15.存在しない兄
ep7飛ばしてたので更新しました...
土砂降りの雨の中を、カイン率いる副都の戦士たちが馬を駆って駆け抜ける。
弾丸のように顔にぶつかる大粒の雨も気にせずに、泥を撥ねながら走り続けた。
「ライル君!!」
必死の形相で戦士たちは走り続け、やがて目的の場所に辿り着いた。
そこには、黒く多腕を持つ一つ赤目の異形の化け物が一つの肉体を囲むように群がっていた。
その囲まれた肉体はそんな大きくない。
精々、10歳前後の子供くらいの大きさだ。
だがそれが、一番想像したくない人物の物であることは誰の目にも明らかだった。
何故ならその肉体のすぐそばに、特徴的な黄金斧が泥にまみれて転がっていたから。
「き、貴様らああああああああ!!!!」
カインは抜剣し、影の軍勢に斬りかかる。部下たちもカインに従い一斉に斬りかかり、数十体いた影の軍勢は瞬く間に蹴散らされた。
「ライル君! ……ライル!」
カインはすぐに影の軍勢が囲っていた体を抱き上げる。
だがその体は既に黒く腐っており、持ち上げたときにドロっと一部が泥に落ちた。
もはやそれがライルの遺体か見分けなんかつかない。だがほんのわずかに残っている青黒の髪の毛から誰かなんて明らかだった。
カインの部下である戦士の一人が、カインを止める。
「隊長、それ以上はもう……これ以上その遺体に触れていると、影化してしまいます」
「……クッ」
カインは苦渋の顔を浮かべ、遺体を置いた。
「この遺体は持ち帰れませんね……」
「こんなもの、ご家族や村の人たちに見せられるものか」
幼くして村の英雄となったライル。
だが彼はある日、突然死んだ。
久しぶりに受けた依頼で影の軍勢と出くわし、数に押されて死亡した。
カインはライルの遺品をできる限りで回収し、丁重に包んで持ち帰った。
帰っている間、誰も何もしゃべらない。
戦士たちが村に戻ると、村の入り口では何人もの人が彼らの帰還を待っていた。
英雄の帰還、その朗報を聞くために。
ライルの弟レオナルドもまた、役場で働くエレンと共にライルの帰りを待っていた。
「エレン姉ちゃん……にいちゃんは帰ってくるよね」
「当たり前だよ。ライル君は世界で一番強いお兄ちゃんだから」
びしょ濡れになりながら、手を繋いで待つ二人の前でカインは馬から降りる。
「カインさん!」
「にいちゃんは!?」
カインに駆け寄る二人は、近くにライルの姿がないか見回した。
だがどこにもライルの姿はなく、カインの表情も優れない。
二人の、村人たちの顔が真っ青になっていく。
そしてカインの口から、最も聞きたくない言葉が告げられた。
「君の兄は、ライルは……今日、亡くなりました」
「……え?」
呆然とするレオナルド。
エレンは言葉の意味を理解した途端に泣き崩れ、泥に汚れるのも気にせず膝をついた。
カインはレオナルドにライルの遺品を渡す。
ライルの英雄たる象徴であった黄金斧を。
「に、にいちゃん……うそでしょ? そんなわけ……」
レオナルドでは持つこともできない黄金斧を見て、レオナルドは顔をくしゃくしゃにしてカインに泣きつく。
「嘘だ嘘だ! にいちゃんが死ぬはずない! にいちゃんは優しくて賢くて強くて凄いんだ! し、死ぬわけ! な、ないよ、ぉ……」
激しい雨音の中、レオナルドの鳴き声だけが木霊する。
「やだよぉ……にいちゃん……にいちゃんがいなかったら……どうやって生きたらいいの? わかんないよ! なにもわかんない! わかんないから、にいちゃんに会いたい! 会わせてよ! 会って、また、教えてよ……」
「レオ……」
「にいちゃんが、いない世界なんて……嘘だよ……」
泣きじゃくるレオナルドを前にして、カインは己の不甲斐なさと無力感に怒りが湧いた。
拳を固く握りしめ、血が出るほどに唇をかむ。
必死に生きて戦った兄とその死に打ちひしがれている弟の悲劇。
(この子たちがいったい何をしたというんだ!)
カインの胸には、ただ怒りがあふれていた。
(彼らはただ懸命に生きただけだ。彼らが報われない世界は間違っている。懸命に生きる人が救われない世界は正さなければならない)
カインはここで決意する。
原作通りであれば、5年後にする覚悟を今ここで。
「レオナルド君。もし君が兄のことを本当に想うなら、強くなりなさい」
「……え?」
泣き腫らした顔を上げる。
「君の兄は賢かった。生きるためには強くならなければいけないことを知っていた。だから彼はきっと、君が強くなることを望むだろう」
「俺が強く……」
「泣いてもいい、負けてもいい。だが強くなりなさい。それが君の兄ライルの意思を継ぐことでもあり、そして彼の存在を証明し続けることにもなる」
「にいちゃんの存在の証明?」
そうだ、とカインは力強くうなずく。
「これからさき、何年も時間が経っていくと、いつかライル君のことを誰もが忘れてしまうときが来るかもしれない。また災厄に襲われて村が無くなってしまうかもしれない。そうなっては、ライルが生きた証は何一つなくなってしまう」
「お、俺は忘れないよ!」
「そうだろう。でもレオナルド一人が覚えてるだけでいいのか?」
レオナルドは理解できず、怪訝な顔をする。
それでもカインは優しく語る。
「レオナルド、もし君が兄ライルの意志を継ぎ、人々を救えたら、きっと君の名と共に兄ライルの存在もまた世に知れ渡る。それは今を生きられなかったライルへの最高の手向けになると思う。君の心にライルが残り続け、その君が偉業を成したなら。きっとライルは他の誰よりも偉大になれるんだ」
「にいちゃんが偉大に?」
「そうだ、レオナルド。君が賢く強い優しい兄を想うなら、強くなりなさい。人々のために戦いなさい」
カインは立ち上がり、レオナルドが持っていた黄金斧を手に取った。
そしてそれを横に持ち、まるで叙勲式のようにレオナルドの眼前に掲げる。
「ライルの弟レオナルド。兄の意志を継ぐ覚悟はあるか?」
レオナルドは涙を強く拭きとり、まっすぐにカインを見る。
「誓います。俺はにいちゃんの意志を継ぎます。強くなって、みんなのために戦います」
ゆっくりと、カインからレオナルドへ、黄金の斧が手渡される。
持つのがやっとだったはずの黄金の斧は、不思議と一切のふらつきなくレオナルドの手に収まった。
周囲にいた村人たちはその光景に圧倒された。
この一幕は村人たちに新たな英雄の誕生を予感させるに足るものであった。
◆
土砂降りの雨の中、泥にまみれて歩く一人の男がいた。
黒いフードを被り、武器らしい武器はない。
まるで亡霊のようにその男は何もない泥道をさまよっていた。
「これでいい。これでいい」
ぶつぶつと、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
男が歩いていると、突然地面からボコボコと黒い突沸が湧きだし、そこから影の軍勢が十数体も現れた。
武器を持たない男は足を止める。
「影の軍勢……」
男を敵だと判断した影の軍勢は一斉に男に襲い掛かった。
赤い目から光線を放ったり、鋭い爪を持つ多腕を伸ばして斬りかかったり。
だが男は避けることをしなかった。
ただ左手をかざす。
「【氷雷】」
男を中心に広がるように青い稲妻が迸り、影の軍勢が凍り付く。
だが凍り付いてもなお、影の軍勢の赤目はぎょろ付き、光線を放つことで氷を溶かそうとし始める。
しかし男は慌てることなく、右手をかぎづめの形にして払う。
「【炎雷】」
凍り付いた影の軍勢に赤い稲妻が迸る。
直後、凍っていた影の軍勢が一つ残らず爆散した。
冷やされた空気が一気に熱されたことによる水蒸気爆発によって、瞬く間に影の軍勢は黒い靄となって消えていった。
影の軍勢を鎧袖一触した男だったが、立ち止まったまま歩くことを止めた。
「……これでよかったんだ」
フードを取り、曇天を仰ぎ見る。
「俺は存在しない兄……兄のまま存在するなんて許されないんだ」
雨に打たれ、雫はまるで涙のように落ちていく。
男――ライルは村を出て一人歩き続けていた。
「大丈夫……レオは強いから、俺がいなくても大丈夫。いや、俺がいないほうがいい。レオにとっても世界にとっても」
ライルは顔を振って雨粒を払う。
払いきれなかったのか、目元を腕で拭い続ける。
「大丈夫、レオは一人でも大丈夫。……俺も、一人で大丈夫」
こらえきれず、ライルは膝をつき、倒れこむように頭を地面につけた。
「大丈夫……大丈夫……もう二度と会えなくても大丈夫。みんななら大丈夫……俺なら、大丈夫」
ライルは腕を振り上げた。
「大丈夫……なわけねぇだろ!!」
思い切り、腕を振り下ろした。
びちゃりとぬかるんだ泥は跳ね、ライルの拳は地面に沈んだ。
「たった一人の家族を見捨てて……何が兄だ。信じてくれた、愛してくれた人を見捨てて、何が英雄だ……人の善意に付け込んで、全部見捨てて悲しませて……最低だ……」
ライルの心は罪悪感に苛まれていた。
「世界のため、レオのため……正しいことしたはずなんだ。俺は死ななきゃいけなかったんだから。……でも死にたくなかった。だからこうした。……俺は間違ってない!」
ライルは顔をあげた。
泥だらけになった顔も腕も全部、雨が流してくれた。
「間違ってない。俺は存在しない最低の兄。そして今、レオナルドの兄はもう死んだ。この世界にレオの兄ライルはもういない。俺はもう兄じゃない」
ライルは力無く立ち上がり、フードを被る。
「ごめん、レオ。ごめん……俺には、世界を救うなんて無理だ。許してくれなくていい」
ライルは首から下げた砕けたネックレスを取り出した。
それは、すでに使えなくなった【助命】のタリスマン。
「でも願わくば、どうか無事を願うことだけは許してほしい」
タリスマンを握りしめ、再びライルは歩き出す。
――こうして、『ワールドリング』の主人公レオナルドの存在しないはずの兄ライルは、物語通り歴史の表舞台から姿を消した。
だが代わりにこれから先、彼は表舞台では知れない物語の裏側、そしてある一人の男の野望に巻き込まれて世界の真実を知ることになる。




