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アンテナ彼女

作者: 村崎羯諦

 ある日突然、彼女がアンテナになった。ただ、機械の身体になってしまったというわけではなくて、人間の姿のまま、ありとあらゆる電波や信号を受信できるようになったということ。彼女がアンテナとして初めて受信した電波はラジオのFM放送だった。リビングで何か独り言を言ってるなと思って、近づいてみると、彼女の口からラジオ番組の音声がそのまま流れていることに気がついた。僕の視線に気がつくと彼女は少しだけ恥ずかしそうに微笑みながら、自分でもよくわかんないけどラジオを受信できるようになったんだと教えてくれた。


「ねえ雄太、ちょっとこっち来て。違う違う、もっと近づいて……そうそう、それで私の目をじっと見てみて」


 また別の日。彼女が自分の瞳を僕に覗かせる。彼女の茶色い瞳には、ちょうどこの時間帯に放送されているテレビ番組が映っていた。理解が追いついていない僕に、BSも見れるよと彼女が言う。それから彼女が自分のこめかみ部分をぐりぐりと押すと、彼女の瞳にプロ野球の試合の生中継が流れ始める。


 病院に行こうと僕は言ったけど、彼女は日常生活に支障はないから大丈夫だよと言って聞かなかった。アンテナになってからも彼女は健康だったし、何よりアンテナ生活を心から楽しんでいる様子だった。彼女はラジオやテレビだけではなく、気象衛星からの電波であったり、トランシーバーの無線だったりありとあらゆる電波や信号を受信できるようになっていった。暗号化されているものだったり、単なる電気信号だったりするものですら、何となくその内容がわかるのだと、彼女は嬉しそうに話してくれた。


 もちろん他言無用ではあったけれど彼女から聞く色んな電波の話は楽しかったし、彼女がアンテナであること以外、僕たちはどこにでもいる仲良しの恋人だった。ちょっと変わった体質の彼女ではあったけれど、僕たちは確かに幸せだった。彼女がアンテナであろうがなかろうが僕たちの関係は変わらなかったし、月並みな表現だけど、この幸せはこれからもずっと続くと考えていた。


 そんな僕たちの日常が音を立てて崩れたのは、ある夏の日の夕方のことだった。窓が開いたリビングで、彼女はいつものように飛び交う電波をキャッチしようと目を瞑っていた。しかし、僕がちらりと視線を向けた時、いつも電波の受信を楽しんでいる彼女が険しい表情を浮かべていることに気がついた。眉間に皺を寄せ、何かを必死に聞き取ろうと身体を前かがみにしていた。彼女の異変を感じ、無意識のうちに僕の身体も緊張で強張ってしまう。それから十分ほど緊迫した時間が流れ、彼女はゆっくりと目を開けた。彼女は顔面蒼白のまま僕の方へと顔を向けた。どうしたの? 僕が恐る恐る彼女に尋ねる。NASAが飛ばしてる宇宙探査機からの信号を受信しちゃったの。そして、しばらく黙り込んだ後で、彼女は深刻そうな表情のまま、重たい口を開く。


「一週間後、地球にとんでもない大きさの隕石が衝突するかもしれない」



****



 そんな馬鹿なことがあるもんかと、僕は無理矢理笑顔を浮かべてそう言った。それでも、彼女はアンテナとしてありとあらゆる信号を受信できることも事実だった。警察の無線を盗み聞きして、ニュースにもなってないような情報をこっそりと教えてくれたこともあった。電波の内容自体が間違ってない限りは、彼女が嘘を言っているとはどうしても思えなかった。恐怖で押しつぶされそうな彼女を僕は必死になだめる。仮にそれが本当だとしても、NASAやアメリカ軍が映画みたいに地球を救ってくれるよと言ってみたけれど、彼女は首を横に振り、僕の考えを否定した。


「隕石はすぐそばに来ていて、地球の何倍も大きいの。もし今から壊そうと思っても、きっと手遅れだと思う」


 彼女が宇宙探査機からの信号を受信してからも、隕石のニュースがテレビで流れることはなかった。しかしその一方で、各国首脳が突然極秘の電話会談を実施したり、アメリカ国軍による極秘の訓練が秘密裏に行われているみたいな噂話が流れ始めた。個人で活動している天文学者がSNSで意味深な情報を流した直後に、突然アカウントごと消されてしまうということすらあった。隕石衝突を否定しようと必死に情報を集めれば集めるほど、地球滅亡の信憑性がどんどん強くなっていく気がした。彼女が言っていることは真実だし、そしてそれが真実だとすれば、一週間後に僕たちは死んでしまう。しかし、僕たちのような一般人に隕石を止めることなんてできなかったし、仮に真実を伝えたとしてもタチの悪い宗教だと笑われるだけ。だから、僕は覚悟を決めた。恐怖で怯えている彼女を抱きしめて、結婚しようと彼女に言った。彼女は泣きながらプロポーズを受け入れてくれて、僕たちは隕石が衝突する三日前に結婚届けを出した。


 もちろん死ぬのは怖かったけれど、愛する彼女と一緒に死ぬのも悪くなかった。死ぬ覚悟はできていたし、最後の一瞬まで彼女のそばにいてあげようと思っていた。だから、彼女がわずかな希望に縋って宇宙探査機からの信号を受信していた時、突然ラジオの音声ではない独り言をぶつぶつとつぶやき始めても、きっと怖くて怖くて仕方なんだろうとしか考えられなかった。そのまま30分ほど経った後、彼女はようやく独り言を止めた。彼女の表情は、さっきまでの怯えた表情ではなくて、どこか悟り切った表情だった。どうしたの? と尋ねる僕の方へ振り向き、それから彼女は少しだけ切なげな表情で「愛してる」とだけ呟いた。


 その日の夜。寝室で寝ていた僕は、深夜に突然彼女に起こされる。僕が寝ぼけ眼のまま顔を上げると、そこには深夜だというのに外行きの服を来て、うっすらと化粧をした彼女がベッドの横で立っていた。


「今日の夕方ね、宇宙探査機とか宇宙ステーションとか、私が知ってるのとは全然違う電波を宇宙から受信したの」


 状況が飲み込めていない僕を見下ろしながら、彼女が言葉を続ける。


「信じられないかもしれないけど、それって宇宙人からの電波だったの。やっぱりいたんだね、宇宙人ってさ! でね、ありがちかもしれないけど、その宇宙人がいる惑星はね、地球よりも遥かに技術が発展していて、広い宇宙のどこかに存在するだろう生命体に向けて信号を発信し続けてたらしいの。どういう技術を使ってるかはわからないけど、それを受信した途端、向こうの宇宙人とやりとりができるようになって、それから頭の中で会話ができたんだ。信じられる?」


 彼女がベッドの縁に腰掛ける。僕が上半身を起こすと、彼女がいつもつけている柑橘系の香水の匂いが微かに鼻をくすぐった。


「でね、私が宇宙人の信号を受信できたことにあっちもすごく驚いたわけ。それから地球のこととか隕石のこととかを話したらね、あっちの惑星の技術を使えば何とかできるかもしれないって教えてくれたの。でもね、地球を救う代わりに、私がずっと遠い場所にある惑星に来てほしいって言われた。そんなに離れた場所の信号を受信できることはやっぱりすごいことなんだってさ。彼らがいる場所はすごい遠い場所にあって、そもそもどうやってそっちの惑星に行くんだろうって思ったけど、身体を一度素粒子に分解して、それから地球時間で大体五百年くらいかけて移動するらしいの。まあ、ここらへんは全然理解できなかったんだけどね」


 ぼんやりとした意識の中でも、彼女が次に言う言葉が僕にはわかった。行かないでくれ。そう口を開きかけた僕を彼女がそっと静止する。そして、彼女は前屈みになり、僕にそっとキスをした。


「一緒に死ぬのも悪くないけど、やっぱり私の家族とか、雄太くんには死んでほしくない。だから、お別れ」


 僕が本能的に手を伸ばし、彼女の腕を掴もうとしたその瞬間、彼女の身体が幻想的に発光し始めた。そして彼女の体はホログラムのように無数の光に分解されていき、その光もまた、空間の中へと溶けていくように消えていく。僕は呆然としたまま、消えていく光を見つめ続けることしかできなかった。先ほどまで彼女がいた場所には全ての痕跡が消え、彼女が座っていたあたりの僅かなベッドのへこみすらなくなっていた。それでも僕は、彼女が消えていった空間を見つめ続けた。僕に残されていたのはただ、彼女が消える時に発した光の残滓と、唇に残ったわずかな温もりだけだった。



*****



 そして、彼女がNASAの信号を受信してから一週間後。地球はいつもと同じ朝を迎えた。彼女を失った悲しみの中で、宇宙人の話も隕石の話もひょっとしてすべてが嘘だったのかと思い始めていた。しかし、その数日後、アメリカの大手新聞社が、隕石が地球へ衝突しようとしていた事実と、そしてそれを各国が意図的に隠し続けていたという大スキャンダルを報道した。世間の話題がそれ一色になり、ありとあらゆるメディアが連日そのニュースを取り上げた。僕は血眼になってその情報を漁ったが、流出したNASAの内部レポートの中でも、隕石衝突の危機は事実だったということ、そしてなぜかそれが突然回避されたことしか言及されておらず、そこに僕の彼女の名前とか、遥か遠い場所にいる宇宙人のことは出てこなかった。


 彼女がこの地球を救ったことを、世界中で僕しか知らない。そして、彼女が今この瞬間も、広い宇宙を旅していることも。彼女を失って十分過ぎるほどに嘆き悲しんだ後で、僕は喪失感を紛らわせるため、天文学の勉強を始めた。コツコツと独学し、いろんな書籍を読み、それからなけなしの貯金を叩いて人里離れた山に自作の電波送信機を作った。


 それはもちろん、宇宙に向けて信号を送るため。そしてその信号は、遥か遠い宇宙にいる、大好きな彼女に向けてのもの。何を伝えるべきかを何日も考えて、彼女に一番伝えたいメッセージをモールス信号に変換して、送信機に設定する。送信機が小さな駆動音を発しながら、僕が打ち込んだ信号を宇宙へと向けて発信し始める。


 僕は作業を終え、空を見上げる。そしてそれから。僕は青い空の向こうに広がる宇宙と、そして彼女のことを想った。素粒子となって宇宙を旅する、僕のアンテナ彼女のことを。宇宙人からの信号を受信できた彼女なら、きっと僕のメッセージに気がついてくれるはず。馬鹿だと思われるかもしれないけど、なぜか僕はそのように信じることができた。僕のメッセージを受け取った彼女はどんなリアクションをするだろうか。正解はわからないけど、瞼を閉じれば、記憶の中の彼女が僕に向けて微笑んでくれる光景が浮かび上がる。僕は目を開け、もう一度空を見上げた。そして僕の横では、電波送信機が緑色のランプを光らせ、僕が設定したモールス信号を宇宙へ向かって飛ばし続けていた。


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