一縷 ~いちる~
「……報告は以上となります」
「……。下がれ」
「はっ」
一礼し、部下が部屋を出る。重い扉が静かに閉まるのを見届け、僕は大きく息を吐いた。
「すまない、パイロン…。俺が甘やかして育てたばかりに…」
壁際に控え、思いつめた表情で首を垂れていたドーソンが苦しげな声で謝罪の言葉を述べる。
「……」
それには答えず、僕は彼を一瞥するともう一度小さく嘆息した。
(これで何度目だ…)
眼鏡を外し、二本の指で目頭をつまむ。眼球の奥に走る鋭い痛みをやり過ごし、そのまま両肘を机に乗せると両手を口元で組んだ。
これまでにもカリスタの愚行については散々報告を受けてきた。その都度見せられるこのドーソンの困り顔と謝罪の文言にはいい加減うんざりしているが、責任の一端が自分にもあるかと思うとそう強く出る事も出来ない。
カリスタ=ベレスフォード。
ベレスフォード家の子どもたちの中で、唯一美しい柘榴色の髪を持つ令嬢。17年前、僕が無理やりベアトリーチェから引き離し、友人だったベレスフォード侯爵家に押し付けた彼女の一人娘だ。
(あの娘がまさかあのような成長を遂げるとは…な)
《ロクシエーヌの赤い悪女》
それが、この数年で彼女に与えられた不名誉極まりない通り名。外見こそベアトリーチェの美しさを受け継ぎ、そこらの令嬢に引けを取らないほど美しく成長したカリスタだったが、内面は真逆。全くといっていいほどそれに比例しなかった。
始まりは小さな人形だったと記憶する。
まだ物心がつくかつかないか、そんな幼い頃だった。
当時遊び仲間だった令嬢の一人が持っていた小さなかわいらしい人形。それが欲しいと駄々をこねたカリスタは、なだめるメイドを突き飛ばし、嫌がる相手から無理やりその人形を取り上げるとあろうことかその子を池に突き落とした。当時はまだ幼かった事もあり子どものやることだからと相手をうまく宥め、その場はなんとか丸く収めた。相手が何の力もない子爵家の令嬢だった事も大事にならなかった理由の一つだろう。
幼子特有の癇癪行動。いずれ物の分別が付くようになれば落ち着くはず。…当時の僕たちはそんな風に高を括っていた。
が、それ以降、彼女の蛮行は徐々に増長していく。
成長し狡猾さを増した彼女の言動は、常に周囲の緊張を招いた。「取り巻き」と呼ばれる令嬢たちを侍らせ、まるで女王のように振舞うカリスタ。彼女に貶められ辱しめを受けた令嬢がどれだけいるのか。把握できる人数は既に僕の両指を上回った。皆標的にならぬようただ息を殺し、関わりにならぬよう静観する。それに優越感を抱き笑みを浮かべる彼女の性格が一体誰譲りなのか。
(いっそ、僕の娘として育てた方が納得できたかもしれない)
ついそんな思いが脳裏をよぎる。
「それで…?今回は何が気に障ったというんだ?ドレスか?宝石か?今更彼女にケンカを売るような肝の据わった令嬢はいないだろう」
「それは…」
何かを知っていたらしいドーソンが口ごもる。
「…今年の新入生の中にヴィクター公子につきまとう令嬢がいて不快だったと…」
「またヴィクター公子か……」
ヴィクター公子とは三大公爵家の一家門、火の魔法を司るマクミラン公爵家の嫡男であり、数年前からカリスタが恋慕う相手でもある。
数年前からカリスタか引き起こす問題は全てこのマクミラン家の嫡男が関係していた。といっても彼に非がある訳ではない。すべてはカリスタの一方的な愛と嫉妬によるものに他ならない。
(傍観しすぎたか……)
チラリと目端に捕らえたドーソンは沈痛な面持ちでただただ俯いている。
僕とドーソン。二人の中に一生消える事のないベアトリーチェへの罪の意識。それは当然のようにカリスタにも向けられていた。特にドーソンは責任感が強く愛情深い男だ。赤子の頃より自分の娘として育て、常に罪悪感を胸に抱きながら成長を見守っていたことを僕もよく知っている。ともすれば実子である息子たちよりもかわいがっていたであろう彼が、カリスタに厳しく接する事は難しかったのかもしれない。
(昨年の一件で厳しく言い聞かせたつもりだったが…、人の心根などそう簡単に変わるものではないか…)
昨年、カリスタはある事件を犯した。ヴィクターの婚約者であるファリントン伯爵家の令嬢、エレオノーラの乗る馬車に細工をさせ危うく死に至らしめようとしたのだ。幸いにも彼女のケガは大したことはなく、事なきを得たが、歳を追うごとに残忍さを増す彼女の行動は既に看過できない所まできている。
「それで……その令嬢にポットを投げつけ額を割り、火傷まで負わせたと?」
「……そのようだ」
僕は、再び息を吐いた。
「で…どこの令嬢だ。侯爵家か?伯爵か?まさか公爵家の令嬢ではあるまいな」
政治に影響を及ぼすような家門でない事を祈りたい。
「ヴェルナー男爵家の令嬢、ステラ嬢だそうだ」
「ヴェルナー家?」
思わず聞き返した。
ヴェルナー家といえば北方の大地主の家門だ。男爵という肩書ではあるが、建国以来、かの広大な領地を統治する有能な人物ばかりを輩出してきた家門でもある。
「…?ヴェルナー家に年頃の令嬢がいるとは思えないが…孫か?」
彼の地の領主、コンラット=ヴェルナーは父より少し上の世代だったはずだ。既にかなりの高齢のはずだしなにより彼はかなりの愛妻家として有名だ。今更若い愛人を迎えるとは到底思えない。
「2年前、スラムの平民だった娘を養子として迎え入れたらしい」
「スラムの平民を養子に…?」
それはまた思い切った事をしたものだ。
「…まさか二目と見られぬような有様ではなかろうな?」
ヴェルナー領といえばこの国随一の穀倉地帯であり、いまや商業の中心とうたわれるほど目覚ましい発展を遂げている領地でもある。王家の食糧庫の大部分がヴェルナー産であり、この国にとってなくてはならない領地といっても過言ではない。
(今コンラット卿にヘソを曲げられたら、国家が立ちいかなくなる)
温厚と評判の男爵ではあるが、へそを曲げたらかなりの偏屈だと父ベルゲンがこぼしていた事を思い出す。
「今、確認中だ。医務室で手当てを受けているそうだから、まもなく連絡が入るだろう」
「そうか…」
僕は椅子の背もたれに体を預けた。
「例の件は……漏れてはいないだろうな?」
僕は一番の心配事をドーソンに尋ねた。
「ああ。ヴィクター公子の機転でとりあえずその場は収めたようだ。だが…噂が独り歩きしているのはお前も知っているだろう?あの髪色を見て関係ないとは……隠し通すのにも限界がある」
「……」
《ベレスフォード家のカリスタ嬢は実は王妃ベアトリーチェの子ではないか》
まことしやかにささやかれる、宮中の噂。
産まれて一才にもならなかったカリスタをベレスフォード家に放り込んだ時、彼はまだ新婚だった。それに夫妻の髪色は金。柘榴色の髪のカリスタについて憶測が飛び交うのは当然の事だった。その上成長するに従い、目鼻立ちが王妃に似てきたとあってはさもあらんだ。
「そろそろ、隠すべきか……」
以前から頭にあった言葉が口をついた。その言葉にドーソンが弾かれるように顔を上げた。
「ダメだ、パイロン…っカリスタは…そりゃ性格に多少の難はあるが…それは俺の育て方が悪かっただけで…っこれからはちゃんと厳しく躾ける…だから、命だけは…っ」
何を勘違いしたのか、ドーソンが必死の顔で僕に迫る。その必死さに思わず笑いがこみ上げた。
「何を言ってるんだ、ドーソン。勘違いするな。僕がそんな事をするわけがないだろう。彼女の子を傷つけるなんてそんな事…僕がするわけがない」
その言葉にドーソンが明らかにホッとした顔を見せた。
「…近いうちに近隣国の子息を見繕って婚約を結ばせろ。なるべくこの国から遠い方がいい。あとは政治的に強い家柄は避けろ。軍事もだ」
僕の言いたいことが伝わったのか、ドーソンが力強くうなずいた。
「それから……」
僕は一旦言葉を切り、続けた。
「……なるべく、人柄と顔のいい男を選んでやれ。黒髪の…できれば瞳の美しい男が望ましいだろう…」
僕にできるのはこんな事ぐらいだ。
コンコンコンッ。
控え目なノックの音に、僕たちは口を閉ざした。
「入れ」
入ってきたのは、先ほどの部下だった。
「怪我をした令嬢の診察が終わったとの事で、校医から報告が入っております」
「話せ」
部下は紙を一枚めくり…驚いたように目を見開いた。
「どうした」
ドーソンが男に声をかける。
「いえ…その…」
もごもごと言葉を選ぶ男に、ドーソンが焦れる。
「いいから早く話せ!」
「…は、はい。……ええ…『怪我を負われた令嬢の身体に火傷、および傷は一つも見当たらない』との事です」
「……!?」
ドーソンが部下に歩み寄り書面を取り上げる。内容を自分の目で確認し、ひそめた眉のまま顔を上げると、僕に向かって小さく頷いた。
「下がれ」
部下を下がらせ、改めて自分の目で書面を確認する。
『被害にあったと思われる令嬢、ステラ=ヴェルナー嬢の頭部、および顔全体に火傷の痕跡なし。額に受けたと報告のあった切り傷も一切なし。僅かな腫れのみを確認。周囲に止血に使ったと思われる血染めのタオルが大量に存在したが、他にけが人もなく出所は不明』
「……どういうことだ?」
ドーソンがいぶかし気な声を上げる。
が、その時。
僕は一つの可能性について考えずにはいられなかった。
「ドーソン」
震える声を抑え、至極冷静に彼に一つの命令を下す。
「その令嬢、ステラ=ヴェルナーについて調べろ。出生から交友関係、それに…彼女の周りで不可解な事が起きてはいないか、どんな些細な事でも徹底的に調べろ!今すぐに!」
「……っ!?はっ!承知しました!!」
ドーソンがすべてを察したように頷き、はじかれるように部屋を後にする。
僕は…
高鳴る心臓の音を鎮めるように、強く、固く目を閉じた。
最後までお読み頂きありがとうございました。