115.神帝の瞳
聖王カエサルとの対話を終えて。
目覚めてから初めての長い息を吐いた。
「「はぁ~」」
ため息が重なった。
隣でずっと聞いていたリリィアだった。
「もう、ロイくんといると心臓に悪いよ」
胸を抑えて呆れた目を向けてくる彼女に、俺は肩をすくめた。
「さっきのはしょうがないでしょ。起きたら目の前に聖王がいるなんて思わないじゃん」
「日頃の行いが悪いからだよ」
「なるほど、それならここにリリィアがいるのも納得だね」
「なにをぉ~?」
軽口をたたき合い、笑いあう。
リリィアと話すと、戦いは終わったんだと実感がわいてきた。
力が抜ける。
全身をベッドに預けた。
「なんか疲れたな」
「そりゃそうでしょ。散々戦ったんだから」
「そうだね、久しぶりに全力だったよ」
帝国を出てから、本気の命のやり取りなんて初めてだった。
――なんにしろ、これでようやく話ができる。
「テレサもお疲れさま」
ずっと部屋の片隅でじっとしていたテレサ。
今までちゃんと話そうと思っても逃げられてきた彼女と、これで腰を据えて話ができる。
声をかけると、彼女はびくりと肩を震わした。
「ぁ、はい……お疲れ、さまです」
「試合のときは叩いてごめんね。調子はどう?」
「だ、大丈夫です。……ちょっと、びっくりしました」
人と話すのが怖いのか、テレサは話しながら徐々に後ろに下がって距離を取る。
もう壁ギリギリだ。
自信が無いのか臆病なのか。
距離が遠くて会話しづらい。
「こっちにおいでよ。話がしたいんだ」
「で、でも……ボクと近くになんて、いやじゃ……」
「全然。むしろ近くに来てくれると嬉しいな。君の顔が見たいんだ」
「え……」
彼女の髪が長すぎて、未だにちゃんと素顔を見たことが無い。
そのつもりで言ったけど、テレサの挙動不審に拍車がかかり、リリィアはジト目で見てきた。
「ロイくん、起きてすぐにナンパなんて元気だね」
ナンパ? ……あ、しまった!
「変な意味じゃないよ! ただ顔が見たかっただけで……」
「恋人でもなかなか言わないよ。ロイくん、やっぱり女の敵だね」
「そんなつもりじゃないのに……」
いつぞやもリリィアやイレイナから言われた。
でもしょうがないじゃないか。
実際見てみたいんだから。
「ボ、ボク、そんな見たい顔してないし……近くになんていかないほうが……」
「よく聞こえないんだって。話をするにも不便だし、君も聞きたいことがあるんでしょ? じゃあいいじゃんか」
「……わ、わかりました」
テレサは十分すぎるほど悩んでから、リリィアと反対側の――ベッドの端に座った。
……ベッドの隣にある椅子に座ると思ったのにな。
「ちょ、ちょっと……緊張します……」
そりゃ話したことない異性のベッドに座るのは緊張するだろうよ。
リリィアですら戸惑ってるし、ぼさぼさで伸び放題な髪のせいで存在感がすごい。
「随分と髪伸び放題だね。切らないの?」
「切れないんです……ハサミとか切れる音がすると、衝動が、起きるかも、しれないんです」
衝動は想像以上に危険な状態らしい。
よく今まで生活できていたものだ。
「今はどう? 調子はいい? 発作は起きそう?」
「わからない、です……。キミは、衝動を止められる、んですか?」
期待と不安が入り混じった問。
俺は安心させるように笑った。
「止められるみたいだね。確証はなかったけど、うまくいってよかった」
「確証はなかったって……じゃあ一か八かであんなことしたってこと!?」
リリィアが目を丸くして声を上げた。
信じられないものを見た目。
急に大きな声だすから、びっくりした。
「そんな危険なことしてあんなことしたの? 一歩間違ったら死んでたんだよ?」
「試したわけじゃなかっただけで、自信はあったよ。テレサの衝動は状態異常だろうから、あの技なら止められると思って」
「ぇ……?」
テレサが小さな声を漏らした。
「状態異常……? あの技って……?」
動揺が声に出ていた。
不安と期待が混じったような震え声。
「ボクの衝動について……知ってるんですか?」
確定ではないけれど、と前置きし、テレサの問いに答える。
「テレサみたいな衝動に犯される病気って、確かにいくつかあるよね。薬とか、精神的に追い込まれた人とか、我を忘れて異常行動をとったりする」
この世界に限らず、前の世界でもあったことだ。
だけど、
「でもテレサの衝動は違う」
明確に、テレサの衝動は病じゃない。
「人を斬ったことが無いのに人を斬りたいと思う。いくら剣の名家に生まれたからって何の前触れも事件もないのにありえない。やめたいと本人が思ってるのに、関係なくあらわれるなんて、それはどう考えてもありえない」
なら、考えられる原因は一つ。
「テレサは誰かに呪いをかけられた」
明確に、テレサの瞳が揺れた。
リリィアも息をのむ。
「呪い? ……誰が、そんなこと……」
「テレサ。初めて衝動が起きたとき、誰かに変な事されなかった?」
尋ねると、テレサは何秒か思い出すそぶりをした。
でも首を横に振る。
「ごめん、なさい……あまり、あの日のことを、覚えてないんです」
「謝らなくていいよ。こっちこそ辛いことを思い出させちゃったね」
「いえ、すごく、大事なことですから……」
動揺が隠しきれないのか、しきりに彼女は「呪い、なぜ?」と繰り返している。
俺が続きを話そうとすると、リリィアが腕をつついてきた。
「ロイくん。その呪いってなに? あたしたち神官も手を尽くしたのに治せなかったのに、どうしてロイくんは治せたの?」
聖女のリリィアらしい疑問。
これは彼女たちが信仰する神――ミケラの【権能】に影響している。
「ミケラの権能――【生命】を司るミケラの祈祷は、呪いとは相性が悪いんだよ」
「相性?」
「そう。ミケラの祈祷は怪我とか病気とか治せるし、身体能力を引き上げることができる。それは全部ミケラの権能が【生命】を司るものだから」
この辺りはリリィアも十分に理解しているものだと思う。
それでも言ったのは、前提を抑えておくべきだったから。
だって――
「テレサの呪いは【生命】に影響を与えるものじゃない」
「え?」
リリィアの眉間にしわが寄る。
「でも、体に異常が出てるんでしょ? 勝手に衝動が起きるなら、それって病気なんじゃないの?」
「肉体的にはテレサの体はいたって健康。精神にしたって、彼女は思考はちゃんとしてるし、普段はそれなりに生活できる程度には正常だよ。そんな彼女に健康になる祈祷を使ったって効果がないのは当たり前だ」
うつ病や精神疾患なども、脳の神経伝達物質のバランスが崩れているから起こること。
それも身体的な異常の一つ。
だけどテレサには、そういった兆候が一切見られない。
「テレサの体も脳も普通の人間なんだよ。それなのに、殺戮衝動なんてものが起こる。……これは明らかに外的要因によるものだ。その要因をどうにかしない限り、いくら彼女の体を治しても強くしても意味が無い」
「……」
こんなの、普通ならどうしようもできない。
医学が発達していても無理で、祈祷でも治せない。
聖王国がテレサを治せないのは、仕方ないことだ。
――ああ、だからよかった。
俺の剣がここに来て、誰かを救えた。
それが本当に、嬉しい。
「ロイくん、祈祷が彼女に効かないのはわかったけど……じゃあどうして、ロイくんは彼女を治せたの?」
「それにはまず、俺の体質から説明しないとね」
リリィアの支援祈祷もダンジョンの毒すら効かない俺の体。
正確には、俺の左眼。
ウィリアムからもらった神帝の瞳。
「最近知ったけど、俺はね。自分という【存在】を決して揺るがせない体質なんだ」
「【存在】をゆるがせない? どういうこと?」
これはウィリアムの【権能】。
ミケラの【生命】とは違う、ウィリアムの【存在】という権能。
「【存在】っていうのは、形と機能の両方があって初めて固有の存在になるんだ。椅子と机は同じ形だけど、機能が違うから別物でしょ? 同じ椅子でもデザインや座り心地が違うから、同じ椅子でも別物だ」
「う、うぅん?」
ややこしいか、そりゃそうか。
権能は概念を司る。
どうしたって抽象的な表現になってしまうから、理解できないのも無理はない。
「要は、俺は形と機能を本来の姿に保とうとする体質ってことだよ」
リリィアの支援祈祷は、体の機能を強化する――つまり機能に干渉する力。
神帝の眼はそれを拒絶した。
【アルトゥール薬草園】の毒も同じだ。
だから俺には、状態異常というものが完全に効かない。
――呪いだろうが関係なく。
「【金の太陽】はその力を宿した剣。だからテレサを斬ったことで、彼女を本来あるべき姿――呪われる前に戻したんだ」
テレサの目が見開かれる。
何か言おうと口を開いて、でも言葉にならず、口を閉じた。
……まだしばらくは、信じられないかもしれない。
全てを奪われ、何年も苦しめられ続けた衝動を、急になくなったなんて言われても、きっと信じられない。
「ボ、ボクは……」
だけど、もう怯える必要はない。
――――彼女はただの、優しい少女なのだから。
「テレサ、今まで辛かったね」
理不尽に呪われた。
家族を失い、人生を壊された。
怒りも悲しみもずっと抱えていただろう。
――それでも彼女は人を想った。
殺さないように、傷つけないように
孤独と恐怖に苛まれても。
罪と敵意に晒されても。
それでも彼女は今日、この日まで、必死に生きた。
――それのどれだけ素晴らしいことだろう。
「殺戮の天使といわれても、殺すことしかできないとわかっていても、それでもキミは人を想った。どれだけこの手が血で汚れても、それでも君は忘れなかった。殺意の衝動の呼び声に、人として抗う矜持を」
衝動に犯され、魔物を大量に殺戮したあとのテレサの顔を、忘れられない。
後悔と悲しみに満ちたあの顔を。
戦いたくないのに、戦うしかなかった彼女を。
彼女の苦しみが、少しでも救われるように、俺はそっとテレサの手を握った。
「よく頑張ったね。……もう大丈夫だよ。もう、君を苦しめるものはなにもない」
静かな嗚咽がこぼれる。
――今日、この日。
ようやく彼女はあるべき少女に戻れた。
「おかえり、テレサ」
彼女の頭に手を置いた。
――小さな泣き声がずっと響いていた。
【神帝の瞳】
もっとも神に近付いた男の黄金の左目。
全状態異常を完全に無効化し、敵の攻撃でひるみにくくなる。
神帝の存在は圧倒的だった。
あらゆるものを寄せ付けず、いかなるものにも動じない。
この黄金は、揺るがぬ傲慢の証である。