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蒼空 ~あおぞら~

蒼い空。



見渡す限り、どこまでも綴く一面の蒼。

こんなに美しい蒼空を見たのは、何年ぶりだろう。




眼下には、今日という後生一生のイベントに詰めかけた大勢の群衆。

喧騒の中、皆が一様にこちらを見上げ、(きた)る時を今か今かと待ちわびている。




乙女の力が覚醒したあの日、僕は王宮の入り口でカイル殿下の崩御を知った。

目の当たりにした現実と、また間に合わなかったという絶望から、ガクンと足の力が抜ける。そんな僕を支えてくれたのは、アレクシス殿下とステラ嬢だった。


「しっかりしろ!パイロン!!」

「大丈夫ですパイロン様!!助けますから!!絶対にっ!!」


その自信に満ちた二人の眼差しに、胸に満ちたぬくもりと安堵。誰にも頼らず、本心を打ち明けられる相手などこれまで一人もいなかった。ずっと一人だった。

そんな僕に差し伸べられた二本の腕。強く引き上げられ立ち上がる。


頼り、委ねてもいい。


まるで小さな子供にでも戻ったかのように、目頭が熱くなる。


ステラ嬢は言葉通り、カイル殿下の命を繋ぎとめてくれた。感情のまま、声を上げて泣くベアトリーチェの姿に安堵する。その姿を胸に刻み、僕は兵士に捕われその場を後にした。





「時間です」


役人に促され、両膝をつく。

後ろ手を縛る縄が手首に食い込むが、間もなくこの痛みも終わりを告げるだろう。





刑場までの道のり。護送の任についたのはアレクシス殿下だった。

狭い馬車の中に王族と罪人を同席させる事など本来ならあり得ない。が、殿下自らが志願したと聞きその意味を黙考する。


カラカラと回る車輪と、同じリズムで刻まれる馬の蹄。それらを静かに聞きながら、口を開いた。



「…ステラ嬢の容態は?」



カイル殿下の蘇生後、彼女は眠るように意識を失った。力を使い果たし、もしやこのまま…との懸念もあったが、意外にも、アレクシスの返答はあっさりとしたものだった。


「命に別状はない。まだ眠ってはいるが、よだれを垂らしていびきをかいているくらいだから心配はないだろう」


その様子を思い出したのか、殿下がフッと笑みを漏らす。


「そうですか…」


石畳を走る粗末な馬車が、ガタガタと音を立てる。木製の座面は固く冷たく、振動が直に体に響く。


「酷いな、これは」


たわいもない雑談。その気安さに僕も気負うことなく返す。


「ええ確かに。初めて乗りましたが改善の余地がありそうですね」

「久しぶりに引っ張り出してきたから整備が追い付かなかったんだろう。まあ、少しの我慢だ」

「これは整備云々の問題ではないような気もしますが…。殿下は大丈夫ですか?」

「お前と違って、オレはいろんな馬車に乗ったことがあるから問題ない。馬車の操縦だってそこそこ自信がある。知ってたか?オレの前前前前職は馬小屋の下男(グルーム)だったんだ」

「そうでしたね。失礼いたしました」


僕の放った刺客から逃げ延び、スラムで生き抜き、男爵家で身を潜めていた時代。本来ならばしなくてもいい苦労負ったにも係わらず、スレることなく真っ直ぐに、素晴らしい青年となって殿下は再び僕の前に現れた。


「変わりませんね、あなたは」

「そうか?そう見えるなら、俺もまだまだだな」


殿下がハハッと楽しそうに笑った。


「…殿下はなぜ、私の護送の任をお申し出になったのですか?罪人の警護など一兵卒に任せておけばよいものを。私に何かお話でも?それともまだ何か企んでいるとお思いですか?」


今更腹の探り合いは必要ない。言葉を選ぶこともなく率直にそう訊ねる。


「愚問だな。そのつもりならお前はこんなところにはいないだろう。例えそうだとしても…」


殿下の口角がニヤリと上がる。


「頭ばかりのお前に、俺が負けるとは思わない」

「…!ははは…」


忌憚のない物言いに僕も思わず笑ってしまう。


「確かにその通りですね。私は本当に…頭ばかりの人間でしたから。剣は昔から苦手でした。人を傷つけるのが耐えられず、子供の頃は稽古から逃げてばかりいました。それでよく父にも怒鳴られて…」


そんな時代もあったなと、懐古する。


「結果自分の手は汚さず、人を利用する術ばかりを身に着けました。あなたの母上であるルイーズ様もそうやって僕が手にかけたのです」


ルイーズ様の笑顔が脳裏に浮かんだ。そんな僕を、殿下はなにも言わず静かに見る。


「あの頃はそれが最善だと…そう思っていました。それがどんなに浅慮で愚行であったか、どれだけ多くの人間を傷つけたのか。結局私は、自分の事しか考えられない愚かな人間です。…もしもう一度、過去に戻れたとしても、おそらく別の方法を見つけることはできないでしょう…」


僕の言葉に静かに耳を傾けていた殿下が、王族らしからぬ仕草でガシガシと頭を掻いた。


「本当に…っ馬鹿な男だな、お前は。そして不器用だ…。…まあ、気持ちはわからないでもない。…オレも一人で突っ走ってた時期があったから。アイツの事を慮ってるつもりで、勝手な思い込みで自分本位に動いていた。それがアイツを傷つけてるなんて夢にも思わずに、それが最善だと信じてたんだ。気づけば泣かせてた。いや、泣かせてやることすらできなかった。全部を心の奥深くに押し込んで我慢するアイツに気づいてやることすらできなかったんだ。ほんと、どうしようもない…馬鹿なんだよ、オレも…。運良く与えられた二度目のチャンスだったのに、また同じ過ちを繰り返すところだった」




(また…)




その言葉にふと思い当たった。


「もしかして乙女の記憶に出てきたあの青年は、殿下なのでしょうか?」


ステラ嬢の心を覗いた際、彼女は同じ年頃の青年と一緒だった。今の殿下とは似ても似つかぬ容姿だが、彼女を見つめていた眼差しは同じに見える。


「さあ、どうだろうな」

「眩い光と激しい音の中、巨大な塊が二人にぶつかりそのまま…」


垣間見た光景を説明すると、殿下がああ、と頷いた。


「オレたちの最後の時か…。そうだな。おそらくそれはオレだ」

「では殿下も、白魔力を?」

「残念ながら俺は『乙女』じゃない。この転生はアイツのおまけみたいなもんだろう。オレは本当に運がいい。それなのに…やっぱりオレは同じミスを繰り返した。バカだろう?お前なんかよりオレの方がずっと愚かだ」

「……」

「お前は義母(ベアトリーチェ)の気持ちを考えたことがあったか?」

「え…?」


殿下の言葉に不意を打たれ、一瞬言葉につまる。穏やかな殿下の声音が氷水のように心を伝い、ジワリと浸み込む。


「お前が彼女を思うように、彼女もお前を思い、心を痛めている。そんな風に考えた事はなかったか?」


冷えていく心とは反対に、鼓動が激しく心臓を打つ。


「彼女は被害者です…。私が彼女を求めなければ、領地から追放されることはなかったでしょう。生涯の伴侶と出会い子を成し、母として穏やかな人生を送っていたかもしれない。立派な領主となり治世に身を投じていたかもしれない…。呪いを解くために国中を旅していたかも…っ。少なくとも…っあんな目に遭う事もなかったでしょう…っ!彼女は…私を恨んで当然です…!むしろそうでなければいけない…っ!だから…っ私は彼女の望みを叶えるためだけに生きると決めた!!それがせめてもの贖罪だから…っ」

「それを彼女が望んだのか?」

「……っ!」


殿下の声が静かに響く。


「お前はもっと彼女を見るべきだった。正面から向き合い、もっとちゃんと話し合うべきだった。罪の意識に苛まれ現実から目を背ける気持ちはわからんでもないが、彼女にだって心がある。思いもある」

「でも……っ!すべては私のせいなんです!!私のせいで彼女を不幸にしてしまった…。ただ笑っていてほしかった…幸せになってもらいたかった…ただそれだけを願ってただけなんです…」

「…もし彼女も、お前と同じことを考えていたとしたら?」

「……っ?!」


殿下の言葉に、再び言葉がつまる。頭が真っ白になり思考が停止する。


「もし彼女も同じことを思っていたら?自分が愛したせいで、お前が父親を殺し俺から母を奪った。自分と出会っていなければ、家格の見合う令嬢と幸せな人生を歩んでいたのにと後悔していたとしたら?」

「そんな……っそんなこと……彼女がそんな事気にする必要はない…。悪いのは全部僕なんだから……」

「今更何を言っても取り戻せるわけじゃないが…お前は一度でも彼女の気持ちを考えたことがあるのか?」

「もちろんです!!彼女は僕を恨んでいい人です!憎んでいい!利用して、命を奪う権利だってある…っ。むしろそうしてくれたらどれだけ…」

「楽になれただろう…か?」

「……っ」

「それはお前の気持ちだろう。恨まれるべき、憎まれべき、利用され殺してほしい。お前は恐れから逃げたんだ。彼女の気持ちから」

「そんな…違う…僕は…」

「…一度でも自分の本心を彼女に伝えたことがあったのか?愛してると、そう彼女に伝えたことがあったのか?」

「そんな……僕にそんな資格は…」

「お前も俺もそこがダメだったんだ。メソメソと自分の殻に閉じこもって、勝手な思い込みで相手の気持ちを判断して、結局相手を傷つけて…」

「そんな……そんな……」

「オレはな、パイロン。お前の事嫌いじゃないよ。おそらくお前の気持ちをわかってやれるのは俺だけだろう。だから最後に言いたいことがあるなら聞いてやる」

「殿下…」

「お前が…本当に願うことは…彼女に伝えたい事は、なんだ?」







もしもあの時、僕が林檎を拾わなければ、こんな事にはならなかっただろうか?



もしもあの日、僕が視察に伴わなければ、君と出会う事はなかったんだろうか?



もしも僕が、アドラムに生まれなければ……



もしも僕が…



もしも…








空が蒼い。



広場で群れを成していた白鳩が、駆ける子どもに追われ一斉に飛び立つ。そのまま上空をぐるりと旋回し、舞い降りた先は王城の尖塔。そこはこれまで何度も訪れた王族の居城。ベアトリーチェの居室もそこにある。



(君は今、何を思う?)



これまでになく、清々しい心で彼女を思った。



(もしもあの日、君の落とした林檎を拾わなければ僕は人を愛する幸せを知ることはできなかっただろう。ころころ変わる表情が新鮮で、怒った顔も照れた顔も全てが愛らしかった。勉強ばかりで世の中の事を何も知らなかった僕にあきれながらもいろんな事を教えてくれた君はとても生意気で、とてもかわいらしかった。いつかは呪いを解きおいしい林檎を作ると泣きながら夢を語ってくれた君。愛してると告げた時の頬を真っ赤染めた君。あの頃の僕は絶対に幸せにするんだって、希望で胸がいっぱいだった)



プワァ───ッ



刑の執行を執行を告げるラッパが鳴り響く。



「パイロン=アドラム」


名を呼ばれ、僕は静かに頭を下げた。黒い布を巻かれ視界が闇に閉ざされる。



(君は飽きれるかもしれないけど、僕は君と出会えて、君を愛することができて初めて幸せの意味を知ったんだ)


下方のざわめきが大きくなり、歓声が響く。


(僕はたくさん間違えた。勝手な思い込みでたくさん、たくさん君を傷つけた。君は何度も手を差し伸べてくれたのに、現実から目を背けたかった僕はそれに気づけなかった。この歳になっても僕はちっとも変わってない)


罪状を告げる口上が広場に響く。


(君を幸せにしたかった。僕の手で、僕の隣で、君にはずっと笑っていて欲しかった)



誰かが僕の肩を抑える。恐怖は感じなかった。そして、大きな何かが耳元で風を切る。


(僕の願いはいつだってただ一つ。どうかこれからの人生が、君にとってより良いものでありますように…)




「愛しているよ…ベアトリーチェ」




明日も空は蒼いだろうか?


明日の君は笑顔だろうか?


もう二度と見る事は叶わないけれど、それでも僕は願う。



持っていくから。思い出は全部。


だから、どうか………




耳元で再び何かが風を切る。




それきりだった。

僕の偽物(カナリートルマリン)の瞳は、それきり何も、写すことはなかった。



次話最終話です。


本日19時更新予定です。

よろしくお願いします。

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