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崩壊 ~ほうかい~

「パイロン。ここから出して」


「ダメだ」


「……っ!…いい加減にして!!貴方の言う償いってこういう事なの?!私はこんなの望んでない!!」


「君こそなんでわからないっ!世間知らずの女性が子供と二人で生きていく事がどれほど大変な事か…君はちっともわかってない!世の中はそんなに甘くないんだよ!!聞き分けてくれ、ベアトリーチェ。言ったろう。君の望みはなんでも叶えるって。乙女は必ず見つける。ドレスだって宝石だって君が望むなら何でも運ばせる。君はここにいるのが一番幸せなんだ」


「これが幸せ…?笑わせないで。ドレスや宝石に何の意味があるの?こんなところに閉じ込められて誰に見せびらかせって言うのよ!私はここから出たいだけ!どうしてわかってくれないの?!それが私の唯一の望みなのに…っ!」


「…ダメだ。それだけは、許可できない」


「……パイロン…っ!」


自分でも滅茶苦茶な事を言っている自覚はある。そんな言葉で彼女が納得しないのも十分承知している。でも…それでも…。彼女が僕の目の届かない所で、再びあんな目に遭ったらと思うと怖くて仕方がなかった。






その日の僕たちは、これまでで一番ひどい口論をしあった。お互い熱くなった頭を冷やすことができず、思いとは真逆の言葉でお互いを罵り、そして傷つけあった。


何故、こんなことになったのか…。

出口の見つからない口論に終止符を打ったのはベアトリーチェの一言だった。


「……私を王妃にして」


「……?!」


あまりに突拍子のない一言に僕は言葉につまった。


「いつも言ってるじゃない。あなた、何でもできるんでしょ?力があるんでしょ?!だったら私を王妃にして!!王妃になって『白き乙女』の捜索を国務にするわ!そうすれば私は出て行く必要がなくなる!ずっとこの王都に居続けてあげるわ!どう?!それならあなたも満足でしょ!!」


「…何を言ってるんだ、ベアトリーチェ。そんな事…」


「できる訳ない?!そうよね、そんな事できるわけがない。国王には最愛の王妃がいるんだから。貴方がいくら大口を叩いたってできない事はあるのよ!」


ベアトリーチェの顔が苦し気に歪む。


「…ねえもういいでしょ、パイロン。こんな言い争い無意味だわ。私が望むのはここを出る事…。あなたはもう私から解放されていいの。もっと自分を大切にして欲しいのよ…」


「……」


予想だにしなかった彼女の言葉に、僕の頭は空っぽになった。


(ベアトリーチェが王妃に…?)


彼女が僕の袖を掴みながら切々と何かを言っている。その真剣な顔を僕はただぼんやりと見つめていた。思考の止まった僕の頭にも耳にも、彼女の声は全く届いてこない。


(彼女が、僕以外の男の妻になる…)


そんな事、許されるはずがない。考えたくもない。


(他の男に取られるくらいなら、いっそこの手で……)


「……だから…お願いパイロン!私のためを思うなら…」


語気を強めた彼女の声にハッと我に返った。


(僕は今、なにを…)


唯一耳に届いた、「私のためを思うなら…」という彼女の言葉。




盲目だったこの時、僕はその言葉を「王妃の座につくことを懇願する彼女の切実な願い」と捉えた。

そんな事、彼女はちっとも望んではいなかったのに…。




僕は、沈む心を何とか隠そうと彼女に背を向けた。


「ねえパイロン…どうしたの?ちゃんと聞いてる?」


怪訝そうな彼女の声に「問題ない」と呟き、扉に手をかけた。


「パイロン…?」


「少しだけ…考える時間が欲しい。お互い頭を冷やした方がいいだろう…」


そして彼女を振り返ることなく僕は部屋を後にした。





久しぶりに本邸に戻った僕はその足で書斎に籠った。気がつけば夜も更け屋敷内は静まりかえっている。揺れるろうそくの炎を見つめながら普段は飲まない酒を煽ると、脳裏に先ほどのやり取りがよみがえる。


『王妃にして…!私のためを思うなら…っ』


思わず首を横に振る。ありえない。そんなことできるはずもない。ローライはルイーズ様を愛している。生涯彼女一人、側妃は持たないと皆の前で誓ったくらいだ。

ベアトリーチェだってローライへの愛情がある訳ではないだろう。王妃という地位への欲も彼女の性格からしてありえない。


(乙女を求め平民として生きるか、それとも王妃か…か)


フッと、自嘲めいた笑みが浮かぶ。彼女の純粋な故郷への思いが僕の胸を締め付ける。と同時に、


「それ程までに…僕の元を離れたいという事か…」


好きでもない男に一生囲われて暮らすなど彼女にとって幸せであるはずがない。とうの昔に失った彼女の愛を取り戻すなんて、そんな夢物語を綴るつもりはなかったが、共に過ごす時間の中期待を抱かなかったと言えば嘘になる。だがそれは結局、僕の絵空事でしかなかった。

散々彼女のためだと言いながら、その実、自分の願望を押し付けていただけだという現実に今更ながら自分に嫌悪した。


(お前に夢なんか見る資格はないだろう、パイロン。…誓ったんじゃないのか。彼女の望みを叶えるのだと)


僕は残りの酒を一気に煽り、乱暴に口元を拭った。


「いいよ、ベアトリーチェ。君がそう望むなら…僕はなんだってしてあげる」


一つの罪を犯せば、あとはいくつ重ねても同じこと。君と人生を重ねられないのであれば、せめてその心の片隅に僕という傷跡を残そう。



決意をもって見つめたロウソクの炎が、ふいに大きく揺らいだ。


「誰だ」


気配を感じ、視線をあげる。

そこには銀の髪を緩く編み、薄手の真っ白な寝間着に身を包んだアリシアが薄闇の中に佇んでいた。


「申し訳ありません。本邸(こちら)にお戻りだと聞きましたので…」


アリシアは大人しく従順な淑女(レディ)だ。少なくとも夜更けにこんな姿でうろつくようなはしたないまねをする女性ではない。


(侍女あたりにけしかけられたか)


ため息交じりに立ち上がると壁にかけられたガウンを手に取りそっと彼女の肩にかけた。


「このような姿では風邪をひきます。夜も遅いですから私の事は気にせずお休みください」


「……っ!」


彼女の傷ついたような顔から目をそらす。彼女の言いたいことはわかっている。


結婚して2年、未だ初夜すら迎えていない僕たちを危ぶむ声は多い。でも僕はどうしても、この()()()()の妻を抱くことができなかった。父の思惑に乗せられ、()()()()()()()()()()ではない後継ぎを作るためだけに選ばれた女性。ベアトリーチェの存在はもちろんだが、彼女のアドラム然とした容姿が僕にブレーキをかける。


「私ももう休みます。貴方も…」


「私たちは夫婦です…っ。夫婦とは寝室は共にするものではないのですか…っ?」


僕の言葉を遮り、震える声で訴えるアリシアは今にも泣きそうだった。おそらく相当の勇気を振り絞った一言だったんだろう。それを聞いて僕は…、



なんの感情も持てなかった。



夫婦とは…確かにそうなのだろう。政略結婚の末、たとえ愛情がなくても子を成す。それが貴族に生まれた者の務めだという事はわかっている。恋愛によって結婚するなど万に一つ。ローライは単に運がよかっただけ。皆割り切って家のために生きる、それが貴族であり、家門を守るという事だ。


「申し訳ないが、私はあなたを抱くことはできない」


「…どうして…?」


彼女の瞳から涙が零れる。おそらくこれまでずっと我慢してきたのだろう。


「私によくない所があれば直します。仰ってください…。どうか…私を…見てください」


涙ながらに懇願する彼女を、僕はただ静かに見つめた。

いつの世も、男が通わない理由で責めたてられるのは常に女性だ。やれ魅力がないだの浪費家だの、浮気性などと周囲は面白おかしく噂を吹聴する。そんな噂も度々耳にすることはあったが、敢えて否定も肯定もしなかった。きっとつらい思いをしてきたに違いない。


「私はあなたを愛せないと、婚約式でお伝えしたはずです。私には一生をかけて尽くしたい女性がいるからと…」


「それは高い塔(ベルクフリート)の女性ですか?」


彼女がきっぱりと言った。

僕が塔にベアトリーチェを囲っている事は屋敷内では周知の事実。彼女の耳に入る事も予め想定していた。


「出産されたと聞きました。あなたのお子ですか…?」


「……いや。私たちはそんな関係ではない。だが…その子は生涯、私が面倒を見ようと思っている」


「……そう…ですか」


アリシアがそうつぶやき、部屋を後にした。

この時の僕に、少しでも彼女の心の傷を思いやる気持ちがあれば、4年後…死という選択をする事はなかったのかもしれない。愚かな僕はこれから先、幾重にも罪を重ねて行くことになる。









三月後、王宮の執務室。

執務机を挟み対峙する、僕とベアトリーチェの姿がそこにあった。


「どういう事…っ!」


僕に掴みかかろうと激しく暴れる彼女を、執務官が羽交い絞めにして押さえつける。サインを終えた書類を脇によけペンを置くと彼女に目を移した。


「ああ、そのドレス…いいね。君の髪色によく合ってる」


「はぐらかさないで!!いきなりこんな所に連れてきてなんのつもり?!カリスタをどこ?!あの子をどこへやったの?!」


用意させた深緑のドレスに身を包んだベアトリーチェが黒曜の瞳で僕を睨みつける。ひどく懐かしいその光景にふと昔を思い出した。僕が合図を出すと、執務官は彼女を離し退室する。ドアが閉まる音を確認し僕は再び彼女に目を向けた。


「カリスタの事なら心配いらない。然るべきところに養女に出した」


「…なんで…どういう事…?」


「君には今日からこの王宮で働いてもらう。ルイーズ様の侍女としてだ。そのために侯爵令嬢の戸籍も手に入れた」


僕は一枚の書類を彼女に渡した。そこには彼女の()()()()()()()()()()()()()()()()()経歴が事細かに記されている。


「今この場で覚えてくれ。外には出せないものだから覚えたら燃やしてくれ」


「あなた…何言ってるの?私が王妃様の侍女って…どうして…?」


「それが一番の近道だからだよ」


「なんの…?」


「君が王妃になるための」


「……っ!」


「王妃の傍にいれば必然的にローライに会う機会も増えるだろう。君はせいぜい彼に気に入られるよう努力しろ。あとは僕が何とかする」


ベアトリーチェが驚愕の眼差しで僕を見る。


「自分が…何を言ってるのかわかってる?」


「言い出したのは君だろう」


「それは…っ!」


ベアトリーチェが信じられないと言った顔で黙り込む。


「乙女は引き続き僕が探す。マールムの視察も再開した。今後は月に一度、君の元に報告を入れよう。あの塔にも戻る必要もない」


「そんな事…私が納得すると思う?」


「君に拒否する権利はない。君がこの国の国民である以上()の命令は絶対だから。それに…カリスタがどうなってもいいの?」


「…私を脅す気…?」


「そんなつもりはないよ。ただ僕は君の望みを叶えてあげたいだけ…。大丈夫。君ならきっと素晴らしい王妃になれる」


「……っ」


ベアトリーチェが力なく項垂れる。握りしめた拳がやりどころのない怒りに震えている。

彼女はきっと、僕に失望しただろう。でも…。




これでいい……。




これより先、僕と彼女の間に接点があってはいけないから。彼女が王妃になるその日まで。


この日を境に、僕の彼女への想いは封印された。




本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。


次回更新は5/29(土) 10時頃とさせていただきます。

引き続きよろしくお願いします。

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