11.凍てつく中で
村で人々の避難準備を進めていたエレンは、時折森から咆哮が聞こえてくるたびに胸が締め付けられる思いだった。
「ライル君……」
遠目でも見える翼の生えた巨大な影。
離れているにもかかわらず、心臓を鷲摑みされているような感覚を覚えるほどに強大な敵。
大の大人が怯えて逃げるしかないような存在にたった12歳の少年が立ち向かっている。
エレンには想像すらできないような恐怖がそこにある。
「お願いです、神様。どうか、ライル君が生きて帰ってこれますように」
エレンには、ただ祈ることしかできなかった。
◆
ライルとレオナルドが暮らしている倉庫のような小さな家の中。
そこでレオナルドは、寝床代わりの藁の上で膝を抱えて泣いていた。
「にいちゃん……怖いよ」
レオナルドが恐れているのは、魔物ではない。
「死なないで、にいちゃん」
兄であるライルがいなくなることだ。
レオナルドにとって、もはや兄は尊敬どころか半ば崇拝に近かった。
(にいちゃんはすごい。その辺の大人よりもよっぽど頭がよくて強くて優しい。今だって、俺たちを守ってくれてるんだ)
レオナルドはいつもライルをすぐ近くで見ていた。
だからこそわかる。
彼の異質さが。
恐れを祓うように剣を振るう彼はレオナルドには及びもつかない何かを抱えている。
それがなにかはわからないけれど、ただレオナルドはその何かを一緒に抱えて戦えるようになりたかった。
でもそれはまだ、叶わない。
(俺には祈ることしかできないけど……絶対、いつか一緒に戦えるようになる!)
兄に渡した剣が彼を助けてくれるように、ひたすらレオナルドは祈り続けた。
◆
魔術、【氷雷】。
雷に氷結を纏わせた【擬人竜】独自の魔術。
空を駆け、天候を操るとされた竜、その紛い物として地下深くのダンジョンで生まれた【擬人竜】は、本当の空も雷も知らずに、その氷雷を誇っていた。
「くっそ……この個体、氷雷使うのかよ」
ライルは凍り付いた大斧を見て舌打ちをした。
(【擬人竜】は個体によって使う魔術が若干異なる。こんなところにそんな【擬人竜】が出るなんて聞いてない)
周囲は氷で覆われ、気温は急激に冷えたはずなのにライルの頬には汗が伝っていた。
それは、共に戦っているヘンリクスとヘイズルも同じだった。
「ヘンリクス……もう駄目だ、退くしかない」
「……だが、俺たちの後ろには村がある。ここで退いたら、こいつは村まで追ってくる」
「でもここで戦っても勝ち目はない! 今の雷撃で村は避難を始めているはずだ! それなら散開して撤退したほうがいい!」
「それでは、ここにいる誰かが危険になる!」
二人が言い合っているが、ライルはそれどころではなかった。
(頼むから、使う魔術は氷雷だけであってくれ!)
ライルはすぐに近くにあった大斧を手に取るが、あまりの冷たさにすぐに手を放してしまう。
(くそ、凍傷になる!)
ライルは代わりにレオナルドから借りた剣を抜く。
レオナルドからもらった剣ではあったが、それは目の前の巨大な敵を前に、あまりにも無力に見えた。
未だ戦おうとするライルに、ヘンリクスが叫んだ。
「ライル! 一度撤退だ! こいつの討伐は中止する! 散開して遅滞戦闘に移行だ!」
ヘンリクスが弓を【擬人竜】の顔付近に射ると、【擬人竜】は狙いをヘンリクスへと変えた。
そして、また右手を頭上高くに振り上げる。
(また同じ攻撃! ……いやまてッ!)
嫌な予感がしたライルは、敵の手を凝視する。
振り上げた右手は夜闇を切り裂くような赤い雷光をバチバチと放っていた。
「ヘンリクスさん!」
「こいつはッ!?」
一瞬遅れてヘンリクスも異変に気付いたが、もう遅かった。
【擬人竜】の手が地面にたたきつけられると、赤い雷光が地面を這うように広がり、後を追うように炎が吹き上がった。
狙われたヘンリクスは【擬人竜】の手を避けられたが、雷光を避けることができず、炎に吹き飛ばされる。
「がっ!」
「ヘンリクス!!」
散開し、【擬人竜】から距離を取っていたヘイズルが慌てて介抱に向かうが、ヘンリクスの右腕は電撃が伝ったような火傷が残っていた。
「【炎雷】!?」
「こいつ、氷だけじゃなくて炎まで使えるのかよ!」
ヘイズルが絶望の表情を浮かべる。
その隙を【擬人竜】は見逃さない。敵の左手がヘイズルへつかみかかる。
「危ない!」
ライルがすぐに剣を擬人竜の顔目掛けて投げつける。ヘイズルが捕まる寸前に剣が当たったことで、敵の注意は再びライルへ向けられる。
「ヘイズルさん! ヘンリクスさん連れて下って!」
「た、助かった! でもライル坊は!?」
「適当に相手して下がるよ! 早く下がって!」
「す、すまねぇ! 死ぬなよ!」
ヘイズルがヘンリクスを連れて下ったのを確認すると、ライルは再び【擬人竜】へと向かい合う。
1対1、しかもライルは武器を失ってしまい、状況は絶望的。
窮地に追い込まれて、ライルは頭がスッと冷えていく気がした。
(あぁ~……何やってんだろ、俺)
【擬人竜】が長い手を利用した薙ぎ払い攻撃を仕掛けてくる。
(死にたくないから強くなるために戦士になったのに、戦士になったら死ぬ目に遭うとか、ホント馬鹿)
やってきた薙ぎ払い攻撃を地面に伏せて回避する。
(この戦い終わったら、絶対戦士やめてやる)
【擬人竜】の両手振り下ろし攻撃を敵の懐に向かって飛び込むことで回避する。
(絶対! 戦士なんてやめてやる! 戦いなんかうんざりだ!)
【擬人竜】の咆哮からの雷撃を周囲の木を利用して回避する。
(……あれ?)
敵の攻撃を回避し続けていくうちに、ライルはふと違和感を感じた。
(なんで俺は避けられてる?)
ただがむしゃらに避けていたが、敵の動きにどこか覚えを感じた。
(そっか……なんで気づかなかったんだろ)
気付いた事実に呆然とする。
それは驚きというより、呆れだった。
自分に対する呆れ。
(この世界はゲームと同じなんだ。……レオもいて秘技もある。だったら当然、敵にもモーションがある)
ライルは周囲を見渡し、自分の大斧とレオの剣を探した。
(そうだ、ゲームと同じだ。今あるもので攻略法を見つけるんだ。ゲームで何度も死んで覚えたはずだろ。【擬人竜】のモーション、この個体は初見でも【擬人竜】にはどの個体にも共通の動作がある。その隙を突く!)
【擬人竜】が再び炎雷の一撃を振り下ろすが、ライルはそれすら回避し、落ちていた大斧と剣を回収する。
(敵のHPの残りは不明! だが他の個体はどいつも魔術を使うのはHPが5割を切ったとき! つまりどんなに多くても残りは半分!)
十人以上の戦士が攻撃してやっと半分しか削れていないという事実にライルは歯噛みする。
だがそれでも生きる希望は捨てない。
(この世界はゲーム! だが現実だ! 残りHPが0になるまで元気に動き続けるなんて無理だろ!)
ライルに攻撃が当たらないことに痺れを切らしたのか、ここで初めて【擬人竜】が大きくジャンプした。
(チャンスだ!)
初見の動きであっても、ライルは笑い、【擬人竜】から大きく距離を取った。
そして、【擬人竜】が落ちる。
全身を地面にたたきつけるような攻撃は非常に強い衝撃を生み、土砂すら飛ばして武器とした。
だが、ライルは【擬人竜】の落下と同時に突っ込んだ。
体中に石や硬い土がぶつかって血が出ても、目の前が土煙で見えなくても突っ込んだ。
(秘技、『突進回転切り』!!)
敵に突っ込みながら回転することで一撃の威力を大きく高める秘技。
視界が悪い中でもたしかにその一撃は【擬人竜】に直撃した。
(よし! これでまた一度引いて――)
だが強力な一撃が入ったことで、ライルは油断した。
直後、土煙の中から現れた巨大な手がライルの小さな体を鷲摑みにしたのだ。
「ガハッ!」
捕まれたことによって、ライルは大斧を取り落としてしまう。
【グォオオオオッッ!!】
ライルを捕まえた【擬人竜】は、獲物を捕まえた喜びからか、雄叫びを上げてライルを自分の頭上に掲げる。
そして、小さなライルの体を強く握りしめ、全身の骨を砕いた。
「ぐああああああああッッ!!!」
ボキボキと骨が砕ける音とライルの絶叫が夜の森のこだまする。
同時にパリンと何かが砕ける音がした。
(【助命】のタリスマンが砕けた……!?)
首から下げていた【助命】のタリスマン、その中心にあった赤い宝石が砕けた。
それにより、一瞬でライルの体が少しだけ回復する。
しかし、それでも絶望的な状況に変わりはない。
【擬人竜】に捕まれ、骨はつながったがヒビが残ったままの全身では、ろくに抵抗もできない。
(ちくしょう……死にたくない!)
【擬人竜】は掴んでいたライルをつまむように持ち、開いた大口の上に持っていく。
(俺は、レオの、存在しない兄……いつか消える運命だ。遅かれ早かれ、こうなるんだ)
落ちたら死ぬ高さ、それもすぐ下には食おうと口を開けている竜の化け物。
全身は痛みだらけで碌に動けない。
(……いや、まだだ)
飛びそうな意識を歯を食いしばってつなぎとめる。
(俺は生きる! 生きてやる! 運命なんて知ったことか!)
震える手で、レオからもらった剣を抜く。
すると、なぜかライルの体に変化が起きた。
全身から淡い白い光が現れ、その瞬間力が湧いたのだ。
(レオ、エレンさん?)
なぜかライルの頭には、二人の顔が浮かんだ。
(二人とも、祈ってくれてたりすんのかな)
危機的状況なのに、ライルの顔は綻んだ。
そしてついに、【擬人竜】のライルをつまむ手は緩み、ライルは大きな口に向かって落下し始めた。
ライルはレオの剣を振りかぶる。
「くたばれバケモノ」
そして彼は、剣を思い切り【擬人竜】の真っ黒な瞳めがけて投げつける。
レオの剣は、まるで吸い込まれるように瞳に向かい突き刺さった。
【グォオオオオ!?】
「見たかオラァア!!」
落下しながら、ライルはほくそ笑んだ。
瞳に刺さった剣に悶え、【擬人竜】が口を閉じたおかげでライルは【擬人竜】の巨大な体にぶつかりながらも、無事に地面に落下した。
「げはっ……あと少し」
ライルは血を吐き出しながら、幸運にも近くにあった大斧を手に取る。
『ねぇにいちゃん。魔物に勝つにはどうしたらいいの?』
(レオ、そんなのは俺が聞きたいよ)
『ライル君は本当に賢いのね。尊敬するわ』
(エレンさん、本当に賢かったら、戦士になんてなってないよ)
危機的状況で、ライルはなぜか大切な二人のことを思い出して笑ってしまった。
それはきっと、危機的状況でも確かに一筋の希望が湧いたからだろう。
「俺は帰るぞ、レオ」
暴れまくる【擬人竜】に向かって、ライルは何度目かわからない突撃をした。
咆哮とともに空から降ってくる氷雷をかわし、炎雷を纏った薙ぎ払いも指の隙間に小さな体を滑り込ませて回避する。
そして――
「秘技……『突進回転切り』」
ライルの渾身の一撃が【擬人竜】の脳天に突き刺さり、【擬人竜】の頭部が地面に叩きつけられる。
「まだまだああああ!!!」
追撃のために、ライルは何度も何度も斧を振り下ろす。
咆哮し、もがき続ける【擬人竜】。
やがて【擬人竜】の動きは弱まり、動かなくなった。
それでもライルは攻撃し続けるが、やがて腕が上がらなくなり斧を取り落とす。
「はあ、はあ、はあ……やった?」
返り血にまみれ、肩で息をしながら、敵の絶命を確認する。
【擬人竜】は死んだ。
「は、はは……」
ライルは両手を握りしめ、咆哮を挙げた。
「うぉおああああああああああああ!!!!!」
凍てつき、燃えた森の中、戦いに勝ったことへ、生きていることへの喜びを吐き出すように彼は叫んだ。
叫んだまま、彼は意識を手放した。