞と受け止め、ライルは淡々と尋ねた。
「それだけ強力な魔物なら、とっくに被害が村まで来てもおかしくないのでは?」
「そうね。山に入って戻ってきた人で怪我をした人はいないわ。魔物も熟練の戦士には何とかなる程度であるのは朗報ね」
生息域を追い出された魔物は全て対処可能なレベル。
そのことにライルはひとまず安堵した。
しかし、変わらずエレンは険しい顔をしたままだった。
「ライル君にも、お願いすることになります」
「何をですか?」
「影の軍勢を倒した熟練の戦士の一人として、ライル君に夜中に現れる巨影の調査をお願いします」
エレンはゆっくりと頭を下げた。
きっとエレンも思っているのだろう。
ライルでは力不足だと。だがそれでも人手が欲しいのだと。
それはライル自身も知っている。
影の兵士一体に手こずるライルでは、巨影の主である大型の魔物になんて勝てない。
「今回のことを副都のギルドに報告した結果、ギルドは正式に調査を依頼してきました。村独自ではなく、正式なギルドの通達となると、影の軍勢を討伐した実績のあるライル君も調査に参加する義務があります」
「……」
ここでようやくライルは合点がいった。
手元にある高額な報酬の意味。
幸か不幸か、このタイミングで黒の軍勢を倒し、危険な依頼へ赴かせるエレンからの気持ちだった。
「……調査、次はいつですか?」
「二日後になります。でもその頃はまだライル君は傷が癒えていないから欠席するでしょう?」
暗に行くなと伝えているエレンの物憂げな表情に、ライルは頷いた。
ライルが次の調査に不参加とわかると、エレンは安心したように胸をなでおろした。
そして、畏まった態度を崩して、いつも通りの柔和な笑顔を浮かべた。
「それにしてもライル君は本当に賢いね。自然に詳しいのもそうだけど、普通の男の子なら大金をもらったうえに一人前の戦士なんて言われたら、舞い上がって二つ返事で受けちゃうと思ったんだけど」
「あはは、そうだとしたら、多分もう死んでると思いますよ」
「ふふっ、本当に賢いわね」
エレンは笑うと、まるで誘うように上半身を前かがみにした。
「ねぇ、ライル君には彼女とかいないわよね?」
「え? いないですけど」
唐突な質問に、ライルはきょどった。
小さな村だから同世代の子供は少ない。ましてや村で有名なライルなら、彼女ができたとなれば瞬く間に噂は広まるだろう。
恐らく、彼女ができた瞬間に早く子供を生めと、祝いと村民の増加のためにやっきになることだろう。
ライルは微妙な未来を思い浮かべて苦笑いをした。
そんなライルを見て、エレンはからかうように笑った。
「ね、それなら私なんかどう?」
「え゛」
ライルは固まった。
「私、こう見えて人気あるんだ。ライル君とも歳近いし、優良物件だよ?」
「え、えぇっと……エレンさんっておいくつでしたっけ」
「17よ」
ライルは今年でようやく12だ。
エレンに魅力がないわけではないが、ライル自身かなり早いんじゃないかと思っていた。
前世で言えば、自分はまだ小学生で、相手は高校生だ。
歳の差がありすぎるし、相手にとって自分はまだかなり幼いだろう。
なのにもう付き合う付き合わないの話が出ることに、ライルは前世とのギャップを感じずにいられなかった。
もちろん、嬉しくないわけないが、戸惑いのほうが大きかった。
「す、少し考えさせてください」
「もう、そんなところまで賢くなくていいのに」
「……」
わざとらしく頬を膨らませるエレンを見て、保留したことを軽く後悔するライルだった。