16.エピローグ
ソレはあるとき、呼びさまされた。
「あんたがこの迷宮のボス?」
声の主は暗闇に紛れてよく見えない。
ただ女性らしい高い声が暗く固い石壁に反響して聞こえてくるだけ。
どこにいるのかもわからない。
だがその声を、その存在を。
感じた瞬間に、ソレ――【擬人竜】は理解した。
自分は死ぬ、と。
「ふーん、結構広いダンジョンだと思ったけど、奥にこんなのがいるなら当然かもね」
その声は近づいていた。
ヒールが石床を叩く音がするたびに死期が迫っていると本能的に理解する。
永い眠りから覚醒したばかりの【擬人竜】の息が浅くなり、体は震える。
心なしか、周囲の温度がかなり上がっているように感じられた。
「ふむふむ……特殊個体ね。といっても前にも似たようなの見たから、別にいいかなぁ」
声の主は堂々と【擬人竜】に触れた。
【擬人竜】の体からすれば、とても小さな手のひらだった。
だがそんな手のひらに無遠慮に触れられただけで【擬人竜】は動けない。それほどの圧倒的な力の差があった。
だが――
「ま、邪魔だし燃やしましょっか」
殺意すらないほんの気まぐれの言葉に、【擬人竜】は恐怖し、動けなかった四肢を懸命に動かして逃げ出した。
逃げろ、逃げろ、逃げろ――
アレには絶対に勝てない。
「おやまぁ」
後ろで驚いた声を出すアレは追ってくる気配はない。
だがそれでも【擬人竜】は逃げ続けた。
自分はこの迷宮の主であり、絶対的な存在のはずだった。
だが気づけば、迷宮内に他の生命の息吹は一切感じられず、いたるところが溶解している。
無我夢中で這いずり続けた【擬人竜】はやがて迷宮から抜け出した。
自らの住処から逃げ出して、周囲を見る余裕もなく長い年月を過ごした迷宮から一目散に離れていく。
やがて、アレの気配が無くなり、【擬人竜】のスタミナが尽きた。
そこで初めて、【擬人竜】は夜空を見た。
暗い地下で空を駆け、天候を操る竜として生まれながら、本物の空を知らずに思うことしかできなかった【擬人竜】。
暗い地下に住み続けて退化してしまった瞳でも見える空に瞬く無数の星と天頂で輝く白亜の月。
外に出た途端に見とれてしまった。
だから、【擬人竜】は地上を顧みず、空に手を伸ばし、慟哭し続ける。
近くにある村など眼中にない。
夜目しか利かない黒い瞳には、月の明かりですら眩しいがそんなこと以上に美しい景色に心を奪われる。
ひたすらに、【擬人竜】はその月が沈むまで、そして再び月が東の空から上がり西に沈むまで、月を追い求め続けた。
昼間は眩しすぎる太陽から隠れて、夜は月だけを見上げ続ける。
その先にいる村に一切気づくこともなく、迷宮の外をはいずり続けた。
◆
【擬人竜】が討伐され、ライルが死亡してから数週間後。
レオナルドの村にはいまだに副都の応援部隊であるカインたちが滞在していた。
脅威が去った今でもカインたちが滞在している理由は、今回の騒動の根本の原因の調査のためである。
本来【擬人竜】は野良で生息しているタイプの魔物ではない。
太古の昔、竜を作り出そうとした文明が残した遺跡で生息するタイプであり、その生息域から出ることはめったにない。
ゆえに、その強力さと相反して知名度は低く、また対処法も明確になっていない。
そんな魔物が突如として徘徊しだしたということは、近くにかつての文明の遺跡があるはずで、そこに何かしら【擬人竜】が外に出ることになった原因があるはずだ。
そう考えたカインは村に残って調査を継続し続けていた。
森の中を地図を埋めながら進んでいくカインは、額に浮かんだ汗を拭った。
「ここまで探しても何もなしか。【擬人竜】が這いずった後を追えばすぐと思ったが、随分とあの個体は周囲をうろうろしていたようだな」
周囲にいた騎士が水分を取りながら答える。
「日光が苦手なのか、日中は大穴を掘って隠れていたのでしょうね。おかげで地表はぐちゃぐちゃで移動の跡を追うのも一苦労です」
「あらためて、あの少年がしたことの大きさを思い知らされるな」
今はもういないライルを思い出して、騎士たちの目が曇る。
休憩をとっていたカインたちの元へ、別れていた騎士たちが戻ってきた。
分隊率いていた騎士が興奮した面持ちでカインのすぐそばまでやってくる。
「隊長、この先に壊れた迷宮の入り口がありました」
カインの目が驚きで見開かれる。
「本当か! すぐに向かうぞ」
休憩を止め、カインたちはすぐに迷宮の入り口を目指す。
数十分ほど歩いた先には、【擬人竜】が這いずった地面が削れた跡と壊れた地下への入り口があった。
【擬人竜】が通ったことで圧倒的に広くなった迷宮の入り口は、まるで来るものを飲み込むように不気味だった。
カインは生唾を飲み込み、一歩迷宮へと足を踏み入れる。
「行くぞ、何があるかわからない。気を引き締めるんだ」
騎士たちは頷き、松明を付けてカインの後に続く。
かなり広い迷宮に罠や魔物に気を付けて丁寧にマッピングしながら進んでいく騎士たちだったが、入ってすぐにそれを止めた。
罠も魔物もすべてが一緒くたに破壊されていたからだ。
「なんだ、これは……」
「これが人ができることですか……?」
天井にぶら下げられていたであろう針がついた落下罠は木端微塵に破壊され、迷宮にいたと思われる魔物は壁ごと溶断されてそこら中に転がっていた。
まるでバターを火であぶったような跡がついている壁にカインが触れる。
「石とは溶けるものなのか? それにこれほどの高火力を連発できるなんて、一体どこの手の者だ?」
壁に付けられた跡は十や二十どころではない。
魔物は綺麗に真っ二つになり、黒く炭化して原型をとどめていない。
焼けたことで腐敗していないのが唯一の朗報だ。
「これだけ広大な迷宮です。数十人で突破するものだと思いますが……」
騎士の一人の意見をカインは首を横に振って否定した。
そしてカインが出した結論に騎士たちは驚くことになる。
「恐らく来たのは一人だけだ」
「えっ!?」
カインは進む足を止めずに言った。
「これだけの数の魔物と罠なのに対処の仕方は全て同じ。魔物も罠も圧倒的な火力で焼き切っている。複数人のパーティであれば、魔物はまだしも罠にかかったとき、咄嗟の対処法は異なってくる」
「ですが、もしかすれば訓練された冒険者の可能性も……」
カインは足を止め、床に残った足跡を辿る。
「それもないだろう。周囲にある村は一つだけだ。ギルドに登録していない熟練の戦士がいたとしても、こんなわかりやすい足跡は残さないだろう」
残っているのは同じ形の足跡だけ。
石床に土の汚れが靴の形で残っていたのだ。
足跡を見た騎士の一人は眉根を寄せる。
「……小さいですね」
カインもまた苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「ああ、小さい。まるで少女のような足跡だ。それも踵と土踏まずの間に跡が無い。つまりここに来たのはおおよそ戦闘に向かないヒールを履いた少女だ」
「馬鹿なッ!」
騎士たちがうろたえる。
カインは立ち上がり、松明を掲げながら奥へと進んだ。
「壁と魔物を溶断でき、体格が小柄となればやってきたのは恐らく魔法使い。それもかなりの腕だ」
「その魔法使いは生きているのでしょうか」
「奥に進めばわかるだろう」
気を引き締め、騎士たちは奥へ下へと進んでいく。
そしてついに、最下層となる【擬人竜】がいたと思われる部屋へとやってきた。
床は地面からしみ出した水が溜まっており、石床には藻が生えている。
【擬人竜】がすっぽりと収まるほど広い部屋で、騎士たちは辺りを見回していたが、崩れている入口以外には特に何も見当たらなかった。
騎士が先頭にいたカインに声をかける。
「隊長、ここが本当に【擬人竜】がいた場所で――」
騎士は最後まで言葉を続けることができなかった。
カインが脂汗をかいて立ち尽くしていたからだ。
「隊長、どうしましたか」
「ありえない......ここに来たのは悪魔とでもいうのか」
「え……?」
カインはゆっくりと一番奥の壁を指さした。
騎士たちが松明を掲げ、壁を見る。
そして一様に息を飲み、目を見開いた。
「【我らの王が神を殺す】……」
堂々と壁を焼き溶かして刻まれた、決して消えない大罪の宣告。
異国の言葉で綴られた聖王国の根幹たる神を侮辱する言葉。
その壁はとうに溶けて冷え切っているのに、騎士たちの背中は汗で濡れ切っていた。
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