10.擬人竜
村の出入り口にライルが着くと、そこには既に十数人の戦士たちが集まっていた。
ヘンリクス、ヘイズルも赤かった顔を素面に戻して完全武装だ。
「酔いは覚めたんですか?」
「あんなもの見たら一瞬で冷めるさ。念のために『気付け』の祈祷もかけてもらった」
ヘイズルが胸を叩いて意気軒昂をアピールした。
そう言えば、祈祷なんてものもあったなとライルは思い出す。残念ながら、ライル自身はほとほと祈祷の才がなく、村に祈祷の心得がある人に聞いても使えることはなかったが。
ライルが到着したことを確認したヘンリクスが戦士全員を見渡して進軍を告げた。
「全員そろったか。ではいくぞ」
戦士たちは何も言わず、無言で先頭を往くヘンリクスの後ろをついていく。
この村にいる中で最年長はヘンリクスだ。もともとはアルセイタの戦士が最年長だったが、彼らがいない今、ヘンリクスが最年長で腕の立つ戦士となった。
一方で最年少のライルは一番後ろで、門番として村に常駐しているヘイズルがついていた。
「ライル坊、無茶するんじゃないぞ。お前はまだ子供だ。怖かったら逃げていい」
「そういうわけにもいかないでしょう」
自分のせいなのだから、とライルは内心で思う。
口に出さなかったのは、優しいヘイズルならきっとそんなことはないと言うと思ったから。
ライルは相手が【樹需土竜】であると半ば確信してこの作戦を選んだ。だが、ふたを開けてみれば全く違う。
なぜ会ったこともない生息域も異なる【樹需土竜】のことを知っているのかと怪しまれることを危惧してライルは言わなかったが、読みが外れて村に危険が及ぶことに比べれば、そんな悩みの何と小さいことか。
後悔に苛まれながら、重い足を必死に動かす。
「近いぞ……」
森が近づくたびに、否応にも感じる敵の強大さ。
暗くて敵の姿ははっきり見えない。
「ライル、俺の勘だがあいつは……Bランクはあるバケモノだ」
「B……」
Bランクはもはや騎士団が出動するレベルの怪物だ。
Dが黒の軍勢一体として、それはベテラン戦士一人と同じくらい。
CランクはDランクのベテラン戦士が集団でかからなければ倒せない相手。
そしてBランクはベテラン戦士が何人集まっても勝てない相手だ。
Bの上のAランクにはドラゴンといった神獣が分類されるが、Bランクは神獣以外で人の手には負えない化け物とされている。
そんな化け物に、小さな村の精々がCランクレベルしかいない戦士の一団が挑もうとしている。
(無謀だ……)
もっと早く村を放棄する判断ができていれば、会議のときに村の放棄は最終手段と教わったとしても、そう提案するべきだった。
ライルの頭にたらればが無限に浮かんでくるが、それらを頭を振って追い出した。
(悔やんだって仕方ない! 勝てなくてもいい、明日の朝まで村を守ればいいんだ!)
ライルが決意を固めていると、どうやら敵の近くにやって来たらしく、ヘンリクスが手を挙げて停止させた。
「いいか、奴はすぐそこだ。……残念ながら、事前に仕込んだ罠はあっけなく破壊されたようだな」
戦士総出で仕込んだ罠も敵の巨大さの前では無意味だった。
とはいえ、戦士たちはそんなことはわかり切っていたようで、特に動揺することはなかった。
「いいか、ここからは3パーティに分かれる。正面には俺とヘイズル、ライルの三人。他の2パーティは元から同じパーティの『ガラベイル』と『コークス』を中心に編成する。包囲するように展開し、どこかのパーティが崩れたら他のパーティが支援するんだ。いいな?」
ヘンリクスが手早く作戦を決めると、戦士たちは頷いた。
嬉しいことに、ライルのチームは見知ったヘンリクスとヘイズルだった。恐らく経験的に均等に振り分けた結果なのだろう。
3つに分かれた一団は敵を囲むようにして展開した。
敵は大きく、2パーティが側面にまわるまで時間があったため、敵正面にいるライルたちには会話する時間があった。
「なぁ、ライル。エレンちゃんと最近どうなんだ?」
「うぇ!?」
「うぇってなんだうぇって! 初心だなお前は! はっはっは!」
ヘイズルの突然のぶっこみにライルが素っ頓狂な声を上げると、ヘンリクスが笑った。
「照れんなって、村のみんなは喜んでる。村一番の看板娘と麒麟児がくっついてこの村に落ち着いてくれるなら、こんなにいいことはないって。ま、多少エレンちゃんを取られたってやっかむ野郎はいるかもしれないけどな!」
「いやぁ、羨ましいねぇ。年頃の女は少ないから、ライルは一層村で有名になるな!」
何気ない会話をしてくるのは、2人なりの気づかいだと気づいていても、ライルは気恥ずかしくて死にそうだった。
「や、やめてください……魔物と戦う前に死ぬ……」
「ぶっはっはっは! 男のくせに女々しいな! こういうときは当然っつって胸張っときゃいいんだ! そしたら存分にやっかめるんだからよ!」
「その通りだぞ、ライル。むしろその方がエレンちゃんも嬉しいってもんさ」
「そういうもんですか……」
顔を真っ赤にしていたライルをからかう二人。
ライルは張り詰めていた気持ちが少しだけ緩み、いつの間にかリラックスできていた。
(敵わないなあ)
日頃から世話になり続けている二人の背中を見てライルは思った。
するとここで定刻になり、各パーティが定位置について準備が完了した時間となった。
「よし……初撃は各々の最大火力で行くぞ」
ヘンリクスの言葉にライルとヘイズルが頷いた。
そして――
「行くぞ!」
一斉に魔物の元へ走り出した。
森の中では、巨大な魔物の全貌は枝に阻まれてよく見えない。
だが、ある程度近づいたところで、ついに敵の全貌が見えた。
「な、なんだこいつ……」
一目見えた姿にライルは戦慄した。
魔物はまるで、人の形をとっただけの巨大な竜だったのだ。
「【擬人竜】……」
その人の形をした竜は膝立ちで地面に両手をついたような姿勢でずっと空を見上げていた。
「止まるなライル坊! 敵がなんでも叩き込め!」
「は、はい!」
敵は小さな存在である自分たちにまだ気づいていない。
これなら、とライルたちは渾身の一撃を【擬人竜】に叩きこむ。
「――『突進回転切り』!」
ライルは唯一届く【擬人竜】の手に渾身の一撃を叩きこんだ。
敵の指を飛ばすつもりで放った一撃は、寸分の狂いもなく敵の手に吸い込まれ、見事に指を一本飛ばした。
「よしっ!」
「いいぞライル! そのままいけ!」
このまま次へ、と思ったライルだったが、直後に【擬人竜】が挙げた大咆哮に耐えられず、思わず攻撃の手を緩めた。
「なんて音ッ!」
「ライル! 足を止めるな!」
竜の咆哮に紛れて聞こえたヘイズルの声で、ライルはとっさにその場から飛び退いた。
直後、ライルがいた場所に巨大な手のひらがスタンプしてきた。
その衝撃だけで、避けたはずのライルの体が数メートル吹き飛ばされる。
「ぐあっ」
「無事かっ!」
「平気です!」
咄嗟に態勢を立て直し、大斧を構え直す。
ライルが【擬人竜】の顔を見上げると、【擬人竜】もまたライルを見下ろしていた。
「……ッッ!」
圧倒的な殺意と威圧感。
真っ黒で空虚な瞳がじっとライルを見つめ、竜と同じ鋭い牙が並んだ口をにんまりと空けている。
ちらりとライルは自分が飛ばした【擬人竜】の指を見るが、切断面はもう血が止まっていた。
ライルと同じく【擬人竜】に一撃入れたであろうヘイズルも唾を吐いた。
「クソ、なんだこいつは! もう傷が癒えてやがるぞ!」
「こいつはなんだ! 巨人か? 竜か!?」
敵の正体を測りかねているヘンリクス。
一方でライルは、【擬人竜】を知っていた。知っていたからこそ、驚きに満ちていた。
(こいつがこんな序盤に出てくるなんて聞いてない……)
自分の想像を超える怪物を前に、ライルの足は震えていた。
(こ、こんな怖いのか? いくらレベル上げたって、こんなやつの一撃食らったら一瞬で死ぬだろ……)
影の軍勢以上に圧倒的に死が迫る感覚。
「ライル!」
ヘンリクスに名を呼ばれ、咄嗟にその場に伏せる。
ライルのすぐ頭上を【擬人竜】の巨大な手が通り過ぎ、背後にあった木々を枯れ葉を箒で掃くように一掃した。
木がめきめきと根こそぎ吹き飛ばされる音が連続で鳴り響く。
「ちくしょう! ライル無事か!」
「へ、平気ですっ!」
声が裏返りながらも、頑張って声をだす。
(こんなのどうやって勝てっていうんだよ!)
ライルは立ち上がって走り出すが、【擬人竜】の目は未だにライルを見ていた。
そして、おもむろに両手を空に振り上げる。
(あ、まず――)
次の行動を直感的に察したライルは、咄嗟に後ろにジャンプする。
少し遅れて【擬人竜】の巨大な手が地面に降り注ぎ、またライルはその衝撃によってバウンドしながら吹き飛ばされる。
「「ライルッ!!」」
ヘンリクスとヘイズルが同時に呼んでくるが、答える余裕はすでになかった。
「ちく、しょう!」
体中から血を流しながら、それでもライルは斧にすがるように立ち上がった。
他の戦士たちが果敢に【擬人竜】へ攻撃しているおかげで、ここで敵の狙いはようやくライル以外に移った。
「ライル、無事か!」
「坊!」
すかさずヘンリクスとヘイズルがフォローに入ってくれる。
「よく無事だったな。もう駄目かと思った」
「あんな連続ストンピングによく反応できたな。さすがライルだな」
二人が感心してくれているが、まだ開戦してから1分も経っていない。
それなのにこれほど満身創痍になっている。
今も【擬人竜】の長い手による地面をえぐるような薙ぎ払いで、数人の戦士たちが吹き飛ばされた。
「くそ、あいつらだってそこらの魔物に余裕で勝てる腕前なんだぞ! それをああも一蹴かよ!」
「ったく、これで3チームのうち全員無事なのは俺たちだけだな。いやホント、重い一撃を入れられるライルが無事で助かるぜ」
ヘンリクスは剣、ヘイズルは槍を使う。
最近剣から大斧に持ち替えた上に秘技をつかえるライルは、今回のメンバーの中でも上位に入る火力の持ち主だった。
だがそのライルもすでに何度も吹き飛ばされて万全とはいいがたい。
「来るぞ!」
ヘンリクスが叫ぶ。
同時に散開し、【擬人竜】の突きのような殴り込みを回避した。
「今だ!」
他のパーティの戦士が【擬人竜】の腕が伸びきった瞬間を見計らって懐に飛び込んだ。
だがライルはそれが悪手だと直感した。
「ダメだ!」
直後、その直感は正しかったと知る。
【擬人竜】が突き出した腕を引いて地面をひっかき、懐に飛び込んだ戦士たちにぶつけたのだ。
「グレイン! ラウレル!」
もろに一撃を食らった戦士二人の体はまるでおもちゃのように空を飛び、放物線を描いて地面に湿った音を立てて落ちた。
「ちくしょう!! よくもやりやがったな!」
「二人の仇だ!!」
激高した戦士たちが我先にと【擬人竜】にとびかかる。
だがここで【擬人竜】に変化が起こる。
奴の背中の翼が大きく開かれ、空に咆哮を挙げたのだ。
「まずい! みんな、武器を上に投げるんだ!」
「え!?」
「いう通りにしろ! ヘンリクス!」
近くに居たヘイズルはすぐに行動に移し、少し遅れてヘンリクスも上に武器を投げた。
ライルもまた、自身の上に斧を投げる。
その直後だった。
上空から眩いばかりの青い稲妻が落ちたのは。
耳をつんざく大轟音と眼底を焼く稲光にライルは思わず耳を塞ぎ目を逸らす。
一瞬の出来事の後にライルが目を開けると、信じられない光景が広がっていた。
「こ、凍ってる?」
稲妻が落ちたであろう周辺は、まるで氷山のように何もかもが凍っていた。
稲妻によって、叫びをあげることもなく絶命した戦士たちもまた死んだことにも気づかない表情のまま、氷漬けになっていたのだ。
「ひ、ひでぇ……」
「なんだ、これ……」
唯一、武器を上に投げて避雷針を作ったライルたち3人は目の前の光景に絶句していた。
「……魔術、【氷雷】」
ゲームの知識で知っている【擬人竜】が使う魔術。
極寒の地獄を作り上げた【擬人竜】は、笑うように口を開けてライルを見ていた。