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計略 ~けいりゃく~

僕は男の襟首を掴むと力任せに引きはがした。

突然の事に男は、下半身を晒したまま薄汚れた敷き藁の上にだらしなく転がる。


「おい…っ!テメッ!!いったい何しやがるっ!!」


男が慌てて立ち上がろうとするが絡まったズボンが邪魔をしてうまく立ち上がれない。

僕は彼女の視界を塞ぐように二人の間に立つとすらりと剣を引き抜いた。その瞬間、男の顔に恐怖が浮かぶ。


「な…にを…っ…やめ……ろっ」


男のつぶやきを聞き流し、僕は無言のまま男の体に剣を突き立てた。


「うわぁっっ…!!」


男の悲鳴が上がる。それには構わず、僕はゆっくりと剣を引き抜くともう一度男の体を貫いた。


「い…っ!やめてくれ…っ頼む…っ!!」


男の懇願を無視し、僕は何度もヤツの体を切りつけた。逃げようと必死に這いずる男を追いかけ必要に剣を振るう。次第に細くなる男の声。

その時の僕に感情などなかった。ただ目の前にいるこの男の存在をなかったことにしたかった。消えてしまえばいいと、僕はただ無心で男に刃を突き立てた。


どのくらいの時間が経っただろう。

気づいた時、男は木偶のように動かなくなっていた。僅かに聞こえていた懇願の声も今はもう聞こえない。赤く染まった敷き藁の上に紐の切れた小袋と血にまみれた金貨が数枚、散らばっているのが見えた。

僕はそれらを一瞥すると剣を薙ぎ、鞘に収めた。振り返った僕の目に、意識を失った彼女が映る。

僕は羽織っていた外套(マント)で彼女を包むと、そっと抱き上げた。


(軽い……)


まるで重みを感じない彼女の体は、20歳前の女性とは思えないほど痩せて骨が浮き上がっていた。


馬小屋の入り口に一人の男性が見えた。彼は小屋の中の惨状に言葉なく立ち尽くしている。僕は彼の横を無言で通り過ぎると、そのままウェズリー領を後にした。







それから2週間、彼女は昏々と眠り続けた。


人目につかないよう高い塔(ベルクフリート)の最上階に部屋を作らせ、そこに彼女を保護する。と同時に、なぜ彼女があのような場所であのような目にあっていたのか調査に乗り出した。彼女をあんな目にあわせた人間を絶対に許さない。僕の目に再び光が戻る。しかしそれはこれまでとはあまりに違った色の光だった。


あの日以来ずっと止まっていた時が漸く動き出した。

決して望んだ形ではなかったが、彼女をこの手に取り戻すことができた。それがせめてもの救いだと、言い聞かせるしかない自分がひどく情けなく、惨めだった。




再びウェズリー領に赴いた僕を、ブランドンは快く迎え入れた。


「どうしたパイロン。この間はいきなり帰って驚いたぞ。何か気に障る事でもあったか?」


僕は挨拶もそこそこに、柘榴色の髪の使用人(メイド)について尋ねた。大勢いる使用人のことなど彼が知っているはずはないと思っていたが、彼は「ああ…あいつか」と面倒くさそうに返事を返してきた。


「彼女はいつから、どういう経緯でここに…?」


僕の問いに彼はため息を一つ漏らすとテーブルの上の葉巻ケースから煙草を取り出し、吸い口を切ると火を付けた。煙がゆっくりと立ち昇る。お世辞にも上質とは言えないドライシガーのせいか室内に充満する香りに眩暈がする。ブランドンはそんな事はお構いないしに足を組むと目線を天井に向けた。


「さあな。4年くらい前だったか…。よくは覚えてない。ただの下働きの女にそこまで興味はないから経緯までは知らないな。ただ、珍しく親父が個人的に雇った…というより無理やり押し付けられてたようだったから記憶に残ってただけだ」


「押し付けられる…?」


「ああ。どっかの高位貴族の従僕が大金と一緒に置いてったんだ。なんか訳アリっぽかったけど俺には関係ないからな」


ブランドンがグラスに注がれたブランデーに口をつける。


「従僕が大金を…」


つまり、


彼女が嫁いだというのは領主のついたウソであり、最初(はな)からここに連れてこられたことになる。しかも大金と共に。つまり彼女は売られたのではなく、金と一緒にこの地に縛りつけられた事になる。一体、誰に…?


「なぜ高位貴族の従僕だと思ったんだ?」


その質問にブランドンは「ああ」と小さく頷く。


「金貨袋がえらく豪奢だったんだ。なめし皮に金色の閉じ紐。たかが袋にあれだけ金をかける家はそうはいないからな」


「……っ!」


その言葉に僕の顔から血の気が引いた。金貨の袋になめしを使うのは侯爵家以上の高位貴族と決まっている。そして皮ひも以外の『色紐』を使えるのは王家と三大公爵家のみ。そして金を使う家門といえば……。


「どうした、パイロン?具合でも悪いのか?顔色が悪いぞ」


急に黙り込んだ僕を心配し、ブランドンが肩に手を添える。それを押しとどめて立ち上がり、彼に礼を述べた。

急いで帰らなくては。父にこの件について問いたださなくては…。


そんな僕に悪気なく吐いたブランドンの言葉。

このせいで、ウェズリー領は数年後、見る影もなく没落する事となる。


「しかし、お前ってああいう女が好みだったんだな。人は見かけに寄らないって言うか…奥方とは全然タイプが違うじゃないか。まあ、確かに上玉ではあったよな、あの女」


「どういう意味だ…?」


ブランドンの言葉の意味を量り兼ね、止せばいいのに聞き返した。


「言葉通りさ。でもあれはやめとけ、パイロン。気が強すぎてお前なんかが手に負える女じゃない。見ろよこの傷。いい思いをさせてやろうと言い寄ったらいきなりナイフで切りつけられたんだぜ。使用人の分際で生意気な。あの時は心底腹が立ったけど…まあいいさ。その鼻っ柱はへし折ってやったからな」


ブランドンがそう言って鼻で笑う。


「何をしたんだ…?彼女に…」


「身の程を分からせてやっただけさ。主人に逆らえばどんな目にあうのか。って言っても大したことしたわけじゃない。罰として地下に閉じ込め数日食事を与えなかった程度だよ。お前のとこだってやるだろう?そのおかげで随分大人しくなった。まあ、よく考えればあんな鶏がらみたいな女、抱いたところで楽しくもなんともないけどな」


せせら笑うブランドンに心の奥がスッと冷えた。

僕はブランドンの肩を静かに押す。そして自分でも信じられないくらい低い声で彼に呪いの言葉を吐いた。


「ブランドン。今年は小麦の収穫に心を砕け」


「なんだ、いきなり…」


突然の話題の転換にブランドンが眉を顰める。


「いつまでも今の状況が続くと思うな。質のいい小麦はここだけじゃない。現状に胡坐をかいているといつか足元を掬われるぞ」


そんな僕の言葉に一瞬真顔を作った彼は、すぐに笑顔に戻り僕の肩を叩いた。


「ははっ。うち以上の小麦を作る領があるなら是非教えてもらいたいよ。それにお前がいるんだ、万に一つもここが傾くことはない。そうだろ?」


ブランドンが自信ありげに片目を瞑る。僕はそんな彼を冷ややかに見つめた。

これ以降、僕が彼に会う事は二度となかった。





自領に戻った僕は、その足で父の元に向かった。様子のおかしい僕の態度にドーソンが何事かと声をかける。


「……父だったんだ…っ。ベアトリーチェをヴェズリーに送ったのは。彼女の父もグルになって…嫁いだなどと僕を騙して…っ!すべては父の(くわだ)てだったんだ…っ!」


「……」


ドーソンが愕然とした表情と共に足を止める。それには構わず僕は父の執務室の前に立つとそのドアを勢いよく開けた。

執務机で書類に目を通していた父ベルゲンが黄金の瞳で僕を一瞥する。


「なんだパイロン、騒々しい。ノックぐらいしたらどうだ」


その言葉を無視し父の元まで歩み寄る。そして机の上の書類を勢いよく薙ぎ払うとダンッと思い切り、机に両手を叩きつけた。


「何の真似だ」


「あなただったんですね、父上。彼女を…ベアトリーチェをヴェズリーに売ったのは…っ」


「……」


父は持っていたペンを置くと椅子に背を預け、鷹揚(おうよう)に腕を組んだ。


「だったら、なんだ?」


「……っ!」


悪びれない父の態度に怒りの感情が爆発する。


「なぜですか…っ?!なぜあんな事をなさったのです?!ベアトリーチェが一体何をしたというのですか!彼女は純粋にマールムの民の事を思っていただけなのにっ!そんな彼女になぜあのような仕打ちを…っ!なぜ…っ!」


「なぜかと問われれば…そうだな、確かに彼女に罪はない。しいて言うならこれはお前の罪だ、パイロン」


「……なっ」


思いがけない父の言葉に一瞬にして身が凍る。


僕のせい…?


「お前が自分本位にあんな愚かなことを言い出さなければ、彼女を余所へやる必要はなかった。どこかに嫁ぎ幸せな未来があったかもしれない。民と共にこれからを生きる未来があったかもしれない。それを奪ったのはお前だ、パイロン。お前が自分の立場もわきまえず、一時の気の迷いで取った行動のせいで彼女の幸せは奪われた。すべてはお前のせいだ」


「それは詭弁です!!それにあの時、許してくれたのではなかったのですか?!婚約は破棄されたものだと、そう思って、僕は…」


「何をバカな事を。私はお前に時間をやっただけだ。自らの愚かな言動を反省する時間をな。勝手な解釈で判断を誤ったのはお前だ」


僕は拳を強く握りしめた。


「さあ、もういいだろう。私は忙しい。出て行け」


父が散らばった書類を拾いに立ち上がる。僕はそんな父にかける言葉を探し立ち尽くしていた。


(これ以上何を話すことがある…?何を言っても起きてしまった事実は変えられない。ただの恨み言にしかならない…)


そんな僕に、まるで世間話でもするかのように父が信じられない言葉を吐いた。


「それで…どうだった?久しぶりに会った彼女は?お前の知っている()()ではなかったのではないか?」


「……?」


父の言葉の真意を量り兼ねる。


書類を拾い集め再び椅子に座り直した父の、黄金の瞳が冷たく光った。


()()()()にもう未練はないだろう?これからは後継ぎを作る事に専念しろ。次代こそ黄金に輝く瞳の男児を儲けるんだ。お前のような出来損ないではなく、国に誇れるアドラムの後継ぎをな。でなければ私は王家に顔向けできん。分かったな」


そう言うと、父はもう用はないと言うように手を払い、書類に目を落とした。


「どういうことですか…?」


僕はあの日の場景を思い起こす。鮮血に(まみ)れた敷き藁の上に散らばる数枚の金貨と()()()()の小袋。その紐の色は―――。


「まさか…っ、父上が…あの男を……っ?」


「お前がウェズリーの(せがれ)の就任パーティーに行くとは思いもしなかった。念のため先手を打っておいて正解だった。焼け木杭には火がつきやすいというからな」



僕は、父に何をしたんだろう。

これまでずっと、家のため、父のためにすべてを切り捨てて努めてきた。

たった一つの願いはベアトリーチェと共に生きる事、それだけだったのに。それの何がいけなかったのか。


「まさか、まだあの女に未練があるとは言うまいな?もしそうなら、今度こそ私はあの女に手を下さなければならない。いいのか?今度会う時は場末の娼館か、それとも墓場か…。すべてはお前次第だ」



脅しともとれるその言葉に、僕の心のタガが外れた。



僕は腰の剣をするりと引き抜くと、トスンッと父の胸に突き立てた。



本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。


次回は5/15(土)更新予定です。

よろしくお願いします。

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