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理性 ~りせい~

続きです。

「パ…イロン…っお前…何を…っ」


父の目が真正面から僕を捉えた。こんな間近に父を見たのはいつぶりだったろう。いや、もしかしたら初めてなのかもしれない。信じ難い現実を前に父の目が大きく見開く。


先日の一件以降、一度も手入れをしていない剣は刺したが最後、なかなか引き抜くことができない。力任せに反動をつけると父が椅子から転がり落ちた。


「パイ…ロン…。よせ…っ誰か……っ」


かすれた声が人を呼ぶ。腹から血を流し這いずる父をまたぐと、僕は逆手に剣を持ち直し、もう一度その胸に剣を突き下ろした。


「がっ…は……っ!」


見開かれた黄金の瞳が信じられないというように震える。父は今どんな気持ちで僕を見上げているのだろう。徐々に光を失うその瞳を僕は静かに見つめ続けた。幼い頃から常に逆らうことなど許されなかった父。まさかこんな日が来るなんて…。お互い考えもしなかった結末だった。


(簡単なことだった…)


なんの感情もなく冷えた頭で父を見下ろす。そこに、物音を聞きつけたドーソンが駆け込んできた。


「どうした、パイロ……っ!」


目の前の惨状にドーソンが言葉を失う。


「初めから、こうすればよかったんだ。僕はずっと間違っていた。もっと早くこうしていれば…、ベアトリーチェがあんな目にあう事はなかったのに…。全部僕のせいだ…」


光の消えた黄金の瞳が虚ろに僕を見つめる。


その時…、


ドサリッと聞こえた物音に振り返る。そこには青ざめて膝を折り、崩れ落ちるドーソンの姿があった。


「ドーソン…?」


両手で顔を覆い、苦し気に顔を歪めるドーソンが声を震わせる。


「パイロン……オレも…罰してくれ。ベルゲン様と同じように。その手で…殺してくれ…」


「なにを…言ってるんだ……?」


いつもと違う彼の様子に、心がざわついた。


「……オレなんだ…。ベアトリーチェを…彼女をヴェズリーに連れて行った従僕は…オレなんだよ…」


「………っ!」


「お前の苦しみを知りながら…これまでずっと言えなかった。断れなかった…。侯爵家の跡取りでしかないオレに宰相の命を拒否する権利なんかあるはずもなかった…っ。ずっと辛かった…お前を騙している事が…」


「それじゃ…お前は知ってて、ずっと彼女を探すふりを…?」


ドーソンが力なく頷く。


「妹の婚約が決まってたんだ…。オレが裏切れば家が傾く…そう言われた。そうなればあいつの今の幸せはなかった…」


「……っ!そのせいでベアトリーチェはあんな目に遭ったんだぞ!!」


「わかってる…っ!!でも、あの時は…他にどうしようもなかったんだ……」


「……っ」


(ドーソンが…オレを騙してた……?)


幼い頃から共に過ごしたドーソン。ずっと親友だと…唯一信頼できる人間だと思っていた彼の告白に愕然とする。まさか彼がこんな秘密を抱えていたなんて予想だにしなかった。


(こいつも父の…被害者だったという事か…)


「すまない…パイロン。許して欲しいなどとは思ってない。オレはもう…お前の友には戻れない。分かってる。だから、頼むパイロン…お前の手でオレを…捌いてくれ…っ」


そんなドーソンを僕は黙って見下ろした。そしておもむろに彼の肩に剣先を突き付けると、ゆっくりと先端をその身に沈めた。


「う…っ」


ドーソンが小さく呻く。その様子をしばらく眺めたのち、僕は剣を引き抜き静かに横に薙いだ。

後ろで結ばれていた彼の長い髪が束のままパサリと床に落ちる。僕は彼の胸倉を掴むと思い切り引き寄せた。


「……簡単に…死ねると思うなよ」


僕は剣を鞘におさめると、壁際にかけられた父のコートをふわりと羽織った。それはこの国の宰相が代々受け継いできた唯一のモノ。この国の宰相のみが身につけられる証そのもの。


「……現アドラム当主ベルゲンは、()()()()()()()()たった今命を落とした。これからはこの()、パイロン=アドラムが当主となり宰相の任を継ぐ」


「パイロン…」


「ドーソン。お前は今後、私の右腕となり一生を捧げろ。裏切る事は決して許さない。いいな?」


ドーソンが驚いたように目を見開く。そして逡巡するように瞼をきつく閉じた。やがて何かを吹っ切るように目を開くと、片膝をつき僕に深く頭を下げた。


「すべてはあなたの望むままに。パイロン宰相閣下」








ベアトリーチェが目覚めたとの知らせを聞き、僕は高い塔(ベルクフリート)に向かった。

ベッドに体を起こした彼女は、当時と変わらぬ美しい黒曜の瞳で窓の外を見つめている。


再会した彼女からは一切の「笑顔」と「言葉」が消えていた。


「ベアトリーチェ…」


僕の呼びかけになんの反応も示さない。

彼女の心は…壊れてしまったのだろうか。もう僕に笑いかけてくれることも、語りかけてくれることも金輪際ないのだろうか…。


それからの僕は、時間の許す限り彼女と共に過ごした。会話など一切なかったけれど、それで十分だった。これまで離れていた時間を埋めるかのように僕は彼女の傍を離れなかった。

いつか彼女が笑ってくれれば…ただそれだけが僕の願いだった。


ベアトリーチェが目覚めて以来、僕が本邸へと足を向ける事は一度もなかった。当然の如く、妻であるアリシアと顔を合わせる事は一切なく、対外的に見ればなんてひどい男なのだろうという自覚はあった。

でも…。それでも…。

僕はこれ以上自分の気持ちに嘘をつくのは嫌だった。





「ご懐妊しております」




三か月も経ったある日のこと、医師がそう告げた。

その可能性を考えないわけではなかった。そうならなければいいと抱いていた僅かな期待。しかし現実は甘くはなかった。父親はあの男で間違いないだろう。


ベアトリーチェは相変わらず窓の外を静かに見つめている。僕は彼女の枕元に座り、彼女の手をそっと握った。


「ベアトリーチェ……。君が望むのであれば、堕胎することも可能だ…。この国には腕のいい医者が大勢いる。国一番の医師を手配しよう。君の心安(しんあん)のためなら私はなんだってするよ」


僕は今、ちゃんと笑えているだろうか。声は震えていないだろうか…。

彼女が不安にならないように。これ以上傷つくことがないように…。


その言葉に、ベアトリーチェが僕を見た。美しい黒曜の瞳。その中に僕の姿が映り込む。


「……産むわ」


たった一言。

彼女はそうつぶやくとそっと自分の腹に手を添えた。久しぶりに聞く彼女の声に胸が締め付けられる。数年ぶりの会話がこんなモノである事に運命の神を呪った。


その子の父親に…。


そう喉元まで出た言葉を僕は何とか飲み込んだ。すべての元凶であるこの僕にそんな事を言われたところで彼女が喜ぶとは思えない。彼女を裏切り既に配偶者を持つ自分にそのような権利はないのだ。彼女の何者にもなれない自分。僕にできるのはただ、彼女を尊重し守る事のみ。


――――愛している。


あの当時、何のためらいもなく口にできたその言葉を、僕はもう二度と口にすることは叶わないのだ。







それから数か月後、彼女は出産した。


産まれたのはベアトリーチェと同じ髪色の女の子。瞳の色が彼女と異なるのは、おそらくあの男の特徴なのだろう。

スヤスヤと眠る小さな命を抱いた彼女はとても美しかった。


赤子は「カリスタ」と名付けられた。


ベアトリーチェは淡々と、当たり前のように赤子の世話を焼く。乳を含ませ、おしめを替え…侍女にやらせればよいような事でさえ全て自分でこなす。しかし、我が子に対しただの一度も笑いかける事もなければあやす事もしなかった。


やがて赤子の首が座り、メイドがあやせば笑顔を見せるようになってきた頃、


「ここを、出て行きます」


唐突にベアトリーチェが言った。


時が経つにつれ彼女の言葉数は増えていった。昔のようにとはいかないまでも、二言三言、言葉を交わせるようになった矢先の出来事だった。


「いつまでも、あなたの世話になる訳にはいかないわ。これからはこの子と二人で生きていきます」


晴天の霹靂。これまでそんな素振りを一度も見せなかった彼女の言葉に僕は慌てた。


「どうして…?ベアトリーチェ。なんで突然そんな事…。ダメだ…っ!行かせない…っ。君はずっとここにいるんだ!」


僕は彼女の肩を強く掴んだ。その声に驚いたカリスタが大きな泣き声をあげる。


「あなた…本邸には帰っているの?」


不意を突かれ僕は黙った。


「私がここにいる限りあなたに迷惑がかかる。私はもう大丈夫。あなたは奥様を大切にして差し上げて」


彼女は僕とアリシアの夫婦関係について何も知らないはず。おそらく侍女たちの噂話でも耳にしてそんな事を言いだしたんだろうと推測した。


「彼女の事は…いいんだ。所詮は政治的な婚姻だから。最初からお互いに愛情なんてないに等しい」


僕はこれまでのあらましをようやく彼女に告げた。婚約は破棄されていたのだと思い込んでいた事。15の誕生日に約束の答えを聞きに行ったこと。ベアトリーチェが嫁いだと聞いて目の前が真っ暗になった事。そしてずっと探し続けていた事。家の都合で結婚はしたけれどそこに愛情は全くない事…。僕の明かす胸中を、彼女はつらそうな顔で静かに聞いていた。


「…全部私のせいね。ごめんなさい、パイロン」


「君が謝る事なんて何一つない。すべては私の責任だ…。だから一生をかけて償わせて欲しい。今の僕には力がある。もうあの頃とは違うんだ。君の望みはなんだって叶えてあげられるよ」


僕の言葉にベアトリーチェが首を横に振る。


「償うなんて大げさよ…そんな必要ない」


ベアトリーチェがカリスタの額にかかる髪をそっとよけた。


「私ね、どうしてもここを出たいの。やらなきゃいけない事があるから」


「やらなきゃいけない事…?」


今更マールムには戻れない。そんな事、彼女が一番よくわかっているはずだ。そんな彼女がやりたいこととは一体…。


「『白き乙女』を探そうと思うの」


「……!」


それは、とうの昔に切り捨てた彼女との誓い。彼女の願いを叶えるための唯一の手段。


「これまでずっとあなたに任せきりで心苦しかったの。でもあなたのおかげでこうして自由になれた。感謝してるわ。だからこれからは自分の足で『乙女』を探そうと思うの」


彼女の言葉に、胸がズキンと痛む。


(これほどの仕打ちを受けて尚、彼女はまだ彼の地に思いを馳せるのか…)


平気で彼女を切り捨てた父親。僕にとっては忌まわしい以外の何物でもない彼の地。


(君の気持ちは…今も尚マールムにのみ向いているのだな。その中に、僕の入り込む余地などどこにもないのか…)


頭ではわかっている。

僕のせいであんな目にあった彼女が、どうして今でも僕を思ってくれるというのか。恨まれ憎まれて当然だとわかってはいるけれど、痛む心はどうすることもできない。


「ダメだ…」


口が勝手に動いていた。


「パイロン…?」


「乙女は僕が探す…。君はここにいるんだ」


「パイロン…!」


彼女を手放すことなどできなかった。これがただの我が儘だという事は十分承知している。

でもそれだけはどうしても許すことはできなかった。たとえそれが彼女の願いだったとしても。


それからの僕たちはずっと平行線をたどった。









本日も最後までお読みいただきありがとうございました。


次回更新は5/22(土)です。

よろしくお願いします。

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