邂逅 ~かいこう~
本編完結からの番外編です。
今回はパイロン様の過去のお話です
誤字訂正しました(2021.4.25)
空が青い。
青空を、こんな風にのんびりと見上げたのは何十年ぶりだろう。
多くの見物人が集う中、役人に促され両ひざをつく。
目隠しのため用意された布が視界を塞ぐと、すぐさま背中を押され額が地面につく。
いつかはこんな日が来るのだろうと思っていた。
父を殺したあの日から…。ルイーズ様を手にかけたあの日からずっと……。
「あげる。とってもおいしいのよ」
勝ち気な瞳で揶揄う様に笑う彼女の笑顔が、ふいに脳裏を過る。
(君にはずっと笑っていてほしかった。あの頃のように…。ただそれだけが僕の願いだった…)
どうか残りの人生、君が穏やかに過ごせますように。
どうか僕の事で君が苦しむことのないように、どうか…。
ただそれだけを願うよ。ベアトリーチェ…。
彼女と出会ったのは、このマールムの地にまだ青い空が望めたある冬の日の事だった。
「私は領主と話してくる。お前はしばらくこの辺りを散策してくるといい」
「わかりました、父上」
『アルテイシアの呪い』の定期視察のため、父ベルゲン=アドラムに同行した僕は、今日初めてこのマールムの地を訪れた。
王都よりはるか東の地にあるこのマールムは、ロクシエーヌ建国の礎とされる歴史ある領地だ。建物の大半が石造りで、当時の面影を色濃く残す。よく言えば重厚、悪く言えば古めかしいそれらは、王都から滅多に出ない僕の目にとても真新しく新鮮に映った。
城のような屋敷の中庭をぶらぶらと一人で歩く。季節は冬。下草はとうに枯れ、周辺の木々に茂る葉は一様に少ない。
そこに。
トスンッ、と。
音を立てて転がってきたのは小さなリンゴ。
アドラムの領地で生産されるモノとは比べ物にならないくらい小さなそのリンゴはコロコロと2,3回転した後、僕の足元で静かに止まった。
(リンゴ…?どこから……?)
周囲を見まわしても人の気配はまるでない。唯一目の前にある、明らかにリンゴではない高木にそっと手を触れる。そして何気なく見上げたその先に…。
「……っ?!」
一人の少女がいた。
オリーブ色の地味なワンピース姿で太枝に座るのは、まだ一ケタ…いやようやく二ケタに届いたくらいの年齢だろうか。癖のある鮮やかな柘榴色の髪を長く後ろに垂らし、じっとどこかを見つめている。時折機械的に手を動かし何かを齧る。コリッという硬い音が音のない中庭に響く。何度か繰り返されるその様子を見ているうちに、それが今、自分の手元にあるリンゴと同じものだと気づいた。
「何か用?ここは無断で立ち入りできないはずだけど…」
少女らしからぬ声音に、思わずハッと我に返る。
「誰?」
ようやくこちらに向けた顔に思わずドキリとした。この国には珍しい黒曜の瞳。それがあまりに美しく一瞬目を奪われた。
「失礼しました、ご令嬢。僕はパイロン=アドラムと申します。父と共に『アルテイシアの呪い』の視察に参りました」
丁寧に自己紹介をする僕に対し、少女はなんの関心も示さない。
この国の領民であれば僕の名前を聞いたとたん、遜り機嫌をとろうとする。それなのに彼女は、
「用がないなら出ていって。ここはあなたが来るような場所じゃないわ」
そう冷たく言い放った。そんな彼女に途端に興味がわく。
「何を見てるの?」
思わず声をかける。すると少女は、前方見つめたまま静かに、
「……『アルテイシアの呪い』」
そうつぶやいた。
アルテイシアの呪い――――。
ロクシエーヌ建国の時代よりこの地に存在する呪われた大地。かつて聖なる森と呼ばれた地に突如出現したそれは、黒く淀んだ瘴気を放つ。周辺の木々を枯らし、水を、そして大地をあっという間に腐敗させる。年々規模を拡大しつつあるそれらを現時点で止めるすべはなく、ただ見守るしかないのが現状だ。
「どうして君はそんな顔で……」
そう声をかけたまさにその時だった。
「ベアトリーチェ様――っ!どちらにいらっしゃるのですかぁ?ベアトリーチェ様――っ」
この屋敷の侍女だろうか?大声を上げて誰かを探しているようなその声に一瞬気をとられた。
(ベアトリーチェ…領主の娘が確かそんな名前ではなかっただろうか。もしかして…)
僕は再び木の上の少女に目をやる。と、
ザシュ!!
いきなり目の前に少女が降り立った。
(あの高さから飛び降りたのか…)
ビックリしてつい言葉を飲み込む。少女は立ち上がりスカートのお尻を軽く叩くと、初めて正面から僕を見た。そして、
「ここに居た事は内緒にして。バレると後がめんどうだから」
口角を少しだけ上げて笑う。その勝ち気な目が妙に大人びていて思わずドキリと心臓がはねた。
そのまま急いで立ち去ろうとする彼女に僕は慌てて声をかける。
「あの……っ!」
特に用事があったわけではない。ただそのまま別れてしまうのが惜しい気がしてつい声をかけてしまった。かけた手前、身近に用件を探す。そして先ほど拾ったリンゴをつい差し出した。
「これ…。君のだろう?」
彼女はそのリンゴをしばらく見つめたのち、なぜか揶揄うようにニヤッと笑った。
「あげるわ。とってもおいしいから…よかったら食べてみて」
そのまま駆けだす彼女を僕は黙って見送る。
思いがけず手にしたリンゴを、僕はおもむろに一口齧った。コリッという硬い食感に思わず顔をしかめる。リンゴというより生のイモでも齧っているような歯触りに思わずその場に吐き出した。
「なんだこれは…っ硬いしそれに…めちゃくちゃ酸っぱい……っ!」
彼女の笑みの理由を、僕はその時ようやく理解した。
季節は巡り、春。
三カ月に一度の頻度で行われる定期視察。学園を卒業し今年18歳になった僕は、父よりこの業務を引き継ぐことになった。視察といっても特にすることはない。ただ現地に赴き、現場付近を視察、その後領主との会食を済ませ帰路につく。いつの代から始まったのかわからないこの慣習をただ義務的に行うだけだ。
呪いの拡大速度は決して早くはない。曽祖父の代の記録と照らし合わせてみても、広がりはほんの数百メートル四方と言ったところだ。特に問題視する程ではないと父も言っていた。それに王都までは距離もある。呪いの影響が王都に及ぶには軽く見積もっても数百年はかかるだろう。
前回より少しだけ芽吹いた木々がそよ風に優しく揺れる。
領主との会食を済ませた僕は先日の中庭へと急ぎ赴いた。
彼女がまたそこにいるという確信はなかった。でもその可能性にかけたいくらいに僕は彼女に会いたかった。
「いた…」
息を弾ませ中庭に足を踏み入れる。例の大木の太幹に彼女の姿を見つけると、安堵のため息が漏れた。
僕は呼吸を整え、平静を装う。そして小さな咳払いと共に「やあ」と声をかけた。彼女がこちらに気づき一瞥する。「また来たの?」と言わんばかりの顔で小さくため息を漏らしたのが分かった。
「ちょっと降りてこないかい?君にいいものをあげようと思って持ってきたモノがあるんだ」
手に提げていた大きな籠を彼女に見えるように掲げて見せる。
「これ僕の領で取れたリンゴなんだ。ちょっと時期外れだから口に合うかわからないけど、少なくともこの間のアレよりはずっとおいしいはずだよ。それにしても、あれはいったい何?硬くて酸っぱくて…イモかと思ったよ。あんなの食べなくてもこれからは僕がいくらでも持ってきてあげる。だから遠慮しないでもらってくれるかい?」
好意のつもりだった。
きっと喜んでくれる、この時の僕が浅はかにもそう思い込んでいた。
彼女は僕の言葉を最後まで聞くと、無言のまま先日のように高枝から飛び降りた。そのままツカツカと僕に歩み寄り、そして……、
バシッ!!
いきなり手を振り上げると、僕の持っていた籠を思い切り叩き落とした。
「……っ!」
突然の事に一瞬何が起きたかわからない。足元にゴロゴロと転がるリンゴ。それらが僕たちの足元を取り囲む。
「何をするんだっ…!」
普段温和で大人しいと評判の僕だが、これにはさすがに腹が立った。珍しく声を荒立て彼女を非難する。そんな僕を彼女は鋭い目つきで睨みつけ…強引に腕を掴んだ。
「…な、何っ…!」
「来て」
有無を言わさず手を引かれる。意味も分からず引きずられるように中庭を後にする。
(なんで彼女はこんなに怒っているんだろう……)
彼女から感じられるすさまじい怒りの感情。それを無理に閉じこめて冷静に努めようとしているのが肌で伝わる。
(僕は何か、彼女の気に障るようなことをしてしまったんだろうか…)
思い当たるのはあの小さく硬いリンゴ。でもそれをけなしたぐらいで彼女はこんなに怒るだろうか…。
行先も告げられないまま、無言で手を引く彼女の顔は怒りに満ちている。声をかける事を躊躇っていると、ようやく彼女が足を止めた。
「ここは…?」
見覚えのある景色だった。が、僕の知っている場所とは少し様子が違う。
「果樹園よ。マールムの…。ここであのリンゴを作ってるの」
だだっ広い平原に、整然と植えられた低木が一面に広がる。通常選定を終えた樹木は冬の終わりから春先にかけてつけた花芽を膨らませる。アドラムの果樹園ではすでに多くの花芽がピンク色の蕾をつけ、中には白い花を咲かせているモノもある。
それなのに、ここの樹木の花芽は硬く、閉じたまま膨らむ気配すらない。これ以上時期が遅れると、つけた果実が十分な日光を浴びる事ができず実は小さいまま成長が止まる。
「全部呪いのせいよ…」
彼女が憎々し気に言い放つ。
「全部『アルテイシアの呪い』のせい。ここの樹木の生育が悪いのも、リンゴの味が悪いのもみんなあの呪いのせい…っ。あなた、呪いはあそこに見えているものがすべてだと思ってるでしょう?」
彼女が静かに僕を見つめる。
「わかってないのよ、誰も…。宰相も国王も、みんなうわべだけしか見ていない。呪いの力はすでにこの領の大地を侵している。それを知ってるのは私たち領民だけ…」
「でも…っ!領主からはそんな報告は上がっていない…っ!」
「いう訳ないでしょ…。そんな事言ったらこの碌でもないリンゴすら売れなくなるわ。今は何とか家畜の飼料用として取引をしてくれてるところがあるけれど、呪いの影響を受けてるリンゴなんて誰が買うのよ。そんな事も分からないの…?」
「……っ!」
「アルテイシアの呪いのせいでこの地には碌な作物が育たない…。小麦も豆もそしてリンゴも…。それでもここの領民はみんなあのリンゴを食べるしかないのよ…」
彼女が悔し気に唇を噛む。
「あんたの領地はいいわよね。肥沃で広大な領地を与えられて安穏と暮らしてる。そんなとこのリンゴが甘いのは当たり前だわ。そんなリンゴを自慢げに渡されて、私が喜ぶとでも思った?悪いけど私はそんなにおめでたくないの」
「そんなつもりは…なかったんだ…ただ僕は…」
「わかってる。知らなかったんだもの…当然だわ。私も、あなたにひどい事をしたと思ってる。ついカッとなってあんなことをしちゃった。お父様にもよく叱られるの、お前は辛抱が足りないって…」
そう言って彼女が少しだけ微笑んだ。初めて見る素の笑顔に思わず目を奪われる。
「ごめんなさい、パイロン様。あなたの好意は理解しています。でも…私はあのリンゴを食べるつもりはありません。いつか、私がこの地の領主になったらきっとあの呪いを解いてみせる。そして領のみんなと一緒にマールムのリンゴを食べるの。それが私の夢。きっとアドラムのリンゴに負けないくらい、甘くておいしいリンゴになるわ。だからそれまでは、あなたのリンゴは食べません。絶対に…。だから…もう二度とここには持ってこないでください」
その凛とした態度に僕は目を奪われた。まだ幼い彼女を美しいとさえ感じた。そして、そんな彼女を愛しいとも思った。
「…わかった。もう二度とあんなマネはしない。約束するよ。その代わり、君のその夢…僕にも手伝わせてもらえないかな?呪いを解くには知識が必要だろう?今まで呪いを解こうなんて考えた事もなかった。でもそれが本当に可能なら、僕は惜しみなく君の力になるよ。まずは領地に戻り呪いに関する文献をあたってみる。また三月後、報告に来るよ」
「ありがとうございます。パイロン様…」
「パイロンでいい。君にはそう呼んでもらいたい」
「わかりました。パイロン…。私は」
「ベアトリーチェだろう?侍女がそう呼んでたから。君の事はベアトリーチェと呼ばせてもらう。いいね?」
僕の言葉に、彼女が笑った。
これまでとは比べ物にならないようなまぶしい笑顔で。
その笑顔を、ずっと見ていたいと思った。
自分ならこの笑顔を守り続ける事ができる、まだ世間を知らなかったこの時の僕はそんな自分を信じて疑わなかった。
最後までお付き合い頂きましてありがとうございます。
こちらは【ヒロインだけど恋愛に全く興味がありません!】の番外編となります。
もしよろしければ本編と合わせてお楽しみ下さいませ。