13.ここはゲームの世界
ライルが数日ぶりに家に帰ると、中には誰もいなかった。
「レオ?」
狭い家で隠れる場所はないため、早々にライルは次の場所を探した。
行くあてはもう役場しかない。
「こんにちはー……」
いつも通り役場に顔を出した瞬間、なぜかいつもより多い役場の人たちが一斉にライルを見た。
誰もが無言で、まるで亡霊でも見たかのように驚いた顔をしていたのだ。
「え、えっと……」
静かになった役場に、ライルは思わず帰ろうかと後ずさりした。
だが直後、役場の奥から一人の少女が飛び出してきた。
「ライル君!!」
「エレンさん!?」
エレンが全力で駆け寄り、勢いそのままに抱き着いた。
傷が完治していないライルは支え切ることができずに、押し倒されるように倒れこんだ。
「いっつぅ~」
「ライル君よね! 生きてるのよね! 亡霊じゃないのよね!」
泣きじゃくりながら、押し倒したライルの顔を覗き込むエレン。
ぽたぽたとライルの顔に涙が落ちるが、不思議と嫌な気分ではなかった。
「ええ、生きてます。無事に帰りました」
「もう、心配かけすぎよ! もう!」
ライルの首に顔をうずめて泣き出すエレン。
ライルも素直に受け入れて、彼女の背中を優しくさする。
……がしかし。
「にや~」
「……なんですか、みなさん。変な顔して」
役場にいた村人全員がニヤニヤしながらライルを見下ろしていた。
地面に顔を向けて泣いているエレンには気づかない。
「ライル、優秀な血は後世に残さないといけないよな?」
「ひどいセクハラ!」
「何言ってんだ、俺たちは祝い事に飢えてんだ。めでてぇ話はいくらあってもいいだろ?」
「まだそんな関係じゃないですよ!?」
「まだだと! エレンちゃんとそうなることは確定かこの野郎!」
「めんどくさいよみんな!」
和やかな雰囲気から歓喜の場に変わるのにはそう時間がかからず、村人ほぼ総出でライルを外に引きずり出して胴上げをしだした。
「村の英雄の誕生だ!」
「竜狩りのライル!」
「このまま世界を救う男だぞ!」
唐突な展開に戸惑いつつも、ライルも悪い気分ではなかった。
何度も死にかけた戦いを生き残り、守り切った村の人から祝福を受ける。改めて自分がやり遂げたことの大きさを噛み締めて、ライルは少し涙ぐんだ。
(そうだ、レオは!)
たった一人の弟と話がしたいと、ライルは胴上げされながらも周囲を探す。
そして見つけた。
ライルを囲む輪の外で呆然と立っているレオナルドの姿を。
その瞬間、ライルの体に電撃が走った。
(あっ……なにやってんだ、俺)
一瞬でライルの中にあった喜びは消え失せて、背筋が凍った。
視線の先にいたレオナルドは、驚いた顔をすぐに喜びの顔に変えて胴上げの輪に加わった。
だけどライルの体はずっと固まったままだった。
(そうだよ……ここはゲームと同じ世界……俺が生きてちゃいけない世界だ)
胴上げが終わり、地面に足を付けてもライルの体は強張ったままだった。
「ライル? 大丈夫か?」
「どうした! 顔真っ青だぞ。もしかして酔ったか?」
「ちょっとやりすぎちまったな。役場で少し休んでいけ」
「いや、大丈夫。一回家に帰るよ。また来るから」
ライルは口を抑えながら、そそくさとその場を後にした。
「あ、にいちゃん! 待ってよ!」
背中から聞こえてくるレオナルドの声でさえも、ライルは聞こえないフリをした。
とにかく一人になりたかった。
レオナルドの顔を今見たら、きっと平静でいられなくなるから。
◆
ライルは幽鬼のように俯きながら村の外を歩いていた。
(なんで……気づかなかったんだ。馬鹿か俺は)
下を向いている瞳の焦点はあわず、呆然としている。
(原作開始まであと5年。それまでレオを守っていればいいと思ってた。レオは剣を覚えようとしていたから、そのまま教えていれば順当に強くなると思ってた。普通に一人の家族として、過ごしていいんだと思ってた)
ライルは歯を食いしばる。
(それじゃダメだった! 原作じゃレオは強い正義感と意思で強くなって、世界を救おうとしてた。レオが強い意志を持つために、兄である俺は死ななきゃいけなかったんだ!)
二人が一緒に家にいる時、話をするのは世界にはどんな魔物がいるだとか、普段ライルは何を考えて戦っているのかとか、そういったものだ。
ただ物語の英雄に憧れているだけの少年なのだ。
しかも今、その物語の英雄の道を歩いているのは他でもない、レオナルドの兄のライル。
なればこそ、レオナルドの戦う理由は英雄であるライルと一緒に戦うことにしかならない。
(馬鹿か俺は……もし俺がいなかったら、レオは影の軍勢に住んでいた村を滅ぼされ、そして今回の【擬人竜】の出現で二度村を滅ぼされることになる。住んでいた家と家族同然の村人たちを殺されて、レオが影の軍勢や魔物と戦う動機になる)
これはライルの仮説にすぎない。だが彼は確信していた。
今のままでは、レオナルドは世界を救う旅に出ないと。
(原作のレオナルドに英雄願望なんてなかったのに、今のレオにはそれがある。まだ子供だからかはわからない。でも今のままじゃレオは原作通りの道を間違いなく歩まない!)
ライルは歩くのをやめ、その場に座り込んでしまった。
(世界を救えるのはレオだけだ。主人公のレオだけだ。あいつが持つ魅力によって生まれる『絆の力』でしか、この世界は救えない)
ストレスのあまり、ライルは頭を掻きむしる。
(5年後の原作開始後もレオと一緒に戦うか? 冗談じゃない! 死にたくないっつってんのに戦いの最前線にぶち込まれてたまるか! 俺とレオじゃどっちに人がついていくかなんて一目瞭然だ。自分のことしか考えられない俺と誰かのために戦えるレオじゃ、根本が違うんだ)
主人公のレオと本来存在しない兄では、住む世界が違う。
よしんば隣に立ったとしても必ず世界か兄弟の絆が破綻する。
(たとえ俺がレオと一緒に旅をしても原作から離れるから意味がない。各地で絆を結ぶのに必要なのは兄じゃなくて、レオ自身の意思だ)
きっと自分がレオナルドと同行すれば、原作通りに進もうと機械的に処理しようとしてしまう。
だが人は機械ではない。人を動かすのは人の心である。
絆を結ぶにはライルに言われてやったレオではだめで、レオ自身が救おうと思うから絆が結ばれるのだ。
それが『ワールドリング』のテーマであり、レオナルドが主人公たる所以でもある。
自分が生きることしか考えていないライルではだめなのだ。
存在しない兄ではだめなのだ。
(でもじゃあどうすればいい? ここからレオの戦う理由を影の軍勢を滅ぼすことに変えるにはどうする? たとえ言葉で説明したって、レオは兄が言うことだからとしか思わないかもしれない。それじゃ意味ない)
一頻り考えても、まともな打開策が浮かばない。
レオナルドがライルに心酔している以上、まともに原作を開始することは不可能なのだ。
「はぁ……とりあえず別のことを考えよう」
ライルはなんとなく、いつも狩りに行く森の方を見た。
そこでふと、あることを思い出した。
「そうだ。あれを回収しに行かなくちゃ」
◆
ライルは一人で森の中に入り、【擬人竜】の死体がある場所に来ていた。
ひどい腐臭で誰も寄り付こうとはしないが、しばらくすれば副都からまたギルド員が来て調査を始めるだろう。
その前に、ライルはやりたいことがあった。
「ドロップ品……」
死んだような顔で、ライルは【擬人竜】の遺体を漁る。
「ないな……中か?」
ライルは大斧を手に取り、心臓に向けて振り下ろす。
医者がメスを入れるように、心臓を見るために線を入れていく。
心臓の大きさに皮膚を切断し、強引に傷口を開く。
すると、中から一抱えもある青と赤の透明な宝石があった。
「これが魔石……」
血みどろの二つの魔石を取り出し、太陽にかざして中を透かしてみる。
魔石の中には、青白い雷光と赤い雷光が迸っていた。
「は、ははっ! やった、さすが高ランク!」
ライルは血色の悪い顔を精一杯綻ばせる。
彼が【擬人竜】の中から取り出したのは、魔石と呼ばれる魔法が封じられた物質。
ゲーム『ワールドリング』では、ボスを倒すと防具や武器、冒険に役立つアイテムのほかに、魔術や祈祷を手に入れることができる。
ゲームでは倒したと同時に入手ログが発生するが、現実だとどう手に入るかわからなかったため、ライルは魔石ではないかと予想したが、その予想は的中し、魔法を封じられた魔石を入手することができた。
ライルが手に入れたのは、【擬人竜】が使っていた【氷雷】と【炎雷】の魔法。
原作開始前に手に入れるにしては強力すぎる魔法に、ライルはテンションが上がった。
早速ライルは魔石に手を当てて、意識を集中する。
(要領は秘技を使うときと一緒。意識を集中して武器の声を聞くように……)
黄金斧を手にして突進回転切りが使えるようになった時のように集中する。
すると突如、魔石を掴んでいるライルの手に静電気が走った。
「イッテっ!」
反射的に放してしまったライルだったが、不思議と頭のなかに【氷雷】の使い方が浮かんでくるのがわかった。
「魔法って結構難しいんだな」
【氷雷】の使い方がわかったライルだったが、存外にも魔法は理論だった仕組みで構築されているため、秘技とは勝手がかなり異なることが予想外だった。
「ゲームと同じだったり違ったり、どっちかにしてくれよ……」
深いため息を吐くライル。
続いてもう一つ、赤い雷光を宿した魔石で同じことを行い、【炎雷】を修得した。
一通り討伐報酬を受領したライルはまた長いため息を吐いた。
「現実に気づく前なら、テンション爆上がりだったんだろうな……」
現状に見合わない高レベルの魔法を手に入れても、ライルの気分は晴れなかった。
なんにしろ、こんなところにいては何があっても気が滅入ると思い、ライルは【擬人竜】の遺体から降りて、村に戻ろうとした。
しかしそのとき、ライルの前にある人が現れた。
「おや、君は……」
「カインさん?」
金髪に立派な鎧を纏った副都の隊長カインがやってきた。
「こんなところで何をしている? まだ安静にしていなきゃダメだろう」
「そうですね……ちょっと意識を失う前自分が何をしたのかあやふやで」
「そんなこともあるか。どうだ、思い出せたかい?」
「ええ、おおよそは」
「それはよかった」
ライルがカインの横を通り過ぎようとすると、カインはライルの肩に手を置き引き留めた。
「ちょうどいい。ここで何が起きたのか、教えてくれないか」
ライルは少し悩んだが、大人しくうなずいた。