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31.母と娘

 



 おぞましい光景が広がっていた。

 何人もの女性があられも無い姿で穢され、傷つけられ、卑しい男どものはけ口にされている。

 最中を見ていなくても吐き気がする行為。

 そしてそのゴブリン以下のクソ行為が、マリアに向けられていた。

 まだたった12の女の子。

 成熟してもいない彼女を、大勢のゲスどもが穢そうとしている。


「そいつに指一本触れんじゃねぇ、汚ねぇ手で触れんじゃねぇ。きもいんだよ下劣クソ野郎」


 腸が煮えくり返りそうだ。


「……よかったよ、初めての人殺しがお前らで」


 恐れていた人殺しが躊躇なくできそうだ。

 俺が現れたことで、マリアに手を伸ばしていたトラジェディの目は俺に向いた。


「あぁ? なんでオマエが生きてんだ? あいつらはどうした」


 無言。


「はぁ~、ガキ一人殺せねぇとか使えねぇな、あいつら。せっかくの楽しみを邪魔しやがって」


 溜息を吐き、頭をかく。

 そして――


「お前、殺すぞ」


 本気の殺意を込めて俺を睨んだ。

 鍛え抜かれた筋肉が覇気を纏い、威圧感が周囲の空気を満たしだす。

 トラジェディのステータスは知っている。

 筋力値が最も高く、次いで技量と近接向けにまとまっており、物理防御力とHPが非常に高い。その上、弱点である属性や状態異常を与える魔法や祈祷についても【悪食の指輪】で対策済み。

 俺なんかよりもはるかに格上。

 今のレベルでぶつかっていい相手じゃない。

 だがこの世界は、ゲームじゃない。

 擬人竜ほどの絶望を、この男には感じない。

 ろくに装備がなくても、左腕は潰れ、HPが半分削れていても。


「俺は勝つぞ、マリア」


 助けを求める彼女のために。

 死に抗う俺たちのために。

 右手にさび付いた短剣一本を携えて。


 俺はトラジェディとぶつかった。




 ◆




「死ねや」


 最初の一撃を放ったのは、トラジェディの重たい拳だった。

 大砲のようなその一撃は向かって行くライルの顔目掛けてまっすぐに向かう。

 ライルの顔よりも大きな拳。

 あたれば確実に首の骨まで粉々にするだろう一撃を――


「甘いんだよ」


 ライルはしゃがんで避け、懐に潜り込んで勢いを利用して背負い投げをした。


「あぁ!?」


 重いはずのトラジェディの巨躯が地面から離れ、ライルの体を中心に円を描くように飛んでいく。


「なっ」


 その光景を目の当たりにしたマリアは、目を疑った。

 子どものライルが、2倍上の体重差のあるトラジェディを投げ飛ばしたのだ。

 トラジェディは勢いあまって、崩れた壁の向こう側、小屋の外に出される。


「テメェ、なんだ今の曲芸は!? おちょくってんのか!?」


 ライルには、もはや会話をする気もない。

 答えることなく、ライルは自らがいる小屋に炎雷を放った。


「えっ!?」


 これには、マリアが驚く番だった。

 自分たちがいる小屋に一気に火が広がり、トラジェディとライルの間に屋根が大きな音を立てて崩れた。

 埃や煙が舞い上がり、視界が失われる。


「げほっげほっ!」


 マリアは目に涙を浮かべ、呼吸をしようと必死にあえぐ。


「マリア、大丈夫?」


 優しい声がした。

 少し遅れて、柔らかな力で手を握られた。

 それだけで、誰かわかった。


「ライル!」

「遅れてごめん。すぐに助けるから」


 手を引っ張られ、マリアは立ちあがって導かれるまま歩きだす。

 でもすぐに、思い出した。


「待って、お母さんが!」

「大丈夫。みんな助ける。誰も死なせない」


 力強く、ライルは言った。

 その言葉に、また涙が出そうだった。


(神様はいるんだ。……神様がライルを連れてきてくれたんだ!)


 マリアは幸運を噛み締める。

 手を引かれて外に出ると、そこでようやく村中の家に火がついていることに気づいた。


「助けてくれ、トラジェディ様!」

「敵襲だ! 敵を探せ!」

「敵なんてどこにもいないぞ!」

「トラジェディ様を探せ! みんな集まるんだ!」


 村中の人たちが混乱しパニックになっていて、自分たちを探す余裕はない。

 いつの間にか、自分の手を握る感触は無くなっていた。

 すぐに周囲を見渡すと、次々と捕らわれた夜と炎の一族が家の外に飛び出してきた。

 その中には――


「お母さん!!」


 ボロボロだった母親が毛布一枚羽織ってライルの肩を借りて逃げて来ていた。

 マリアはすぐに母に向かって駆け出した。


「お母さん!」

「マリア!!」


 マリアに気づいた母親は、腫れあがりほぼ見えない目から涙を流して、娘を抱きしめる。


「マリア! ごめん、ごめんね! 怖かったね、辛かったね」

「お母さんこそ! 無事でよかった! もう会えないかと思った!」


 泣きながら感動の再会を喜ぶ親子。

 そんな二人の肩にライルは手を置いた。


「感動の再会中で申し訳ないけど、頼みがあるんだ」


 泣き腫らした顔で、2人は顔をあげてライルを見る。

 ここで初めてしっかりとライルと話すマリアの母は、ゆっくりと頭を下げた。


「あなたが助けてくれたんですね。心から感謝申し上げます」


 地面に手を着いて慇懃に頭を下げる母に釣られるように、あわててマリアも礼を言う。


「私からもお礼を! お母さんを助けてくれてありがとう! ライル、このままお母さんを連れて――」

「失礼無礼を承知でお願い申し上げます」


 マリアの言葉を遮って、母は言う。

 強く、はっきりと。


「マリアを連れて、ここからお逃げください」

「お母さん!?」


 母の言葉に、マリアは目を見開いた。


「逃げるならお母さんも一緒に! 置いて行くなんて嫌だよ!」

「無理よ、マリア。わかってるでしょ? お母さんはもう、とても逃げ切れる体じゃないの」


 母親は自分の足を見下ろした。

 マリアも母の視線の先、足を見る。

 そして、息をのんだ。


「ッ! ……ひどい」


 その足はくるぶしの上でありえない方向に曲がっていた。


「逃げられないように、足を折られてしまったの。……とても逃げ切れない」

「いや……いやだ!」


 マリアは首を横に振り、縋るようにライルを見た。


「お願い、ライル! お母さんも助けて! 私は一人で何とかするから、お母さんを――」

「ダメよ、マリア。あなたはお母さんの宝物なの。夜と炎の一族の希望なの。生きるべきはあなたなの」

「そんなの知らない! お母さんだって生きるべきでしょ!?」


 泣きじゃくるマリアの頬に母は優しく触れた。


「もうお母さんは十分生きたわ。こうして最後にマリアの顔を見れたんだもの。心配だったマリアが元気でいてくれて、今、最高に幸せよ。だから、お願い」

「いやだ……お母さんがいないなんて、どうしたらいいのかわかんないよ……生きてても辛いよ……」

「大丈夫よ、マリアは強いから。……それにあなたはもう一人ではないでしょ?」


 母はライルを見た。


「お願いします。どうかこの子と一緒に逃げてください。もう私に差し出せるものはなにもありませんが――」


 地面に頭をつけるまで深く下げて頼み込む。

 ずっと沈黙を保っていたライルの口が開き――


「断る。俺はどっちの意見も聞き入れない」

「え――」


 母とマリアの顔が、絶望に染まった。

 言葉がでない。

 パクパクと、母は口を動かすだけ。

 マリアは一瞬あっけにとられて、でもすぐに目が怒りに染まる。


「なんで!? ここでみんな死ねって――」

「俺は全員助けるって決めている」

「え……?」


 また、2人の顔は驚きで固まった。

 ライルは視線を合わせるように膝をつき、まっすぐ瞳を覗き込む。


「誰も死なせない。マリアもあなたも」


 信じられない。

 恐る恐る、母は口を開いた。


「そ、そんなことできるわけ、ありません。こんな足手まといを抱えてなんて……」

「足手まといなんかじゃないですよ。見てください俺の左手。ぽっきり折れてるでしょ? こんな状態の子供が戦えるんです。あなたもマリアも足手まといなんかじゃありません」

「で、でも……」

「俺の方こそ、一番酷なことを、あなたの娘に、マリアに頼みます」

「え?」


 ライルは固まっているマリアを見る。


「戦え、マリア。俺と一緒に、生きるために戦え」

「……私が?」


 あっけにとられて状況を飲み込めないマリアに、ライルは背負っていたある物を手渡す。

 細長く布に巻かれたソレを見て、マリアと母は目を見開いた。


「こ、これは!?」

「なぜ!?」


 布が解かれ、あらわになったのは――


「お父さんの黒夜弓」


 一族伝来の家宝。

 族長に代々伝わる黒夜弓だった。

 長さ2メートルにも及ぶ黒塗りされ、武器とは思えない美しさをもつ和弓を見て、2人は息をのんだ。


「なぜ、これをあなたが?」

「夜と炎の一族の村で見つけました。族長の娘であるマリアになら使えるはずだ。今まで何度も練習してきたんだろ?」

「なんでそれを?」


 ライルはマリアの手を取った。


「指先が固くなってる。これは弓を何度も引いてきた証拠だ。戦えるんだ、マリアは」

「っ!」


 マリアはきゅっと唇を引き結び、母を見た。

 その顔は戦う気力に満ちている。

 だが、母は複雑な顔を浮かべていた。


「お言葉ですが、マリアには戦うなんてできません。弓は使えるかもしれません。でもそれだけで相手に勝てるなんてとても……」

「できるはずです、彼女には。できてもらわないと、全員死ぬ」


 全員死ぬ。

 その言葉の重さに、2人の瞳が揺れた。


「……そんな重荷を、マリアに背負わせたくありません」

「誰も彼女一人に背負わせるつもりはありません」


 ライルは立ち上がった。


「俺も戦う。彼女は絶対に死なせない」


 ライルはマリアに手を差し出した。


「一緒に戦おう、マリア。絶対に勝てるから」


 大きな黒弓を胸に抱いて。

 マリアは力強くその手を取った。





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